執り合うはその手と剣
「マークルフ様!?」
リーナが叫び、マークルフの肩に手を当てた。
彼らの居る地下室全体が揺れ、そこに置いてあった机や椅子が震える。
「野郎……またどこか攻撃しやがったな」
“機竜”が再びどこかを攻撃したのだ。先ほどよりは遠くの場所のようだが、その地は崩壊しているだろう。
マークルフは胸の“心臓”がまた反応を強めたように感じた。
この地の魔力レベルがまた変化したらしい。またしても“聖域”に大きな影響が出たのだ。
上から人々の叫ぶ声が聞こえてくる。
この地下まで届くほど人々の混乱の声が行き交っているのだ。
「いったい何を考えてこんなことを──」
「分からん。だが俺たちにできることは身体を治して、“機竜”を破壊することだ」
マークルフは俯いたまま答えた。
リファが自ら犠牲になることを覚悟し、ルフィンも未曾有の危機に直面している。
腹心のログも過酷な対決に赴いた。
それでも自分はここでただ待たなければならない。
一刻も早く治療に入ること。現在のマークルフには、それしか選択肢は残されていないのだ。
「……そうですね。グーちゃんが来るのを待ちましょう」
リーナもマークルフの歯がゆさに気づいているのか、静かに寄り添う。
「男爵!」
やがて扉が乱暴に開かれ、エルマと部下二人が慌てて入ってくる。
「“機竜”はどこを狙った!? 他の奴らはどうしている!?」
マークルフは咄嗟に叫んでいた。
「“機竜”は遠くの河を狙いました。おそらく、“聖域”決壊の影響が一段と顕著になるはずです」
「このままだと“聖域”はどうなる!? “機神”への影響は!?」
“聖域”の役割は、その中心に位置する“機神”に魔力を与えず封印しておくことだ。“聖域”決壊によって封印が綻ぶことをマークルフは何より危惧していた。
「正確には調査が必要ですが、“機神”が眠るクレドガルまで影響が出ることはないと思います。これで終わればの話ですが──」
「もし、これ以上の決壊を許せばそれもあり得るのか」
「はい。あいつが“機神”を復活させる気だとは思えませんが──その可能性はあります」
マークルフは歯を噛み締める。
「畜生ッ! こういう時の“狼犬”じゃねえのか! 何をしてるんだ、俺は──!!」
血気に逸るマークルフの意志とは裏腹に、その身体は悲鳴をあげたまま動かすこともできなかった。
“機神”の脅威が再び迫るかもしれないこの時に、それに挑む者の称号を受け継ぐ自分が何もできずにいるのが情けなくて仕方なかった。
「エルマさん、城はいまどうなっているのですか」
マークルフに代わり、リーナが訊ねる。
「王子とサルディン隊長さんが何とか陣頭で頑張っているようです……そして、ログ副長の前に仮面の女剣士が現れたようです。手出しは無用と皆に伝えていました。一人で決着をつけるつもりのようです」
何もできないマークルフは、その報告を黙って聞いているしかなかった。
「……エルマさんたちは先に安全な場所に避難してください。ここも何があるか分かりません」
リーナが言った。
「ですが、姫さまたちだって危ないっすよ!」
アードが心配そうに言う。
「大丈夫です。いざとなれば私が“鎧”となってお守りするぐらいはできます」
「……では、うちらは先に行きます。気をつけてください」
リーナがうなずくのを見て、エルマはアードとウンロクを連れて部屋を出て行った。
再び二人だけになると、リーナはしゃがんでマークルフと目の高さを合わせる。
「久しぶりに見ました。マークルフ様のそのようなお顔を──」
無様な自分を見られたくないと視線を背けそうになったマークルフに、リーナは優しく声をかける。
「……久しぶりって、前はいつだよ」
「“機神”を止めようと私に刃を向けられた時ですわ」
マークルフも思い出す。
一年前の“機神”に取り込まれたヒュールフォン=フィルディングとの戦い。その暴走を止めるためにはリーナを殺すしかないと覚悟した、あの時だ。
「あの時、破壊された《アルゴ=アバス》の面から覗いていたそのお顔を私はずっと覚えてます。これが本当の貴方なんだって──」
「……嫌な事を思い出させるな。それに、いまの俺はお前にとどめを刺すことだってできねえ体たらくだ」
「私にとっては嫌な事じゃありませんよ。あの時、ようやく私は貴方を助けることができたのですから──」
マークルフはリーナと目を合わせた。
確かに、その時に初めてリーナが《アルゴ=アバス》に代わる“光”の鎧となり、彼に“機神”と戦う力を与えてくれたのだ。
「貴方が動けないなら、私や皆さんがその代わりとなって戦います。“戦乙女の狼犬”の名が貴方を動かすように、皆もその名の下に動いているのです」
リーナがマークルフの動かない左手を両手で包み込んだ。
「待ってください。それも皆の先頭に立つ“狼犬”のお役目ですよ」
「ここで良いかしらね」
先を歩いていたリーデが立ち止まって振り返る。
ログも立ち止まった。
そこは城の中庭に沿った通路。城門から離れたここにはすでに人の姿はない。
「本気のあなたと戦うなら、この仮面は邪魔ね」
リーデが仮面を外して投げ捨てた。冷徹な表情と鋭い双眸がログに向けられる。
「これが現在のわたしです。アウレウスに戻るのも貴女の前で最後となるでしょう」
ログも剣を手にしたまま答える。
「こちらからもお聞かせください。貴女はなぜ、神女の力を手に入れられたのですか?」
「そう、約束していたわね」
二人は対峙する。
「〈白き楯の騎士団〉が壊滅する少し前、わたしはお父様からこれを受け取っていた」
リーデは襟を掴み、左肩を露わにした。
そこには白き楯を模した紋章が刻まれていた。
「この紋章の意味は説明するまでもないわね」
騎士団への入団が認められた者は、その証として紋章を身体に刻まれる。そして任命した騎士から洗礼を受けることで〈白き楯の騎士〉に選ばれる。
ログもリーデンアーズ団長の洗礼を左手の紋章に受け、騎士の一人と認められた。
そして、その紋章にはもう一つ隠された意味があった。
洗礼を受けた紋章を持つ者だけが、神女の封印を操る資格を持つのだ。
リーデが神女の力を操ることができるのも団長の洗礼を受けた肩の紋章の力なのだ。
「父様は騎士団の行く末を懸念されていた。だから、本来なら騎士にしか許されないこの紋章と封印を操る手段をわたしに託したの。もし騎士団に不測の事態が起きても神女の封印を守る者だけは遺しておきたいと考えていたのよ」
リーデは襟を戻した。
「そして父様の予感は当たり、騎士団は壊滅してしまった。その後、わたしもガルフィルスの手から逃れるために身を隠した……最初はあなたを待っていた。“最後の騎士”がガルフィルスを斬りつけて逃亡したと噂で聞いてから、ずっとあなたがブランダルクのために立ち上がってくれると信じていた!」
リーデの声がログの耳を貫く。
「……思えばわたしも甘かった。疲弊しきったブランダルクをあなた一人がどうにかできるわけもなかった。でも、わたしはガルフィルスを許せなかった。そして父様たちが命を懸けて守ってきたブランダルクが、ただ沈んでいくのを見ていることができなかった。だから、わたしは託された神女の封印を解こうと考えたの」
リーデの瞳に無念の思いが滲んでいた。ログはその瞳に昔のアデルの面影を見いだす。
「だけど、肝心の封印の場所だけは分からなかった。父様から託されたのは封印の場所を暴かれて悪用されそうになった時、それを止める役目だった。だから場所だけは教えてくれなかった」
「……団長は貴女にその力を使ってほしくなかったのです」
ログは答える。
「なのに何故、貴女は神女の封印を見つけてしまったのですか?」
「オレフが封印の場所を見つけていたのよ」
リーデが答えた。
「あの科学者が──なぜ封印の場所を?」
オレフの名が出てくるとは予想していなかった。しかし、あの科学者の存在が全てに起因していることは理解した。
「わたしは封印の所在地を調べ続けていた。だけど、騎士団が秘匿していたそれはどうしても分からなかった。でも、ある時、オレフと出会ったのよ。彼は驚くことに封印の場所を知っていた。ある理由でこの地方の全ての霊力の流れを調査していた彼は霊力の流れが不自然な場所を見つけていたの。それが何か調べていたら、同じように封印について調べていたわたしと出会ったのよ」
「それで手を組んだと──」
「彼はわたしに封印の場所を教えた。彼にとって神女の封印は邪魔だった。封印の影響が大きくて“聖域”決壊の計算する時の不確定要素だったらしいわ。わたしも教えてもらう代償として彼に協力した。彼が従っていた司祭長ウルシュガルは双子たちを利用するつもりだった。だからわたしはリーデとして反政府組織に参加し、双子たちの許にいた。ガルフィルスを排斥し、ルフィンを王とするように働きかけることも条件でね」
「それで……これが貴女の望んだ状況というのですか」
異変に怯える人々の声を耳にしながらログは訊ねる。
「オレフもわたしも司祭長に叛旗を翻したのよ。このブランダルクを奴の踏み台にはさせない。ここへの“竜墜ち”は阻止させてもらうわ」
「フィーリア王女をどこに連れ去るつもりです? “機竜”をどこに誘導するつもりですか」
「グラオスよ」
リーデが隣接する国の名を挙げた。
「ブランダルクを最も狙っているのはあの国。あの国で“竜墜ち”が起きればグラオスもブランダルクを狙う余力はなくなる。そして、その後の“機竜”の骸を狙って他の国から狙われる立場になり、狙うことさえできなくなるわ」
ログは目を伏せた。
「司祭長も狙うつもりですか」
現在のこの地は司祭長の力により国家間の争いは抑えられている。リーデの計画は司祭長がいない状況を前提としていた。
「残念ながらわたしにその猶予はない。でも、その役目は誰かが引き継いでくれると信じている。できるなら、その役目はあなたが引き受けて欲しい」
リーデとログの視線が結び合わされる。
「いえ、あなたがやるべき事なのよ! あなたはブランダルクの守護者〈白き楯の騎士〉の最後の一人なのよ! ガルフィルスやウルシュガル、この国を蝕む奴らと戦い、新たな王フィルアネスの剣となってほしい! 亡きお父様たちの代わりにブランダルクと〈白き楯の騎士団〉を再興できるのは“最後の騎士”アウレウスだけなのよ!」
リーデが秘めたる全てを吐き出すように叫んだ。その姿がかつてのアデルの姿と重なり、ログの胸を締め付ける。
だが、ログは剣を握りしめた。
「……その頼みは聞けません。ブランダルクを再興するのは新たな者とその民の手で。その守護者も古き騎士からではなく、そこから生まれる者たちの称号であるべきです」
ログの返事にリーデは静かに息を吐き出すと、その姿を隠すように背を向ける。
「わたしに残された役目は神女の力を利用する貴女を止めることです」
ログの言葉にリーデもまた剣を握りしめた。
「この国に戻ってきて、この国の現状を見たでしょう! それでも、あなたはこの力を使ってはいけないと言うの!」
「神女は全てを後世の人々に託して消えることを選んだのです。〈白き楯の騎士団〉も道を誤った罪と共に消える運命に従った。その眠りを守るのが最後に残された者の務めです」
「だったら訊くわ! 神女も、騎士団も何のために戦ったの? この地上の安寧のためじゃないの! この力を使うことがそれに反していると言うの!」
リーデは振り返った。その瞳には激しい憤りを湛えていた。
「……本当にその力で、そのやり方でブランダルクが救えるとお考えですか?」
ログは答える。
「わたしの目には、貴女のしていることは神女の願いを理解しないまま、その真似事をしているように見えます」
ログの目は無念と悲哀を湛えていた。
「神女は偉大でした。それは“神”の娘だからでも、神技の剣を持つ戦士だったからでもない。“神”の娘でありながら人の身として地上に立ち、神技の剣を伝えて人々を強く育てあげた。そして、神界に帰れぬその身を永遠に封印し、この地に眠る道を選んだ──神女の胸の内を知らなくとも、その姿を人々は忘れなかった。だからこそ人々は神女に感謝し、その願いを継ぐ者たちが続き、ブランダルクを支えてきたのです」
ログは続ける。
「そして団長の願いもです。〈白き楯の騎士団〉も神女の願いを受け継ぐ者たちでした。だからこそ、神女の封印を守り、ブランダルクを守護してきた。だが、騎士団は滅びた時にその役目も自ら終わらせたのです。貴女のお父上、リーデンアーズ団長の願いは道を誤った騎士団がいなくとも、神女の願いを継ぐ者たちがこの地に育ち続けてくれることです」
ログの訴えをリーデは黙って聞いていた。
「……貴女がその力で人々を助けるだけなら、わたしは貴女に剣を向けるつもりはなかった。ですが、その力で自らの望む方向に戦いを導き、それを神女の願いに適うと思い違いをしたのなら、それは神女と騎士団への──冒涜行為でしかない」
ログとリーデの間を沈黙と鋭い刃のような緊張が漂う。
「意外とよく喋るわね、あなた──」
やがて、リーデが答えた。
「それだけ言わずにはいられないってことかしら? でもね、止められない。あなたは悔しくないの? 父様たちがあんな形で皆殺しにされて、それをやった現王は何も咎められずにこの国をここまで崩壊させてしまったのよ!」
ログは黙っていた。
「なぜ、答えないの!? 国がこうなったのは騎士団にも負うべき責任があるから? その罪を背負うから自分はどんな仕打ちにも耐えるっていうの!? それで誰か救われたの!? あなたも含めて!?」
リーデが声を張り上げるが、ログはそれに答えることはできなかった。
もし、自分が“最後の騎士”としてブランダルクに残っていれば、この国は救えなくともリーデ──いや、団長の娘アデルの運命だけは救えたかもしれなかったのだ。
「最後のお願いです。神女の力を封印してください。団長は貴女が自分の復讐をすることを望んではいない」
ログは嘆願するような目を向けるが、リーデは拒絶するように剣先を上げた。
「わたしは父様の娘よ! そんなことは分かってる! 父様はわたしの幸せを誰よりも願ってくれていた。でも、その父様が殺されたのよ! もういないのよ! 父様が復讐を止めることを願っていたとしても、わたしの願いは変わらないわ! いえ、変えない!」
ログもその剣先を上げる。
「ならば……わたしが団長に代わり、貴女を止めねばなりません」
リーデの左手から光の刃が伸びた。彼女の剣と光の刃、ログの双剣が互いに相手に向けられ、双方とも身構える。
「リーデ司祭ッ!!」
その二人の闘気に割って入るように少年の声が通路に響き渡る。
リーデの視線がログの背後に目を向けられた。
「来てくれたのね」
ログの背後にサルディンと近衛兵を引き連れたルフィンが駆けつけた。ルフィンが兵をその場に留まらせて前に進み出る。
「リーデ司祭! なぜ、このようなことをするのですか!? いまからでも遅くない! リファを戻してください!」
息を切らせながらルフィンが訴えるが、リーデは静かに目を閉じる。
「よく聞きなさい、ルフィン。これから、あの子が“機竜”を誘導してグラオスに墜としてくれるわ。自分の意思で貴方の為にね──」
リーデがルフィンに告げた。
その言葉は優しかった。その時だけ双子たちの傍らにいた司祭に戻ったのだろう。
「リファが──」
「あの子からの伝言よ──『あたしのためにもう泣くことはないよ。ずっと大好きだよ』……確かに伝えたわよ」
ルフィンが膝から崩れ落ちた。顔を伏せてその表情を隠しているが、その背中は大きく震えていた。
その姿を背中で感じていたログは一歩、リーデとの間合いを詰める。
「貴女は馬鹿だ……お父上があのような最期を遂げられたにも関わらず、貴女はこのブランダルクに留まり、殿下を守り、この国を憂い続けた。それだけで、貴女は神女の願いを受け継がれていた。その姿を見るだけで、きっと団長は満足されていたはずだ──」
「あなたもよ、アウレウス。お父様の仇も討てず、国を救えず、ここにその馬鹿な女を生み出してしまったあなたも大馬鹿者よ!」
リーデもまたログとの間合いを詰める。
「その通りです。貴女がアデルのままだったら、わたしは刺され、この命をもって貴女にお詫びしていたでしょう……ですが、いまの貴女に斬られるわけにはいかないのです」
互いに相手の間合いに踏み込んだ二人は身構えたまま、動かない。
二人の間ではすでに剣の読み合いが始まっていた。
周りの近衛兵たちにも見えない攻防は気迫となって伝わり、誰もその場に踏みいるどころか声をかけることもできない。
「──その人を止めてくれ!」
ログの背中にルフィンの声が響いた。
「どんな形でもいい! その人にこれ以上の行いをさせないでくれ!」
ルフィンは立ち上がり、嗚咽と毅然の交じった声で叫ぶ。
「……ルフィン。それで良いわ」
リーデが呟いていた。
「さあ、ブランダルクの新王の勅令も出た。お互いに言いたいことも言いあった──決着をつけましょう、“最後の騎士”アウレウス!!」
ログとリーデが同時に動く。
神女を宿した者。
神女の遺志と剣を受け継ぐ者。
その二人の姿が重なった。




