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後戻りできぬ刻

「タニア、足は大丈夫か?」

 傭兵たちを率いるウォーレンが振り向く。

 その背後からは彼らの後について歩くタニアの姿があった。

「あたしは大丈夫。ごめんなさい、足を引っ張って──」

 タニアは気丈に答えたが、その顔と声はさすがに疲労の色は隠せない。自分の足では旅慣れた傭兵の足について行くのは大変だった。

「気にするな。副長に追いつくと約束したからな。とはいえ、そろそろ野営の準備もせねばならんな」

 彼らもトリスへと向かっていた。

 すでに各地で伝達されている噂から、男爵たちがトリスに乗り込み、正当後継者たる王子の擁立が始まったらしいことも耳にしている。

 先を目指す一行は平野の間に続く道を進んだ。まだ見えないがこの先にトリスの姿がえるはずだ。

「何だ?」

 ウォーレンが足を止めた。急に風の流れが変わったのだ。

「まさか──」

 一行が日の傾き始めた空を見上げる。すると上空に巨大な影が見えた。

 それは次第に大きくなりながら高速でこちらに向かってくる。

「まずい! 隠れろ!」

 ウォーレンはタニアの腕を掴むと近くにある岩かげに隠れた。

 上空を巨大な影──“機竜”が横切る。

 全身の装甲が破損し、複数ある翼のうち何枚かが折れ、残りもボロボロになっている。その頭部も左半分が抉れたようになっており、紅く光る眼球部が剥き出しになっていた。

 すさまじい戦いの痕跡を身に刻んでなお健在でいる機械の魔獣。

 まさに最強の兵器に相応しい姿が、地上からでもはっきりと分かるまでに近づいていた。

「伏せろ!」

 ウォーレンはタニアと一緒に地面に伏せる。

 途端に凄まじい風圧が地上に襲いかかった。砂塵を巻き上げ、それが全身を打ち付ける。

「……聞きしに勝る化けモンだな。隊長もよく、あんなのと戦ったもんだぜ」

 風が収まり、顔を上げたウォーレンが呟く。

 タニアも身体を起こした。他の傭兵たちも吹き飛ばされはしたが大きな怪我はないようだ。

「かなり地上に近づいてる……どこに向かっているんだろう?」

 タニアが小さくなった機竜の姿を目で追い続ける。

「タニア、悪いことは言わん。今からでもどこかに避難した方がいいぜ」

 ウォーレンが全身の砂を払いながら言った。

「隊長や副長がトリスに集まってるそうだからな。機竜が向かう先もトリスなのかも知れねえ。これ以上進めば“竜墜ち”の巻きぞえを食うかもしれんぞ」

「あんたたちはどうするのよ?」

「仕事だからな。隊長に逆らう訳にはいかねえのよ。まあ、いざとなったら逃げろとは言われてるからな。それまではやるしかねえさ」

「だったら、あたしも一緒に行く!」

 タニアは立ち上がると頭の埃を払った。

「まだ機竜がどこに墜ちるか決まってるわけじゃないし、どこ行っても安全じゃないでしょう。だったら──」

「せめて想い人の戦いを見届けたいか」

 ウォーレンが笑い、図星だったタニアは顔を紅くした。

「何だかんだで飯食わしてもらってるからな。応援しないでもないぜ」

 ウォーレンも立ち上がった。

「だがよ。報われんかもしれんぜ。副長の過去は詳しくは知らん。だが、あの人がそれを一人で背負って生きていくつもりなのは分かる。おまえがどんなに副長と仲が良くても、入っていける場所なんてないかもしれんぜ」

 タニアは俯いたが、やがて決意の眼差しを向けた。

「そんなことは百も承知よ。でも追いかけるのはあたしの自由でしょう!」

 ウォーレンが顔を手で押さえて笑う。

「いい女っぷりだな。これで色気がもう少しでもありゃ、サマになるんだがな」

「うるさい! どこかで聞いた悪口いってないで、さっさと野営の準備しなさいよ!」

「分かってるさ。てめえら! 毒飯食わされたくなかったらもう一働きしろよ!」



 ルフィンは城の窓から城下を眺めていた。

 街の各地でかがり火が焚かれ、住民たちが祭りのように騒いでいる。

 王子と“最後の騎士”の帰還を人々はあらん限りの喜びで迎えていた。

「こうするしかなかったとはいえ、突然のことで大変だとは思います」

 隣に立つサルディンが言った。

 彼は“最後の騎士”アウレウスとしてルフィンに付き従う形でいた。その方がボロを出さなくて済むからだ。

「でも、もう後戻りはできないですからね」

 ルフィンは天井を見上げた。

 それはリファも一緒だ──いや、それ以上に辛い心境のはずだ。

「殿下」

 背後から控えめに声がする。

 ルフィンは玉座に戻ると、その前に立つ反体制派の重臣たちに顔を向けた。

「……ローエンはガルフィルス王と内通し、我らを罠に陥れようとしていた。よって、これよりは余が直々に命じる。よろしく頼む」

 重臣たちが臣下の礼をする。

 しかし、彼らの表情は重かった。

 否が応でもガルフィルスとの対決は避けられない。しかも司祭長の後ろ盾を約束していた太守を退けた現在、反体制派は独自に動かなければならない。

 その機運の高まりとは裏腹に、戦力が追いついていない状態なのだ。

 ルフィンはふと玉座の脇に目を向ける。

 いつもなら、そこで見守っていてくれた人の姿はいまはない。

「……リーデ司祭の行方は分からないままか?」

「はい。足取りは完全に途絶えております」

 臣下の一人が答えると、別の者が口を開く。

「あの方はどこに姿を消されたのか? 司祭殿が仮面の女剣士だったそうではないですか。こういう時こそ、“最後の騎士”アウレウス殿と共に殿下の両腕として立ってもらいたかった」

 残念そうな声は一同の気持ちの総意でもあるようだ。

「あの人にも自分の使命があるのだろう。彼女を前提に考えることはやめよう。時が来れば自らの意志で助けてくれるはずだ」

 ルフィンは告げた。

 リーデがいつか消えることはその口ぶりから予感はあった。

 臣下にはああ言ったが、その目的や何を為そうとしているかはルフィンにも分からないままだ。

「それと男爵の具合はどうなのだ?」

 ルフィンが侍医長の男に訊ねた。

「まだお目覚めではないご様子。男爵様のお身体は特別な為、こちらではできることは皆無。合流された側近の方々に託すしかございません」

「そうか。もし向こうからの要請があればできるだけのことはやってくれ。迫り来る災厄に対抗できるのはあの人以外にいない」

 ルフィンはそれだけ告げた。

「他になければ休ませてもらおう。明日からまた忙しくなる」

 ルフィンが宣言するとその場にいた者たちの多くが下がっていく。

 しかし、重鎮たる者たち数名がその場に残った。

「畏れながら進言申し上げます」

 重臣の一人が前に進み出た。

「何だ?」

「フィーリア殿下についてでございます」

 ルフィンの表情が強張り、重臣の目が傍らに控えるサルディンに向けられた。

「……構わぬ、話せ。騎士殿もすでに知っていることだ」

「それでは──すでにご承知でしょうが、フィーリア殿下の正体は我らも承知しております。我らも先代王妃のご出産時にその場に立ち会った者にございます」

 重臣たちはその場に跪く。

「フィーリア殿下は造られた王女。この事実と存在を放置しておくことは後の殿下の統治にとって命取りになりかねないことは明白でございます」

 重臣の声は重い。それだけ彼らも相応の覚悟で言っているのだ。

「この事はガルフィルス王との対決前に解決せねばなりません。いまならば、王女は不慮の事故に巻き込まれ亡くなられたことにできます。どうか、ご決断を──」

 重臣たちは請い願うように深くひれ伏せた。

「……余にフィーリアを抹殺しろと言うのか」

 ルフィンは声を振り絞るように言った。

「反体制派の中には我らの他にこの事実を知る者はおります。まずは殿下がその態度を明白にされなければ、こちらの体制も固まりませぬ」

 ガルフィルスは当然、この秘密を知っているだろう。ルフィンがそれを切り捨てぬ限り、王子の旗印の下で過酷な戦いはできぬということだろう。

 そして、同時に新たな王となる決意を試されてもいるのだ。

「それは殿下も重々、ご承知のことだ」

 ルフィンの隣にサルディンが立つ。

「だが、いまは殿下もお疲れのようだ。ご決断を急かすべきではない」

 重臣たちも口を閉じる。

 “最後の騎士”の意向を無視することは彼らにもできかねたのだ。

 しばらくの間、ルフィンは口を開くことはなかった。



「ダンナさん!」

 通路の壁に背を預けていたカートラッズの前に駆けつけたのはテトアだった。

「戻ったか。ひとまずご苦労だったな」

「そんなことより、男爵が倒れたって──」

 カートラッズが奥の方をアゴで示す。

「科学者連中も合流してきたところだ。エルマの姐さんが容体を確かめている」

 様子を見に行こうとしたテトアの肩をカートラッズの手が掴む。

「いまフィルディングの姫が入ったところだ。邪魔をするな」

「あの人が……男爵は大丈夫なんですか?」

「待つしかあるまい。それより、“機竜”の動きについてはどうだ?」

 テトアが記録紙を懐から取り出す。

「目撃情報を合わせると、やはり旋回しながら徐々にトリスに近づいているようです」

 カートラッズは紙を取り上げ、それに目を通す。

「……そのようだな。テトア、部下たちに出発の準備を命じておけ」

「ここを離れるんですか!? 男爵はどうするんです!?」

「ここで“機竜”が墜ちてくるのを付き合って待つ義理はない。おまえも用意ができたら一緒にここから離れろ。どうせ、例の古臭い写真機では空を飛ぶ“機竜”は撮れんだろう」

「ダンナさんは行かないんですか?」

 カートラッズは壁から離れた。

「俺は報酬の交渉が残ってる。長居は無用にしたいが、部下たちに支払う報酬を用意するのが傭兵隊長たる俺の仕事だ。まったく、血統書付きめ。肝心な時に倒れおって──」

 立ち去ろうとするカートラッズの後ろ姿を見つめていたテトアだが、すぐに後を追う。

「まってくださ~~い! こっちだって“蛇剣士”同行取材の仕事は残っているんですからぁッ!」



 部屋に入ったエレナの前にいたのは副長ログと見知らぬ女だった。

「ユールヴィングの容体はどうなのですか、副長殿?」

 エレナはログに訊ねた。

「いま彼女が診ていたところです」

 女が顔を上げた。そのいでたちから傭兵ではないようだった。

「副長さん、この人があのフィルディングの姫君さん?」

「エレナです。貴女がユールヴィングの言っていた科学者殿か」

「エルマです。よろしく」

 女科学者は軽い口調で挨拶するが、その表情に明るさはない。

「あの戦乙女は?」

 常に付き従っていたはずのリーナの姿がなかった。

「リーナ姫はいま、フィーリア殿下の方に付き添っています」

 ログが答えた。

「そうですか」

 女科学者に前を譲られ、エレナは寝台の傍らに立つ。

 寝台にマークルフが横たわり、静かに眠っていた。

「……無理を重ね過ぎたツケがまわったんです」

 エルマが告げる。

「この先、動けるのですか?」

「じきに目は覚めるでしょう。しかし、安静が必要な身で強引に身体を動かしてきたため、自律神経系統に支障が出ています。これ以上は“鎧”の力を借りたとしても戦闘行動はできないかもしれません」

 エレナが拳を握る。

「治療の見込みは?」

「身体さえ治せれば解決します。いま、こちらで出来うる限りの準備はしていますが、ここから先はリファ王女の協力が不可欠です」

「要する時間は?」

「準備も入れて数日はかかると思います」

 エレナは目を伏せ、やがて言った。

「“機竜”もいつ来るか分からない状態です。ユールヴィングの回復が間に合うか分からないのなら、あの王女の方をどうするかも考えねばなりません」

「王女のこと、ご存じだったのですか?」

 ログが訊ねる。

「トリスに乗り込む直前にユールヴィングから教えられました」

 エレナがマークルフの顔を見つめる。

 あるいは“狼犬”は自分が始末をつけられない場合に備えていたのかもしれない。“狼犬”としての意地は通すが、それができない場合も常に忘れずにいる男だ。こうなることも薄々、予感があったのかもしれない。

「あの王女をこの都市から引き離すか──あるいは始末せねばなりません」

 トリスに墜ちれば被害は甚大だ。それに司祭長側はトリスへの落下にこだわっている節がある。今後、司祭長の勢力との戦いを考えれば、せめてそれだけは阻止したかった。

「畏れながら、あの王女を始末してもトリスへの“竜墜ち”は変わらないかもしれません」

 エルマが言った。

「科学者殿、その根拠は?」

「“竜墜ち”を目論む司祭長たちが“機竜”を動かす手段。それは王女の存在だけではありません。“機神”を通すのと同等の手段も持っています。これは間違いありません」

「確かにそうかもしれません。ですが王女をどうにかしても無意味と?」

「向こうがどれだけ“機竜”を動かせるかまだはっきりしません。ですが、複数の手段を持つことで計画を妨害されないようにしているのも確かでしょう」

 女科学者が窓の外を睨んだ。

「王女の秘密をうちに教えたのはオレフです。そして、王女を人質にしても向こうは何の要求にも応じないとも断言してます。王女をどうにかされて困るなら、とっくに動いているでしょう」

 エレナは自らの手を見つめた。

「やはり、オレフという男の能力も封印せねば事態は解決しないということですか」

「そうですね。ですが、あいつも慎重な男です。目的を達するまでは表に出てこないかもしれません。ならば、男爵を復活させて“機竜”を止める対策を立てる方がまだ確実でしょう」

「司祭長の片腕たるあの男はこちらも探しましたが見つかりませんでした。まだトリスにいると思いますか?」

「“機竜”は間違いなくトリスを目指します。それを見届けるまでは監視は続けているでしょう。肝心な所は人任せにするのが嫌いな性格ですからね」

 オレフと同じ科学者だから分かるのか、確信に近い目でエルマは外を見ていた。

「そなたはあの男と関わりが深そうですね」

「同じ学舎の同期。後は腐れ縁というやつですかね」

 エルマが肩をすくめた。

 扉が鳴った。

 ログが自ら扉を開ける。

 その前に居たのはルフィンだった。



 ルフィンは護衛の騎士を下がらせ、部屋に入るとマークルフの枕元に立った。

「まだ目は覚めないんだな……ごめん、男爵。無理していたのは分かってたのにさ」

 ルフィンが謝るように頭を下げる。

「閣下は自らの戦いを続けられたまでです。むしろ、いままで閣下のために尽力頂いたこと、感謝いたします」

 ルフィンはログと向き直り、頭を下げるログの顔を見上げた。

「……私は席を外しましょう」

 ルフィンの目がこちらに向いたのを見て、エレナが部屋から出て行く。

 扉が閉まると、ルフィンは口を開いた。

「貴方が本当の“最後の騎士”なんですね」

「訳あってその名を使いましたが、すでにそれは過去の話です。現在のわたしは〈オニキス=ブラッド〉の副長ログです」

 ログはゆっくりと顔を上げた。

「教えてください。貴方がここに来たのは男爵を助けるため──ですか?」

 ルフィンの問いに間があるのに気づき、ログはしばらくしてかぶりを振った。

「過去の名を捨てたとはいえ、残された使命があります。ここに来たのはそれを果たすためでもあります」

「……貴方はリーデンアーズ団長の娘アデルのことを知っていますか?」

「はい。殿下も彼女のことをご存じなのですね」

「あの人は決着をつけるべき人がいるようでした……貴方なのですね」

 ログは無言でうなずく。

「あの人は何をするつもりなのですか?」

「それは分かりません。ですが恐るべきことを考え、神女の力をそのために使うならばこの手で止めねばなりません。それがここに来た理由の一つでもあります」

 ルフィンは静かに息を吐き、目を伏せる。

「貴方を止めることができないのは分かっています。でも、あの人を倒さずに済むならそうして欲しい。あの人のやることはきっとこの国を思ってのことだ。そして、俺をいつも助けてくれた恩人でもある。だから、あの人がもし道を誤ったのなら、その時は俺も一緒に償わせてほしい」

 ルフィンが再び頭を下げる。

「……約束はできませんが、もしその時が来たら、殿下のお心だけはお伝えしておきましょう」

 ログが答えた。

「男爵!? 分かりますか!?」

 エルマが声をあげた。

 マークルフが目を開け、ルフィンとログの姿を見ていた。

「……ああ、途中から話は聞いていた。悪いな。王子自ら見舞いに来てもらってよ」

 マークルフの目が周囲を見渡す。

「リーナは?」

「リーナ姫はリファ王女のお部屋にいらっしゃいます」

 ログが答えた。

「そうか……リファの様子は?」

「早まった考えは思いとどまったようです。ですが、ブランダルクの窮地を招いたのは全て自分のせいだと責め続けているようです。姫も目が離せず、ずっと付き添っておられます」

 マークルフが歯噛みする。

「すまん、ルフィン。俺が軽率だった」

「男爵のせいじゃないさ。いつかは分かることだったんだ」

 ルフィンは重臣たちとのやりとりを思い出し、顔をしかめる。

「ですが、男爵を治療するためには王女の協力が不可欠です。正確には王女の中に秘められた莫大な魔力です」

 エルマが率直に告げた。

 時間の猶予もなく、そのためにはリファから魔力を取り出し、利用しなければならない。

 人としての存在を否定され、災いの道具とされた現在のリファに、そのような頼み事は酷であるが、それでもやらなければならないのだ。

「……リーナに託すしかないな」

 マークルフが言った。

「あいつは言っていた。リファがどんな事実に直面しようと、きっとリファのままでいてくれるとな」

 マークルフはルフィンに微笑みかける。

「ルフィン。おまえなら分かるだろ?」

 ルフィンはシーツの外に出るマークルフの右手を握った。

「そうだな。あいつは何だかんだで俺よりしっかりしてるからな」

「分かるぜ。うちのリーナもああ見えて、俺よりも強いやつだからな」

 マークルフが天井を見上げた。

「この先の命運はあの二人に懸かっている。新たな国の王となる最初の仕事だ。あの二人を信じて待ってやろうぜ」

 ルフィンは黙ったまま、静かにうなずくのだった。


    

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