仮面の女剣士
夜の通りをログは一人で歩いていた。
男爵に頼まれ、かつて“竜墜ち”と呼ばれた事件の資料集めを傭兵ギルドに依頼した、その帰りであった。
「ログさーーん!」
ログの背後から声をかけ、駆け寄って来る少女の声がした。
私服姿のタニアだった。
「タニア? どうしたんだ、もう暗いぞ」
「ごめんなさい。久しぶりの非番であちこち買い物してたら、遅くなっちゃいまして」
照れ笑いを浮かべるタニア。その手にはいろいろな物が入った籐カゴを持っていた。
「そうか。わたしも館に戻るところだ。一緒に行くか」
「はい! お供します!」
タニアは喜色満面な笑顔で答えると、ログと並んで歩く。
「ほんと、ログさんと出会えて良かったです。暗い帰り道、ちょっと心細かったけど、これだけ強い用心棒が一緒なら、安心して帰れますね」
「どうかな。帰ったらマリーサのゲンコツが待っているかもしれんぞ」
タニアは侍女頭マリーサの怒鳴り顔を思い出す。シワの目立つ顔を浮かべただけでゲンナリするが、すぐに首を振って悪夢を頭から追い出す。
そう、本当に偶然のこの好機、恋する乙女として逃すことはできないのだ。
「アッ!? ログさん、あれ──」
タニアがログの服の裾を掴んで、街の外壁の方を指差す。
外壁の下に若い男女がいた。暗がりで遠目からは分かり辛いが、タニアと同年代ぐらいの若い男が壁に手を着き、壁を背にした少女に迫っているようだった。
「いいですよね、ああいうのって──あたしもああいう迫られ方してみたいなぁ」
タニアが少女らしさを強調するように、しなをつくりながら言った。
「そういうものか」
「そうですよ。きっと、ログさんみたいに背の高い人なら、もっと似合いますよ」
ログは何かを考えるように目を閉じる。
「あれ、どうかしましたか?」
「ああ、この前、マリーサが壁に手を着いて気分が悪そうにしていたのをおもいだしてな。多分、気苦労が多いのだろうと思ってな」
(いちいち出てくるな、ババァ)
内心で八つ当たり的な怒りを爆発させながら、タニアは相づちを打つように肯く。
その時、ログの外套の下で金属が擦れる音がした。
タニアがハッとしてログの顔を見ると、彼は前方に警戒の視線を向けていた。
その先にいるのは外套を纏った旅人らしき者だった。その正体は分からないが、このまま行けばお互いに通りすがるだろう。
「タニア、ここで止まれ」
「き、危険な人なんですか?」
「かもしれん。下手にここを動くな。だが、戦いになったら、すぐにどこかに隠れろ」
そう言って、ログは足を早める。
タニアはログの言葉を信じ、その場に立ち止まる。
やがて、ログと旅人は距離を詰めていく。互いに手が届くところまで近づくと、両者とも足を止めた。
「……親切ね。わざわざお連れさんの身を案じて、警戒していることを教えてくれるなんて」
外套の下から聞こえた声は、少しくぐもっているが若い女性のものだった。
「……何者だ」
「勝てたら教えてあげる」
外套が跳ね上がり、その下からタニアに向かって短剣が投げつけられる。
同時にログが剣を抜き、短剣を弾くが、その隙を突いて相手が外套を投げつける。
外套の下から現れたのはやはり若い女だった。身体の線を強調するような軽装と、それとは裏腹に素顔を帽子と仮面で覆っていた。女は背中の剣を瞬時に抜き、ログを外套ごと突き刺す。
「──ロ、ログさんッ!?」
タニアは一瞬、言葉を失うも、すぐに彼の安否を確かめようと駆け出す。
「来るな!」
だが、ログの声がし、外套ごと切り裂きながら仮面の女を切りつける。
女は後ろに飛び退き、剣を構え直す。
外套が落ち、ログも剣を構えていた。左手で逆手の小剣を持ち、二刀流の構えだ。右腕に傷を負っていたが、傷自体は浅いようだ。
「甘いわね。それでよく一人、生き残れたものだわ。白き楯の騎士様──」
揶揄するように仮面の女は言う。
この女はログの過去のことを知っているようだ。だが、ログは表情を変えなかった。
「そうだな」
その言葉に、女が怪訝そうな素振りを見せた気がしたが、仮面に隠れ、それが本当かは分からない。
「だから、わたし一人しか生き残れなかった。だが、どこで聞いたか知らないが一つだけ言っておく。わたしは白き楯の騎士ではない。白き楯の騎士団はもう存在しない」
「潔いわね。仲間たちの無念を晴らさず、一人で生きていく道を選ぶなんて」
仮面の女はさらに離れながら剣を収めた。
「でも、少なくとも剣は使えるようね……教えてあげる。ユールヴィング男爵を狙って暗殺部隊が動いているわ。丁度、その一人がそこまで来ている。巡礼者風のおじ様よ。どうするかはお任せするわ」
仮面の女はそう言って走り去る。その姿が脇道に消えると、その気配も完全に消え去った。
「大丈夫ですか!? 早く帰って治療しましょう」
慌てて駆け寄ったタニアが、腕のケガを見る。
「傷は大したことはない。だが、あの女の言葉を確かめなければならない」
「ふざけてますよ! いきなり切りつけて、あんな無礼な言い草して──言っていることが本当か怪しいもんですよ!」
「だが、只者ではない。その言葉も無視はできん」
ログはそう言うと、無言でタニアの背中を押し、建物の陰へと促す。そして、自身は離れたところにしゃがみ込み、手にできるだけ血を付けてケガの箇所を押さえた。
やがて、女の言葉通り、巡礼者風の年輩の男がこちらに近づいて来る。
男はログの姿に気づくと、周りを一度見渡し、ログに駆け寄った。
「もし、どうされました」
「旅の御仁か。頼みがある」
ログは苦痛に顔をしかめるようにしながら、男に腰に差した小剣を見せる。
「わたしの名はログ。ユールヴィング男爵閣下に仕える者だ。突然、仮面の女に襲われ、不覚を取ってしまった」
「仮面の女……」
「このことを城に伝えてほしい。この剣を持っていけば、わたしの使いと認めてくれるはずだ。巻き込んですまんが、仮面の女が閣下も狙う可能性もあり、緊急を要する」
男は戸惑った素振りを見せたが、やがて頷き、ログの小剣を鞘ごと抜き取った。
「これを持っていけば良いのですね」
「ああ。申し訳ないが、頼まれてくれるか」
「ええ。これも神のお導きでしょう」
男は小剣を確かめると、いきなりそれを抜き放つ。だが、鞘から抜かれる前にログの両手が男の手を掴み、その動きを止めた。
止めなければ、ログは首筋を斬られていただろう。
「化けの皮が剥がれたな」
ログは男を突き飛ばし、立ち上がる。
「きさまは何者だ」
だが、男は懐から短剣を抜き、襲いかかる。その動きは素早く、ログは突き出される刃を躱し続ける。だが、やがてその動きを見切ると、剣を抜いてその腕を切りつける。そして短剣を落とした男の負傷した腕を掴み、後ろに捻りあげた。
「仲間は何人いる? 仮面の女のことも知っているのか」
男は答えない。ログはさらに腕を捻る。負傷した腕を責められ、男も顔を苦痛で歪める。
「閣下の暗殺を命じたのは何者だ?」
ログはさらに問い続けるが、男は何も答えない。
唐突に男の身体が痙攣した。ログが腕を離すとその場に力尽きて倒れ、二度と動かなかった。男の死に顔は苦悶に固まり、口元からは血が流れる。
「……ログさん? どうなったんですか?」
「口の中に毒を仕込んでいたようだ」
心配して、こちらを見ているタニアにログは答える。
短剣さばきや、口封じの自決などから、かなりの訓練を積んだ暗殺者だったのだろう。
男爵の暗殺を狙う相手もそれだけ本気ということになる。
そして、仮面の女。あの女剣士も若いが恐ろしく凄腕だ。しかもこの件に何らかの関わりがあるようだ。
そして、ログ自身の過去のことにも──
「ログさん。館に戻りましょう。そのケガ、治療しないとダメですよ」
タニアは土産を入れた籠の中から真新しい布を取り出すと、それを止血のために腕に巻いた。
「すまんな」
手慣れた様子で手当てするタニアに、ログは礼を言う。
「いいえ。いつものことですから」
タニアは照れ隠しか、冗談のように言った。
「いつものことか。確かにまたしても仮面の剣士だな」
「変な縁があるんですかね、あたしたち」
二人はそう言うと、同じように苦笑していたのだった。