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抗えない涙

「どうでした?」

 城の窓から混乱する城下を見ていたリーデは、後ろからやって来たマリアに訊ねる。

「はい、黄金の鎧を着た誰かがいたって噂でしてね。やはり、男爵様で間違いないと思います」

「やはり……思ったよりも早く事態が動いたようね」

 城内で異変が起きてから男爵たちの姿が見えず、マリアに城下の様子を確かめに行ってもらっていたのだ。

「さすがにオレフも、そこまで段取りはできないというわけね」

 リーデは窓から離れると、ルフィンとリファのいる部屋へと向かう。

 マリアが後を追いかけた。

「──お嬢様」

 近くに聞いている者がいないのを確かめたマリアが口を開く。

「お嬢様、本当に戦うおつもりなのですか」

 リーデは足を止め、振り返った。

「あの人が──アウレウスが本当に騎士の誇りを捨てたのなら、わたしはこの手であの人を斬るわ。そしてお父様たちの無念を晴らす役はこの手で果たす」

 リーデは自分の身を案じるマリアに優しく微笑みかけるが、その瞳には暗い情動が垣間見えていた。

「男爵は薄々、わたしの正体に気づきだしてたようなの。そして、邪魔はしないようなことも言っていた……アウレウスをよく知る人物がそう予想するのよ。戦わずには済まないでしょうね」

 リーデは淡々と告げた。

「もうすぐアウレウスも来る。急がないとね」

 リーデが先を急ごうとすると、慌てて飛び起きたらしいリファが上着を羽織った姿でやって来る。

「司祭様! 何があったの!?」

「リファ、無事だったのね」

 駆けつけるリファを前に、リーデはいつもの司祭の表情に戻っていた。



「マークルフ様!? 離して! マークルフ様!」

 リーナが泣き叫び、目の前で倒れたマークルフに懸命に腕を伸ばそうとする。

 だが、司祭長に腕を捻られたリーナの手は届かず、倒れたままのマークルフは微動だにしなかった。

 オレフが槍に手をかける。すでに身体は異常から回復しており、銃撃を受けた手も布を巻いて止血していた。

 槍がマークルフから引き抜かれる。

 血に染まる槍の穂先を前に、リーナは動揺を抑えられず、愕然する。

 その彼女の姿を一瞥したオレフが司祭長に告げた。

「傷口からは血が流れていません。どうやら男爵の“心臓”が生体維持のために動いているようです」

「つまり、生きているか。なかなかにしぶといな」

 その言葉にリーナは安堵しかけるが、すぐに自分たちの現状を思い出す。すでに生殺与奪の権利は司祭長たちに握られているのだ。

「いかがされますか?」

「手に余れば殺すつもりだったが、生け捕りにできたのならば使い道もある。“狼犬”の部下や傭兵たちの動きも封じねばならんしな。連行しよう」

 司祭長はリーナの方を見る。

「なに、手荒なことはせんよ。わたしの直属の兵を呼ばせる。馬車ぐらいは用意させてもらうよ」

 リーナは何も答えなかった。少なくともマークルフが生きているならば、まだ劣勢を挽回する機会は残されているのだ。

「一つ訊くが、先ほど銃撃した女は“狼犬”の部下かね?」

 リーナはそれも答えず、無言を貫く。

 エルマはすでに逃げたようだが、それで良かった。自分たちが捕まり《グノムス》も動けない現在、彼女が頼みの綱なのだ。

「前にお伝えしましたが、彼女がエルマです」

 オレフが代わって答えると、司祭長は面白そうにほくそ笑む。

「あれがそなたの同期だった女科学者か。確かに一目置くほどのことはあるな。そなたを出し抜くために躊躇なく銃撃するとはなかなかの女傑だ。捕まえなくともよいのかね?」

「こうなってはうかつに手を出せないのは理解しているでしょう。それに向こうに手札が残っていないとも限りません。泳がせて向こうの打つ手を見た方が良いでしょう。彼女が何かをやってきた場合は、その時はわたしが対処します」

「よかろう。科学者のことは科学者に任せる」

 司祭長はそう答え、倒れたままのマークルフを見下ろす。

「残念だったな、“戦乙女の狼犬”よ。今回ばかりは戦乙女もこちらに味方してくれたようだ」

 司祭長はそう告げると、勝利を告げるように静かに笑うのだった。



『こいつはまた厄介なことになったぞい』

 地中から地上の様子を見ていたダロムが困り顔で腕を組む。

『じいじ、これからどうするの? グーちゃんもどうなったの?』

 プリムがしきりに湖の方を気にしながら訊ねる。

『グーの字は後じゃ。あれぐらいで壊れるような奴じゃない。それよりも勇士と戦乙女じゃ』

 やがて地上に護送車らしき馬車がやって来る。

 そこから仮面の男たちが降りると司祭長の前に跪く。どうやら司祭長たちの部下らしく、やがて倒れたマークルフと抵抗せずにいるリーナを護送車へと乗せた。

『二人を連れて行くようじゃな。プリム、追うぞい』

『う、うん……ごめんね、グーちゃん。すぐに助けにいくからまっててね』

 大地の妖精たちは城に向かう護送車の後を地下から追いかけるのだった。



「いったい、何が起こってるんですか!? ローエン卿!」

 城内での異変を知ったルフィンは広間で指揮を執っていたローエンの許に駆けつける。

 城内で何かが崩壊した音、そして城下でも大きな騒動が起こっていることはルフィンも分かっていた。

「殿下。ご心配なく。ここに危害が加わることはございません」

 ローエンが答える。だが、何かを隠しているような口ぶりだった。

「何があったんです!? 教えてください!」

 ローエンは苦渋の顔を浮かべるが答えない。

 しびれを切らしたルフィンは自ら確かめに行こうとするが、その行く手は護衛の騎士たちに阻まれた。

「殿下。ここから動くことはなりません。どうか、お部屋にお戻りください」

「何を隠してるんですか!? 男爵は!? 男爵はどうしているんですか!?」

 ルフィンは訊ねるが、ローエンは黙ったままやはり答えなかった。

「まさか、男爵に何かあったんじゃ──」

「フィルアネス殿下」

 取り乱すルフィンに、ローエンは静かに告げる。

「ユールヴィング殿のことについては今後、関わることはできないとお伝えしておきます」

「どういうことだ!? ローエン卿!」

 ルフィンはローエンに詰め寄る。

「男爵殿には男爵殿の事情があり、こちらにはこちら側の事情がございます。男爵はこちらの邪魔はしないと明言された。ならばこちらも男爵の戦いには関知しない。それだけのことにございます」

 ローエンはそれだけ告げると、騎士たちにルフィンの誘導と警護の強化を命じる。

「男爵は“機竜”と戦うために僕たちに協力してくれてるんだ! それを見捨てろと言うのか!」

 騎士たちに阻まれるなか、その間から割り込むようにルフィンが叫ぶ。

 ローエンは背を向けた。

「殿下……ユールヴィング殿は余所者なのです。英雄の後継者とはいえ、余所者にこの国の事情を左右される訳にはいかない。この国の行く末はすでに示されているのです」

「しかし!」

「ここは英雄の舞台ではありません。貴方様が守らねばならぬ国民たちの生きる場なのです。納得されないのは分かりますが、王として何を選択するかを見誤ってはならないのです」

 ローエンは静かに去っていく。

 騎士たちに囲まれたルフィンは何も言えず、立ち尽くすだけだった。



 自分の部屋に戻ったルフィン。

 そこにはリファとリーデがいた。

「兄ちゃん! 男爵さんとリーナお姉ちゃんが大変なの!」

 リファがルフィンの前に駆け寄る。

「マリアさんが先ほど街に出て調べてくれました。詳しいことは分かりませんが、黄金のように輝く鎧姿が目撃されたそうです」

 リーデが言った。

「きっと男爵さんたちだよ! 何かと戦ってるんだよ! 急いで応援を出してあげてよ! ねえ!」

 リファが懸命に訴えるが、ルフィンは俯いたまま答えない。

「どうしたの? この城の人たちに頼んでさ! いままで助けてもらった恩返しだよ! 兄ちゃん!」

「……ダメだ。できないんだ」

 ルフィンがそれだけを振り絞るように答えた。

「ダメって……どうして!?」

「太守に断られた。もう男爵について一切、関わることができないって──」

「えッ……それって、どういうこと?」

「そのまんまさ。結局、俺は本当に何もできないんだ」

 意気消沈するルフィンにリファが詰め寄る。

「どうしてよ! 兄ちゃんは王子なのよ! 何で誰もいうことを聞いてくれないの!」

 リーデがリファの両肩を掴む。

「おそらく司祭長様の意向が働いているのね。男爵様にこれ以上の介入をされたくないのかもしれない。いまは誰もその意向に逆らうことはできないの」

 リファはその手を振り払った。

「司祭長が何なのよ! 男爵さんとお姉ちゃんは“竜墜ち”を阻止するために命がけで──ううん、自分の命を捨ててでも止めようとしてるんだよ! あたしたちだって命を助けられてるんだよ! その男爵さんを見捨てるつもりなの!? 嫌だよ! 最低すぎるよ!」

「見捨てたくなんてないさ! でも、俺は……結局、飾りなんだ」

 ルフィンの諦めたような言葉にリファは言葉を失うが、やがて悲嘆と憤りがないまぜとなった表情で叫ぶ。

「バカッ!! 兄ちゃんのバカ、バカ、バカァッ! そんな王様なら、ならない方がマシよ!!」

「リファッ!?」

 リファは涙声でそう吐き捨てると制止の声も聞かす、一人で走り去ってしまった。

「……大丈夫よ。この城から出ることはできないわ。リファもあなたの気持ちは分かってくれるはずよ」

 リーデがルフィンの肩に手を添えるが、ルフィンはその場にくずおれた。

「……俺だって……俺だって……男爵を助けたいんだよぉ」

 ルフィンは頬を伝わる涙を拭いながらも嗚咽を止めることができなかった。



 城に戻ったウルシュガルは太守の居室の一つにいた。

 椅子に座り、身体を休めながら一人、ワインを口にする。

「“狼犬”と戦乙女はどうした?」

 背後の気配に気づくとウルシュガルは訊ねる。

「“狼犬”は地下牢に閉じこめています」

 オレフが答えた。

「戦乙女も別館の一室に軟禁しています。“狼犬”はあの身体では動けません。戦乙女も何もできないでしょう」

「ご苦労だったな。手こずりはしたがこれで厄介な問題は片づきそうだ。そなたも飲むかね?」

 ウルシュガルは空きのグラスを差し出すが、オレフは丁重に断る。

「お気持ちだけ。全てが終わるまでは気を抜けません」

「そうか。だが、あまり根を詰めんような」

 オレフが退室しようとすると、その扉の向こうに誰かがやって来たのに気づく。

 ウルシュガルはグラスを脇に置いた。

「ローエンか」

「失礼いたします」

 扉を開け、ローエンが入ってくる。

「何か用かね?」

 ウルシュガルが問うが、ローエンはオレフの方を気にする。

「構わんよ、話したまえ。彼はわたしの右腕として働いてもらっている」

 オレフが部屋の隅に控えるのを待ち、ローエンは口を開く。

「実はガルフィルス陛下のお言葉をお預かりしております」

「ほう、随分と用意がいいな」

「“狼犬”を捕まえた場合を想定し、あらかじめ私めに伝えておられたのです」

 ウルシュガルは横目でローエンを見る。

「それで陛下は何を求めておいでだ?」

「……捕らえた“狼犬”をお引き渡しいただきます」

「苦労して捕らえた獲物を渡せというのかね?」

 ウルシュガルは表情を変えずに言った。

「ユールヴィング男爵はクレドガルの貴族。陛下はこの者が内政に干渉してきたことを重く受け止めておいでです」

「なるほど。どうせ捕まえるなら、クレドガルから譲歩を引き出すために利用するつもりか」

 ウルシュガルはほくそ笑む。

「もし、断ると言ったら?」

 ローエンが恭しく頭を下げながら告げる。

「フィーリア王女の件を公表すると仰せです」

 控えていたオレフの表情が微かに動く。

 ウルシュガルは頬杖をついた。

「陛下はウルシュガル猊下に信をおかれ、それが今後も続くことを切にお望みです。故に猊下にもぜひ、それにお応えいただきたく──」

「分かった」

 ウルシュガルはローエンの言葉を止めるように言った。

「わたしも戻るつもりだった。“狼犬”の身柄は陛下への手土産といたそう。それでよいかな?」

「ありがとうございます」

「もう一人、“狼犬”を護る乙女がいる。彼女の身柄はどうするつもりかね?」

「“狼犬”の人質として、こちらで預からせていただきます」

 ウルシュガルは伏せたローエンの顔をじっと見ていたが、やがて意味深な笑みを浮かべた。

「承知した」



 ローエンが去った後、オレフがウルシュガルの横に立つ。

「司祭長様。よろしかったのですか?」

「ガルフィルスも少しは牙が残っておったようだな。わたしに噛みつきおったわ」

「司祭長様がフィルアネス王子につくことを警戒されているのでしょう」

 王女はトリスへ“機竜”を誘導する餌であり、その存在そのものが先王の不正の証拠でもある。彼女の正体を公表されれば、計画やフィルアネス王子の利用の大きな妨げになる。

 その事実を楯に先王から王位を奪ったガルフィルスも只ではすまないはずだが、それだけ向こうも危機感を抱いているのだろう。

「あのローエンという男、信用なりません」

 オレフが言った。

「そうだな。だが程度は知れている。我らの障害となるような真似はすまい。多少の悪さは目を瞑ろう」

「わたしがトリスに残り、監視します。計画も遂行も見守らねばなりません」

「そうしてくれるか。こちらもガルフィルスの頭を冷やさせてやらねばな」



 城の中庭でカートラッズの部隊は警備の命令を受けていた。

 もっとも部隊は分割されて配置され、城内の警備には関わることはできない。

 ルフィン王子の護衛として入城したため邪険に扱うこともできないが、外様の兵に重要な守備は任せられないということだ。

「……男爵に何かあったんですかね」

 カートラッズと共に中庭の一角を見回る部下の一人が言う。

「部下の学者たちも姿を消えた。おそらくそうであろうな」

 カートラッズは表情を変えずに言った。

「いた! 傭兵さん!」

 カートラッズの前に駆け出してくるのは慌てた様子が一目瞭然のリファだった。

「これはフィーリア殿下。どうされました? ここは危険にございますぞ。城内にお戻りください」

「他人事みたいに言ってる場合じゃないの! 男爵さんが大変なのよ!」

 リファがじれったそうに叫ぶ。

「血統書付きに何があったのでございますか?」

「分かんないけど城の外で何かと戦ってるみたいなの! お願い、力を貸して! あたし一人じゃ城の外に出られないの!」

 リファに懇願されるが、カートラッズは面倒な素振りで首を捻る。

「失礼ながら、わたしの仕事は殿下の護衛でございます。殿下のお願いといえどそれは聞く訳には参りませんな」

 リファは信じられないように目を見開く。

「傭兵さんは男爵さんの仲間じゃないの!? 男爵さんがどうなってもいいの!?」

「はっきりさせておきますが、血統書付きとは仕事上の付き合いというやつでしてな。向こうが向こうの都合でどうにかなるとしても、こちらでどうこうするつもりはございません」

 カートラッズはきっぱりと告げる。

 リファはそれでもすがるようにカートラッズを見上げる。

「あたしの護衛が仕事なら、あたしが命令する! 何かあったらあたしが責任を負うからさ! お願い! 一緒に来て!」

 おそらく兄王子たちにも断られ、他に頼める者がいないのだろう。命令というよりも懇願だが、カートラッズはそれでも表情は変えなかった。

「失礼ながら殿下は傭兵の仕事をよくお分かりではないようだ。わたしの依頼主は金を出している反政府組織です。その依頼に背いて殿下を危険な目に遭わせれば、わたしは信用を失い、殿下が謝罪されただけでは済まないのです。おい、城内までお連れしろ」

 カートラッズの命令で一緒にいた部下の傭兵たちがリファを囲む。

「さあ、城まで護衛いたします。もし逃げだそうとされるなら遠慮なくお止めしますので、そのつもりで──」

「もういい! この薄情者! 人でなし! 金勘定だけしか頭にないんじゃないの!」

 リファは恨みがましい目を向ける。その目に涙が光っていたが、やがて一人で走り去っていく。

「ちゃんと戻るまで見張っていろ」

 カートラッズに命じられ、部下たちがリファの後を追った。

 残った部下がカートラッズに耳打ちする。

「……いいんですか、あれで?」

「構わん。他の者たちにも伝えておけ。俺たちは傭兵としての仕事だけをこなす。余計なことはするな、とな」

 カートラッズも男爵のことは気になっていた。しかし、こちらから動くことはできない。傭兵として仕事は遵守しなければならないし、男爵と近い自分たちは当然、監視されているはずだ。部隊を分けられているのも警戒と監視のためだろう。下手に動けば逆に男爵側の動きを相手に知られる危険もあるのだ。

「……それにあの王女のことを頼まれてもいるしな」

「その王女に恨まれるんですから割に合わないですね」

「報酬さえ頂ければいい。恨まれるのも仕事のうちだ。後は王女が下手なことをしなければよいがな」

 そう言うとカートラッズたちは再び警戒の任務に戻るのだった。

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