駆り立てる運命
ブランダルク王城ブランテレス――
「陛下! ご報告を申し上げます!」
近衛騎士隊長がガルフィルスの前に慌てて駆けつけ跪く。
「……何だ?」
ガルフィルスは玉座から動かず、それだけを告げた。
現状、この国では様々な動きがあり、王もいちいち驚くことはしなかった。
だが、次の報告がガルフィルスを驚愕させた。
「“最後の騎士”が出現したとの事です!」
「何だと!?」
ガルフィルスは慌てて玉座から立ち上がり、近衛騎士に詰め寄る。
「どういうことだ!?」
「はッ! “最後の騎士”を名乗る男が傭兵たちを率い、ブランダルクの各地に出現しているとの事です!」
「本物なのか!?」
「本物とは断定しておりません。ただ、かつて出現した際の記録と特徴は似ているようです。左手の剣を逆手に持つ二刀流の剣士だと――」
ガルフィルスの脳裏に過去の悪夢が甦えり、手を震わせる。
かつて自分の目の前に出現し、逆手に持った剣で自分を斬りつけた〈白き楯の騎士〉最後の生き残り――
斬りつけられた自分を見下ろす、あの凍てついた目はいまも忘れない。
向こうがその気だったら命も奪われていただろう。生殺与奪の権利を完全に相手に握られた最大の屈辱と、次にいつ命を狙われるか分からない悪夢の始まりの瞬間――
(……今度こそ、殺しに来たというのか)
ガルフィルスは努めて冷静を装うが、脳裏ではあの日の恐怖が鮮やかに蘇っていた。
「……すぐに兵を集めよ」
ガルフィルスは告げた。
「“最後の騎士”を騙る者どもを討伐せよ! 我が国のために名誉の最期を遂げた〈白き楯の騎士団〉の名を利用する絶対に許されざる者どもだ!」
「畏れながら! いまは“機竜”の出現により各地の治安が乱れて、人員を割けません! “最後の騎士”も傭兵たちと手を組むだけで、民を襲ったりはしていないと――」
「甘い! 民が不安に陥る隙を突いて現れた扇動者だぞ! 何かをしてからでは遅い! その前に排除するのだ!」
ガルフィルスは反論を認めない姿勢を露わにして、跪く騎士を見下ろす。
「まさか、貴様はその男が本物と思っているわけではあるまいな?」
「い、いえ。そのようなことは――」
「ならば速やかに対処せよ! それが治安を預かる騎士たちの役目であろう!」
近衛騎士は黙って頭を下げ、玉座の前から立ち去った。
ガルフィルスは玉座に腰を下ろすと頬杖をつく。
(兵士どもだけではダメだ。こちらも手札を出せねばならぬか)
かつて“最後の騎士”は厳重な大神殿の警備を乗り越えてガルフィルスに刃を向けた。
まだ遠くにいるうちに始末しなくては、いつ目の前に刃が迫るか分からないのだ。
(何が“最後の騎士”だ! 貴様のせいで余は〈白き楯の騎士団〉の名を無駄にしたのだぞ! それがこの国にとってどれほどの損害か分かっているのか!?)
“聖域”最強と謳われた騎士団の名声――“最後の騎士”によって台無しにされてしまったが、この名を自分が利用できていたならブランダルクもここまで没落しなかっただろう。
ガルフィルスは肘掛けの上で拳を握りしめる。
(今度こそブランダルクは余と共に立つ時が来たのだ。亡霊ごときに邪魔はさせん――死に損ないはそのまま死んでいればいいのだ!)
マークルフはリーナが押す車椅子に乗りながら裏庭に来た。
「グーちゃん、出てきて」
リーナが声をかける。
だが、普段ならすぐに出てくるはずの《グノムス》がなかなか出てこない。
「……なにやってんだ? グーの字め」
しばらくして地面が微かに輝き、ようやく《グノムス》が頭を出した。
その隣からプリムも小さな頭を出していた。
「ごめんなさい、姫さま! おそくなりました」
「二人で何かしてたの?」
謝るプリムにリーナが尋ねる。
「うん! グーちゃんに土の良さをおしえてたの!」
プリムが元気に答える。
「……土?」
マークルフとリーナは顔を見合わせた。
「うん! 旅しててわかったの! ここってすごく良い土が多いんだよ! これでお皿とか作ったら良いのがつくれるよ!」
何が妖精娘に火をつけたか分からないが、ともかく目が輝いていた。
「だからね! グーちゃんにも土の善し悪しをおしえてあげてるの!」
プリムが地面から飛び出ると《グノムス》の頭に飛び乗る。
「グーちゃん、こうして埋まってると分かるでしょう? こう、すーっとして、ファーっとして、ヌーっとするような、何か、こう、ああいうようなかんじが! 男しゃくのお城みたいなクッタリしたような土よりはいいってわかるでしょう? ね?」
プリムが力説する。《グノムス》は黙って聞いていた。
「……よく分からんが、バカにされた気になるな」
「ま、まあ、マークルフ様、ここは山岳地帯に近いので、良質の土が多いんだって言いたいのだと思いますわ」
おそらく、地中に潜る者にしか分からない感覚なのだろう。
「良い土に潜るとしあわせな気持ちになるでしょ? ああいう感じなの? 分かるでしょ? ね? ね? ね? ねっ?」
プリムが《グノムス》に賛同を求める。
小さな娘の一人包囲網を前に、表情のないはずの《グノムス》が困っているように見えたが多分、気のせいではあるまい。
そして隣ではリーナが気を揉むように鉄機兵と妖精娘のやり取りを見守る。
「がんばるのよ、グーちゃん。お友達ともっと仲よくなる機会よ」
「無理だろ、機械だし……」
母親のように応援するリーナに、マークルフは冷静に答える。
「で、でも、グーちゃんは頭が良いんです。勉強すればきっと――」
「ああいうのって勉強で分かるもんなのか?」
「そ、それは……」
自分たちの理解できない世界を黙って見つめていた二人だが、急に《グノムス》がプリムを捕まえて地中に姿を隠した。
「――ここにいらっしゃいましたか」
振り返ったマークルフたちの前にリーデ司祭が立っていた。
「トリスより連絡が有りました。こちらを迎える準備が整ったそうです」
「そうか。それでいつ出発する?」
「明日の朝には出発する予定です。急ですが男爵様も準備をお願いします」
「分かった」
マークルフは答える。
ついにブランダルクを揺るがす大きな流れに合流する時が来たのだ。
リーデが去り、再び《グノムス》たちが頭を出した。
マークルフは《グノムス》を見る。
「地中で話は聞いていただろ? そこでおまえに頼みがある――リファを護ってくれ。双子の妹の方だ」
「あの子がねらわれてるの?」
プリムが《グノムス》の代わりに尋ねる。
「そうなるだろうな。あいつがこれからの鍵を握ると思ってくれ。俺たちもリファを護るつもりだが、これから何が起きるか分からねえしな」
「だから、グーちゃんにお願いしたいの。私たちは自分で身を守れるけど、あの子はそうはいかないから――」
リーナにも頼まれた《グノムス》はやがて地面の下に姿を消した。プリムもそれを追って潜っていく。
「……後はいつ、リファに本当のことを話すか、だな」
マークルフは呟く。
「ログ、おまえも急いでくれよ」
マークルフたちと別れ、敷地内を歩いていたリーデ司祭がふと足を止める。
「出てきたら? そこにいるのでしょう?」
リーデが声をかけると建物の陰から学者風の男が現れた。
男の手には黄金の斧槍が握られていた。
「あら? 綺麗な槍をお持ちね。それが貴方の欲しがっていた《戦乙女の槍》なの?」
「ああ。君が宿す神女と同じ、神の娘が姿を変えたものだ」
「貴方がそれを持って現れたということは、時が来たということね」
リーデはオレフに近づく。
その姿は控えめな司祭ではなく、挑むような決意の眼差しを浮かべていた。
「その通りだ。計画が動き始めた」
「貴方との約束は覚えている。でも、まだよ。こちらの決着は済んでいない」
「それも分かっている。“最後の騎士”を待っているのだろう? 君の耳にはまだ届いていないようだが、このブランダルクに“最後の騎士”が出現したとの噂が入っている」
「何ですって!?」
リーデの表情に動揺が浮かぶ。
「おそらく、ユールヴィング男爵の為だろう。このブランダルクのために騎士に戻ったわけではなさそうだ。だが、真意は俺が分かるものでもない。君が直接、問い質した方が良いだろう」
リーデは口をきつく結び直す。
「……ちょうど良いわ。ここには男爵もいる。あいつをここに呼び寄せて、決着をつけるわ」
「“最後の騎士”はここから北にいる。向こうは“機竜”出現で混乱する場所に多く出没している。混乱で被害を受ける傭兵たちを助けるためだろう。逆に言えば“機竜”の軌道が正確に分かれば次の出現場所も絞れる。次はおそらくブーニクルの街近辺だ」
「ありがとう。約束を守らせるためとはいえ、親切なことね」
「心残りはない方がいいだろう」
オレフはそれだけ言って、現れた時と同じように建物の陰に消えた。
やがて、その気配も完全になくなる。
再び一人になったリーデは胸元を広げると、右手を中に入れて左肩に触れた。
(聞かせてもらうわ。アウレウス、貴方の答えを――)
手を入れた服の下から微かに輝きが漏れる。
その隙間から覗く左肩には白き楯を模した紋章が刻まれていた。
夜の闇に炎上するブーニクルの街――
上空に“機竜”が出現したことにより街は混乱を極めていた。
逃げ惑う人々は根拠のない噂話に翻弄されてさらに混乱し、人々が逃げた隙を突いて盗難や略奪も発生する。
それを収拾する兵士たちも数が足りず、士気はがた落ちだ。
さらに追い打ちをかけて事態を悪化させたのは、ブーニクルの領主がすでに逃亡していたことだ。
“機竜”に恐れをなしたのか、それともこの国に見切りとつけたのか、本人にしか分からなかったが、統治者不在の混乱は街の炎上という最悪の形で現れていた。
その只中、若き兵士の一人が傭兵風の男たちに包囲されている。
兵士は壁を背にして地面に腰をついていた。
「バカだな、おまえもよ。さっさと逃げていれば始末の手間がはぶけたっていうのによ」
兵士は槍を向けて牽制するが多勢に無勢。避難する人たちも通り過ぎるが、彼らも自分のことが精一杯で見捨てて逃げるしかなかった。
「いやいや、ものは考えようだ。こういうお人好しが無惨にやられた方が傭兵たちへの反感はさらに増す。それが俺たちの仕事さ」
会話する仲間たちの後ろで別の男が倒れた住人から財布を抜き取る。
「財布を持って逃げたってよ、死んだら意味ねえ――」
そこまで言って男が前のめりに倒れた。
仲間たちが振り返る。
「――そうだな」
倒れた傭兵の後ろに外套を目深に纏う男が立っていた。
男は倒れた傭兵の背に刺さった剣を抜く。
他の傭兵たちも身構えようとするが、その前に男の剣が一閃し、二人を瞬く間に斬り倒した。
残った一人が慌てて逃げようとしたが男にすぐに捕まり、その喉元に逆手に握られた小剣が押し当てられる。
「ダンナ! そこにいなさったんですか!」
外套の男の後ろから、彼の仲間らしい傭兵たちが駆けつける。
「そこの兵士が負傷している。手当てをしてやってくれ」
外套の男が言うと、刃をさらに喉に押しつける。
「答えろ。おまえたちは何者だ?」
「お、俺たちはただ、雇われただけだ……混乱があったら、できるだけ騒ぎを大きくしろと――」
「誰に雇われた?」
「く、詳しくは分からねえ……ま、待ってくれ、身代金なら払う! あんた、傭兵隊長か!? 傭兵ならどんな相手でも話し合いにのッ――」
男が言い終わる前に、小剣が喉元を通り過ぎていた。
「怪我は大したことないようですぜ、ダンナ!」
兵士の横で傷を確かめていた傭兵が答えると、外套の男が近づく。
「この街の兵か? これからここを荒らす賊どもを退治する。手を貸してくれるか?」
兵士は両手に剣を構える外套の男を前に呆然としていたが、やがて口を開いた。
「あ、あなたは……もしかして“最後の騎士”様なのか!?」
「本物と証明はできないがな」
「いえ、疑う気はありません! 手伝います! 一緒にやらせてください!」
兵士は怪我に構わず立ち上がった。
「噂は本当だったんだ……よかった。まだ、この国には神女様のご加護が残っていた」
兵士は手にした槍を握りしめる。
「残った部隊のところに案内します! 騎士様! ついて来てください!」
“最後の騎士”の出現は瞬く間に街に知れ渡った。
街に害を為す者たちは恐れおののき、逆に街の住人たちは勇気づけられた。
住人たちは自ら武器を手にして立ち上がった。
やがて街のあちこちで蜂起した住人たちが野盗たちを追いかける。
賊も集まって反撃しようとするが、それは“最後の騎士”の協力者である傭兵たちに妨害され、追い詰められて逃げ場を失っていった。
「いやはや、“最後の騎士”の名がここまでのものとは思いませんでした。住人たちを一斉に戦士に変えてしまうんですから――」
ある家の二階から周囲を見渡すセイルナックが言った。
街の至る場所では住民たちが勝ちどきをあげて喜びあっている。
ログもセイルナックの隣でその光景をじっと眺めていた。
「今まで堪え忍んできたものが一気に現れたんだ。“最後の騎士”はそのきっかけに過ぎない」
「圧政が続きましたからね。でも“竜墜ち”が何とかなれば、もしかしたらこの国も変わるかもしれませんよ」
「……そうだな。そのためにも閣下を見つけねばならん」
その時、街の一角で悲鳴があがる。
二人がそちらに目を向けると、そこには異形の魔物が空を舞っていた。
鳥のような頭をし、背中に翼を生やした人型の魔物だ。
魔物は地上に降り立つと物色するように人々を睥睨するが、剣を持つ兵士を見つけた途端に翼を翻して襲いかかる。
「出る!」
「ログ副長!?」
ログは窓から飛び降りて地上に降り立つと、剣を抜いて駆けた。
駆けつける頃には魔物はすでに何人も襲っていた。倒れている犠牲者は皆、剣を持っていた。 剣を持つ者を目印に襲っているようだった。
魔物も剣を手にするログを見ると、新たな標的と決めて飛びかかる。
ログはその手から伸びる鈎爪を避けると、剣を振るった。
だが翼に弾かれて本体にまで刃が届かない。
攻撃を躱された魔物が翼を振って飛び上がり、近くの見張り塔の上に着地した。
なぜ魔物がいるかは分からないが、野生の魔物ではないようだ。
(狙いは“最後の騎士”か)
ログは剣を構える。
それを見た魔物は威嚇の声をあげると、滑空するように襲いかかった。
ログは身構えるが魔物は地上には降りず、背中から何かを抜くとそれをログに投げつける。
危険を感じたログが躱すと、それが地面に突き刺さる。
それは硬質化した羽根だった。しかし、魔物の腕力で投げつけられたそれは短剣にも勝る殺傷力を持つ。
魔物がさらに翼を振るった。そこからも羽根の刃が何本も振ってくる。
ログは飛び退きながら、狙ってくる羽根を剣で叩き落とす。そのまま家屋の壁に身を隠した。
滑空した魔物は上昇すると近くの屋根に舞い降りる。
どうやら見かけの割に飛ぶのは上手くないらしい。とはいえ、地上のログからでは手を出すこともできない。
「副長! 大丈夫ですか!?」
近くの建物の陰からセイルナックの声がした。
「あの魔物を知ってるか?」
「いえ……でも噂があるんです。この国には古代の施設があって、ガルフィルス王は使役できる魔物を持っているそうです。もっとも、それを突き止めようとした者は帰ってこなかったそうですけど――」
「狙いはわたしたちか」
「そうかも知れません。ここまで酷い騒ぎが起きれば“最後の騎士”が来ると思ったのかも知れません。いえ、最初から待ち伏せされたと考えた方がいいのか……」
セイルナックは言葉を濁す。
そうだとしたら、この街の騒ぎ自体がログたちをおびき寄せる罠となってしまうからだ。さすがにそのためだけに街一つを犠牲にしたとは考えたくないのだろう。
「副長、僕たちがあの魔物を撃ち落とします。その隙に――」
セイルナック無言であちこちを指す。その先には身を隠す傭兵たちが弓矢を構えていた。
やがてセイルナックの合図と共に傭兵たちが矢を放つ。
だが魔物は不意の矢にも驚くことなく、自分に迫る矢だけを手で掴んで止めた。
逆に魔物は滑空し、羽根の刃を振り落とす。
傭兵たちは辛くも逃げたが、魔物の動体視力と反射神経では矢も通じないようだ。
いや、矢が何本か貫いたところで、強靱な魔物の肉体は簡単には動きを止めないだろう。
「副長!? あれを!?」
セイルナックが声をあげて指を差した。
見れば離れた場所で倒れた兵士から剣を拾う少年たちの姿があった。
空を飛ぶ魔物が身を翻した。
きっと自分たちも戦うつもりで武器を回収したのだろうが、魔物にとっては新たな獲物の目印である。
「剣を捨てろ! 逃げるんだ!」
魔物が少年たちを狙って動いたのを追って、ログも飛び出す。
しかし魔物の方が速く、驚く少年たちの前に迫った。
間に合わないとログが思った瞬間、魔物と少年の間に何が飛び込む。
それは馬だった。
屋根から現れた馬はさらにそこを足場に跳躍し、空中で魔物へと体当たりする。
不意を突かれた魔物はまともに喰らって軌道を逸らす。
魔物は近くの壁を足で蹴ると翼を広げ、高い屋根へと逃れた。
馬も舞うような動きで地上に着地し、魔物と睨みあう。
駆けつけたログも剣を身構える。
その間にセイルナックと傭兵たちが少年たちを避難させた。
馬を見たログはすぐに気づく。前に見た時と違うが、まぎれもなく仮面の女剣士が使役する“神馬”だった。
神馬はログの方に顔を向けた。
同時に魔物が羽根を投げつける。
神馬は軽やかにそれを躱し、ログの方に走る。
(力を貸すというのか)
ログはその意図に気づくと、ためらうことなく神馬に飛び乗った。
神馬の方も振り落とすことなく、ログを背に疾走する。
ログは左手で手綱を掴み、右手で剣を構えた。
神馬は跳躍して屋根に飛び乗ると、さらに屋根から屋根へと飛び移る。そして一際、力強く跳躍すると空を飛ぶ魔物の前へと躍り出る。
魔物が翼を振った。
羽根の刃がログと神馬を切りつける。ログの頬を羽根が掠めるが、動じることなく剣を構え続けた。魔物の身体能力は人間の比ではなく、少しでも逃げればすれ違った瞬間に首を跳ね飛ばされかねない。
魔物の咆哮と共に両者がすれ違った。
振り下ろした魔物の腕をかいくぐるように、ログの剣が真紅の軌跡を描く。
発動した魔法剣が魔物の左脇を斬り裂いていた。
その強靱な身体を易々と斬り裂かれた魔物は体勢を崩して壁に激突。そのまま地面へと転落した。
神馬もログを乗せたまま地上へと着地する。
ログは剣を構えたまま馬から飛び降りて魔物に近づくが、心臓を斬り裂かれた魔物は体液を噴き出しながら動きを止めて、絶命した。
「大丈夫ですか、副長!?」
セイルナックが駆けつける。
「ああ、わたしは平気だ。だが、わたしを狙う新手がいないとも限らない。それにそろそろ潮時だ。先に退かせてもらう」
ログはそう言うと、再び神馬の背に乗って手綱を振るった。
街を襲った賊たちは“最後の騎士”と協力者である傭兵の救援によって駆逐された。
麻痺していた警備体制も住人たちが加勢する形で立て直し、瞬く間に襲撃は沈静化していく。
人々が気づいた時、“最後の騎士”は仲間たちと共に姿を消していた。
しかし、伝説の神馬に乗って街中を駆けた彼の雄姿は人々に目撃されていた。
雌伏の時を経て、ついに“最後の騎士”が戻ってきた――
帰還した英雄を讃える声が、朝を迎える街中に響き渡るのだった。
ログはブーニクルの街を離れ、仲間たちとの合流地点である丘の上まで来ていた。
ログは神馬を降りる。
離れても神馬はその場で動かずにいたが、神馬の足首に巻き付けられた布きれに気づいた。
ログはそれを外して手にする。
神馬がその場にしゃがみ込んだ。そして、感じていた気配が消える。
活動の限界が来て、憑依していた“神馬”の魂が消えたようだ。
ログは手にした布を睨む。
しばらくして、各自で街を脱出したセイルナックたちが騎馬でやって来た。
「すみません、お待たせしました……あれ? それがどうかしたのですか?」
布を手に険しい顔をするログを見て、セイルナックが尋ねる。
「……閣下が着ていた服だ」
ログは答えた。
原形は留めていないが確かに主君マークルフが着ていた衣装の切れ端だ。丈夫な生地がここまでボロボロになっているだけでも、主の現状は想像できた。
そして神馬がこれを持っていた意味も――
「セイルナック殿。馬を一頭、用立ててもらえるか?」
ログの頼みですぐに馬が一頭、連れて来られた。
「どこかに向かわれるのですか、ログ副長?」
ログは黙って馬の前に立つと、左手の革手袋を外して馬に触れた。
ログが何かを呟くと同時に、周囲にも分かるほどに馬の雰囲気が変わった。
この馬を依り代に再び“神馬”が宿ったのだ。
「これは……」
セイルナックがログを見る。
ログは手袋をはめ直した。
「閣下の居場所が分かった。これからそこに向かう」
仮面の女剣士が支配するはずの“神馬”を召喚できたことでログは確信する。
セイルナックが彼の並々ならぬ覚悟の表情を見て、やがて静かにうなずく。
「これから貴方の戦いが待っているのですね」
「途中で抜け出してすまない。だが、どうしても行かなくてはならない」
「安心してください。“最後の騎士”の替え玉は何人も用意してますから。貴方のおかげで“最後の騎士”の存在を信じる人も増えているみたいですし、後はこっちで何とかしますよ」
「先ほどのような魔物が狙ってくるかもしれない。気をつけてくれ」
「なに、狙ってくるのが分かれば対処のしようはありますから――副長も気をつけてください。人々はまだ“最後の騎士”を必要としているのですからね」
セイルナックは笑いかけた。
「僕だってもう分かってますよ。偽者を演じるのは本物が一番だってことぐらいはね」
ログは何も言わずに黙って頭を下げると、神馬の背へと乗った。
「セイルナック殿。もし、わたしの部下たちに会えたら、わたしは男爵の許に向かったと伝えてくれ。場所は分からないが、この神馬が向かう先がそうだ」
「分かりました。神馬の目撃情報があればそれを辿るとします」
「頼む」
ログはそう言って馬首を巡らせる。
「……もう一つだけ、伝言をお願いできるか」
「いいですよ」
「わたしの部隊にタニアという侍女がいる。もし彼女がいたら伝えて欲しい――わたしができなかった分まで親孝行してくれ、とな」
「タニアさんですね。でも、やだなぁ。まるで遺言を伝えるみたいですね」
「そう受け取ってもらって構わない。これから戦う相手はわたしが知る中で最も恐るべき剣士となる」
「副長がそこまで言う相手なんですか?」
「ああ。わたしも及ばないかもしれない。だからお願いする」
セイルナックは困ったように顔をかいた。
「分かりました。遺言なら預かります。でも、伝えるのは貴方が本当に亡くなったと確認してからです。こういうのは直接、自分で言うのが一番ですよ」
「……分かってはいても苦手でな」
「ハハッ、そういうところがいいって女性もいますからね。きっとタニアさんもそうだと思いますよ」
ログは何も言わず、もう一度頭を下げると手綱を大きく振るった。
神馬は嘶き、自ら案内するように走り始めた。
駿馬ですら足元に及ばない疾風のような走り――だが、それでも乗る者をまったく揺らすことはない。かつて大神殿に乗り込んだ時の記憶が鮮明に甦っていた。
神馬はさらに速度を上げていく。
この馬ならどのような遠くの地でもすぐに到達できるだろう。
神馬が導く先にログの主であるマークルフ――そして神馬の主である仮面の女剣士が待っているのだ。




