欺く者しかいない地でも(1)
夜の闇に紛れるようにログは一人、鬱蒼とした森を進んでいた。
かつては騎士としてどう守ることを常に考えてきた祖国である。どこが侵入しやすく、警護が手薄になりやすいかは把握していた。もっとも国を離れて長いため、それも変わっている可能性はあったが、今の所、ログの行く手を遮る障害は何も起きなかった。
それだけでも、この国の守りに綻びができているのが分かる。
そして祖国の窮状も――
ログは足を止めた。
近くで気配を感じる。それも複数の足音だ。
ログは身を潜めながら、それを確かめるために近づいた。
その先に居たのは兵士の一団だ。
所属を示す物を身に付けてはいなかったが、ブランダルクの兵士には見えなかった。
兵士の一人が地図を広げ、ログもそれを覗くことができた。
地図には螺旋の矢印が描かれている。おそらく、この空を飛ぶ“機竜”の軌道を記した物だろう。
(ここにまで、他国の部隊が踏み入れている――“竜墜ち”に備えてか)
いまや“機竜”の落下予測はブランダルク近辺の可能性が高まっている。周辺諸国もそれに備えて対策をしていることは当然、考えられた。
ただ、ブランダルク側に踏み込み過ぎているようにも思えた。気にはなるが、今はマークルフたちとの合流が先決である。
ログは静かに離れると、先を急いだ。
しばらくして国境を抜けたログは広い平原を進む。
このような形で再び、この国に足を踏み入れるとは思わなかった。
夜景はかつての記憶と何も変わっていない。
それだけで騎士だった頃の姿が脳裏に蘇ってきた。
不意に上空から風が舞い降りる。
周囲の草木がざわめく中、闇夜の空を見上げたログは闇に浮かぶ紅い光に気づく。魔力の光を放つ“機竜”だ。
“機竜”は上空を過ぎ、しばらくしてその姿を消していく。
(かなり高度を下げてきたな。閣下がご無事だと良いが――)
ログは先を急ごうとしたが、その足を止める。
先ほどの部隊は“機竜”の軌道を記した地図を所持していた。それがあれば、“機竜”の軌道はある程度、予測することは可能である。
(あの“機竜”によって治安が悪化していると噂だが――)
ログは悪い予感を覚えていた。
先を急ぎたいが、無視することもできなかった。
どのような災厄でも、それを裏で利用する者は必ずいるのだ――
セイルナックたちはブランダルク北の国境付近にやって来ていた。
その目的は国境付近まで接近しているユールヴィング男爵麾下の傭兵たちを国内に手引きするためだった。
国内の傭兵組織が狙い撃ちされて連絡網が寸断された状態だが、すでにログ副長の部隊が来ていることはセイルナックたちの耳にも届いていた。
「ここからどうするんです、親方?」
連れてきた傭兵の一人が尋ねる。
「まずは国境の向こうの様子を確かめよう」
セイルナックは答えた。
「情報が事実なら〈オニキス=ブラッド〉の副長が近くに来ている。あの人と接触するのが最優先だ」
副長ログと会い、ユールヴィング男爵との合流を急がせる。少なくとも、いまのブランダルクの脅威に対抗できる人物は男爵たち以外にいないのだ。
彼らが動こうとした時、人の気配に気づいた。
遠くにだが、一人の村娘がいた。こんな夜中に若い娘が息を切らせながら走っている――いや、逃げているようだ。
彼女はついにその場に崩れ落ち、その場で大きく肩で息をする。
どう見てもただ事ではないと思ったセイルナックは彼女に駆け寄った。
村娘はその姿に気づくと恐怖に震えて逃げだそうとしたが、足がもつれてその場に倒れる。
「待って待って! 慌てることはないさ! こう見えて僕は紳士でいなきゃ身が持たないほど女性にもてるんでね。君に乱暴するほど僕は困ってはいないんだ」
セイルナックは襟を正す仕草をしながら陽気に言った。
体格が変わる前のセイルナックは傭兵一の美丈夫として女性の人気を一身に集めていた。このキザすぎる台詞も実際の話(当時)であった。
いまの姿ではあまりに説得力もないが、娘は逃げることなく足を止めた。
滑稽過ぎる姿と見かけによらない人当たりの良さも手伝い、警戒が緩んだらしい。
「とりあえず、少し休みなよ。落ちついたら事情を説明しておくれ」
そう言ってセイルナックは同行の傭兵たちに周囲の警戒を命じる。
村娘は彼らの姿をじっと見ていたが、やがて息も少し落ちついたのか、少しずつ話し始めた。
「村が……わたしの村が襲われて……」
娘が泣き崩れながら言った。
「村が襲われた? 誰にだい?」
「あいつらは……自分で傭兵だって言ってました。でも村に別の傭兵さんがいて、そいつらが真っ赤な偽者だって見抜いたんです。わたしはその傭兵さんのおかげで逃げることができましたが……村は――」
セイルナックは周囲を見渡した。
確かに遠くの方だが、丘のかげに隠れるように村が見える。何があったかよく確認できないが、明かりが揺らめいているため、人々が動いていることは間違いない。
「傭兵さんは言ってました……あいつらはここの兵士だって……」
「兵士が自分の国の村を襲ったっていうのか」
「何が兵士よ! あいつらこそ野盗そのものじゃないの!」
村娘は悔しさに口を噛み締めるが、涙をこらえられず、再び泣き出した。
「分かった。ともかく、静かにしよう。追手がいるかもしれない」
セイルナックは村娘に手を貸して立たせた。
「残念だけど、この人数では村を助けられない。せめて、君だけは逃がそうと思う。ともかく、ここを離れよう」
村では傭兵に扮した兵士たちが家屋を漁っていた。
「女はいねえのか!」
「若いのならさっき、こいつが逃がしやがった。くそ、俺の肩まで斬りやがって!」
兵士の一人が足元に転がる男の死体を蹴り上げた。
男は彼らの邪魔をした本物の傭兵だ。
「その辺にしておけ。そいつは俺らの罪を一身に背負ってくれるんだ。バチが当たるぜ」
兵士たちの隊長が告げた。
そう、この略奪は傭兵の仕業となり、この男はその一味として、ありもしない傭兵団の汚名を被る予定だった。
外では村人たちの悲鳴が沸き起こっている。
「いいか。もうすぐ、隣国グラオスの部隊がやって来る。その時はとっとと逃げろよ。それまでに奪えるものは持って行け」
隊長は兵士たちに言った。
「頃合いを見て家を燃やせ。狼煙代わりだ」
兵士がその命令に従い、外に出ていく。
やがて、その兵士の悲鳴がした。
さらに外の悲鳴も村人ではなく仲間たちのそれに変わっていく。
隊長も異変に気づいて慌てて外に出た。
視界に飛び込んできたのは部下の兵士たちが地面に倒れている光景だった。
その中心に外套姿の男が立っており、右手には血に染まった剣を握っていた。
隊長は同じく駆けつけた兵士と共に剣を向ける。
「てめえ、誰だ!?」
外套姿の男が隊長の方を向いた。
「……ブランダルクの兵が自国の略奪か」
その間にも兵士が集まり、男を包囲する。
「“機竜”の出現で地上が混乱すれば略奪の発生もあるとは思っていた。だが、守るべき側がそれをやるとはな」
「そいつは耳が痛いな。だが、この国にもう守るものなんてありゃしねえさ。余所者に持って行かれるなら、俺たちがもらってもおかしくねえだろ」
隊長が笑い返す。
「……この近くに他国の部隊が潜伏している。介入の口実を与えるぞ」
隊長は近くの兵士たちと顔を見合わせるが、困ったように肩をすくめた。
「そりゃ、そのつもりだからな。もとから――」
兵士の一人が言うが、それを最後まで口にすることなく、その場に崩れ倒れる。
外套を翻して投げた男の短剣が、兵士の喉に突き刺さっていた。
「“機竜”の動きに乗じて他国の部隊と手を組み、介入の口実を作る見返りにこの村の略奪を好きにしていた、か……おまえたち、ブランダルク崩壊に荷担するつもりか」
「言ったぜ! ブランダルクはすでに終わってるのさ!」
隊長たちは一斉に剣を構えた。
「そうか。なら、せめて終わる順番だけは正させてもらおう――おまえたちが先だ」
男は剣を正眼に構える。
「このまま逃がしては“機竜”と戦う閣下に申し訳が立たん」
セイルナックたちは村娘を連れて、その場を離れた。
彼女は移動する間も一人、泣きじゃくっていた。
仲間をもっと連れてくればどうにかできたのだが、国境を越える活動のためにそうできなかったのが残念でしかない。
「親方、これからどうするんです?」
「そうだね。彼女には悪いけど、こちらも仕事を後回しにする訳にいかない。副長の部隊との接触を優先だ。場合によってはあっちの力を借りられるかもしれない」
向こうも非常時に備えて腕利きを揃えているはずだ。特に副長ログは“副長だけはガチ”と称されるほどの凄腕の剣客だ。過去の素性はセイルナックも知らないが、先代より仕える“戦乙女の狼犬”の懐刀で信用もできる人だ。
だが、それは村娘の耳には入れないようにした。
その人たちなら野盗退治に手を貸してくれるかもしれないが、村人たちを助けるには手遅れだろう。下手な希望は与えられないのだ。
「待て! そこの者たち、止まれ!」
不意にセイルナックたちは声をかけられた。
(しまった、見つかった――)
セイルナックたちの前方から明かりが向けられた。
どこかの斥候の兵士たちのようだ。
「貴様たち、そこを動くな!」
兵士の一人が叫んだ。
この夜中に国境付近で活動している部隊の方が怪しいのだが、それを尋ねる雰囲気ではなさそうだ。
足止めを受けたセイルナックたちの前に、やがて本隊らしい部隊がやって来る。
その先頭には馬に乗った騎士隊長がいたが自ら馬を下りると、護衛の兵士たちと共にセイルナックらの前に進み出た。
「お前たち、傭兵らしいな。そうか、貴様らがあの村を襲ったのか」
騎士隊長が先にある村を指す。
だが、セイルナックはその言葉に違和感を覚えた。
「違います!」
村娘が言った。
「わたしはあの村の者です! この人たちはわたしを匿ってくれただけです! お願いです! 村を助けてください!」
村娘は懇願するが、騎士隊長はじっとそれを見つめたままだ。
「よかろう。その娘はこちらで預かる。傭兵ども、おまえたちもこちらに協力してもらおう」
騎士隊長に命じられ、兵士たちが近づく。
「……お嬢さん、逃げるんだ」
セイルナックは村娘にだけ聞こえるようにささやく。
「あいつらは村を襲った奴らとつながってるかもしれない」
「えッ、でも――」
「いいかい。あの村から火も煙も上っていない。悲鳴だって届いていない。いま、ここに来たのなら、村が襲われたってすぐに分からないはずなんだ」
村娘は愕然とした表情を浮かべる。
「おそらく、あいつらはここの国境を越えて踏み込む大義名分が欲しかったんだと思う。そのために君たちの村を見殺しにしたんだ」
「そんな――」
村娘は何を思ったのか、セイルナックの背後に隠れた。そして、彼の腰にある短剣を鞘ごと引き抜いた。
「君――」
「ありがとう。でも、もういいの」
村娘は短剣を懐に隠し、兵士たちの前に進み出る。
彼女は村の仇を討つつもりだ。
止めたいが、セイルナックたちにもどうにもできない状況だ。
村娘は兵士たちに連れられ、騎士隊長の前に立つ。
「どうか、お願いします。村を助けて!」
村娘は地面に伏せて騎士にお願いする――だが、その間に隠れて短剣を取り出し、騎士に襲いかかった。
しかし、騎士はあっさりと村娘の腕を掴み、捻り上げた。
「やはり、こういうことか」
騎士隊長が言った。
「あらためて見れば村が静かすぎるのでな。怪しいと思ったところだ」
「放せ! 人殺し!」
村娘は泣きながら叫ぶが、騎士隊長は涼しい顔だ。
「それが騎士の仕事さ。傭兵ども、村はいま、どうなっている?」
セイルナックは答えなかった。
どうやら騎士隊長の目論見と違っているらしいが、こちらも村がどうなっているかは分からないのだ。
「貴様たちが邪魔をしたか……仕方ないな。手間は増えるがこのまま強行する。こいつらは捕まえろ」
騎士隊長が命じようとするが、その時、遠くから人の声がした。
最初はかすかな声だったが、部隊の持つ明かりに気づいたのか、その声はこちらへと近づいてくる。
「待ってくれえ! 村は助かったんだ!」
見れば二人の人物がこちらに近づいてくる。声をかけ続けているのは壮年の村の男で、もう一人は外套姿の旅人だ。その外套は所々、血に染まっていた。
「村長さん!?」
村娘が叫んだ。
騎士隊長は村娘を放した。
娘は村長の許に駆け寄り、互いの無事を喜び合う。
「村の人たちはどうなったの?」
「……話は後だ。ただ、全滅は免れた。この人のおかげだ」
村人たちの横を外套の男が通り過ぎ、騎士隊長の方へと近づいていく。
「止まれ。外套の男――」
騎士隊長は剣を抜き、外套の男も立ち止まる。
「……なぜ、娘を放した?」
外套の男が淡々とした口調で問う。
「貴様が隙を狙っているのは分かった。人質はかえって足手まといになると判断した」
「そうか。グラオスもそれだけの騎士を出してきたということか」
部隊の兵士たちの顔色が変わった。自分たちの素性を男が知っていることに警戒を露わにする。
「村を襲った奴らが口を割った。村長の言った通り、奴らはわたしが斬らせてもらった。そっちの出番はない。お引き取り願おう」
外套の男は自分を警戒する部隊を前にしても冷静さを変えず、騎士隊長に告げる。
「信じられんな」
騎士隊長はかぶりを振った。
「本当だ。その人が退治してくれたんだ!」
村長が叫ぶが、騎士隊長は聞く耳を持たないようだ。
「それより貴様、何者だ?」
「傭兵の端くれだ」
「そうか。傭兵ならこちらが雇おう。どうだ、十分な報酬は出すぞ? これからこの国は刈り場になる。腕のある奴は一人でも欲しいところだ」
「わたしはすでに雇われている身だ。それに混乱に乗じた版図の切り取り合戦に加担するつもりはない」
「……言ってくれるな。そこまで分かるなら理解できるだろう? ここで我らを止めたとて、すでに他の連中は動き始めているんだ。こちらだけ乗り遅れるわけにはいかんのだ」
騎士隊長が挙手し、兵士たちが展開する。
「その者らが村の者かも怪しい。我らを欺くための盗賊どもの自演かも知れん。それに都合良く、村を救う英雄など現れるわけがないのだ」
「その言葉……ここにいる者とあの村の者たち、全ての口を封じるつもりと受け取った」
男が頭を覆う外套を後ろにずらした。
セイルナックはその素顔を見て、息を呑む。捜していたログ副長本人だった。
ログが右手に剣を、そして左手に小剣を逆手に握る。
その姿を騎士隊長は面白そうに見つめる。
「意外に若いな。それに二刀流か。伝説の神女も二刀流で、あの“最後の騎士”もそうだったと聞く。それに倣って二刀流を真似する奴は多いが、ものにできた奴はほとんどいないらしいがな。貴様はどうかな?」
騎士隊長も剣を、そして騎馬に吊していた盾を握る。
「男、貴様の名を聞いておこうか?」
「名乗るつもりはない」
「訳ありか。こっちも名乗るつもりはないがな。だが、国元では剣の名手として知られているんだぜ」
騎士隊長との間合いを詰めながら、ログがセイルナックたちに告げる。
「この部隊はわたしが引き受ける。貴殿らはその村の者たちを守ってくれ」
騎士隊長が意外そうな顔を見せた。
「大口を叩いてくれるな。それに報酬もないのに、その村人どもを助けて何になると言うのだ?」
ログは答えなかった。
「答える必要もないか。なら教えておくぜ。俺はかつて〈白き楯の騎士団〉と戦って、そこで二人の騎士を倒したんだ。甘く見ると死ぬぜ」
「騎士団が全滅した戦いか?」
「ああ。奴らも追い詰められて必死だったからな。手強かったぜ」
当時のあの戦いで〈白き楯の騎士〉を倒し、その功績で出世した他国の騎士は多かった。この騎士もその一人なのだろう。
「……その人たちは最後まで手強かったか」
「ああ。生き延びようと最期まで戦ってくれたぜ。ふぬけた奴らでは功績にならなかったからな。感謝している」
ログが右手の剣で空を切った。その鋭さに騎士隊長らの目が見開く。
「教えてくれた礼は言う……だが間違っていることを言わせてもらう」
「間違い? 何のことだ?」
ログが足を前に踏み出した。
「あの戦いの時、騎士たちは皆、疲弊していた。そうでなければ貴殿は勝てなかっただろう。そして必死に戦ったのは生き延びようとしたからじゃない」
騎士隊長が当時を知るようなログの言葉、そして息を呑むほどの冷徹な鋭さに、焦りの表情を浮かべる。
「――騎士団の終焉に殉じたんだ」
マークルフは幌付き馬車の荷台にいた。
藁とシーツを敷いた寝台に横たわり、その傍らにはリーナが付き添っている。
双子たちを東部の都市まで護衛する途中であり、今夜は野営をすることになっていた。
「傷はどうですか?」
マークルフの身体には魔物との戦いで新しい傷口が増えていた。それに薬を塗り終えたリーナが尋ねる。
「この程度はかすり傷さ。それより、ずっと寝っぱなしってのは退屈だな」
「無理なさったのですから仕方ありませんわ」
リーナは微かに笑みを浮かべるが、その表情に明るさはない。
あの館での戦いの後、マークルフは身動きできない状態が続いた。重傷の身体で強引に“鎧”装着をした反動は予想以上に大きかったのだ。
「……誰かいるのか?」
マークルフは外の気配に気づいた。リーナが咄嗟にマークルフの手を掴む。
「驚かせてごめん」
荷台の縁から顔を出したのはリファだった。
「何だ、一人で抜け出してきたのか?」
「兄ちゃんも来たかったんだけど、さすがに抜け出せないらしくてさ。二人にごめんと言ってたよ」
「次期国王候補だからな。うかつに出歩けねえか」
苦笑するマークルフの姿を、リファが心配そうにじっと見ている。
「身体の方は大丈夫? 少しは良くなった?」
「まあな。安心しろ。今日はリーナも一緒にいる。何かあってもすぐ応戦できるから、心配するな」
マークルフはいつものように不敵に笑うが、リファの表情も暗い。
「でもさ。このままじゃ、男爵さんの方が身が持たないよ……いざとなったら、あたしのことはいいから、兄ちゃんと自分の身体だけ考えてね」
「気にしすぎだ。雇い主にそこまで心配されたら、俺が頼りないように見えるじゃないか」
「だって、男爵さんの回復が間に合わなかったら――」
リーナが近づき、リファの頭に手を添えた。
「大丈夫よ。もうすぐ部下の人たちが来てくれる。そうすれば回復の手段も見つかるわ」
リーナが微笑む。リファもその表情を見つめていたが、やがてうなずく。
「分かった。お姉ちゃんがそう言うなら信じるよ。じゃあね、兄ちゃんにも伝えておくよ。お休みなさい」
リファはそう言って去っていった。
「……リーナ、すまねえな。一度、“心臓”を取り出せって言っちまったからな。気になって仕方ねえようだ」
マークルフも困ったように目を閉じる。
「いいえ。でもエルマさんやマリエルさんが早く来てくれると良いのですが――テトアさんに尋ねたんですが、傭兵ギルドの情報網もすぐには復旧できないそうです」
「それはギルドの連中に任せるしかねえ。なに、エルマたちなら自力でこちらを見つけてくるだろ。問題はそれだけ俺たちが警戒されてるってことだ。何が待っているにしろ、うかつな動きはとれねえな」
「とにかく、いまは休める時に休むしかないですね」
リーナがマークルフの隣に横たわり、自分の毛布を引き寄せた。
「……隣に麗しの乙女がいるというのに、身動きできないというのも辛いな」
「おかげで安心して眠れます」
「おまえは――」
「殿方の苦労は存じ上げませんわ」
リーナは悪戯っぽく微笑み、ランプの火を消した。
暗くなる馬車の中、二人は並んで眠ろうとする。
「……マークルフ様、どうして、この国はこんなことになってしまったのでしょうか?」
リーナがマークルフの方に身体を向けた。
「ブランダルクの抱えていた問題が一気に噴出してしまったのさ」
マークルフは幌の天井を見つめながら言った。
「まず、独裁を阻止するだけの王族の数が足りなかった。建国されたブランダルクには当初、国王はいなくて騎士団が合議制で治めていたんだ。王家は後世になって成立したが、その歴史は浅く簡単に増えるわけでもない。さらに先代の時代は病気などで不幸が重なったため、先代王と子供たち、そして王弟だった現王のみにまで減っていた。それが現王の野心に火をつけてしまった」
「エンシアは王位継承者が多く、問題をいつも抱えていました。ですが、逆もまた変わらないのですね」
「ああ。だから、ルフィンの存在が知られるほど期待も障害も大きくなっていくだろうな。あいつも大変だ」
「ルフィン君たちの事を知ったら、ログ副長はどうされるのでしょうね」
リーナがマークルフに掛けた毛布の位置を直しながら尋ねる。
「そうだな。“竜墜ち”の件が片付いた後、もし、あいつがこの国に戻るというなら……こっちはかなり困るが、引き留めはしねえさ」
「副長さんなら、この国の新たな騎士団長も務められるでしょうね。この国の人たちもそう望むのではありませんか?」
「……かもな。だが、ログにその気はないだろうな。あいつは〈白き楯の騎士〉を捨てたんだ。捨てたものを拾い直すような奴じゃない」
「でも、現王に代わる後継者が見つかったのですよ。あの時とは事情も変わったと思います」
「それでも戻らないと思うぜ」
マークルフはリーナと目を合わせる。
「あいつは“最後の騎士”だからな」




