オレフの意図
ある地下室にマリエルは軟禁されていた。
オレフに連行されてしばらく経つが、いまだにここがどこかは不明だ。
地上への扉は閉ざされているが、地下の全部屋が開放され、食料なども自分で勝手に食べて良かった。
そして、オレフが集めて使っているらしい資料などもそのまま置かれていた。彼女ならそれを台無しにすることはないと思ったのだろう。
マリエルもせめて何かの手がかりがあればと、軟禁されてからそれらに目を通すことが続いていた。
いま、マリエルが見つめていたのは机に広げた一枚の地図だった。
ただの地図ではない。
標高図と一面にびっしりと描かれた矢印で占められているのだ。
場所はおそらく、ブランダルクを中心とする、東部山岳地帯だろう。
そして矢印が示しているのは“竜脈”と呼ばれる大地の霊力の流れだ。
この地図は山岳地帯の“竜脈”を図式化したものだった。
言葉にするのは簡単だが、それを実行することは並大抵のことではない。現に目の前にそれがなければ不可能と考えたかもしれない。
気の遠くなるほどの計測と記録。そしてその膨大な情報を整理し、単純化し、理論化し、複雑な現実の環境に当てはめ直す工程を全てこなさなければならない。
それをオレフは独力でやり遂げ、これを完成させたのだ。
“聖域”は“神”が地形を変化させた聖遺物と昔の学者は言った。
“聖域”の大まかな構造を模して霊力の流れを変える研究はあったが、ここまで“神”の残した理論に迫った人間はいないはずだ。
一般の人間から見たら、意味も理解の必要も無い図だろう。だが、マリエルが最高の研究を挙げるとするなら、きっとこれを挙げるだろう。
(だけど、これを完成させて、あの人は何をしようとしているのか──)
オレフはマリエルの知る昔の彼ではないのかも知れない。
だが、同時に彼が変わっていないことを怖れる自分もいた。
「それが気になるか、マリエル君」
マリエルが振り返ると、そこにはオレフが立っていた。
「……これだけは敵味方の立場抜きで感心しています」
マリエルは言った。
彼女はずっとこの図を精査しているが、それにこめられた“神”の法則を未だ理解できないでいる。同じ科学者だが、彼と自分に大きな隔たりがあることを痛感させられていた。
「そうか。だったら好きなだけ見てくれ。こちらも用件ができたのでしばらく戻ってこない。必要な物は置いておくから、自由に使ってくれ」
オレフはそう言うと出て行こうとする。
「本当に感心しています……だからこそ、貴方が怖ろしい」
マリエルが独り言のように告げる。
「うちは、誰よりも科学と研究に“誠実”な貴方を尊敬していました。この図を見てそれはいまも変わってないと分かりました……貴方はきっと、ここまでしてでも完成させたい研究を見いだしたのだと考えています」
オレフは足を止めていた。
「その研究が何かは分かりません。ですが、そのためなら、貴方自身も含めていかなる犠牲を払うことも選択すると思えるのが──怖ろしいのです」
マリエルは振り向き、オレフの背を見つめる。
だが、彼から答えが返ってくることはなかった。
エルマたちは森の中を進んでいた。
男爵からと思われる“力”の反応を計算し、その発信地へと向かう途中だ。
「いやあ、しかし、姐さん。ここからどうやって男爵を見つけるんです?」
彼女の背後からウンロクが声をかける。
「隊長さんが用意してくれた地図だと、この先に街があるわ。どこかに身を隠しているならそこの可能性もあるわ」
「あとどれぐらいですかねえ」
ウンロクは汗を拭いながら言う。小太りだけにかなり暑いようだ。
「姐さん! また反応です!」
二人の後ろで三人分の荷物を担ぐアードが叫んだ。その手には測定器を抱え、ずっと監視と荷物持ちをされていたのだ。
「男爵!?」
「いえ、男爵じゃないです! この反応は完全に魔力っす!」
監視をするアードの前で測定器の針が振れる。
この“聖域”で純粋な魔力の反応が出るというだけで、それが強大な魔力源と分かる。
「二人とも。魔力の“匂い”漏れなどはないわね」
「それって、もしかして──」
「来るわよ」
エルマは空を見上げた。
そして、やがて見つける。
空の彼方に浮かぶ“機竜”の姿を──
それは大空を滑空しながら、次第にその姿を大きくしていく。
「うわぁ~~、すっごくでっかいね」
足元の地面からプリムが顔を出していた。実際にその巨大な“機竜”の姿を見て、大きく口を開けている。
「感心している場合じゃないぞい。これからあれをどうにかせねばならんのだぞ」
隣の地面からはダロムも頭を出していた。
そうしている間にも“機竜”はエルマたちの頭上を通り過ぎていく。
まだ遙か上空にいるはずだが、その余波は風となって地上にまで伝わる。
周囲の枝葉が不吉に震える中、エルマは手負いの“機竜”の姿を凝視し続けた。
幸い、こちらの存在には気づかなかったのか、やがて“機竜”は飛び去っていき、風も収まった。
「……見る限り、かなり損傷しておるのは間違いないな」
ダロムが言った。
「しかし、次に戦ったら勇士は勝てると思うか、姐さんや?」
「分からないわね。でも、それも男爵が復活できたらの話ね」
古代文明最強の兵器があそこまで損壊していることからも、激しい戦いだったのは間違いない。男爵も相当な重傷であることは考えねばならない。
(“機竜”もかなり地上に近づいてきた……男爵と合流できたとして、果たして“竜墜ち”までに復活させられるか───)
それに加え、オレフに奪われた《戦乙女の槍》とマリエルも取り戻さねばならない。
あの“機竜”の完全破壊にはやはり、《アルゴ=アバス》の最大武装〈アトロポス=チャージ〉が必要となるはずだ。
やがて一行は移動を再開した。
しばらくして森を抜け、先を見下ろせる丘に出た。同時に一行が見たのは、一つの街とそこから幾つか煙が昇っている光景だった。
街で騒動か何かが起こっていたようだ。
「さっきの“機竜”のせいですかね」
ウンロクが望遠鏡で街の様子を眺める。
“機竜”が姿を見せるだけ、何も知らない人々は混乱することは避けられないだろう。
「男爵が巻き込まれてなければいいっすね」
「そうね。急ぎましょう」
街の門へと近づいたエルマたちが見たのは、街道に外れた木を取り囲む住人たちの姿だった。
見れば木には一人の傭兵らしき男が縛られていた。
「違う! 俺は何もやってねえ!」
木に縛られた男が叫ぶ。
だが、取り囲む住人たちが返したのは石だった。
「黙れ! てめえが盗んだのは分かってるんだ!」
「あんた、この国がいまどんなに苦しいか知っててやってるのかい!? この人でなし!」
石を投げつけられ、男は黙るしかなかった。その全身には怪我も見えた。
「……何があったか知らないっすけど、ひどくないですか?」
「ああ。ありゃ、そうとう住民も鬱憤が溜まってるぜ」
アードとウンロクがささやく。
何があったか分からないが、このまま私刑が続けば男も最悪、命を落としかねない雰囲気だ。
衛兵が姿を見せないことからも、私刑を黙認しているのだろう。
エルマは爪先で地面を三度、叩いた。
「なあッ!?」
「きゃあッ!?」
しばらくして、住民たちが一斉に驚き、逃げ出す。
目の前の木が、男ごと地面に陥没したのだ。
住民たちが姿を消したのを待ち、エルマたちは近づく。
枝葉が広がる木の上半分だけが地面を覆い、その下がどうなっているかは見ることができなかった。
「もう、いいわ。グノムスちゃん」
エルマが言うと、今度は木がいきなり隆起する。
地下に潜伏する《グノムス》が陥没させていた地面を元に戻したのだ。
木が元に戻ると、目の前には呆然とする男が現れた。
アードたちが近づき、短剣で男の縄を切る。
解放された傭兵はその場に腰をつきながら、エルマを見上げた。
「……助かったよ。しかし、いまのは何なんだ?」
「気にしないで。それより、あなた、何をやったの?」
「何もやってねえさ」
男は深くため息をつく。
「つい先ほど、“機竜”が現れて大混乱してな。この辺でも火事場泥棒なんかが起きたんだ。俺も街にいたんだが、騒ぎに乗じて武器を盗まれたあげく、泥棒の濡れ衣を着せられちまった。くそッ、さっきの連中のどいつかが俺を陥れやがったんだ!」
傭兵の男は悪態をついた。
「すまねえ。礼をしたいところだが身ぐるみ剥がされて何もできねえが……あんたたち、旅の者か? 傭兵には見えんが──」
「とある傭兵隊長さんのお手伝いとだけ言っておくわ」
「そうか。だが、悪いことは言わねえ。さっさとこの国から離れた方がいい。この国のお偉方に雇われた連中はまだいいが、雇い主がいない傭兵はいまや、野盗同然にしか見られていねえ。この国も混乱して犯罪が増えているが、その多くが傭兵のせいにされちまってる。あんたらも気をつけな」
「傭兵ギルドは何をしてるの? こういう時のための組織でしょう?」
「ギルドも混乱で襲撃が重なって追い込まれてるらしい。動いてはいるが、こちらまでは手が回らねえようだ。どちらにしろ、これから何か起きそうなのは間違いねえ」
「そこまでになってるのね。教えてくれてありがとう……そうだわ、一つ訊いてもいいかしら?」
エルマは訊ねた。
「この近辺で何か変わったことはなかった? 例えば──激しい戦闘があったとか、変わった鎧を着た誰かがいたとか──」
男は考える素振りを見せる。
「……あんたが知りたいことかは知らんが先日、街の外れの館で火事があった。全焼するほどの大火事だったらしいが、戦いもあったらしくて遺体も何体か見つかっている。その中に得体のしれない魔物の死体があった。他の奴もそいつにやられたとかいう話だ」
「その犠牲者の中に十代後半ぐらいの若者はいなかった──?」
「いや、いなかったはずだ」
エルマたちはとりあえず安堵する。どうやら男爵やリーナ姫ではないようだ。
「ありがとう。悪いけど先を急がせてもらうわ」
「事情があるなら止めはしない。こっちはこっちで何とかする。気をつけてくれ」
エルマたちは去っていく男を見送った。
「傭兵達の評判、かなり悪くなってるっすね。サルディン隊長さんたち、いま来なくて正解だったかも知れませんね」
「そうだな。国が落ちぶれて、あげくに“機竜”が墜ちてくるかもしれん──それに付け込んで火事場泥棒なんてされてみろ。誰だってああなるのは仕方ないわな」
心配げな表情のアードにウンロクが答えた。
「まあね。ただ、意図的に傭兵たちの評判を落として、身動きしにくくしているようにも見えるわ。国が沈んで傭兵達が増える現状を逆手に取った感じね」
エルマが言った。
「なるほど。裏で悪巧みをして、それを全て傭兵たちになすりつけようって魂胆ですかい。いやあ、男爵もいまごろご立腹でしょうな」
ウンロクが肩をすくめた。
「そうね。“機竜”が来れば男爵も追ってくる──それを分かって先手を打たれたってところかしら。男爵も手こずりそうね」
宿をとったエルマは下着姿のまま、部屋の隅の机に向き合っていた。
周囲は仕切り布に覆われ、彼女はひとり作業に没頭していた。
机の上の用紙に、エルマは自分が考案する装置の設計を記入していた。
(男爵を回復させるために必要な物はこんなところ──これをアーくんとウンちゃん二人に叩き込んだとして、問題は時間と魔力ね)
エルマはしばらく考えるが、やがて一息つくと、仕切り布を開く。
彼女の手が止まった。ランタン一つで照らされた部屋に、揺らめく影があったからだ。
「……そっちから来るなんてね」
エルマは腕組みする。
「随分と没頭していたようなのでな。待たせてもらった」
部屋の寝台に腰かける男が言った。
「人の部屋に忍び込むのが随分と上手になったものね」
「君には敵わんさ」
男──オレフは立ち上がった。
「君と話がしたくてな。ただ、足元に地面があると落ちついて話ができない。ここを選ばせてもらった」
どうやら地下にいる《グノムス》のこと把握しているらしい。
エルマは脱ぎ捨てていた服に目をやるが、オレフが右手を上げる。その手にはエルマが所持していた護身用の銃が握られていた。
「これか? 物騒なのでこれも預からせてもらっている」
「服まで漁るなんて、いつからそんな悪趣味になったの?」
「嫌なら、すぐに開放的な姿になる癖は直しておけ。何度も忠告したはずだ」
エルマは近くの椅子に腰掛けると、その上であぐらをかく。
「うちらがここに来ることは予想してたわけね」
「ユールヴィング男爵を捜しているのだろう? 彼の“鎧”の反応を辿って来ると思っていた」
「それで何の用? 前に遇った時は深入りするなって忠告しておいて、いまはマリエルまで誘拐して──」
「マリエル君の件は成り行きだ。こちらの企みを思いの外、早く看過されてな」
「甘く見過ぎたわね。あの子、昔から悪巧みには鋭いのよ」
「そうだな。君が彼女の監視から逃れるために四苦八苦していたことを思い出すよ」
オレフは答え、エルマに近づく。
「君はユールヴィング男爵と合流するためにここに来たのだろう?」
「それで何? 邪魔しに来たわけ?」
「いや、止めるつもりはない。だが、伝えておくことがある。ユールヴィングは現在、ある双子と共に行動中だ。それは先代王の遺児である双子の兄妹だ」
エルマは眉を潜める。
「現王に代わる王家の人間がいるってこと? ずいぶんと重要なことをあっさりと喋ったわね」
「いずれ分かることだ。だが、重要なのはそのことではない。その双子の妹の方だ」
オレフはエルマを見据えた。
「その娘は人間ではない──古代文明の遺産である人造生命体だ」
エルマは表情を変えなかったが、その瞳はオレフの真意を読み取ろうとするように彼を捉え続けている。
「……また、とんでもないことをあっさりと喋ったわね」
「君ならいずれ分かることだからな。俺も直接、見たわけではないが〈ガラテア〉シリーズだろう」
「そんなネタばれしておいて、どうするつもり?」
「その娘を殺させるな。その事実が明るみになることを怖れる者も少なくない。邪魔をされては困る」
「あんたが殺されて困る理由は──?」
「いずれ分かる」
「そればっかりね。なら、こっちがその娘を人質にして、マリエルを返せって要求したらどうするの?」
「要求は呑まない。そうでなければ話はしない」
オレフが離れた。
「勝手な言い分ばっかね。だったら、せめて男爵の居場所ぐらい教えなさいよ。それだっていずれ分かることでしょう?」
「男爵たちの目的地はブランダルク東部の都市トリスだ。ただ、どの道を進んでいるかは知らん。後は君が調べろ」
エルマは立ち上がった。
「最初の質問の答えもまだよ。あんたの目的は何? 何を考えているの?」
オレフはエルマに向き直る。
「俺の目的は“機神”の更なる封印だ」
「現状では不満ってこと?」
「かつてルーヴェン=ユールヴィングは“機神”の復活を阻止し、中央王国への封印と傭兵という監視体制を作り出した。だが、それも万全ではない。それはすでに分かっているはずだ」
オレフもエルマの意思を読み取るように睨んでいた。
「フィルディング一族はフィルガス戦争での痛手から、“機神”の利用は極めて慎重だった。だが、ヒュールフォン=フィルディングの失敗を機に、そのタガが外れかかっている。ラングトンによる“機竜”を利用した計画もそうだ。いずれ、“機神”はさらに悪用され、新たな火種となるのは目に見えている。監視だけではなく、利用されないための更なる処置が必要なのだ」
「それをあんたがやるって言うの?」
「そのつもりだ。だからユールヴィング男爵と合流できたら伝えてくれ。もし“機神”を脅威に思うなら、こちらの邪魔をするな──とな」
エルマは答えなかった。
「話は以上だ。次に会う時は、“槍”とマリエル君を取り戻しに来る時かもな」
オレフも背中を向けると、部屋から出て行こうとする。
「本当にそれだけなの?」
エルマのその一言に、オレフは足を止めた。
「あんたが決意を固めて動いているのはうちにも分かるわ。でもね、あんたがそこまでするには、“機神”の更なる封印だけでは足りない気がするのよね」
「何が言いたい?」
「他に隠している目的があるんじゃないの?」
エルマの疑念の目がオレフを捉えていた。
オレフは目を閉じて苦笑する。
「そう思うなら、君の目で確かめるがいい。やはり姉妹だな。引き止めるまでの間といい、マリエル君とそっくりだ」
オレフは手にしていた銃をエルマに投げ返した。
エルマがそれを受け取ると同時に、オレフは部屋の外に出て行く。
慌てて後を追ったエルマだが、通路にすでにオレフの姿はなかった。
「どうかしたんですかい?」
物音を聞いて、向かいの部屋にいたアードとウンロクたちが出てくる。
エルマはしばらく何かを考えていたが、やがて二人に命令した。
「準備をして。男爵の居場所が掴めそうよ。いますぐに出発よ」
「いまからっすか!?」
「もう街の門は閉じてますぜ!」
「大丈夫よ。こういう時のために逃がし屋グノムスちゃんがいるのよ」
「いや、違うと思いますし……あまり良くないことに使うと後で姫様に何と言われるか──」
「男爵のためよ。後で男爵が怒られれば問題ないわ。さあ、二人とも準備する!」
二人はエルマの説得を諦め、出発の準備を始めた。
(あいつの言葉が確かなら、男爵復活も間に合うかもしれない。オレフ、どういうつもりかは知らないけど、いまは乗せられてあげるわ)




