暗躍する小さい影(2)
「ばあちゃーーん! “だんしゃく”とリーナおねえちゃん、かえってきたの!?」
《戦乙女の狼犬》亭に声が響き、階段から女の子が階段をかけ降りてくる。
「おはよう、フィー」
1階にいる祖母が声をかけた。落ち着いた雰囲気と品のある物腰の細身の女性だが、この酒場と孫娘の面倒を一人で切り盛りする女将である。
「昨日、フィーが寝た後に部隊が戻ってきたみたいよ。お出迎えできなくて残念だったわね」
孫娘がユールヴィング男爵とリーナ姫に懐いているのを知る女将は、ちょっと残念そうに告げた。
「でも、今日辺り、ここに来るかもしれないわね」
「ほんと!?」
「若様は気まぐれだから、分からないけどね。でも、いつでも来てもらえるようにしておくのが、わたしたちの仕事よ。朝ごはんを食べたら手伝ってちょうだい」
「うん、わかった!」
孫娘は元気よく返事をすると、自分の朝食が置かれたテーブルへと駈けていった。
「フィー、外のカゴを持ってきておくれ」
「どのカゴなのー?」
フィーは、店の奥にいる祖母に向かって大声で返事をする。
「小屋の隅に置いてある一番大きなカゴだよ」
「わかったー」
フィーは元気よく返事をすると、祖母のいいつけ通りにカゴを取りに行った。
表に出ると、小さな酒場の看板が目に留まる。
それには美しい乙女の姿が描かれていた。酒場の名前にもなっている“戦乙女”だ。フィーは看板にあるような凛々しく美しい戦乙女になるのを夢見ていた。
後、十年経てばなれると祖母たちは言うが、最近のフィーはそれに疑問を感じていた。
戦乙女は黄金の髪に碧玉の瞳をしているが、それに比べて自分の髪の色も目も普通なのだ。
(いいなあ、リーナおねえちゃん……)
リーナおねえちゃんの美しい髪や瞳はまさに戦乙女そのものだ。うらやましくなり、フィーは前に訊ねたことがある。
『どうしたら、リーナおねえちゃんみたいな戦乙女になれるの?』
リーナおねえちゃんは何故か、驚いたような顔をしたが、隣にいた“だんしゃく”が『冒険の一つや二つすれば、なれるんじゃないか』と何故か、腹を抱えて笑いながら答えてくれた。
「ぼうけんなんて、どうすればできるの……?」
フィーは(本人にとってみれば)大きな悩みを抱えながらも、とりあえず言いつけ通りにカゴを取りに行く。
庭の隅にひっくり返して置いてあるカゴを見つけると、フィーはそれを抱え上げた。
────
カゴの中に何かがいた。
それは“こびとさん”だった。
フィーの足ほどの小さな“こびとさん”が地面にうつ伏せに倒れていた。
トン
フィーはカゴを置いてそれを覆い隠すと、慌てて引き返す。
少しして、フィーはホウキを持って戻ってきた。
フィーは頭上でホウキを振り回す(真似をする)と、“だんしゃく”直伝の見得を切る構えをした。
「……」
前にも同じようなことがあった気がしつつ、フィーはホウキの柄をカゴに向けて伸ばす。そして、恐る恐るカゴを持ち上げた。
まだ、“こびとさん”はいた。
あごに灰色の髭を生やしており、おじいちゃんみたいだ。変わった服装にとんがり帽子をかぶっている。帽子の先は宝石みたいな丸石が飾りのように付いている。
まるで絵本で見た大地の妖精のようだった。
「……」
フィーはカゴをホウキで除けると、そのまま先っぽで妖精の帽子の宝石を突いた。
妖精がピクッと動き、フィーも思わず後ろに飛びのく。
しばらく見ていると、妖精のお腹がすさまじい音で鳴った。とてもお腹が空いているようだ。
「フィー、カゴはまだかい?」
店の中から祖母の声がした。
催促の声にフィーは妖精さんと店の方を交互に見ると、妖精さんを迂回しながらカゴを回収し、慌てて店内に持っていく。
しばらくして、皿に昨日の余り物のパンとチーズを載せてフィーは戻ってきた。
皿を少し離れた場所に置くと、ホウキを再び妖精に向けた。小さな服の背中にホウキを差し込むと、そのまま持ち上げ、皿の方へと移す。
パンの上に移した妖精は少し首をめぐらせたが、やがて食べ物に気づいたのか、顔を突っ込むようにパンをガツガツと食べだした。
フィーがその場にしゃがんでジッと見ている間に、妖精は皿のなかのものを全てたいらげた。身体より大きな量がよくお腹に入るのが不思議だった。
「フゥ……!?」
満腹になってひと息ついた妖精が、ようやくフィーの視線に気づいた。
「……見てた?」
妖精に言われ、フィーは正直にうなづく。
「……」
妖精は黙ったまま皿の上から降りると、小走りにこちらに近寄ってきた。そして、地面に手を潜らせ、何かを掴みながら引き抜いた。
「……おじょうちゃん、まあ、何もいわずにとっておきなさい。おいしいものでも食べるとええ。その代わり、このことは他の大人たちにはナイショじゃぞ」
妖精は周囲をキョロキョロと警戒しながら、自分が引き抜いた物を握らせた。
フィーはそれを目の前にかざす。それはとても小さな、しかしとてもきれいな紅い宝石だった。
「じゃ、そういうことでワシは失礼するよ」
妖精の身体が地面の中に潜り始める。
フィーは消えようとする妖精の帽子をつかんで引っぱり上げた。あっけなく引っこ抜けた妖精はフィーの顔の前で手足をジタバタさせる。
「な、なにをするのかね、おじょうちゃん!? この老いぼれからまだ、おこづかいをしぼりとろうというのかね?」
帽子に引っ付いて宙ぶらりん状態のまま妖精が手足を振りまわす。人形のようで見ていて面白かった。
「フィー、さっきから何をしているの?」
祖母の声がこちらに近づいてくる。
「うわっ!?」
フィーは反射的に妖精を放り投げると、お皿を懐に隠した。
ポチャン
妖精は井戸の横の水をはった桶に落ちる。
「どうしたんだい? いま誰かの声がしたみたいだけど?」
「しらなーい」
フィーは地面に指でお絵描きをしながら、知らないふりをする。
「……ォ~ィ…」
桶の方から微かに声がした。
「おや、いま声がしなかったかい?」
祖母が辺りを見回す。
「ううん、きこえなかった」
フィーは知らないふりをする。
「……ォ……」
また妖精の声がした。先ほどよりも弱々しくなっており、さすがにフィーも心配になっていく。
「そうかい? まあ、耳のいいフィーがそう言うんだから、気のせいかしらね。フィー、後でちゃんと手を洗いなさいね」
祖母には声はきこえなかったらしく、祖母は店のなかに入り、扉を閉める。
同時にフィーは慌てて桶の方へと走った。
「ようせいさん、だいじょうぶ?」
フィーが水の中に沈んでいた妖精をすくい上げた。水浸しの妖精さんはぐったりした様子だが生きてはいるようだ。
「……ワ、ワシは泳げないんじゃ……」
「ごめんなさい、ようせいさん。おばあちゃんにみつかったらダメだとおもったの」
フィーは服の裾で妖精の身体を拭きながら謝る。
「……おじょうちゃん、ワシのためにしてくれたのかね?」
妖精はフィーの懐から抜け出すと、フィーを見上げた。
「そうか、そうか。なら、あやまることはなないぞ。ワシの頼みをちゃんと聞いてくれたのだからな」
妖精は再び地面に手を入れると、今度は緑の宝石を取り出した。
「おじょうちゃん、名前はなんというのかの?」
「フィーだよ」
「フィーか。なら、フィーちゃん、お礼にもう一つ、これをあげよう。これで好きなおもちゃでも買うといいぞ」
妖精はフィーの手に宝石を握らせる。
「久しぶりの地上で、どんな人間がいるかと思ったが、良い子に会えてよかったぞい。まるで、プリムのような優しい──」
そこまで言って、妖精は取り乱したように頭を抱える。
「そうじゃ、プリムじゃ! あの子を早く見つけださねば!」
「プリムってだれ? そのこをさがしてるの?」
「そうなんじゃ! プリムは我が一族の最も若い娘でな。今回の地上の旅に連れてきたんじゃが、はぐれてしまっての! それで捜しているところだったんじゃ!」
妖精はそう言うと、再び地面に身体を沈め始めた。
「それでは、おじょうちゃん、さらばだ。この恩はワシの帽子の石が輝いているうちは決して忘れんよ」
地面から頭を出して妖精は礼を言うと地面に消えていく。
フィーは妖精の帽子をつかんで地面から引っぱりあげた。
「な、なんじゃ、おじょうちゃん!? まだ、おこづかいがたりんかったかね?」
宙ぶらりんで手足をジタバタさせる妖精に顔を近づけ、フィーは笑顔を向けた。
「さがすの、てつだってあげるよ」
「おじょうちゃんが?」
妖精はフィーのにっこりとした顔を見ると、考えるように腕組みをする。
「うーむ。確かにワシも地上は久しぶりじゃし、だいぶ世界も変わっておるからのぉ。案内がいてくれれば捜しやすいかもしれん」
妖精はうなづく。
「なら、手伝ってくれるかの? プリムを見つけてくれれば、お礼はたんまりさせてもらうぞ」
「いらない。ようせいさんといっしょのほうがたのしそうだもん」
妖精は驚いた顔をするが、やがて感動したように涙をこぼす。
「おうおう、なんて優しい子なんじゃ。神様、この出会いを感謝いたしますぞ……」
妖精は手で涙を拭くと、ぺこりと頭を下げる。
「ワシの名はダロムじゃ。よろしく頼む」
「じゃあ、ちょっとまっててね。じゅんびしてくるから!」
フィーは立ち上がると自分の部屋へと走っていった。
その胸のうちにあるのは、妖精を助けて凛々しく困難に立ち向かう、幼い戦乙女の姿だった。
そう、ついに自分にも“ぼうけん”のときがやって来たのだ。
「……ずいぶん、たまったな」
自分の城に帰還したマークルフを待っていたのは、書斎に積まれた傭兵ギルド発行の冊子の山だった。
マークルフは椅子に座ると、ギルドから献本されたそのうちの一冊を手にする。
傭兵の神と呼ばれた祖父の跡を継ぐ彼にとって、日々変化する傭兵たちの事情を全て把握することは重要な仕事だった。それを元に新たな戦いを演出し、彼らの生活を守らねばならないのだ。
「マークルフ様!! 大変です!!」
いきなり扉が開き、とても慌てた様子でリーナが部屋に飛びこんできた。
「ど、どうした、リーナ?」
珍しくノックも忘れるほどに取り乱す彼女に、マークルフも思わず戸惑う。
「大変!! 大変なんです!!」
冊子の山を押し退けて、マークルフの前に立ったリーナ。走ってきたのか、息をその場で整えながら、マークルフの肩を掴む。
「慌てるな。何があった? ゆっくり話せ」
只事ではない様子に、マークルフはリーナの手をとり、落ち着くように促す。
リーナはマークルフの手をとり、訴えるように言った。
「グーちゃんが家出してしまったんです!」
書斎が一瞬、静寂に包まれる。
「……家出?」
「はい!」
「グーの字が?」
「そうなんです!」
マークルフは無言のまま、リーナの手を彼女の方に戻すと、読んでいた本に再び目を通す。
「ほっとけ。よく知らんが、そのうち戻ってくるだろ」
リーナはマークルフの手から冊子を奪い取ると、机を迂回してマークルフの目の前に詰め寄る。
「そんな冷たいこと言わないでください!」
「だって、鉄機兵の家出なんて聞いたことないし……本当に家出か?」
リーナは思い詰めた表情をマークルフに近づける。
「昨日からマリエルさんの所に戻ってきていないんです! ちゃんと研究所で点検してもらうように言ったはずなのに──」
《グノムス》は古代の特殊な鉄機兵だが、先の戦いで損壊し、現在の技術では修理も難しい状態だ。そのために常に点検だけは欠かさないようにしていた。
リーナがオロオロした様子でマークルフの目の前で右往左往する。
「今まで勝手にどこかに行くなんてなかったんです! ああ! もしかしたら、いつまでも直らないことを苦にして──」
「まあ、落ち着け。グーの字、そんな繊細な奴じゃねえだろ」
「とにかく、一緒に捜してください!」
「捜せって言われてもなあ。地中を潜ってる奴、見つけだすなんて難しいぞ。待ってたらそのうち帰ってくるんじゃねえか」
現実的な提案をしたつもりだったが、リーナは途方に暮れたように顔を手で隠してすすり泣きを始めた。
「冷たいです、マークルフ様……マークルフ様だってグーちゃんがいないと困るじゃないんですか」
「困るねえ……」
困っているのはこっちだと思いつつ、マークルフはとりあえず考えてみる。
確かに《グノムス》がいなければ、“黄金の勇士”としての活動もやりにくくなる。
そうだ。なにより一緒に《グノムス》に乗って撤退する時の“やむを得ないスキンシップ”(何度も言うがわざとではない)がなくなってしまうではないか。いや、このまま、機嫌を損ねるとこの前みたいに置いてきぼりにされるかもしれない──
「……分かった。一緒に捜してやるよ。まあ、何とかしてやる」
リーナは顔を上げると、満面の笑顔でマークルフに抱きついた。
「ありがとうございます! やっぱり、マークルフ様にお願いしてよかったです」
自分の打算にここまで純粋に喜ばれると、かえって悪い気がして、マークルフは少し途惑う。リーナはそれに気づき、自分が抱きついているのを見て、慌てて離れる。
「ご、ごめんなさい! 最近、鎧になっていることが増えたので、つい、なれなれしくなって──」
「なに、気にするな。それだけグーの字のことが心配だったんだろ」
顔を真っ赤にするリーナにマークルフは笑いつつ、心の中では思わぬ役得に拳を握るのだった。