暗躍する小さい影(1)
「ユールヴィング男爵! 再び“黄金の勇士”が現れましたが!」
迎えに来たログたちと共に街に戻ったマークルフを待っていたのは、複数の傭兵ギルドの記者たちと、多くの野次馬だった。
傭兵ギルドは傭兵部隊の編成や仕事の斡旋などを行う互助組織である。特に傭兵たちについての情報を定期的に発行する冊子は一般にも売れており、各ギルドは独自の情報網を築いているほどだ。それゆえに大きな事件にはあっという間に記者たちが殺到する。
「“勇士”は閣下が所持される槍を使っていたという話ですが──」
「ああ、また俺の槍を勝手に使いやがって! そんなに使いたかったら手土産持って頭下げに来いっていうんだ! 高い使用料払えるなら考えてやる!」
キレ気味に答えながらマークルフは早足で館の敷地を歩く。記者たちはメモ等を手にそれを追う。
「本当のところ、その正体は閣下ではないかと言われていますが? 元々、“勇士”の鎧はユールヴィング家の家宝《アルゴ=アバス》に酷似していると──」
マークルフが不機嫌さを露わに質問した記者を睨みつける。その迫力に記者も思わず言葉を濁す。
家宝の《アルゴ=アバス》は現在、大破しており修理もできない有様だ。それについて触れるのは禁句なのだ。
「話はここまでだ。俺も忙しいんでな」
マークルフはさらに足を速めると、館の中へと入った。その前に部下たちが立ち、記者たちの壁となったのだった。
「……早く話を切ってくれて助かったぜ」
館の扉が閉まると、マークルフは中で待っていたログに言った。
「後で礼を言っといてくれ。後はまかせる」
「承知しました」
あの取材攻勢も一種の芝居だ。ギルド側も噂の存在について取材をしないといけないがその秘密に触れてはいけないのは暗黙の了解となっている。だから禁句を言って取材をわざと終わらせる打ち合わせになっていた。今回は予想外の事態が重なったため、ベテランの記者が気を利かせてくれたのだろう。
「ログ、リーナはどこにいる?」
「はい。先ほどグノムスに乗って戻っておいでですが──」
「先ほど? ずいふんと遅い帰りだな……機嫌はどうだった?」
「特に不機嫌なご様子はございませんでしたが、何か?」
「いや、何でもない。後で軟膏を持ってきてくれ。しばらく休む」
マークルフはそう言うと、トボトボと階段を上がっていった。
とある城の一室に、その老人はいた。
安楽椅子に揺られながら、窓の外の景色を眺める彼を夕日が照らす。蓄えた白いあご髭と白の長衣が紅く染まり、その袖から伸びる枯れ木のような手を胸の前に組んでいた。
老人は目を閉じ、楽士の奏でる弦楽器の音色と、歌姫の美声に耳を傾ける。椅子が揺れなければ、生きているのかすら疑問に思えるほどに、老人は静かに座っていた。
部屋の扉がノックされた。
老人はしわがれた顔の間から瞼を上げると、楽士らをねぎらうように小さく拍手をする。
楽士と歌姫はたった一人の観客に深く一礼すると、静かに扉を開けて退室する。
彼らと入れ替わるようにして入ってきたのは、豪奢なドレス姿の少女だった。赤みがかった亜麻色の髪を耳元を残して結い上げ、その固い表情には感情は乏しく見えるものの、吊り上がった双眸には毅然とした意志を感じさせた。
「お邪魔して申し訳ありません、お祖父様」
老人はシワを刻むように笑みを浮かべた。
「この爺がそなたを邪魔に思ったことがあったかな?」
少女は何も言わぬまま、老人の傍にやって来る。
「……お祖父様、一族の者が動き出したようです」
少女は固い表情のまま、そっと告げた。
「お祖父様が予見された通りです」
「そうか」
老人は軽くため息をついた。
「こういう時こそ下手に動かず、機をうかがうのが肝要と思うが……ヒュール坊が上手くやってくれていたらのう」
残念そうに老人は首を横に振った。
「この老体に鞭打つような事態にならねばよいがのう」
少女は少しだけ前に進み出て、老人と向き合う。
「ユールヴィング男爵のことでございますか?」
「そうじゃな。あの“戦乙女の狼犬”に嗅ぎつけられてはちと厄介よの」
老人は困ったようにポリポリと頬をかく。そして、再び椅子に深く背を預けて、思案するように目を閉じる。
少女はその姿を静に見守っていた。
「……エレナや。いつか機会があったら、一緒にその狼犬に会ってみないかね?」
今まで表情を崩さなかった少女が微かに戸惑いを見せた。
「爺も何回か会ったことがあるが、面白い若者じゃよ。そなたも一度は目にしておくとよかろうて」
「……ユールヴィングは我ら、フィルディング一族の敵でございます。あの者がいなければヒュールフォン様もあのようなことにはならなかったと聞いております」
孫娘の厳しい口調すら可愛いかのように老人は微笑する。
「だが、敵を知ることも悪いことではない。そなたも気に入るかもしれんぞ」
「お祖父様、まるでユールヴィングをお気にされているような口ぶりですわ」
「そうかもしれん。“戦乙女の狼犬”とは先代からの因縁じゃが、それも過ぎると情が湧くのかもしれんの」
老人はシワの奥の目で孫娘を見つめた。
エレナは真顔に戻ると、やがて小さく頷いた。
「承知しました。その時はお供いたします。お祖父様がそこまで仰る方、私もこの目で見とうございます」
老人は満足そうに目を細める。
「そうか。なら、もう少し成り行きを見守るとしようて──さて、どうなることやらの」
老人は決めていた。今度の争いを通してフィルディングとユールヴィングのそれぞれの真価を見極める事を──
それが、フィルディング一族の一員として骨肉の争いを生き抜き、いつしか最長老と呼ばれるようになっていた自分の役割であるのだ。
「……うーむ、思っていた以上にひどいな」
自室のベッドにあぐらをかきながら、上半身裸のマークルフは鏡で自分の背中を確かめる。背中は赤く腫れており、痣もそこかしこに目立ち始めていた。
マークルフは軟膏を指ですくって背中に塗ろうとするも、なかなかはかどらなかった。
「男爵様、食事をお持ちしました」
扉の向こうから声がした。
マークルフが許可すると、タニアが食事を載せたトレーを持って入ってくる。
「うわっ!? どうしたんですか!? その背中は?」
タニアが思わず声を上げる。
「見ての通りだ。この際、お前でもいい。薬を塗ってくれ」
「……ェ~」
「聞こえているぞ」
「えーと、この後、ログさんにも食事を持っていくんで誰か他の人にお願いしてください」
「それこそ、他の奴に持っていかせろ」
「……」
タニアからの返事はないが、露骨に嫌そうな顔をしているのは背中越しでも手に取るように分かる。タニアがログにべた惚れなのは知っていた。だが、誰の命令が優先かは主人としてはっきりと示しておかなければならない。
「そうだ、姫様はどうされているのですか?」
「お前には関係ない」
「ええと! そうそう、マリーサさんなら手当てはお上手ですよ」
「城に帰るまで放っておけというのか」
「……」
返事の代わりに殺意らしきものが背中に刺さるが、いまの背中の痛みに比べれば全然、平気だ。
主人と侍女の無言の戦いに部屋が静まりかえるが、やがて、タニアのすすり泣きが聞こえだした。
「や、やはりあたしにはできません! 一応、ご主人様のご命令とはいえ、そんな“ぷれい”なんて恥ずかしくてとても──」
「誰もてめえにそんなの求めてねえ! もういい! とっととログのとこにでも行け!」
「分かりました! ログさんに食事を運んで来ます!」
振り返ったマークルフが怒鳴ろうとするが、すでにタニアは足取り軽く部屋を出ていった後だった。
「……いい根性してやがるぜ」
マークルフは呆れ果てるとベッドにうつ伏せに倒れた。
「みんな薄情者め……」
ベッドの横の台に置かれた食事が目に入る。芋のにっころがしと鶏ガラのスープとほうれん草炒めだった。
「……ログの好物ばっかりじゃねえか」
マークルフは何だか食べる気もなくなり、枕に顔を埋める。
ドスッ
「のぉあああッーーー!?」
急に背中に何かが乗っかり、マークルフは痛さに思わず仰け反る。
「な、何だ!?」
マークルフはしらみつぶしに部屋中を見渡す。猫かネズミのいたずらかと思い、ベッドの下などまで隅々まで探すが、そんな姿はどこにもなかった。
「……ああ、まったく、今日は本当にツいてねえな」
マークルフは再び枕の上に倒れる。
「……んッ?」
いつの間にか目の前の食事の量が減っていた。芋が何個か消え、スープも減り、ほうれん草だけ残っていた。
マークルフは顔だけ上げてもう一度、部屋中を見渡すが、やはり何も見つからなかった。
(……もう、いいや)
どうせ、いまいち食べる気もしなかったので、もう放っておくことにした。
そうしていると、やがて鶏ガラのスープが勝手に減りだしたのに気づく。
(何だ!?)
少しずつだが、スープは底から抜けているようだった。陶器の皿に穴でも開いているのだろうか。いや、そんなはずはない。
(……)
マークルフは静かに腕を伸ばすと、勢いよくスープ皿を持ち上げた。
「……」
皿の下のトレーに小さな女の子の顔が浮かんでいた──ような気がしたが、瞬きした時にはその姿は何もなくなっていた。
「……」
マークルフは皿を置くと、今度は素早くトレーを持ち上げる。
しかし、その下にあるのは木製のテーブルだけだった。
マークルフは身体を起こすと、テーブルの前に立つ。
疲れからの幻覚と思うが、何かひっかかるような気がしてならない。そして、そういう勘は鋭いことも自負していた。
徹底的に確かめるべく、マークルフはテーブルの引き出しを開けようとする。しかし、何かが引っかかっているのか、簡単には開かない。
「……」
引き出しをもう少し強く引いてみる。すると抵抗が少しだけ増したような気がした。
マークルフは力を入れながら少しずつ引っ張ってみる。引き出しは開けられまいと抵抗するが、徐々に引っ張られていく。
「……何をされているのですか?」
マークルフが慌てて振り向くと、扉の隙間から顔を覗かせるリーナの姿があった。
「い、いや、その、なんだ!? そう、プロの傭兵たる者、例え机相手でも戦いを演出できるぐらいでならないとな!」
自分でも何でこんなに慌てて意味不明なことを言っているのか疑問に思いつつ、マークルフは弁明する。
リーナは怪訝そうな顔をするが、とりあえずは納得したようだ。されるのも少し不本意だったが。
「それより、何の用だ?」
「背中にお薬を塗って差し上げようと思いまして」
「……本当?」
「お邪魔なら、失礼いたしますわ」
「いや、待って! ぜんぜん邪魔じゃないから! むしろ、お願いします!」
引き返そうとするリーナの腕を取り、マークルフは彼女を部屋へと引きずっていった。
「すまねえな、リーナ」
「いいえ。お背中を強く打たれたのは私が一番、承知しておりますから」
リーナは仕方ないような口調で言うが、背中に薬を塗る指の動きは優しく、本当に気遣ってくれているのが伝わってくる。
「なあ、さっきの骸骨の件だが、もう一度、詳しく聞かせてくれねえか」
マークルフが訊ねると、リーナの指が一瞬、止まったが、また背中をさすり始める。
「私も聞いた話ですので確かかは分かりませんが……あれはもしかしたら〈竜牙兵〉かも知れません」
「〈竜牙兵〉──それもエンシアの遺産なのか」
「はい」
古代文明については詳しいマークルフだが、その話は聞いたことはなかった。
だが、リーナは古代エンシアから時を隔ててこの時代に目覚めた最後の王女だ。マークルフは彼女の話を信じ、続きを促す。
「古代エンシアには“機竜”と呼ばれる兵器が存在しました」
「“竜”を古代文明の力で再現したって奴だな」
“竜”についてはマークルフはもとより、一般でも知られる伝説の魔物だ。
古代に君臨していたが、“神”の軍勢との戦いに敗れ、エンシアよりも以前の時代に滅びたとされている。その後、“闇”の魔力でエンシア文明が栄えたが、“神”を否定したエンシアが“竜”の力に目を付け、兵器として復活させたのもある意味では必然だったであろう。
「はい。その“機竜”にも様々な階級がありましたが、その頂点に立つのが〈甲帝竜〉と呼ばれる階級でした」
「それとあの骸骨と関係があるのか」
「はい。〈甲帝竜〉には他の“機竜”にはない能力がありました。他の魔導機械から魔力を奪い、それを無力化すると同時に自らの力として取り込むのです。その役目を果たしたのが、〈甲帝竜〉から生み出された骸骨型の〈竜牙兵〉だと聞いたことがあるのです」
マークルフは思い出す。そう考えれば骸骨の行動も理解できる。
最初にマークルフの前に現れたのは、おそらく自分の胸に埋め込まれている“心臓”を狙ったのだ。その後にログに狙いを変えたのは、持っていた魔法剣の魔力のせいだろう。
「なるほど、確かに鼻もないのに大した“嗅覚”だった。あんなのに取り付かれたらエンシアの機械なんてすぐに無効化されてしまうな」
「はい。確かに他の兵器に対して圧倒的な優位に立っていました。しかし、その〈甲帝竜〉も自律行動型の兵器でした。そのため、《アルターロフ》が暴走した際、逆に向こうに支配されてエンシアを滅ぼす兵器と化してしまったのです」
リーナの指がまた止まる。
エンシアを滅ばした“機神”は、元は文明全体に必要な魔力を供給するために造り出された巨大な動力機関だった。そのためにエンシアの魔導機械とリンクする能力を持ち、暴走の時には疑似知能を持つ相手を意のままにコントロールする力まで身につけていた。そのため、エンシアは自らの文明に滅ぼされたとも言えた。
リーナはその惨劇を目の当たりにした唯一の生き証人でもあるのだ。
「……すまなかった。リーナの不安をもっとちゃんと聞くべきだった」
リーナはまた指を動かす。
「いいえ。まだ確かとは言えません。私だってエンシアの兵器を全て知っているわけではありませんから──」
「帰ったらマリエルに訊いてみよう。あいつは“機竜”について詳しいから何か分かるかもしれん」
「マリエルさんは科学者ですから、何かご存じかも知れないですしね」
マークルフは昔、マリエルから彼女の故郷の話を聞いていた。
彼女の故郷は“機竜”と関わりが深い。他の者よりも“機竜”について詳しいだろう。
だが、まだそれはリーナには話さなかった。
もし、それが本当なら楽観できる話ではなくなってくるかもしれないのだ。
マークルフは目を閉じ、いまはこの至福の時に身を委ねることにした。
ついでにその脳裏からは、謎の食事泥棒のことはすっきり消えていた。