壊したくない絆
「うぅ……酷い目にあったっすね」
「ああ。悪い予感はしてたがな」
アードとウンロクは城の通路に置いてある長椅子の上で、互いの傷に薬を塗り合っていた。
「それにまだ終わってないぜ。これが姐さん代理の耳に入ったら――」
「あ、あばらの一、二本は覚悟しないと駄目ですかね?」
顔を蒼白にし、身震いする二人。
そのマリエルが通路の向こうから歩いてくる姿が見えた。
「そこにいたの?」
マリエルの声に二人は瞬く間に床で土下座する。
「す、すみません! 所長代理!」
「お、俺たちは反対したんですが、男爵の権力には逆らえませんで――」
「……男爵はどこにいるの?」
「じ、自分のお部屋っす!」
「姫様たちも一緒でさぁ!」
戦々恐々でひれ伏す部下たちの間を、マリエルが無言で通り過ぎていった。
床に額をこすりつけてそれをやりすごしたアードたちは、互いに戸惑った顔を向ける。
「……何もなかったっすね」
「……だな」
「ゆ、許してくれたんですかね」
「いや、わからんで。もしかしたら、ここではできんほどの凄惨な仕置きが待ってるかもしれん」
「所長のところに逃げましょうか」
「無理だろ。あの姐さんだって代理からの逃亡には苦労してたんだ。俺たちごときじゃ到底、高飛びなんて成功するわけねえ」
極刑を待つ罪人のごとく、二人は絶望に打ち震えるのだった。
「失礼しま――」
男爵の部屋に入ろうと扉を開けたマリエルが目にしたのは、三人の娘に囲まれて正座させられているマークルフの姿だった。
「これはどういうことなのか、ちゃんと説明してください!」
「フィーのともだちなんだからね! イジワルしたらダメ!」
「グーちゃんに悪いことさせるなんて、あんまりです!」
男爵を追及しているのは姫様(戦乙女)と幼女と妖精の娘という、なかなかお目にかかれない組み合わせだ。
さすがの男爵もこの包囲網に相当、疲れた様子を見せている。
「いや、その……俺はただ、家宝の鎧(アルゴ=アバス)を修復したくてだな」
「だからといって、こんなことが許される訳ないじゃありませんか! 私(黄金のアルゴ=アバス)というものがありながら、こんなことをされるなんて悲しくて……悲しくて――」
涙をにじませるリーナに、フィーとプリムがすさまじい剣幕を見せる。
「リーナおねえちゃん、なかせた!」
「女の人を泣かせるなんてサイテーです!」
プリムについてはここに来る前にログ副長から話は聞いていたが、やはり初めて見る妖精の姿には驚かされる。会話を聞いている限り、伝承通り人間並の知能と人格を持っているようだ。
リーナがプリムを両手ですくい上げた。
「プリムちゃんたちはグーちゃんを直してくれた親切な妖精さんなんです! しかもフィーちゃんのお友達なんですよ! この子たちにだけでもちゃんと謝罪してください!」
「リーナおねえちゃんにもあやまって!」
「じいじにもあやまってほしいです!」
「す……すみませんでした」
修羅場の中心で土下座する男爵。
マリエルはさすがに気の毒に思いつつ、部屋に入った。
「失礼します。フィーちゃん、女将さんが迎えに来てるわ。帰りましょう」
マリエルはその場に屈み、フィーの手を握った。
「え~~」
「フィーちゃん、男爵のことはもう怒らないであげて。男爵も姫様のことが大好きだから、仕方なくやったことなのよ」
「えッ?」
リーナがきょとんとした表情を浮かべた。
「マリエルッ、勝手なこと言うんじゃねえ」
マークルフがその場にあぐらをかく。
マリエルは苦笑すると立ち上がり、フィーの手を引く。
「さあ、行きましょう」
「でも……」
リーナがフィーの背中に手を添える。
「フィーちゃん、女将さんを心配させたらいけないわ。マークルフ様にはちゃんと言っておくから、ね?」
不満と興味の目をしたフィーだったが、リーナに諭されると黙ってマリエルに連れて出て行く。
「おやすみ~、フィーちゃん」
プリムが手を振って見送った。
(マリエルめ、余計なことを……)
妖精娘が手を振る横でマークルフは頬杖をつく。
その前にリーナが立ち、あぐらをかく彼と目線を合わせるようにその場に膝をつく。
「マークルフ様、マリエルさんがいま言ったのは――」
「さあな」
マークルフはそっぽを向く。
リーナが横に移動し、再びマークルフと向き合う。
「また、私に隠し事をされているのですか?」
「知らねえな」
マークルフは反対方向に顔を向ける。
「男爵さん! リーナ姫とちゃんとお話ししないとダメです!」
足元でプリムがピョンピョンと飛び跳ねて抗議する。
マークルフは黙ってプリムを空中で掴み取る。
そして立ち上がると机に置いてあった菓子箱の蓋を開け、妖精娘を詰め込む。
「な、なにをするです――」
マークルフは蓋をすると揺すって妖精娘とお菓子を混ぜ、菓子箱を置いた。
菓子箱だけが抗議するようにガタガタと動く。どうやら菓子は通り抜けられないらしい。
「マークルフ様!? また、そんな意地悪なことをして――!」
リーナが慌てて箱を開けてプリムを助け出すが、マークルフはその間に部屋を出ていた。
城から出たマークルフは敷地内にある小高い丘にいた。
その上にあぐらをかき、天にそびえる半月を見つめていた。
(こっちの気苦労も知らないでよ)
マークルフはため息をつく。
仕方ないのも確かだ。そもそも、こちらが何も伝えていないのだ。
マリエルがああ言ったのも、そろそろ本当のことを伝えるべきだと思ったからなのだろう。
(それは分かってるさ。だけど――)
その時、背後に人の気配がしてマークルフは振り向く。
そこにはリーナが立っていた。
「やっぱり、ここでしたね」
「まるで分かってたような言い方だな」
マークルフは月に視線を戻す。
「亡き先代様に叱られた時、よくここで反省してたって聞いていましたから――」
リーナがそう答えると、足を崩してマークルフの隣に座った。
「素直になれないけど本当は何か言いたい時は、いつもここに居てお祖父様が来てくれるのを待ってたって――」
「誰が言った? さては女将か?」
「さあ、誰でしょうか」
リーナがとぼけるように首を傾げた。
「……もう、いい。おまえは祖父様じゃねえんだ。戻ってろ」
「私は戦乙女です」
微妙に噛み合っていないが、リーナが真面目に答える。
「いちおうな。見た目ぐらいしか説得力ないがな」
「そして、マークルフ様は《戦乙女の槍》に誓ったことは決して約束を違えない方です」
「それだって嘘かもしれんぞ」
リーナがまっすぐにマークルフを見つめた。
「ですから、私を《戦乙女の槍》だと思って、本当のことをおっしゃってください」
「どちらかといえばリーナは“鎧”だろ?」
「でしたら家宝の鎧だと思って、同じように嘘をつかないと誓ってください」
「勝手に人の誓約を修正すんじゃねえ!」
マークルフは言ったが、リーナは退くことなく静かに見つめ続けた。
口喧嘩なら負けないが、その澄んだ瞳の前にはマークルフも意地を張り続けることができなかった。
マークルフは月を見上げた。
いや、来たるべき決戦の舞台となる空を――だ。
「リーナ……今度、戦う相手は空の向こうにいる“機竜”だ」
「はい。あの兵器の強さは私も知っています。危険な戦いになることは承知してます」
「できるなら、その戦いには本物の《アルゴ=アバス》を使いたかった」
「そのために、あんなことをされたのですか?」
リーナが両手でマークルフの左手を掴む。
「そこまでしなくとも、私がいるじゃありませんか! 私が《アルゴ=アバス》となって一緒に戦います。今までだって、そうしてきたじゃないですか」
「今度はいままでとは違うんだ」
マークルフは静かに答える。安心させようとする彼女の手の温もりが、いつになく儚く感じられた。
「“機竜”との戦いは遙か上空――間違いなく“聖域”の影響が及ばない場所となる」
マークルフは月明かりに照らされる暗雲を見つめる。
「リーナが“鎧”になっても元に戻れるのは“聖域”の影響があるからだ」
リーナが《アルゴ=アバス》に身を変えることができるのは、それが彼女の選んだ勇士であるマークルフの“武器”だからである。
戦乙女の力は自らが選んだ勇士の“武器”に身を変え、勇士を護るために存在する。ただ、本来は武器に身を変えた戦乙女は元に戻ることができない。
それが元に戻れるのは“光”の属性であるリーナが“闇”の属性となる古代エンシアの強化鎧に変身する矛盾――そして、“均衡”の極地である“聖域”の影響下にあるからだ。
「リーナが“鎧”となったまま“聖域”の外に出てしまえばどうなるか……それは誰にも分からない。もしかしたら、もう二度と元に戻れなくなるかもしれない」
リーナは黙っていた。
マークルフも動揺しているだろう彼女の表情を確かめることはできなかった。
だが、彼の左手を握っていたリーナの手に力がこもる。
それは不安や力みではなく、マークルフを安心させようとする静かなものだった。
「そうだったのですね……ごめんなさい。私ももっと早く気づいてあげられたはずなのに、苦しませてしまいました」
リーナがそう言うと、おもむろにマークルフの肩に頭を乗せた。
「でも、嬉しい――ありがとう」
飾り気のない素直な言葉に、マークルフは自分を忘れるほどに彼女の身体を感じていた。
「……怖くないのかよ?」
「ええ。怖いです」
呼吸を感じるほど近い彼女の顔がこちらに向けられる。
「どうなるか分からないなら、私を装着するマークルフ様も危険かもしれない。その方が心配ですわ」
「あのな……自分の方を心配しろよ」
マークルフはぶっきらぼうに告げた。この後に及んでも自分の身を案じてくれる彼女に喜びに似た感謝をするが、それに甘えるわけにはいかなかった。
「リーナがいなければ一年前の戦いで俺は“機神”に殺されていた。それに、リーナをいまも戦わせるしかできずにいる。だから、せめて俺のことは構うな」
そう、戦いに彼女を巻き込んでいるのは自分なのだ。
「それはお互い様ですわ」
リーナがまるでからかうように微笑む。
「マークルフ様が“機神”から私を助けてくれた時のこと、覚えてますか?」
「あんな戦い、忘れられるかよ」
「ぎりぎりまで私のことを助けてくれようとして――でも、それも叶わない状況になった時、マークルフ様は“機神”の暴走を止めるために私に刃を向けました」
マークルフは答えなかった。
その通りだ。この身を犠牲にしても彼女を助けたかったが、力尽きる寸前で選択したのは自ら彼女を手にかけてでも“機神”を止める使命の方だった。
「私はそんなマークルフ様だからこそ、この身を捧げてもいいと思えました。だから、あの時に《アルゴ=アバス》に身を変えたのです。結果的に元に戻れましたが、いまもそれは変わっていません。私の命はあの時にマークルフ様に託したままなんですよ」
「……託されても困る。本当に手にかけられたか、正直、分かんねえんだからよ」
「大丈夫です。マークルフ様はいざとなったら、ちゃんと止めを刺せる方ですわ」
「そんな褒め言葉があるか!」
マークルフは次の句が出ずに肩を落とした。
リーナもまた、何も言わずに静かに寄り添い続ける。
「……もう離れろ。しまいには襲うぞ」
「襲いたいんですか?」
「おまえは男のことをよく分かってない」
「ご心配なく。殿方のことは分からなくとも、マークルフ様のことならよく分かりますから――」
「俺はいったい、何なんだよ」
マークルフは途方に暮れたように真上を向いた。
子供の頃、迎えに来た祖父と仲直りし、いつも一緒に見ていた夜空を思い出す。
(忘れてたよ、祖父様――こんな景色を見るなんて、もうないと思ってた)
そして、マークルフは初めて思った。
ユールヴィングの名を捨てても戦いたくないと――
だが、自分は“狼犬”と、そして戦乙女の勇士の役を演じ続けなければならないのだ。
この“聖域”という舞台と、それが封じる“機神”が存在する限り――
二人はもう何も言わなかった。
ただ、握られた手だけは離れることはなかった。




