忍びくる刺客(4)
「お祖父様、お目覚めでございますか?」
フィルディング一族の最長老と呼ばれる祖父の部屋に孫娘エレナが姿を現す。
老人は豪華な天蓋付きのベッドの上で上半身を起こしていた。
「おはよう、エレナ。起こしに来てくれたのかね」
老人は顔中にシワを刻むように笑みを浮かべる。
「おはようございます、お祖父様。すでにお目覚めでしたら、お呼びくださればよろしいのに――」
「年寄りの早起きに付き合わせるのも悪いからの。それに、そなたが起こしに来てくれんと目が覚めた気にならなくての」
「いまから、お着替えと朝食のご用意をいたします」
エレナは祖父にしか見せない自然な笑顔で応えると部屋を出ようとする。
だが、その途中でふと彼女が足を止めた。
「……何か、あったのかね?」
老人から笑顔が消えた。だが、落ち着きのある態度はそのままで孫娘の姿を見守る。
エレナはしばらく、その場に立ち尽くしていたが、やがて老人の方に近づき、そっと囁く。
「……動きだしました。お祖父様が危惧された通りのことが起こりそうです」
「やはり、“狼犬”相手に簡単にはいかなかったようじゃな。しかし、そこまで派手な行動をとれば、後で面倒な事態になるかもしれんと分からぬわけではあるまいに――」
「“戦乙女の狼犬”さえ始末すれば、後はどうにでもなるとお考えなのでしょう」
「“機神”とは恐るべきものだな。ただ、存在するだけで人を危うい方向に進ませようとする……」
老人は胸の前で手を組み、少し思案するように目を閉じる。
その傍らで孫娘が見守っていたが、やがて老人は目を開いた。
「“狼犬”も可能性は考えているかもしれんが、さすがに事前に察知するのは厳しかろうな」
老人は手近にあったペンと用紙に手を伸ばすと、それに何かを記し始めた。
「エレナ、知っているかね? 傭兵たちは遠方の相手と連絡をとるのに光を利用した暗号を用いていての」
「それがその暗号なのですか?」
「もっとも、暗号は頻繁に変えているからの。儂の知っているこれは、おそらくは通用せんじゃろう」
エレナは黙っていた。祖父の考えが分からずとも、それを疑うことはない。
「エレナ、これをゼムに渡しておくれ。傭兵上がりのあの者なら上手くやってくれるだろう」
老人に紙を渡されたエレナは、それを大事に懐にしまい込んだ。
「これが届くかどうか――そして、若き“狼犬”がどう動くか――試してみることにしようて。頼んだよ」
「かしこまりました。さっそく――」
エレナは足早に退室する。事は一刻を争うかもしれないからだ。
一人となった老人は朝日が漏れる窓を見つめる。
「“機神”に運命を託せば、待つのは滅び――ルーヴェン=ユールヴィングよ。そなたの忠告通りになるわけにはいかんからの」
一人、たたずんでいたマークルフの許にログが姿を現した。
近くに倒れて絶命している部下の姿を見てもログは表情を変えなかった。
「……終わったぜ。後は捕まえた連中から、どれだけ情報を引き出せるかだな」
「これより城の地下で尋問を開始するところです。それより、気になることが――」
マークルフは疲れたように首をほぐすと、いつもの飄々とした態度に戻る。
「今度は何があった?」
「出所が不明の暗号が届きました」
「何だ? それは?」
マークルフは怪訝な表情を浮かべる。
「信号の発信の仕方などは我らの情報網で使うものに間違いないのですが、その内容が意味不明なのです」
「出所も内容も意味不明か。怪しすぎて罠にもならないぜ。それとも悪ふざけか」
「そう思いましたが、一応、内容は記録しております」
マークルフはログが差し出した紙を受け取り、目を通した。
無駄な労力かも知れないが、どんな小さなことでも情報として漏らさないようにすることが祖父から叩き込まれた処世術だ。ログがわざわざ記録して伝えに来たのもそれを知っているからだ。
紙には光の明滅を用いた信号が記録されていた。
反射鏡を用いて遠方の相手に手早く内容を伝えるためのものだ。
確かに信号の内容は現在の暗号形式にはまったく当てはまらない。機密保持のために暗号は常に改訂しているが、ここまで違っているとただのデタラメを疑うところだ。
しかし、ただのデタラメではないと自分の勘が伝えている。
(そうだ、祖父様の資料を整理する時に――)
マークルフは先代の死後、その跡を継いだ際に祖父の遺した資料を一つ残らす目に通していた。記録の暗号も、その時に見た祖父の時代の暗号に似ている。
(いつの時代のを使いやがる……俺が解けるか、試そうってのか)
マークルフは記憶を頼りに暗号を解読していく。
そして、マークルフはその暗号の意味を知った瞬間、上空を厳しい顔で見上げた。
「ログ! すぐに城にいる者たちを避難させろ! いや、街の住人たちもだ!」
「閣下、何が――」
マークルフは記録の内容をそのままログに告げる。
「『“竜”が真上に来ている』――急げ!」
マークルフの全身に光の紋様――リーナを呼ぶための《アルゴ=アバス》の装着信号が発動する。
暗号の出所は不明だが、本当ならば疑っている暇はない。
最も恐るべき刺客はすでに接近していたのだ。
「――マークルフ様!?」
城の自室で寝台に座っていたリーナが立ち上がる。
「姫様、どうかされたのですか!?」
一緒にいたタニアは慌てて薙刀を構え直す。
「マークルフ様が呼んでる……行かないと!」
「呼んでるって、男爵はまだ戻って来てな――姫様!?」
リーナが部屋を飛び出した。近くに控えていた番兵たちの制止の声も振り切り、通路を駆け抜けていく。
追いかけるタニアと番兵たちが顔を合わせた。
「おい、姫様に何があったんだ?」
「分かんないわよ! よく分かんないけど、たまに姫様にしか聞こえない男爵の声が聞こえるみたいなのよ!」
「しかし、ドレス姿で意外と足が速いよな」
「感心してないで姫様を止めてよ! まだ賊がどこかに潜んで――」
その時、城の近くの鐘楼から鐘が打ち鳴らされるのが聞こえてきた。
「今度は何なのよ!?」
けたたましく鐘が鳴り、完全に取り乱したタニアは辺りを見渡す。
「こいつは……避難命令じゃねえか!?」
「何か起こったのか!?」
「もう! 本当に何がどうなってるのよ!? どうすりゃいいのよ!」
頭を抱えるタニアの両腕を番兵たちが掴むと、彼女を引きずるように駆け出す。
「とりあえず避難だ! 何か、やばそうだ!」
避難誘導をログに任せると、マークルフはリーナと一刻も早く合流するべく城へと駆ける。
すでに召し使いや兵士たちの慌てている姿が目に留まる。
空の様子を気にして視線を上に向けたマークルフは、こちらに何かが落下するのに気づき、慌てて足を止めた。
その行く先に二つの鉄の球体が落下し、その姿が鋼の骸骨となった。
あの時に見た〈竜牙兵〉だ。〈甲帝竜〉の牙から生まれるという鋼の魔法人形たちは、マークルフに一斉に飛びかかった。
「クソッ!?」
骸骨たちは鋼の見かけとは裏腹に身軽な動きで襲いかかるが、マークルフは手にした《戦乙女の槍》で骸骨たちをはじき飛ばし、その間をすり抜けた。
マークルフも信号の発動と同時に“心臓”からの魔力を受けて身体能力が一時的に向上していた。
だが、骸骨たちをかいくぐったマークルフの前に新手の〈竜牙兵〉が二体、空から降り立ち、行く手を阻む。
「――そういうことか!」
自分の放つ装着信号が魔力を求める〈竜牙兵〉を引き寄せていると気づき、マークルフは信号を止めると骸骨のいない方向に逃げた。
全身から魔力の紋様が消えて身体能力も元に戻ったが、これ以上の骸骨たちを呼び寄せるわけにはいかなかった。
それに“聖域”内で信号を出し続けるのは“心臓”と肉体に過度の負荷を与える行為でもあり、このまま骸骨たちを相手にしてはリーナと合流する前に力尽きかねない。
出現した四体は諦めることなく執拗に追いかけてくる。
マークルフは焦りを抑えられなかった。
“機竜”は間違いなく来ており、一刻の猶予もないが、この状態ではリーナに自分の居場所を知らせることもできないのだ。
「チクショウめ! このままじゃ――」
「いったい、何が――」
研究室にいたマリエルは警報の鐘を聞いて窓の外を見る。
その目の前で、何かが上から降ってきた。
「キャッ!?」
それが人影になったと同時に窓を突き破って鋼の手が伸びる。
マリエルは思わず後ろに飛び退くが、はずみで床に転倒する。
「あれは!?」
窓を破り中に侵入してきたのは鋼の骸骨〈竜牙兵〉二体だった。
「所長代理! 大丈夫っすか!?」
異変に気づいたアードとウンロクが駆けつける。
「逃げなさい! 二人とも!」
マリエルは叫ぶが、その前に骸骨たちが襲いかかる。
壁を通り抜けて巨大な鋼の腕が伸びた。巨大な手が〈竜牙兵〉の一体を鷲づかみにし、もう一体に叩きつけ、三人を救った。
「グノムス! 来てくれたっすか!」
「いいぞ! そのまま、やってやれ! 姐さん代理、今のうちに!」
壁を通り抜けて《グノムス》が現れ、その間にアードたちはマリエルの腕を掴んで後ろに避難させる。
叩き付けられた〈竜牙兵〉二体が起き上がると、その右腕を細い針のような剣に変化させ、《グノムス》に襲いかかった。
その巨体に細剣が突き刺さる。
骸骨たちの目が光ったが次の瞬間、苦悶するように身体を震わせ、すぐに剣を抜いた。
その剣の先は腐食したように消失していた。
鉄機兵から魔力を吸い取ろうとした〈竜牙兵〉だが、《グノムス》は“大地”の霊力を動力とする特殊機だ。魔力で動く〈竜牙兵〉にとって均衡の霊力は“毒”に等しいのだ。
「グノムス! 奴らをとにかく壊して! 魔力が尽きれば消えるわ!」
マリエルの声に従うように《グノムス》が〈竜牙兵〉をそれぞれ両手で掴みと壁に思いっきり叩きつけた。壁に亀裂が入り〈竜牙兵〉の身体の一部が潰れる。
「グノムス! 助けてくれるのはありがたいけど外でお願い!」
巨人は骸骨たちを窓から外に放り投げると自らも壁を通り抜ける。
骸骨たちの身体が再生を始めるが、その代償なのか肋骨が消失する。
外に出た《グノムス》は構わず両拳を振り上げ、動きの鈍った〈竜牙兵〉たちの頭上に鉄槌のごとく拳を叩き落とした。さらに頭蓋骨が潰れた〈竜牙兵〉たちを両腕で抱えると、そのまま締め上げる。
骸骨もさらに再生しようとするが、まるで蒸発するように身体が縮んでいく。
やがて骸骨は姿を維持できなくなり、金属の塊となって《グノムス》の腕からずり落ちた。その金属の塊もやがて収縮し、最後には小さな欠片となってしまった。
「あ、危なかったですね、所長代理……」
アードが窓からそっと覗いて外の安全を確かめる。
その目の前で《グノムス》が地面の下へと潜行を始めた。
「ど、どこにいくんや、グノムス!」
ウンロクが叫ぶが《グノムス》はやがて姿を消した。
「きっと姫様たちが呼んだのよ」
マリエルは足を庇うように立ちながら言った。
「あれが出てきたということは“機竜”もこの上にいるわ」
「じゃ、じゃあ、後は男爵にお任せするしかないってわけっすか」
マリエルは上空を睨む。
“機竜”との戦いに悩む男爵を知るだけに内心は複雑だ。それに〈甲帝竜〉相手にどこまで戦えるかは計算もできない。
「……二人とも、急いで室内にある魔力の供給は切って! きっとここの機材の魔力を奴らは嗅ぎつけたのよ! 終わったら急いでここから避難しなさい!」
「姐さん代理はどうされるんで!?」
「うちは《アルゴ=アバス》の動力ユニットを回収するわ。あれを万が一にも“機竜”に奪われるわけにはいかない!」
マリエルは転倒時に捻った足首を庇いながら研究室の奥に向かった。
研究室の機材の動力として使っているのは、必要な時だけ取り出せるように封印してある魔力の貯蓄装置だ。そして、その貯蓄のために使っているのがオリジナルの《アルゴ=アバス》の動力ユニットだ。強力な魔力源であるそれらが“機竜”に取り込まれたら、男爵はさらに窮地に陥る。
「また新手が来ないとも限らない! 二人とも逃げなさい! ここから先は一人でやれるわ!」
マリエルに言われ、アードとウンロクは顔を見合わせたが、すぐにマリエルの後を追った。
「待ってください、所長代理!」
「その足じゃ自分が逃げられないですぜ!」
人間たちが部屋から消えた後、床からダロムとプリムが顔を出す。
「やはり《アルゴ=アバス》はここに置いてあるんじゃな」
「じいじ、何が起こったの?」
「うむ。どうやら、とんでもない奴が来ておるようじゃ」
「どうなるの?」
「どうにかなってしまっては困る。その前になんとかせねばなるまい」
ダロムは腕を組んで考えるが、やがてプリムに耳打ちした。
「わかった、じいじ。グーちゃんたちに協力すればいいんだね」
プリムが地面に潜った。その気配が先行する《グノムス》の気配を追う。
あの鉄機兵は妖精族の能力と同じ機能を持つため、他の妖精と同じようにその気配を探ることができるのだ。
「さてと、ワシも働かねばなるまい。神様の頼みとはいえ、この先、大変なことになりそうじゃぞい」
プリムは地中を先行していた《グノムス》に追いつき、その頭にしがみついた。
『グーちゃん、さっきの大丈夫?』
プリムは《グノムス》の装甲を這って先ほど骸骨に刺された箇所を確かめる。装甲に少し穴が空いていたが、よく見れば右手も破損していた。
『もう、グーちゃん、またケガが増えてるよ』
鉄機兵には答える機能はないが、代わりに右手を動かして見せた。どうやら大丈夫らしい。
やがて《グノムス》は止まると、地上に浮上を始めた。
『じいじが直してくれるけど、ムリしたらダメだよ~~』
プリムは《グノムス》から離れると、自分もダロムから頼まれた仕事をするために動いた。
脱出する人々を避けるように城の外に出たリーナは、そこで《グノムス》を呼んでいた。
待っている間にもマークルフからの信号が途絶えていた。
何かあったに違いないが、何も分からないまま気ばかりが焦る。
その間にも警鐘と避難する人々の喧噪で混乱の度合いはさらに強くなっていた。
やがて《グノムス》が足許の地面から出現する。
「グーちゃん! 急いでマークルフ様を捜して!」
リーナは命令すると胸の搭乗口を開いた《グノムス》に乗り込もうとする。
その時、足許の地面に小さな文字列が刻まれているのを見つけた。
いつの間にか刻まれていたそれは、マークルフの名前と合流場所を示す文だった。
「ど、どうしたの、これ? グーちゃんなの?」
リーナは戸惑うが《グノムス》は何も答えない。だが、きっと違うだろう。
「確かに、いまは手がかりがないけど……どうしよう……」
一刻も早く合流しなければならないが、これが本当かどうかは分からない。
迷うリーナだったが、搭乗を促すように《グノムス》が手を伸ばした。
「グーちゃん?」
鉄機兵は答えなかったが、その素振りから謎の文を疑ってはいないようだ。
「……分かったわ。その場所まで連れてって」
リーナも《グノムス》を信じてうなずくと、急いで乗り込むのだった。
「くそッ! このままじゃ間に合わねえ!」
マークルフは近くにあった建物の陰に隠れる。
“聖域”内なら〈竜牙兵〉も活動時間が限られると予想して逃げたのだが、追ってきた最初の〈竜牙兵〉たちは途中で上空に浮いて逃げ、入れ替わるように新手の〈竜牙兵〉たちが数を増して降ってきたのだ。
何とか姿を隠すことはできたが、まだ近くをうろついているはずだ。
リーナに信号を出せば、すぐに〈竜牙兵〉に気づかれる。“心臓”の魔力を奪われれば、リーナの鎧化ができないだけでなく、死にも直結する。
しかし、“機竜”接近という最悪の事態を前にただ隠れているわけにもいかない。
「……仕方ねえ、こうなれば強行突破しかねえか」
マークルフは槍を構える。
その時、マークルフの後頭部に思いっきり石がぶつかった。
(だ、誰だ――!?)
不意討ちに無言で悶絶しつつ、マークルフは振り向く。
誰もいなかったが、地面に何かが描かれているのに気づいた。
(い、いつの間に――)
それにはリーナの名と合流場所を示す地図が刻まれていた。
さすがのマークルフも戸惑うが、いまは疑っている暇も余裕もない。
「……いいさ。賭けてやるぜ!」
マークルフは〈竜牙兵〉を避けるようにしながら、走り出した。
(やはり、こうなっておったの)
ダロムは地中を潜行しながら、地上を走るマークルフを追う。
彼の持つ“心臓”が〈竜牙兵〉に狙われると予想したダロムは〈竜牙兵〉の姿が多い場所を探すことで居場所を突き止め、戦乙女との合流場所を伝えたのだ。
(頼むぞい、勇士と戦乙女よ)
ユールヴィング領の遙か上空――“聖域”の影響も及ばない高みに、それはいた。
爬虫類を連想させる鋼の巨躯、そして鋼翼を広げた異形の機体。
伝説の魔物である“竜”を模した古代エンシアの国防兵器“機竜”であった。
滞空していた“機竜”は、その巨大な顎を開いて地上に狙いを定めた。
その口に膨大な紅い光が凝縮を始める。
“機竜”の最大武器である魔力の“咆哮”だ。
“機神”を通して与えられた命令はユールヴィング男爵城の破壊――
それを実行するべく“機竜”の口から爆発的な真紅の光線が放たれ、真下にあった雲を消し飛ばした。
魔力の光線は地上に向かって伸び、途中で“聖域”と干渉して火花を散らす。
それでも“咆哮”は止まることなく、地上へと真っ直ぐに突き進む。
到達するまでに破壊力はかなり減衰されるが、それでも城と一帯を破壊するに十分な狂光が今まさに地上に迫ろうとしていた。




