忍びくる刺客(1)
男爵の城の敷地にある研究室。
その裏手には研究員の居住部屋があり、勝手口の台所にウンロクはいた。
小柄でやや小太り、曇り硝子の丸眼鏡に白髪交じりの胡散臭さがにじみ出る男だ。
「いやー、やっぱここは涼しくてええな」
ウンロクは下着一枚で白衣を着た姿のまま、風通しのよいここで休憩していた。本当は白衣も脱ぎたいところだが、転居した当初から不審者として通報されることが続いたため、男爵から研究員と分かるようにしておけと命じられているのだ。
「こんにちはー」
開いた勝手口から元気な女の子の声が聞こえてきた。
開いていた裏口から顔を出したのは《戦乙女の狼犬》亭の小さな看板娘フィーだった。
ウンロクとフィーの目が合う。
「……」
「や、やあ、フィーちゃん」
フィーが顔を引っ込める。
しばらくして、扉の隙間から木の枝が突き出された。その先には一枚の紙がウンロクに見えるようにぶら下がっていた。
ウンロクが《戦乙女の狼犬》亭でツケにしている酒代の請求書だ。
「は、はは。フィーちゃん、それは今度来た時にちゃんと支払うから、今日は勘弁してくれんかなぁ」
ダメと言わんばかりに請求書が左右に激しく揺れた。
口もきかないあたりに子供ながらの本気とダメ人間扱いが伝わってくる。
「そ、そうだ。約束のカタにこれを渡しておくわ。これで少し待ってくれんかな?」
ウンロクはそう言って懐から小さなガラス玉を取り出した。
宝石を模したというにはかなりの安物だが、子供の興味を惹き付けるには十分だろう。宝石鑑定の副業(当然、内緒)の際に手に入れたものだ。
請求書が引っ込み、フィーが勝手口からひょっこりと顔を出した。
ウンロクの持つガラス玉に気づくと、トコトコと近寄る。
ウンロクの差し出した手からガラス玉を受け取ったフィーは、それをじっと見つめる。
だが、フィーは自分の懐から宝石らしき物を取り出すと、ガラス玉と見比べた。
ウンロクも最初はそれもガラス玉かと思ったが、彼の鑑識眼がそれを本物の宝石だと直感させる。しかも、かなりの上物の匂いがする。
フィーはガラス玉をウンロクに返すと、トコトコと裏口に戻る。
「マリエルおねえちゃーーん!! ロクでなしのおっちゃんが酒代ふみたおしたぁーーー!!」
「わぁあーー!? フィーちゃん! わ、分かった! 次に給金でたら真っ先に返しに行くから、姐さん代理にだけはどうかご内密に頼みますわーー!」
床にひれ伏して頭を下げるウンロクに、フィーは腕組みする。
「ほんと?」
「ほ、本当ですわ。だから堪忍して」
「だったら、うちのカンバンにちかう?」
「さ、酒場の看板でっか? わかりやした。誓わせていただきます!」
「きいたからね。うちのカンバンにちかった約束やぶったら、だんしゃくがとりたてに来るからね」
「だ、男爵がですか?」
「うん。カンバンにちかった約束やぶったら、だんしゃく家がとりたててくれるって、ばあちゃんとだんしゃくのおじいちゃんが約束してるの」
ウンロクは思い出す。
《戦乙女の狼犬》亭の女将は、先代男爵ルーヴェンと懇意にしていた間柄だ。現在の当主マークルフも幼い頃から可愛がられていたという。そんな約束があってもおかしくはない。
「それにグーちゃんにもてつだってもらうからね」
「グー……グノムスのことでっか」
「うん。ともだちなの」
そういえば、この前、グノムスがどこからかフィーを拾って来た話を思い出す。
ウンロクは夜逃げする自分、それを追いかける男爵と傭兵軍団。そして、行く手に待ち受ける鉄機兵の姿を想像する。
「……おみそれしやした」
ウンロクは完敗し、深々とフィーに土下座した。
「……誰か、うちのこと、呼んだかしら?」
そこにマリエルが姿を現した。疲れているのか、その表情に元気がなかったが、フィーの姿に気づくと笑顔を作って迎えた。
「あら、フィーちゃん、いらっしゃい」
「マリエルおねえちゃん、こんにちは! さしいれ、もってきたよ!」
フィーは一度、外に出ると、二つの包みを持って戻って来た。
「はい! ばあちゃんから! 焼き菓子できたからめしあがって!」
フィーは近くにあったテーブルにそれを置いた。
「ありがとう、フィーちゃん。いつも悪いわね。女将さんにもよろしく伝えておいてね」
マリエルがそう言うと、フィーは嬉しそうにうなずいた。
「でも、二つあるのね?」
「一つはグーちゃんのなかにいれておいてね! ぜったいだよ!」
「グーちゃん……ああ、グノムスのことね。分かったわ、そうしておくわね」
そう答えたマリエルだったが、何かを思い出したかのように肩を落として、近くの椅子に座ってため息をつく。
「……おっちゃん、マリエルおねえちゃん、元気ないね」
「おっちゃんじゃないんですがね……まあ、グノムスが最近、勝手に直ってる原因が分からなくて悩んでるらしいでさあ」
「グーちゃん、直ってるんだ!」
フィーはマリエルと対照的に嬉しそうにはしゃいだ。
「でも、だったら、いいじゃんねえ」
「いやー、フィーちゃんみたいに素直に喜べればいいんですがねえ。それができないのが姐さん代理の頭の固いところですかねぇ」 「ふーん」
フィーはマリエルの傍に近づくと、その膝をポンポンと叩いた。
「マリエルおねえちゃん、きっとちっこい妖精さんがなおしてくれてるんだよ」
マリエルはきょとんとしてフィーを見るが、その満面の笑顔を見ると、自らに苦笑するように微笑んだ。
「そっか、妖精さんか……それは考えたことなかったわね。フィーちゃん、ありがとう」
マリエルは元気を取り戻したように小さく両拳を握った。
「そうね。うちも妖精さんに負けないように頑張らないとね」
「じゃあ、フィーはだんしゃくのところにいくね。お菓子、グーちゃんのなかにちゃんといれておいてね」
「分かったわ。約束するわ」
フィーはそれに満足すると、残りのお菓子を男爵の屋敷に届けるべく出て行くのだった。
「いやあ、何だかんだで発想は子供ですねえ」
ウンロクはフィーを見送りながら、柄にもなくほのぼのとしながら言った。
「……そうね。その子供に取り立てまでさせるなんて、ロクでなしの大人もいたもんね」
途端にウンロクの背中に戦慄が走る。
「き、聞いてましたか、所長代理……」
「ええ。子供の前で問い詰めるわけにはいかないしね」
マリエルの手がウンロクの白衣を掴んで締め上げる。
「知らないと思ってるでしょうが、うちの名前を出して酒場の男性客から酒をせびってるのも聞いたわよ」
「お、女将さんが言ったんですか」
「女将さんがいちいち告げ口するわけないでしょう。男爵に頼めばそれぐらい、すぐに分かるのよ」
「い、いやあ、なぜか所長代理の話をすると、男客が勝手に酒をおごってくれて──」
マリエルは手を捻り、ウンロクをさらに締め上げる。
「……洗いざらい、白状しなさい。うちはまだ男爵たちよりは優しいわよ」
「い、いやぁ……」
「そのだらしない恰好と性根、妖精さんに負けずに叩き直さないといけないわね」
「ひ、ひぇ〜〜」
「男爵様、《戦乙女の狼犬》亭からお菓子が届きました」
マークルフが屋敷の私室でリーナと一緒にたまった冊子の整理をしていると、侍女が午後の紅茶と共に包みに入った菓子箱を持ってきた。
休憩のためにリーナと共にソファに座ると、目の前のテーブルに侍女が紅茶と包みを置いた。
マークルフは包みを開けると、お菓子を一つ取り出す。
「……何でこんなに小さいんだ?」
指でつまめるぐらいの小さな焼き菓子とにらみ合いながら、マークルフは言った。
「さあ……届けてくれたフィーちゃんは『食べやすい大きさにしたの』って言ってましたが──」
侍女が答える。
「フィーの奴、なに考えてるんだ」
マークルフは菓子を口に放り込むとあっさり噛み砕いた。
「ありがとう、後は私がしますわ」
リーナが言うと、侍女は頭を下げて退室する。
「……何か気にされるされることでもあるのですか?」
リーナがマークルフに紅茶を差し出しながら訊ねた。
「そんなふうに見えるか?」
「少し……やっぱり、暗殺者が潜入しているとなると落ち着かないですか」
「いまさら、そんなことには驚かねえよ。だが、気をつけてはおいてくれ」
「そうですよね。気をつけます」
リーナは安心させるように笑みを返す。
マークルフは菓子を何個もわしずかみにすると、口に頬張り、無言で噛み砕く。
「閣下、失礼します」
扉が開き、ログが現れた。その表情は少し険しかった。
「どうした?」
「お耳を──」
マークルフは立ち上がると、ログと共にリーナには聞こえないように部屋の隅に移る。
「“竜牙兵“が出現しました」
ログがマークルフに耳打ちするように告げる。
「ここから北西の旧フィルガス領付近の谷に現れました。狙いはそこにあった古代エンシアの遺跡のようです」
「最近、発見されたというあの遺跡か」
「はい。そこに眠っていた休止状態の機械を破壊し、空に逃げたとのこと。その際、発掘作業を行っていた民間人にも犠牲が出ています」
「……狙いは遺跡に残った魔力か」
リーナが何か考えごとをしているらしいマークルフの様子を見守っていると、やがて彼は戻って来た。
その表情は先ほどよりも険しいものに見えた。
マークルフは立ったまま、紅茶を手にすると一気に飲み干す。
「リーナ、外へ出てくる。留守を頼む」
「何かあったのですか? それに、いまは暗殺者に狙われる危険も──」
「狙わせてやるさ」
リーナの言葉を遮るように、マークルフは答える。
「このまま、向こうの出方を待っていたら、動きを封じられたのと一緒だ」
「なら、私もご一緒に──」
「俺は大丈夫だ。リーナはここにいろ。その方が安全だ」
心配するリーナに背を向けたまま、マークルフは告げると、一人で部屋を出る。
リーナはその姿を黙って見送るが、ログも後に続こうとするのを見て、声をかける。
「あの、ログさん。マークルフ様に何かあったのですか?」
「……城下に暗殺者が潜んでいる状況を憂いておいでなのでしょう」
「そうですか……すみません。何だか、いつものマークルフ様ではないようで、つい、しゃしゃりでてしまいました──」
「ご安心ください。閣下の身は我々がお守り致します」
ログはリーナに一礼すると、そのまま部屋を出ようとする。
「副長も外出されるのですか?」
外で警備をしていた傭兵の一人がログに言った。
「ああ。姫様の警護は頼むぞ」
「承知しました。お気をつけください」
扉が閉められ、リーナはだけが残された。
彼女は壁に掛けられたマークルフの愛槍である《戦乙女の槍》の姿を見つめる。
朽ちることも折れることもなく、唯一つあり続けるという黄金の槍に、リーナはマークルフを護ることを誓っていた。
(こういう時に力になりたくて、戦乙女になったのに──)
確かに警護に囲まれたここにいるのが一番、安全なのかもしれない。
しかし、マークルフたちが危険を賭して事態の打開を模索するなか、一人だけ待っているしかないことがもどかしかった。
この時、リーナは痛感した。
もっとも心細く辛いのは、誰も護ってくれないのではなく、自分が護りたいものを護れないかもしれないことだと──




