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(8)あなたと私の立ち位置【ビニールテープ】

何でも屋に勤務する男性と女性。年齢は同じ二十三歳。

ややガテン系で明るく人気者の男性と、すぐにバレる嘘で気持ちを誤魔化そうとする女性。


注)場ミリ:ステージ上で物を置いたり人が立つ位置が分かるように、テープ等で付けた印の事。


「場所を見る」という意味から、テープを貼る行為のことを「場ミル」といい、それが名詞化して「場ミリ」というに転じたという説があります。


 とある地方の郊外には「有限会社 あなたのための何でも屋」という会社があった。

 その社名はけして誇大広告ではなく、電球の取り換えから草野球の助っ人まで、まさに何でもこなすのである。

 実働を担当している社員たちは、個性豊かな若者が多かった。

 だが彼らは協調性を大事にし、よほどのことがない限り些細な言い合いも起こらない。


 そんな和気あいあいとした職場で生まれた恋のお話とは、いったいどんなものやら。




◆◇◆




 今日の仕事は、この市民ホールで明後日に行われる演劇祭の設営である。脱走してしまった飼い猫の捜索や陸ガメの散歩に比べたら、かなりまともな仕事らしい仕事だ。

 いや、私が勤務しているのは何でも屋ですからね。仕事となったら、どんなことでも引き受けますよ。ただ、理科の授業で使う解剖用のカエル採取は、正直泣きが入ったなぁ。

 ここ最近で一番きつかった仕事を思い起こしながら苦笑い浮かべる私、飯田いいだ紀香のりかは、台本を片手に出演者の立ち位置を確認しながら、小さな書き込みをしたビニールテープをステージに貼ってゆく。

 これは場ミリといって、物を置く位置や照明を当てる位置、人が立つ位置等を分かりやすくしたもの。

 何しろ当日はあれやこれやと忙しいため、少しでも進行をスムーズに運ぶためにも、こうして事前に位置を決めておくのだ。

 主催者と話し合いながら、その場に座り込んで「マイク」、「司会者」などと書いたビニールテープをステージに貼っていく。

 すると「飯田、終わったか?」と言って、一人の男性がこちらにやってきた。

 顔を出したのは上島うえしま松月しょうげつ君。

 彼も「有限会社 あなたのための何でも屋」に勤めていて、私と同じ二十三歳。珍しい名前なので、たいていの人は一度聞いたら忘れないとか。

 新入社員として顔を合わせた日から彼とは何かと気が合い、こうして二人で組んで仕事先に出かけることも多かった。

 明るくて人懐っこい性格の彼は、どこの現場に行ってもすぐにみんなと仲良くなれる。おまけに見た目もかっこいいのだから、特に若い女性客には絶大な人気がある松月君。

 今だって単なる作業用のつなぎを着ているだけなのに、長身で細マッチョな彼はそれがやたら似合っていて、すごくかっこいい。

 私も彼と同じデザインのつなぎを着ているのに、ぜんぜんイケてない。着る人が変わるとこうも違うのかと、その差に愕然とするほど。

 これまでに何度もこの姿の彼を見ている私だが、うっかり気を許すと、どっかり見惚れてしまいそうだ。

 そう、私は彼に片想いをしていた。

 だけど、その想いを彼に知ってもらいたいとは思わない。

 社内の和を乱すのは嫌だし、何より、振られたら顔を合わせづらくなる。この仕事は好きだから、そう言う理由で辞めたくない。

 割とサバサバしている性格の私でも、失恋はさすがに堪えるのだ。

 このままだと『仲の良い同僚』という立ち位置から抜け出せないけれど、その関係を壊してまで恋を貫く勇気はない。

 当分は、この片想いをこっそり楽しめればいいと思っていた。


 私は目を奪われそうになっている自分に喝を入れて、何でもない顔で言葉を返す。

「あ、その、もうちょっとかな。照明を当てる位置をもう一回確認したくて」

「手伝おうか?俺の仕事は終わったし」

「ううん、大丈夫。すぐに終わるから、松月君は先に帰って」

 今日は現場から直帰していいことになっている。そう促すものの、優しい彼はすぐに帰ろうとしない。

 とはいえ、彼に甘えて迷惑をかけることはしたくなかった。松月君はほぼ一日、大変な力仕事をこなして、私の何倍も疲れているはずなのだ。

「本当に大丈夫。お疲れ様」

 ニコッと笑ってヒラヒラと手を振れば、松月君は頭に巻いていたタオルを無造作に外す。

「じゃ、お言葉に甘えるとするかな。お疲れさん」

 フッと小さく笑う松月君は、本当にかっこいい。その笑顔だけで、私はどこまでも頑張れる。彼の背中を消えるまで見送った私は、「よし!」と膝を叩いて立ち上がった。


 台本に沿ってセットの位置や照明の当たり具合を入念にチェックし、ようやく私の担当分が終わった。

 ステージの中央に立ち、ぐるりと見回す。そして、床に貼られているビニールテープたちを眺める。

「ああ、終わったぁ~」

 自分の仕事ぶりに満足した私は、腕を上にグンと伸ばした。

「さて、帰りますかねぇ」

 コキコキと首を鳴らし、床に置いていたマジックやハサミを腰に下げている用具袋にしまう。

 その時、ふとあることを思いついて手が止まった。

 私は周りを見回し、誰もいないことを確認する。さっきまでホールの責任者と主催者が打ち合わせをしていたが、今はその姿がない。

 誰もいないこの場で、私はちょこっとだけイタズラ心を起こす。

「後でちゃんと始末するから大丈夫だよね」

 私は適当な長さに切ったビニールテープにマジックで自分の名前である『紀香』と書き、床にペタリと貼った。

 そして同じように、ビニールテープに『松月』と書く。

「並んで歩くとしたら、松月君はどっち側かな?」

 告白もしていないのにと思うが、ひっそり楽しむくらいは別にいいではないか。誰に迷惑をかけるものでもないし。

「松月君って左利きだからなぁ。手を繋ぐ時は、やっぱり左手?ああ、でも、利き手は空けておきたいとか?」

 私は自分の名前が書かれたビニールテープを眺めながら、彼の名前が書かれているビニールテープを手に、あれやこれやと貼る位置に悩む。

「うーん、どうしよう」

 その場にしゃがみ込んで決めかねていると、右手の人差し指に載せていた松月君の名前入りビニールテープが横から伸びてきた誰かの左手に攫われた。

「えっ」

 ビックリして顔を向ければ、なんと当の松月君が同じようにすぐ目の前でしゃがみ込んでいる。

「何してんの?」

 そんなの、私が訊きたい。とっくに帰ったはずの彼が、どうしてここにいるのだろうか。

 それより、そのビニールテープを見られたことの方が一大事。

 アワアワと忙しなく視線を彷徨わせると、松月君の右腕が伸びてきて、私の肩を軽く抱き寄せる。

 顔をグッと近づけて、

「これ、俺の名前だよな?」

 指先に付いているビニールテープをヒラヒラと動かし、私に尋ねてくる松月君。

「え!?あっ、ち、違うよ。そ、それは、ほら、呉服屋の松月堂さんのこと。なんかね、あそこの若旦那も参加するみたいで、開会のあいさつをするっていうから、その時の立ち位置を確認しているだけ。やだなぁ、もう。松月君の訳ないじゃない。はは、はははっ」

 ものすごく苦しい言い訳だ。

 そんな私の必死な言い訳を聞いて、彼はフッと鼻で笑った。

「嘘つけ。若旦那はおとといぎっくり腰になって、今頃病院のベッドで唸ってる。それなのに、開会の挨拶なんて出来るはずないだろ。そんなこと、台本に一言だって書いてなかったぞ」

 くそぅ、バレたか。

 台本に沿ってステージを作るのは私の仕事だったから、外装担当の彼は台本なんて読んでないと思ったのに。

 さて、どうやって言い逃れようかと再び頭を巡らせると、肩に置かれた大きな手が、グッと力を篭めてくる。

「もう一度訊く。これ、俺の名前だよな?」

 その迫力は、まるで尋問のようだ。普段になく低い声の松月君に、私はなにも言い返せずに俯いた。

 だって下手に私の気持ちが知られてしまったら、今までのように二人で楽しく仕事が出来なくなる。

 既にバレているような気もするが、それでも、私が決定的な事を言わなければ、このまま逃げ切れるかもしれない。

「あ、そうだ!私、佐々木のおばあちゃんに、夕飯の買い物を頼まれていたんだ!じゃあね!」

 そう言って、彼の手を振り払って立ち上がった。

 ところが、すぐさま伸びてきた腕に手首を掴まれたかと思うと、グッと思い切り引き寄せられる。

「ひゃっ!」

 倒れ込んできた私を、難なく広い胸で受け止めた松月君。

「この期に及んで、まだ逃げるのか?」

 頭の上からクスクスと楽しそうな笑い声が降ってくる。

「べ、別に、逃げるつもりは……」

「佐々木のばあちゃんは、明日まで温泉旅行だよ。だから、夕飯の買い物なんて必要ないだろうが。お前って、ホント、嘘が下手だな」

 慌てふためく私とは対照的に、松月君はやたらと楽しそうだ。


――って、いうか、どうして私は彼に抱きしめられているの?


「あ、あの、そろそろ放してもらえないかな?」

 いい加減、私の心臓が爆発しそうだ。なのに、松月君は放すどころか更に強く抱きしめてくる。おかげで、私たちはピタリと密着していた。

「松月君⁉」

 そのことに驚いたものの、真っ赤になった顔を見られたくない私は、彼の肩口に額を押し付けながら、逞しい彼の胸を両腕で押し返している。

 けっこう力を込めているのに、松月君はビクともしない。

「ね、お願い。放して!」

 私がもがけばもがくほど、彼は回した腕の力を強めてきた。

 どうすることも出来ない私は、恥ずかしさと混乱で視界が潤んでゆく。

 その時、松月君がポソリと囁いた。

「もう、この際だから言っちまえよ」

「な、なにを?」

 ビクンと肩を震えさせると、松月君はいっそう顔を近づけてくる。

「お前、俺の事が好きなんだろ?」

 耳元でそんな事を囁かれ、私の心臓がドッキンと、ひときわ大きく跳ね上がった。

「え、ええと、それは、そのっ」

 私は真っ赤になった顔を伏せ、コクリと息を呑む。

 次から次へと襲ってくる事態に半ば自棄になった私は、

「……好きです」

 と、小さな声だけどハッキリと告げた。

 すると、

「良く出来ました」

 と言って、松月君が私の額に彼の名前が書かれたビニールテープを貼りつける。

「あっ」

 ビックリして額に手をやれば、

「俺の立ち位置は、こうしてお前にキスが出来る場所ってことで」

 一層楽しそうに笑う松月君に、チュッとキスされたのだった。

 


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