(70)鈴木VS鈴木【フリクションボールペン】
同じ会社、同じ部署。身長差、体格差はそれなりにアリ。同期入社。片想いしている女性に良いところを見せたくて、営業成績一位を出し続ける男性社員と。その男性社員に営業成績で勝てたら告白しようと頑張っている女性社員。
念のため、フリクションボールペンの説明を。
このペンに使われているインクは、温度変化により無色化できます。筆跡をボディ後部の専用ラバーで擦ると、摩擦熱によって消えるというものです。
「今月の営業成績一位は、またしても鈴木だ。よく頑張った!」
ここはとある文具会社の営業部。営業成績トップを叩き出した社員の名前を、部長が声高に告げる。
「また、お前かよ。来月は出社するな!少しは、俺たちにも手柄を譲れ!」
「半年続けて一位なんて、さすが期待のエースですね!」
「来月こそは負けないからな!」
などなど、先輩からのやっかみ口調の冗談や、後輩からの称賛、同期からのライバル宣言を受けているのは、鈴木亮二君。私と同じ、鈴木姓を持つ同期の男性社員だ。
私も彼と同じ営業部の社員で、毎日毎日得意先を回り、新規取引先を獲得するため飛び込み営業をしている。
それなのに、どんなに頑張っても彼には敵わなかった。
私の隣に立っている彼は、「部長をはじめ、諸先輩方の指導のおかげです」と、穏やかな笑顔で言っている。
――くやしいなぁ。でも、私だって負けないんだから!
他の社員たちと同じく、私も気合を入れた。
そして朝礼が終わり、各自が自分の席へと戻り始める。
仕事を始めようとクルリと方向変換をした時、頭上からコソッと小さな声が降ってきた。
「よお、仁恵。今月も、俺の勝ちだな」
私は頭半分高いところにある彼の顔を睨んだ。
「来月こそは、鈴木君に負けないんだからね!」
「おー、おー。ムキになって、ホント可愛いなぁ」
「うるさい!」
彼には名前で呼ばれているけれど、同期の同僚という以外の関係性はない。同じ部署に鈴木が二人いるので、入社直後に彼が勝手に私のことを名前で呼び始めたのだ。
『自分も鈴木なのに、自分以外の鈴木を苗字で呼ぶのは、なんか間抜けじゃないか?』
彼の中では、そういう理由らしい。
私は間抜けとは思っていないので、入社して二年経っても彼のことは鈴木君と呼んでいた。
こんな風に、彼はなにかにつけて私をかまってくる。それに噛みつく私もいけないんだけどね。
「そこのダブル鈴木。仲良くじゃれていないで、仕事しろよー」
ニヤニヤしながら声をかけてくる部長に、すかさず言い返す。
「じゃれていません!」
私は荒々しい足取りで、自分の席に向かった。
鈴木亮二君のことは、けして嫌いではない。……むしろ、好きだ。
ちょっと人見知りのところがある私にも親しくしてくれて、明るくて、優しくて、密かに努力を重ねている彼のことを好きになって、早くも一年半が過ぎた。
はじめは『気さくな人だなぁ』、『話が面白いなぁ』と思う程度だったけれど、だんだんとそんな彼に惹かれていった。
このまま片想いを続けていても、きっとなにも起きない。告白して、少しでも状況を変えてみたい。
だけど、このままでは駄目だ。
部長が「じゃれている」と言ったように、私に接する時、彼はいつもあんな調子。
それは私が今まで一度も営業成績で彼に勝てたことがないため、面白半分にからかっているのだろう。
だから彼を見返すために、私はなにがなんでも彼以上の営業成績を叩き出すしかないのだ。
『仁恵、すごく頑張ったな。おめでとう』
彼にそう言ってもらえたら、やっと同じステージに立つことができて、告白することが許されると思う。
単なるからかい相手にしか見られていないこの状況から、なんとかして抜け出さなくては。
午後三時過ぎになると、皆が小休憩を取り始める。自分の席でコーヒーを飲んだり、窓際で外の景色を眺めたり、ストレッチを始めたりと、それぞれが自由に息抜きしていた。
ペンケースとまっさらなA4サイズのコピー用紙を一枚持ち、私は席を立つ。
「休憩室に行ってきます」
隣の席の先輩に声を掛け、営業部を後にした。
休憩室には誰もいなくて、私は入り口を背にして一番奥の席に腰を掛ける。
「さて、やりますか」
内緒の作業を進めるため、私はコピー用紙を広げて、ペンケースからフリクションボールペンを取り出した。
なにを始めるかというと、鈴木亮二君打倒計画書を作るのだ。
とはいえ、本当に彼を倒すのではなく、営業成績を上げるための作戦を練るということである。
「新規獲得は難しいし、すぐに注文数が増える訳じゃないからなぁ。やっぱりお得さんをターゲットに、なにか新しい展開を……。でも、あんまりゴリ押しすると、印象が悪くなるよねぇ。他に営業で行ってない場所は……」
ブツブツと呟きながら、フリクションボールペンで書いては消し、書いては消しといった作業を繰り返す。
あまりに集中していたせいで、誰かがこちらに近付いている足音がまったく耳に入らなかった。
「なんとしてでも鈴木君に勝って、私のことを少しは認めてもらわないとね」
「なんで、俺に認められたいんだ?」
「だって、一つくらいいいところがないと、告白しても振られそうだし。……えっ!?」
ボンヤリしていた私は、突然聞こえてきた声に深く考えることなく答えてしまった。
そして我に返って振りむいたら、すぐそこに鈴木君の顔があって腰を抜かすかと思った。
彼は私の横から両腕を伸ばし、テーブルに手をついている。しかも上体を屈めて、マル秘計画書を覗き込んでいたのだ。
振り返った私と彼の顔の距離は、十センチと離れていなかった。驚きと恥ずかしさのせいで、私の顔は火を噴きそうなほどに熱い。
「な、な、なんで、ここに!?」
「んー。仁恵が出て行ったから、一緒に休憩を取ろうかと思って」
「はぁ!?なんで!?」
「だって、好きな人のそばにいたいって思うのは、当たり前のことだろ?」
「…………え?」
またからかわれるのかと思っていたら、全く予想外のことを聞かされて固まる。
限界まで目を見開き、ポカンと口を開けて硬直している私を見て、彼が拗ねたような口調で話してきた。
「俺がアプローチしても、お前はぜんぜん気付いてないし。むしろ、周りが気付いているってのにさ」
「へ?」
「だから、今朝も部長が『仲良くじゃれていないで』って言っただろうが」
「そ、そんな……」
私の手から、ポロリとフリクションボールペンが落ちる。
「な、なに、それ……」
彼が私を好きだということも、周りが彼の気持ちに気付いていたことも、私はいっさい気付いていなかった。
唖然としたままポツリと呟く私の様子に、彼は苦笑を浮かべた。
「だろうな。ムキになって反論してくる態度を見ていれば、嫌でもよく分るよ。でも、諦めるつもりはなかったから、ここは男の株を上げてから仁恵に迫ろうと思ってな」
「男の株って、なに?」
飽和状態の思考回路では、彼が言いたいことが理解できない。
思わず訊き返すと、質問が返ってきた。
「なぁ。俺が営業成績一位を取り続けられる理由、知ってるか?」
「し、知らない」
小さく首を横に振ったら、彼が形のいい目をスッと細める。
「好きな女にかっこいいところを見せたいっていう、男のつまらない意地だよ。ま、それだけ必死だったってこと」
その表情はすごく穏やかで、だけど、目に浮かぶ光は真剣で、彼が本気だということが伝わってきた。
だけど、彼が私を本気で好きだといいことは、すぐに信じられない。
「あ、あの……。い、いつから、私のこと、好き、だったの?」
「営業部に配属されて、割と早い段階だったな。だから、仁恵って名前で呼び始めたし」
「そうだったの!?」
「そうじゃなかったら、わざわざに名前で呼ばないだろ。あんな取って付けたような説明を今まで信じていたなんて、本当に俺の気持ちには気付いていなかったんだなぁ」
苦笑いを深める彼を見て、いたたまれない気持ちがこみ上げてきた。
「ご、ごめん。だって、私は特別いいところがないから、好きになってもらえるなんて考えもしなくて……」
すると、彼はさらに目を細めてくる。
「仁恵のいいところ、俺はちゃんと知ってるよ。上司の指示を真面目に聞いているし、先輩の指導も素直に取り入れるし、さりげなくみんなのことに気を配っているしさ。あと、仁恵が作る料理は、めちゃくちゃ俺好みの味だしな」
この会社には社員食堂がないので、お昼は外に食べに行くか、近くのコンビニに買いに行くか、お弁当を持参するかとなる。
一人暮らししている私は少しでも節約したくて、入社以来、毎日お弁当を作って持ってきていた。
ようやく営業部の雰囲気に慣れた頃、いきなり横から伸びてきた手に、お弁当箱に入っている玉子焼きを攫われたことがあった。
それが鈴木君で、その日以降、お弁当のおかずを一品攫われるようになっていた。
彼は料理が苦手な上に、一人暮らしでも自炊はほとんどしないと言うこともあり、手作り料理に飢えているのだろうと思っていた。お弁当を持参しているのは、私だけだから。
それにしても、彼がかなり前から私のことが好きだったなんて、夢でも見ているのではないだろうか。
ペンを落としてしまった手をオズオズと持ち上げ、自分の右頬を思い切り抓った。
「……い、痛い」
信じがたいが、どうやら現実のようだ。
実感がジワジワとこみ上げ、やたらと恥ずかしくなる。
ただでさえ、彼との距離が近いのだ。恥ずかしくて当然である。
私は前を向いて、顔を伏せた。
すると彼はテーブルについていた手を移動させ、両腕で私を抱き込んでくる。
「それで、仁恵の気持ちは?」
優しく甘い声で、彼が耳元で囁いた。
私の心臓が、生まれて以来最高速度で動いている。顔のほてりも最高潮だ。
「そ……、それは、改めて言わなくても、もう、知ってるでしょ?」
しどろもどろに言い返すと、ギュッと強く抱き締められる。
「それでも、仁恵の口から言ってほしい。ねぇ、教えてよ」
彼の声がさらに甘さを増し、私は覚悟を決めて自分の気持ちを正直に告げることにした。
「……す、好き」
その後、痛いほど抱き締められ、しかも、堂々と恋人繋ぎをしかけてきた彼に引きずられるようにして営業部に戻った私は、思いもよらない大歓声に迎えられる。
「おー、やっと片想いが実ったようだな」
「まったく、ハラハラさせやがって」
「お似合いですよ!」
「営業成績一位を取った上に、俺たちの癒しである鈴木さんまで攫って行くなんて……。お前、本当に来月は出社するな!」
恥ずかしさが極限に達し、泡を吹いて倒れそうになったのだった。




