(69)馬鹿。でも、好き。【ロール状のふせん】
高校生同士。同じクラス。身長差は二十センチ。好きな人にはつっけんどんになってしまう天邪鬼な女子と。そんな女子が可愛くて仕方がないという男子。
穏やかな春の日差しが降り注ぐ今日は、私が通う高校の始業式だ。
二年生になった私、六条奈緒美は、ドキドキしながら教室に足を踏み入れた。
そして、不自然にならない程度に辺りを見回す。
――あっ、いた。
お目当ての人物を見かけ、私はホッと息を吐いた。
私が探していたのは、大親友の芙美代ではなく……。
「今年も陽司と同じクラスかぁ。なんで、二年でクラス替えがないんだよぉ」
「なに言ってんだよ、本当は俺と一緒で嬉しいくせに」
冗談で嫌そうな顔を浮かべているクラスメイトの肩を笑顔で叩いているのが、お目当ての若狭陽司君だ。
一年生の時、二回目の席替えで隣になったことがきっかけで、明るくて友達思いの彼のことが気になった。
その想いはいつしか「好きかも?」というものに変わり、十月の終わりには完全に恋となっていた。
だけど私は天邪鬼な性格だから、大好きな若狭君の前に立つと、途端に気が強くなる。
本当は大好きなのに、自分の気持ちを知られることが恥ずかしくて、怖くて……。誤魔化すために、いつもつっけんどんな態度で彼に接していた。
我ながら馬鹿で子供っぽいと思うけれど、どうしようもないのだ。
この性格は変わることなく、今年も天邪鬼な私が炸裂するのだろう。
黒板に近付いて書かれている席表を確認していると、私の背後に誰かが立った。
何気なく振り返ったら、そこにいたのは片想い相手の若狭君。
目が零れ落ちるほど驚いて、思わずズザザッと飛び退った。
「あははっ。六条、すげぇびっくりしてる」
楽しそうに笑っている若狭君を、私は反射的に睨み付ける。
「やたら大きい若狭君が急に後ろに立ったら、驚くに決まっているでしょ!」
ここで、『驚かすなんて、ひどいなぁ』と可愛く笑って見せたら、彼に好かれるかもしれない。
しかし、分かっていてできないのが天邪鬼である。
ギリギリと睨み付ける私の頭に、大きな手がポンと乗った。
「そうだよなぁ。俺より二十センチも低い六条にしてみたら、驚いて当然だよなぁ」
まるで小さな子供にするようにポンポンと頭を叩いてくる彼の手を、ベシンと打ち払う。
「うるさいわね!この先、まだまだ背が伸びるわよ!今に見てなさい!」
ビシリと人差し指を突きつけると、彼は勢いよく噴き出した。
「うんうん、そんな日が来るといいよなぁ」
まったく本気で取り合わない若狭君の足を私はかかとでグイッと踏みつけ、不機嫌もあらわにその場を立ち去る。
「ははっ。相変わらず、六条は容赦ないなぁ。あははっ」
あれだけ思い切り踏んづけたのに、彼はお腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。
これが、私たちの日常だ。
誰とでも仲良くなれる若狭君は、天邪鬼の私にも分け隔てなく接してくれる。
それが嬉しくもあり、苦しくもある。
いっそ嫌われたら、彼のことを忘れられるだろうか。
叶わない片想いを抱えることにちょっと疲れてきた私は、自分の席に腰を下ろして深いため息を吐いた。
クラスメイトが全員揃ったところで、がっちりした体格の担任が入ってくる。一人の女子生徒を連れて。
「転入生の白井麗佳君だ。みんな、仲良くしろよ」
そう言って紹介された彼女は、まっすぐで艶々の黒髪が腰まで伸びていて、色が白い美人さんだった。ぱっちりした二重と長いまつげは、上品な日本人形を思わせる。
スラリと手足が長い彼女は、モデルと言ってもおかしくないだろう。
なかなか見ることのない美少女の登場に、教室内は水を打ったように静まり返った。
そして、誰かの「うおぉぉぉ、可愛いぃぃぃ!!」という野太い雄叫びを皮切りに、一瞬で騒がしくなる。
「静かにしろ!白井君が挨拶できないだろうが!」
担任が睨みを利かせたことでみんなは大人しくなったものの、ざわつきは収まっていない。こんなにも可愛い人がクラスメイトなのだから、落ち着かないのも無理はないだろう。
誰もかれもがソワソワしている中、白井さんの声が静かに響き渡った。
「父の仕事の都合で、京都から引っ越してきました。どうぞ、よろしくお願いします」
目を細めて口元を僅かに上げただけなのに、女子の私から見てもすごく目を惹かれる笑顔だった。
白井さんは先生の指示で、空いている席に向かう。そこは、若狭君の隣。
「俺、若狭陽司。よろしくな」
右斜め後ろから、若狭君の声が聞こえる。
それに対し、「よろしくお願いします」と柔らかい声で答える白井さん。
そんな些細なやり取りに、私の胸がチクンと小さな痛みを訴えた。
背が高くてキリッとした顔立ちの若狭君と、美人でスタイルがいい白井さんはお似合いだと思う。少なくても、私と若狭君より何倍も。
いや、天邪鬼な私とおしとやかな白井さんを比べることが、そもそも間違いなのだ。私は若狭君に女子として見られているかどうかさえ、怪しいというのに。
――これは、そろそろ諦めろって、神様が言っているのかな?
たぶん、そうなのだろう。
告白もできず、かといって彼を諦めることもできないという往生際の悪い私に決心させるため、神様が白井さんをこの場に連れてきたのだ。
若狭君とまた同じクラスで過ごせると浮かれていた気持ちは、目を奪われるような美少女の登場によってシュルシュルとしぼんでいった。
始業式以来、私は若狭君と距離を置くように心がけた。
とはいえ、同じ教室にいるのだから、なにも話さないということは無理だ。
担任や友達からの伝言はこれまで当たり前のように伝えていたので、いきなり完全無視の姿勢を取ったら、周りから変に思われるはず。
それは、彼にとって迷惑だろう。若狭君はなにも悪くないのだから、迷惑はかけたくなかった。
だから私は、彼の机にメモを貼ることを思いついた。
お昼休み、お弁当を食べ終えて教室入り口付近の席に座っている芙美代と話していた私は、若狭君が所属するテニス部の後輩から彼宛てに伝言を頼まれた。
タイミングが悪いことに、若狭君は席を外していた。偶然にも白井さんの従兄弟がこの学校のテニス部に所属しているということで、教室まで案内しているところだ。
昼休みが終わる頃には戻ってくるだろうが、私から話しかけるのはなんとなく気まずい。
若狭君に近付けば、隣のにいる白井さんの姿が目に入る。
諦めると決めたけれど、お似合いな二人を見るのはつらいのだ。
かといって、後輩君の伝言を放っておく訳にはいかない。
小さなため息を零した私は自分の席に戻ると、バッグの中からミニポーチを取り出した。
そこにはカッターやハサミ、セロテープなどが入っている。
その中にあるロール状の付箋を手に取った。好きな長さでカットできるので、かなり重宝している。お気に入りの文房具だ。
十センチくらいの長さで付箋を切り、頼まれた伝言を書きつける。
それを若狭君の机に貼った時、白井さんを伴った彼が戻ってきた。
私は慌てて自分の席に戻り、次の授業の準備をする。
席に着いた若狭君は私が貼った付箋に気付き、「六条」と声をかけてきた。
無視をすることもできず、私は手を止めて振り返る。
目が合うと、彼がニコッと笑った。
「ありがと」
手にした付箋をヒラヒラと振ってみせる若狭君に、「うん」と一言だけ返し、また前を向く。
そんな私の態度に、彼は戸惑い気味に私の名前を呼んだ。
「……六条?」
だけどその声はすごく小さなものだったから、私は聞こえない振りをしてノートや教科書を机の上に並べる。
その後は改めて彼に名前を呼ばれることもなく、午後の授業が始まったのだった。
こんな風に若狭君とは必要最低限の会話しかしなくなったせいで、ロール状付箋の減りが早くなった。
頻繁にこの付箋を使うようになってから、まだ一ヶ月しか経っていない。彼への想いを捨てきれないせいで、毎日胸の奥がチクチクと痛い。
放課後、私は誰もいない教室で付箋を取り出し、手の平に乗せる。
――この付箋を使い切る頃には、若狭君のことをちゃんと諦められるかなぁ?
クスッと笑ったところで、誰かが教室に入ってきた。
何気なく入り口に視線を向けると、若狭君が妙に怖い顔をしてこちらにやってくる。
部活に向かったはずの彼がいきなり登場したことに驚いた私は、慌ててバッグとミニポーチを掴んで席を立った。
「じゃ、じゃあね!」
ところが、素早く回り込んできた若狭君に正面から両手首を掴まれ、逃げ出すことは叶わなかった。
「なにすんの!放してよ!」
鋭く睨み返すと、彼は私以上にきつい視線を向けてくる。
「六条、なんで俺のことを避けるんだよ?」
「べ、別に避けてないわよ!変な言いがかりをつけないで!」
手首を取り返そうとして思い切り引くけれど、大きな手に掴まれた腕は少しも動かなかった。
「もう、いい加減にしてっ!」
意味が分からずパニック気味の私は、大きく声を張り上げた。
ところが、それ以上に大きな声が頭上に降ってくる。
「俺を避けるな!!」
突然怒鳴られて驚いた私は、バッグとポーチをドサッと床に落としてしまう。
「あ、あの……、若狭君、ちょっと落ち着いてよ」
オドオドと彼を見上げたら、さらに睨まれた。
「好きな女に避けられて、平気でいられるか!」
「……は?」
ポカンと呆ける私に向けて、彼は泣きそうな顔で口を開く。
「六条が好きなんだ。だから、お前に避けられるとつらい……」
私は自分の耳を疑った。
ありえない言葉を聞かされたら、脳が処理できなくても仕方がないだろう。
「ちょ、ちょっと、若狭君!?今、自分がなにを言ったか分かってる!?」
思い切り混乱している私がアワアワと彼に確認したところ、若狭君はしっかりと頷き返してきた。
「当たり前だ。六条が好きだって告白したことは、ちゃんと分かってるさ」
まさかの事態に、混乱中の脳みそが沸騰した。
「ま、ま、ま、待ってよ!なんで、私なの!?」
そこで彼は、フワリと苦笑を零す。
「なんでって訊かれても……。そうだなぁ、ムキになって俺に突っかかってくるところが可愛いし、大好きなチョコレートを食べてフニャフニャ笑っているところが可愛いし、上目遣いで見上げてくる顔が可愛いし、あとは……」
「ス、ストップ!ストップ!」
このまま聞き続けたら脳みそどころか全身の血が沸騰しそうなので、私は強引に遮った。
すると、彼は不思議そうな顔で首を傾げる。
「なんだよ。訊かれたから、答えただけだぞ」
平然としている若狭君に、妙に腹が立った。私がこんなにパニックを起こしているのに、普段通りの彼がなんとなくムカつく。
「若狭君、おかしいよ!私は可愛くなんてないんだから!」
強い口調で言い返すものの、彼の様子は少しも変わらない。
「そうかなぁ、俺にはめちゃくちゃ可愛く見えるけど」
サラッと聞かされた言葉に、顔が火を噴きそうに熱くなる。
「ば、馬鹿。もう、やめて……。恥ずかしくて、泣きそう……」
言われ慣れていない言葉をたて続けに浴びせられると、さすがに天邪鬼はすっかりなりを潜め、私は火照る顔を伏せて小さく呟いた。
そんな私に構うことなく、若狭君はこれまで通り、ううん、これまで以上に優しい声でる告げる。
「照れている六条も、すげぇ可愛い。ホント、好きだよ」
「で、でも、でも、私は、いつもつっけんどんで……。だから、若狭君には嫌われているって思っていたのに……」
「俺は一度だって、お前のことがうるさいなんて言ったか?お前を見て、嫌な顔をしたか?」
若狭君と出会ってから今日までのことを思い返すけれど、そんな彼の姿は記憶にない。
フルフルと首を横に振ったら、掴まれていた手首が解放された。
ボンヤリとその様子を眺めていたら、今度は彼の大きな手が私の手をやんわりと包む。
「なぁ、俺が六条の彼氏になる可能性、少しでもあるか?」
繋がれている手を見ながら、今度は縦に首を動かす。
次の瞬間、彼の手は離れ、いきなり抱き締められた。
「ふぐぅっ!」
予想をはるかに超える展開に、私は変な声で出してしまう。
笑われるかと思いきや、若狭君は「今の六条、ホント可愛い」と言って、私の頭にグリグリと頬ずりしてきたのだった。




