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(63)気持ちを文字にして【色鉛筆(水色)】

舞台はデザイン事務所ですが、7話とは無関係です。年の差は五歳。身長差アリ。人柄もよくて才能に溢れた男性デザイナーと。そんな彼を恋い慕う、後輩女性。






 ここは都内にある某デザイン事務所。

 私、友坂ともさか和花菜わかなは、専門学校で二年間勉強したのち、ここで働くようになった。

 主な仕事は、先輩デザイナーたちのアシスタントだ。まだまだ勉強することが多く、先輩の仕事ぶりに賞賛のため息を零す毎日である。

 いや、ため息ばかり零しているわけではない。

 私のようなアシスタントは他にいないので、やらなくてはならないことが盛りだくさんだ。

 雑用も買い出しも先輩たちの手伝いもこなしつつ、あまり難しくない依頼を引き受けたり、とにかく、大変だ。

 それでも好きな仕事だから、いつもニコニコ笑顔で頑張るのみである。


 それに、ちょっと気になっている男性がいるのも、仕事にやりがいを感じている一因だ。いや、一因どころか、大部分かもしれないけれど。


 憧れているのは、五年先輩の根岸ねぎし哲弥てつやさん。この人が描く動物キャラクターは、すごくほのぼのしていて、心が癒される。

 なのに、男性向けのキーケースや財布のデザイン依頼では、シャープでかっこいい上に、繊細で上品なデザイン画を仕上げた。

 その才能だけでも尊敬に値するけれど、未熟者の私にもすごく優しくしてくれる。穏やかな笑顔を向けられた日には、好きになるのも当然である。




 午後三時を過ぎ、皆の仕事がひと段落したところで、私は飲み物を用意する。

 別に、新人がお茶汲みをしなければならないということではない。むしろ先輩たちからは、『そういうことは自分たちでできるから、和花菜ちゃんは気を遣わなくていいんだよ』と言われていた。

 それでも、私にできることは多くないから、皆のためになにかしたい。おまけに、飲み物を渡す時に根岸さんに話しかけることができるから。

 先輩たちも上司も気さくな人ばかりだけど、やっぱり仕事中はおいそれと話しかけることはできない。

 だからこそ、堂々と話しかけることができるお茶汲みは、私の楽しみでもあった。

 人数分のコーヒーを用意して、一人一人に配っていく。

 最後に根岸さんのところに向かおうとしたところで、「和花菜ちゃん、コピーしたしたデザイン画を持ってきてもらえるかな。さっき、一枚取り忘れたみたいで」と、当の根岸さんから声をかけられた。

「了解です」

 私は彼のデスクとは対角線上にあるコピー機から印刷された用紙を取り上げ、そしておもわず苦笑いを浮かべてしまう。

 A4サイズの用紙には様々な種類の動物ものキャラクターが描かれているが、下書きの鉛筆の線もいくつか重なっていて、ごちゃっとしていた。

「根岸さん。また、下書きを消さないままで、コピーしたんですね」

 差し出すと、彼も苦笑い。

「つい、面倒でさ。まぁ、ちゃんとしたデザインの時には、こんな横着しないけど」

「はい、分かってますよ」

 最終的にはとても丁寧な仕事をするけれど、根岸さんのラフ画は、たまにこのような見づらいものになっている。

 だけど、仕事は完璧で人間的にも素敵な彼が見せるおっちょこちょいな一面は、私にとって和むものでもある。

 だってさ、私にしたら神様みたいな人なのに、根岸さんは背が高くて顔もいいんだよ。少しくらい、そういうところがあってもいいではないか。

 いや、ギャップ萌えで、むしろ私の中では好感度が上がりまくりである。

 ニコニコしながら根岸さんを見上げていると、彼はなぜか急に数回咳払いをした。

「えと……、和花菜ちゃん、あのさ。今夜、一緒に食事でもどうかな?」

「え?」

 まさかのお誘いに、私は彼に渡すはずのコーヒーカップを落としそうになる。

 だが、すぐに冷静になった。

 根岸さんは優しい先輩だから、きっとご褒美の意味で、食事に誘ってくれたのだろう。なにしろ私は昨日初めて、キャラクター物のデザインを一人で仕上げたのだから。  

 彼のお誘いは嬉しいけれど、後で寂しくなるのはツラいから。

 根岸さんに恋人がいる話は聞いたことがないけれど、こんな素敵な人に彼女がいないわけはないのだ。

 私は、今は片想いをしているだけで十分だった。

 不毛だと分かっていても、好きだという気持ちは捨てられない。それに、根岸さんに認めてもらいたいという気持ちが、私を突き動かす原動力でもあるから。

「いえ、お気持ちだけ受け取っておきます」

「え?気持ちだけって……」

 根岸さんが困惑の表情を浮かべた。

 そんな彼に、私はニコッと笑いかける。

「そうそう。これ、あげますね」

 私は上着のポケットから、水色の色鉛筆を取り出した。

 水色はコピーに出ないので、下書きの時に重宝する。ここの先輩たちも、皆、使っている。

 さっきの根岸さんがコピーしたものが鉛筆で下書きされていたのは、たまたま水色の色鉛筆をどこかにやってしまったのだろう。

「どうぞ。それじゃ、私は事務所の掃除をしてきますね」

 ペコリと頭を下げ、その場を後にした私だった。


 終業時間を少し過ぎた頃、私は作業室に戻ってきた。

 ほとんどの人はすでに帰っていて、デスクで仕事をしているのは根岸さん一人である。

「まだ、お仕事されていたんですね」

 私が声をかけると、根岸さんが顔を上げた。

「和花菜ちゃん、ごめんね。また、取り忘れたコピーがあってさ。持ってきてもらえる?」

「はい」

 私はコピー機に近寄って、一枚だけ取り残されている用紙を手に取る。

 そして、またしても苦笑いを浮かべた。

 なんのデザインか分からないが、裏のままでも黒々としたたくさんの線が透けて見えている。

「もう、私がせっかく色鉛筆をあげたのに、使わなかったんですか?……え?」

 ペラリと用紙を裏返したところで、私は固まった。

 曲線や直線が折り重なる中、中央の空いたスペースには、『和花菜ちゃんが好きです。いい加減、俺の気持ちに気付いてください。根岸哲也』と書かれていたのだ。

「な、なんです、か。これ……」

 用紙を持ったまま立ちつくしている私のところに、根岸さんが静かな足取りで歩み寄ってくる。

 そして私の正面に立つと、彼は優しい声で囁いた。

「なにって、見たままだよ。俺の気持ち」

 だけど、すんなりと信じられない私は、手にしている用紙をグイッと彼のお腹に押し付ける。

「そ、そんな……。あははっ、やだ、根岸さん、冗談、キツいですって。私、単純だから、信じちゃったらどうするんですか?」

 彼に片想いしている私には、相当にキツい冗談だ。

 私は泣いてしまわないよう、必死に笑って耐えた。


 ところが……。


「冗談にしたり、はぐらかしたりしているのは、和花菜ちゃんのほうでしょ」

 少しだけ強い口調が、上から降ってきた。

 ハッとなって顔を上げると、怖いくらい真剣な表情を浮かべている根岸さんと目が合う。

 いつもの穏やかな彼とは様子が違うから、思わず一歩下がってしまった。

 すると、すかさず根岸さんが私の手をコピー用紙ごと握りしめてくる。

「これまでにもそれとなく声をかけてきたのに、和花菜ちゃんは一つも本気にしてくれない。食事や映画に誘っても、全部断ってくる。だから言葉じゃなくて、文字で伝えることにした」

 そう言って、彼の大きな手が、さらに私の手を強く握り込んだ。

「お願いだから、冗談にしたり、はぐらかさないで。俺が嫌いなら、はっきり言ってくれてかまわない。和花菜ちゃんには迷惑かけないし、仕事に支障をきたすこともしないから」

 苦しそうに告げる根岸さんを見ながら、私の目からはポロリと涙が零れる。

 そんな私を見て、彼の表情がいっそう苦し気なものになった。

「泣くほど、俺のことが嫌い?」

 問われて、私はとっさに首を横に振る。

「ち、違います。泣くほど、根岸さんが好きなんです」

 すると、いきなり息が止まるほど強く抱き締められた。

「よかった。本当によかった……」

 感極まったように囁いた根岸さんの声に嬉しくなって、私はさらにポロポロと泣いてしまったのだった。



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