(62)真っ白な想い【修正テープ】
同じ会社、同じ部署。年の差は四歳で、女性が年上。身長差は36センチ。見た目も能力も性格も問題ないけれど、なかなか自分に自信が持てない新入社員男性と。そんな彼の指導係になった明るくサバサバしていて、持参する弁当はノリ弁という小動物系女性社員。
ここは大手通販会社の配送管理部で、私、信濃理津子は、配属されて五年目となる。中堅どころの社員といったところだろう。
今日、この部署に新人がやってくることになっている。
私と同じように、配属されて五年ほどの社員たちが課長に呼ばれていた。
ミーティングルームに出向けば、ノンフレームメガネが嫌味なく似合っている課長と、緊張気味に立っている新人三人がいる。
言わずもがな、私たちは、新人の指導係として呼ばれたのである。
基本的に、指導係と新人は、男性同士、女性同士で組むことになっているのだが、今年の新入社員は全員男性で、呼ばれた指導係は男性二人と、私一人。
もしかして、これは普段からちょっと大雑把なところを披露している私に対する嫌がらせだろうか。『信濃は、男じゃなかったのか?』と、半笑いの課長の顔が脳裏を掠めた。
ああ、言っておくけれど、仕事はびっちりきっちりしていますから。休憩時間とか、プライベートな部分で、ほんの少し大雑把というだけだ。
大雑把というか、人目を過剰に気にしないというか。
まったく、『年頃の女性は、ノリ弁を持ってきてはいけない』という社則があるわけでもないのに。
周りの男性陣は、女性の手作り弁当に夢を見すぎだと思う。女性なら誰もかれもが、小さくてカラフルな野菜たっぷり弁当を持ってくるわけではない。
ちなみに、私が作るノリ弁にはおかず類は一切なく、ノリ弁のみ。入社してから、度々ノリ弁を持参している。だって、好きなんだもん。美味しいし、簡単だし、安上がりだし。
そんな私なので、見た目は小動物のようだと言われるのに、どこか男性扱いされるところがあった。
もちろん、意地悪ではなく、親しみを込めて、だ。実際には、抱えるほどの荷物を持っていれば、すかさず、近くの男性社員が手伝ってくれることもある。たまにからかわれることはあっても、本気で傷付くような悪口は言われたこともない。
さてさて、無事に顔合わせを済ませた私たちと新人君たちは、さっそく仕事に関して簡単な説明会を開くことになったのだが。
「信濃。ちょっと、来い」
課長がちょいちょいと、私を手招きした。
ミーティングルームの端に立っている上司に駆け寄る。
「はい、なんでしょうか」
「お前が担当する新人なんだが、少し手こずるかもしれない」
「え?」
その言葉に、私は首を傾げた。
ガチガチに引きつった顔で挨拶をしてきた千曲壮一朗君は、ほっそりした長身で、私より頭二つは高いだろう。
しかし、整った顔立ちはとても穏やかなので、威圧感はなかった。
それなのに、手こずるとは?
大人しそうに見えて、相当な我がままなのだろうか。ちょっとでも厳しいことを言うと、いきなりキレてしまうのだろうか。
「それは、問題児という意味でしょうか?」
僅かに眉を寄せて課長を見れば、「違う、違う。信濃が考えているようなことじゃない」と、苦笑された。
課長の話によると、千曲君は礼儀正しい好青年で、能力的にも問題なさそうだとのこと。
ただ、彼の性格が、やや難ありということだ。
その難というのは、自分に自信がないということだった。
「本来なら、千曲の指導係は木曽に任せる予定だったんだが、たぶん、馬が合わないんじゃないかと思ってな」
課長が口にした木曽さんは、私より一年先輩の男性社員で、週末は草野球で汗を流す現役スポーツマンだ。
仕事はできるが、豪快という言葉がぴったりな木曽先輩には、確かに千曲君と合わない気がする。
「それで、信濃ならサバサバしているが、男性社員ほど威圧感はないし。おまけに、面倒見がいいから、千曲といいコンビになると判断したわけだ」
という訳で、身長百五十二センチの私が、百八十八センチの千曲君を指導することになったのであった。
課長が言ったとおり、千曲君は見た目通りの好青年で、仕事の覚えも悪くない。
だけど、なにかミスをすると、途端にペコペコと頭を下げて、私に謝り倒すのだ。
「信濃先輩!いつも迷惑をおかけして、本当にすみません!」
「千曲君の頑張りは、認めるわ。あとは、数をこなして慣れれば大丈夫よ」
今日も今日とて、配送管理部のデコボココンビは、こんな感じだ。
私が見ている前ではきちんとできるので、少し任せてみようと目を放せば、些細なところで躓く千曲君。
私が指導係となってまだ十日ほどだというのに、ちっちゃい私に対して、長身の千曲君が腰を大きく曲げて謝る姿は、すでにおなじみの光景となっていた。
ある日のこと。
人事部に出かけていた私が戻ってくると、千曲君がデスクでなにやら作業をしていた。
まっさらなA4サイズのコピー用紙の上に、修正テープを走らせている。
――白紙に修正テープ?なにしてんの?
怪訝に思いながらも、私は頼まれていた書類を課長に届けに行った。
それ以降、時折、熱心な表情で修正テープを手にする千曲君の姿を目にするようになる。
そして彼は、コピー用紙になにがしかの修正を施した後、手を合わせて拝んでいた。
――ホント、なにしてんの?
はじめのうちはあまり気にしていなかったのだが、彼のあの行動がストレスによる奇行だとしたら、指導係の私の責任でもある。
仕事の合間に、さりげなく千曲君に話しかけた。
「あのさ、最近、なにか困っていることとか、悩んでいること、ある?」
「いえ、ありませんよ」
きょとんとしている彼に、改めて問いかける。
「どんな些細なことでもいいのよ。あと、仕事に関係ないことでも。人に話すと、楽になることもあるかもしれないし」
「悩んでいることと言えば、相変わらず、仕事でミスをする自分自身のことでしょうか」
困ったように小さく笑う千曲君の肩に、ポンと手を載せた。
「でも、配属されたばかりの頃に比べたら、だいぶミスしなくなったじゃない」
「ですが、同期に比べたら、まだミスが多い気がします」
「そう?千曲君は丁寧な仕事をしているから、大きなミスはないわよ。そんなに、心配しないで」
「ありがとうございます」
そう言う彼の顔は、やはり困ったような笑顔だった。
それから二日後。
私は急ぎの仕事があったので、昼休みに自分の席で持参したノリ弁を頬張りながら、パソコンのキーボードを叩いている。
その時、午前中に千曲君へ渡した説明書に間違いがあったことをふいに思い出した。
彼は食事のため不在だが、机の上に置かれた書類を探すくらいは大丈夫だろう。
ファイルや書類の束を動かしながら目当ての説明書を探していると、手が滑ってバサリと落としてしまった。
「うわっ、やっちゃった」
床に散らばった書類を慌てて拾っていると、修正テープが何本も走った真っ白なコピー用紙を見つけた。
白いラインで書かれていたのは、『信濃先輩』だった。
――ああ、そうか。千曲君は、私が怖いのかも。
これは緊張をほぐすため、手の平に人と書いて文字を呑み込むといったおまじないといった類ではないだろうか。……呪いではないと思いたい。
課長に言われていたこともあり、私としてはけっこう気を遣って接していたけれど、それでも、繊細な彼には圧迫感があったのかもしれない。
――これ、けっこうショックだわ
私は苦笑いを浮かべながら拾った書類たちを千曲君のデスクに乗せ、自分の席に戻る。
半分近く残っていたノリ弁は、それ以上食べる気にはなれなかった。
それでも、指導係としての手を抜くわけにはいかず。私はこれまでと同じように熱心に、だけど、これまでよりは少し優しく千曲君に接していた。
彼が頑張った甲斐もあり、間もなく、独り立ちさせても大丈夫そうである。
そのことに安堵すると同じくらい、私が離れることで、彼に無用なプレッシャーを与えないで済むことにホッとしたのだ。
真面目で一生懸命で、だけどちょっと不器用な後輩を好きになりかけていたから。
怖がられていると知っていて平然とできるほど、私は強くないから。
五月の最終日。
私は終業時間になると、今日で指導が終わることを千曲君に告げた。
「よく頑張ったって、課長が褒めていたわよ。私はもう、君の指導係じゃなくなるけど、これからも、その調子で頼むわね。それじゃ、お疲れ様」
腕を伸ばし、高い位置にある彼の肩をポンと叩いてから、私は自分のバッグを持ってその場を後にした。
いや、後にしようとしたのだが……。
これまでの穏やかな千曲君から想像できないような素早さで、私の手首をガバッと掴んできたのだ。
驚いて見上げれば、彼は怖いくらいにまっすぐな視線で私を見つめていた。
「な、なに?とりあえず、手を放してもらえる?」
「嫌です。信濃先輩にお話がありますので」
「え?」
戸惑う私の手を引いて、千曲君は人がいない廊下の突き当りまでやってきた。
そして……。
「面倒がよくて、朗らかで、優しくて。サバサバしているのに、すごく気配り上手で。そんな信濃先輩を好きになるのは、あっという間のことでした」
告白された。
「ちょ、ちょっとまって!千曲君は、私のことを怖がっているのよね!?」
「そんなことは一切ありませんが、どうしてそう思ったのですか?」
慌てふためく私を前にして心底不思議そうにしている彼に、私は先日見かけた光景を話した。
「だって、見たのよ。あなたが修正テープで私の名前を書いて、その紙を拝んでいるのを。早く私から離れられますようにって、祈っていたんでしょ?」
私の言葉に、彼の顔がジワジワと赤くなる。
「ち、違います!大好きな信濃先輩に、少しでも迷惑がかからないようにって祈っていました。それと……僕の気持ちが通じるように、と」
まさか、そういった類のおまじないだったとは。千曲君のほうが、私よりもはるかに乙女だと思う。
今度は、私の顔が熱を持つ。
「あの、でも、私、お弁当箱一面にノリ弁を詰めてくるような人間だし……。ちっとも、可愛いところはないし」
俯いてモゴモゴと口ごもると、クスッと小さな笑いが降ってきた。
「ノリ弁、美味しいじゃないですか。僕、大好きですよ。ノリの下に昆布の佃煮や鰹節を敷くと、最高ですよね。それに、先輩は可愛いです」
クスッと小さく笑った千曲君が、私のことを優しく抱き寄せる。
「僕の腕の中にすっぽり収まるところとか、クルクル表情が変わるところか、本当に、もう、すごく可愛いです」
甘く穏やかな声で告げられ、私の顔はさらに熱を持った。
なにも言えずに立ち尽くしていると、千曲君の声が僅かに強張る。
「信濃先輩。さっきは僕から離れるような言い方でしたけど、それは、あくまでも指導係としてですよね?」
強く抱き締められ、私の心臓がドキンと跳ねた。
それは、彼の腕の強さのせいと、彼とは関わらないようにしようと決めた胸の内を読まれてしまったからだ。
やはりなにも言えずに俯いたままでいれば、また小さな笑い声が降ってきた。
「指導係としての役目は終わったでしょうが、先輩は、この先も僕のそばにいてもらわないと困ります」
そこで千曲君は腕の力を緩め、俯く私と視線を合わせるように、その場に膝を着く。
「まだまだ情けない後輩ですが、先輩に頼ってもらえるような男になります。少し時間がかかるかも知れませんが、付き合ってもらえませんか」
仕事中と同じくらい真剣な瞳に、彼の本気が窺えた。
私はバッグの取っ手をギュウッと握りしめ、オズオズと口を開く。
「……そんなの、きっと、すぐだよ。だって、千曲君はこの二ヶ月で、あっという間に成長したから」
「先輩、それって……」
私はその場にバッグを落とすと、嬉しそうに目を大きくしている千曲君に抱き付いた。
「明日から、一緒にノリ弁を食べようね。私、千曲君の分も作ってくるから」
自分の口から『好きだ』と伝えるのが恥ずかしくて、そんなセリフで告白の返事をする。
それでも、彼はちゃんと分かってくれて。
「はい、楽しみです」
痛いくらいに強く抱き締めてきたのだった。




