(60)好みを教えて【黒のボールペン】
同じ会社で同期、部署は違う。年齢は二人とも二十五歳。身長差アリ(頭一個分くらい)。前向き思考の営業部男性社員と。文房具が好きな、おとなしい経理部女子社員。
土曜日。外食業界向けの調味料やレトルト食品の販売会社に勤める俺は休みである。
けして給料がいいとは言えない会社だが、休みはキッチリ取れるし、福利厚生の面でもしっかりしている。長時間労働で、会社に縛られることもない。いきなり休日出勤を強要され、休みが潰れることもなかった。
ごくまれに休日出勤をすることがあっても、必ず上司がこちらの都合を聞いてくれるので、理不尽さを感じたことはない。
社長をはじめとする主な経営陣の多くは保守的な考えの持ち主だが、堅実な経営方針により赤字に陥ることもなく、社員たちに不安の影はなかった。
働き始めて三年が経った今、ある意味、理想的な職場だと実感する毎日である。
これで彼女でもできたら、万々歳なのだが。
ありがたいことに声をかけてくれる女性がいたり、友人が女友達を紹介してくれるが、どうもピンと来なくて、お断りさせてもらうばかりだった。
「あーあ。家にいてもつまんねぇし、出掛けるか」
朝食後に一通りの家事を終えた俺は、なにをするでもなく暇を持て余していた。
手元にあるDVDはすべて見終えてしまったし、天気のいい休みの日に、家に籠っているのももったいない気がする。
大げさに独り言を零し、一人で暮らすアパートの部屋を出た。
どこに行こうか迷った末、電車で五駅のところにあるショッピングモールに来ていた。
雑貨屋、本屋など、目に着いた店に入ってブラブラと歩き回り、適当に時間を潰す。特に目的を持っている訳でもないのだが、こうして目新しい品物を見ているだけでも、なんとなく楽しい。
「おっ、あっちにあるのは文房具の店か」
ドラッグストア内を一回りした俺は、通路を挟んで向かい側の店に目を留めた。
「書きやすいボールペンがあるといいんだけどな」
独り言を呟きながら、足を進める。
俺の仕事は営業で、自社の製品を持って得意先回りをし、合い間に新規開拓を行う毎日だ。
基本的にはパソコンでデータを入力したり、書類を作るのだが、領収書を切ることや商品カタログに商品説明文を添えることもあるので、意外にも手書きの場合も多かった。
だが、俺は自筆の字にはあまり自信がない。すごく酷いわけではないが、お世辞にも綺麗とは言えるものではなかった。
お客様に見せる字が読みにくいと失礼に当たるし、それに、いい年の大人がまともな字を書けないとなると、みっともないではないか。
そういうこともあって、俺は常に手に馴染むボールペンを探していた。
メモ帳やノートのコーナーを抜けた先に、マジックやボールペンがズラリと並ぶコーナーがあった。これだけあれば、気に入るものが見つかるかもしれない。
ペンコーナーには女性客がいて、熱心に眺めては、時折、商品を手に取り、試し書きをしている。
その横顔には見覚えがあった。
「沖野さん?」
呼びかけにパッと顔を向けてきたのは、同じ会社で同期である沖野茉莉だった。
彼女は俺とは違う経理部なので、しょっちゅう顔を合わせる訳ではなかったが、同期会ではそれなりに話す相手。
大人しくて、自分から積極的に話すようなことはないものの、声をかけると一生懸命に返してくれる。俺の中ではかなり好感度の高い同期だ。
それに書類を提出しに行くとすごく丁寧に対応してくれるので、つい、彼女が受付担当の時を狙っていたりする。他の担当だと、仕事の忙しさを理由に扱いがぞんざいだったり、説明が省かれたりするからな。
これまで、俺の中では沖野茉莉という人物は『物静かで、仕事熱心な同期』という位置づけでしかなかったのだが、目を真ん丸にして驚いている彼女の顔を見て、その位置づけが変わった。
――なんだ。俺、沖野さんのことが好きだったんだ。
だから、同期会では無意識のうちに彼女の姿を探して、なんとか話しかけて。彼女が受付担当の時に、タイミングを合わせて書類を出しに行って。
だからこそ、驚いている彼女の顔が、ものすごく可愛いと思うのだ。
「こ、近藤君?え?なんで、ここに?」
パチパチと瞬きを繰り返しながら、沖野さんが首を傾げる。
俺より頭一つ小さくて、全体的に華奢な造りの彼女が首を傾げて見上げてくる様子は、本当に可愛い。
サラサラな黒髪のショートカットも、すごく可愛い。
普段からシンプルなメイクしかしない彼女のほんのりピンクな唇が、とにかく可愛い。
自分の想いを自覚した今、この世のなによりも可愛いものに見えてくる。
そんな彼女に、ニッコリと微笑みかけた。
「ここにいたらおかしい?俺だって、買い物くらいするよ」
「そ、そっか。そうだよね。変なこと言って、ごめんね」
フニャッと目尻を下げてはにかむ彼女のことが、心底可愛いと思う。
「別に、謝ることはないけど。ねぇ、さっきから、すごく熱心にボールペンを眺めているよね」
俺の言葉に、彼女の顔が少し赤くなった。
「え、えっと、私、文房具が好きで。ここはこの辺りで一番品揃えが豊富で、新作も早く入荷されるから。それで、つい……」
モジモジと俯いて手を握ったり閉じたりしている様子が、猛烈に可愛い。これで俺と同じように、社会人になって三年経っているとか思えない。同期の女子社員の中には、オバサンを通り越してオッサン化している者もいるというのに。
「じゃあ、沖野さんにお願いしようかな」
「え?」
「俺、書きやすいボールペンを探しているんだ。文房具好きの沖野さんに、アドバイスをしてもらえると助かるな」
俺の話に、沖野さんがオドオドと視線を彷徨わせた。
「で、でも、そういうことなら、店員さんに……」
「店員でも、そこまでボールペンには詳しくないと思うよ。だから、頼むよ」
「う、うん。私でよかったら……」
そう言って、沖野さんがいくつかピックアップして、俺に手渡す。握り心地や、重さ、太さを見てほしいとのこと。
一本ずつじっくり感触を確かめ、試し書き。十五分ほどその作業を繰り返したところで、満足のいくボールペンに巡り合えた。握りやすくてインクの伸びが良く、なんだか字が上手くなったような気がする。
「ありがとう。ところで、沖野さんはどんなボールペンを使ってるの?」
「私はこれだよ」
彼女が手にしたのは、俺が持つボールペンよりも一回り細い物だった。
そこからは、沖野さんが自分の好きな文房具をあれこれ説明してくれて、店内を一緒に見て回る。
気が付いたら、彼女と出会ってから一時間が経っていた。
「ごめんね、私の趣味に付き合わせちゃって」
文房具店を出たところで、沖野さんがペコペコと頭を下げてくる。
「沖野さんのおかげでいいボールペンが買えたし、それに楽しかったよ」
「ほ、本当に?」
「うん」
俺の返事に、彼女はホッと息を吐く。
「よかったぁ。私、文房具のことになるとすぐに夢中になっちゃって、友達からよく注意されるから。もしかして、近藤君に迷惑かけたかなって心配だったんだ」
またしても目尻を下げて笑う彼女の手を、俺はギュッと握った。
向かい合わせで立っているから、俺の右手で彼女の左手を、俺の左手で彼女の右手をしっかりと握る。
突然のことに、沖野さんはしきりに瞬きを繰り返していた。
「あ、あの、近藤君?」
「文房具の好みは分かったから、次は男性の好みを教えてくれる?」
「え?」
俺の言葉を聞いて、瞬きを止めた沖野さん。ポカンと俺を見上げる彼女は、最高に可愛い。
そんな彼女に、ニコッと笑いかけた。
「俺はどう?沖野さんの恋人になれるタイプ?」
ブワッと頬を赤く染め、沖野さんがしどろもどろになる。
「そ、そ、そんなの、か、考えたこと、ないよ……」
「考えたこと、ないの?」
訊き返すと、彼女が顔を伏せた。
「……うん」
コクンと僅かに頷く様子に、俺の口角が上がる。
「じゃあ、脈があるってことだね」
「なんでそうなるの!?」
思わずといった風に顔を上げた沖野さんに、改めて笑いかけた。
「だって、考えたくもないとかじゃなくて、考えられないってだけでしょ。だから、これから考えてもらえばいいかなって」
「そ、そんなこと、言われても困る……。近藤君、モテるから、別に私じゃなくても……」
少しだけ寂しそうに告げる彼女の手を強く握る。
「俺は沖野さんがいいんだ。そのことに気が付いたのはさっきなんだけど、でもさ、思い返してみると、もうずっと前から沖野さんが好きだったんだよね。だから、沖野さん以外は考えられない」
「わ、私、私……」
眉毛を下げて困り果てた表情を浮かべる彼女。
だが、俺の手を振り払って逃げたりはしない。
そのことに一縷の願いを込め、改めて告げる。
「沖野さんのことが好きなんだ。来週、俺とデートして」
パチリとゆっくり瞬きをした彼女が、ポツリと呟いた。
「……本当に、私でいいの?」
「もちろん。それで、返事は?」
しばらくしてから、彼女が俺の手をキュッと握り返してくる。
「…………よろしく、お願いします」
顔を真っ赤にした彼女からの返事は聞き取れないくらいの小さなものだったけれど、確かに肯定だった。
こうして、俺はめちゃくちゃ可愛い恋人を手に入れたのだった。




