(58)舐めちゃいたいくらい、大好き【セロテープ】
同じ会社。同じ部署。でも、課が違う。同期入社の同年齢。体格差・身長差アリ。
真面目な女性社員(大の犬好き)と。優しい笑顔が印象的なワンコ属性の男性社員(ただし、その属性が狩猟犬に変化することも)
ここはとある企業の営業部。一課は取引先相手に営業し、二課は一課の社員をサポートすることが仕事だ。
営業二課に配属されて三年目の私、四谷典子は、今日も黙々と頼まれた資料作りに励んでいた。
すると、隣の空席に誰かが腰を下ろす。お使いに出ていた先輩が戻ってきたのだろうか。
チラッと右側に顔を向けると、「お疲れさん」という軽やかな挨拶と共に、男性社員が腰を下ろした。
彼は営業一課に所属する六平泰彦君で、私と同期入社。中学、高校と水泳部に所属していたという彼は、見事に逆三角形の体形をしている。
私の身長は百六十センチ。けして小さい部類には入らないけれど、彼と並ぶとまるで大人と子供である。
六平君は肩幅があって背が高くて、オマケに顔立ちがキリッとしているので、一見すると少し怖い。
だけど、ひとたび笑顔になれば、ゴールデンレトリバーに早変わり。落ち着いた焦げ茶色のクセ毛をフワリと揺らしながらニコニコ笑っている様子は、まさしく人懐っこい大型犬。
犬好きの私としては、彼の笑顔を見るたびにワッシャワッシャと撫で回したい衝動を我慢するのに一苦労だったりする。
そんな彼と私は名字に漢数字が入っているという微妙な共通点もあって、課を超えて仲良し。
「また、セロテープ借りるよ」
ニッコリ笑う六平君を見て、私は彼の髪を撫で回したい衝動を抑えるために、ボールペンを力いっぱい握り締める。
「うん、どうぞ」
ブルブル震える右手を視界に入れつつ、私も笑顔を返した。
六平君は情報集めとして、気になった新聞記事や雑誌記事を切り抜いて、スクラップブックを作り始めた。それは今年の春からのことで、九月に入った今でも続けられている。
他の社員たちに負けないよう、成績上位者軍の立ち位置を確保するために、さらなる努力を重ねているのだろう。
こうした努力が取引先との関係をスムーズなものとして、営業成績アップに繋がっていると思う。
そういったことから、六平君はたびたびセロテープを借りにやってくる。
私は営業事務という仕事柄、大抵の事務用品がデスク上や引き出し内に並んでいる。
しかし、営業マンの彼はデスクワークがそれほど多くなく、セロテープを必要とする機会も多くない。
なので、必要になると私のところに来るという訳だ。
特に会話をすることなく、お互い作業に集中する。
ふと、セロテープが必要になった私は、無意識にテープ台に手を伸ばす。
すると、同時に六平君も手を伸ばしてきた。
右利きの私と、左利きの彼の手が軽くぶつかった瞬間、二人で同時に苦笑い。おなじみの光景だ。
はじめのうちは、ぶつかるたびに謝り合っていたけれど、最近では視線を合わせて苦笑する程度。
しょっちゅう、しょっちゅう、謝っているのが馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。それに、目を合わせて笑い合うくらいには、私と彼はいい意味で遠慮がない間柄である。
ただ、最近になって気になることがあった。
以前は週に一度程度だったスクラップブック作りが、いつの間にか二、三日おきになり、毎日になり。
今では一日に数回、隣の席が空くのを見計らったようにして、セロテープを借りに来るのだ。
私は資料作りの手を止め、右隣に声をかける。
「六平君」
「なに?」
「あのさ、セロテープ台を備品申請しておこうか?」
私の言葉に、凛々しい眉が少しだけ下がった。
「スクラップブックを作る時にしか使わないから、用意しなくていいよ。四谷さえよかったら、これからも使わせてもらえるとありがたいな」
「私は構わないけど」
彼が私のところにくることも手がぶつかることも、特に気にしていないなら、私も気にしないことにしよう。
ふたたび、お互いが作業に戻る。
そして、セロテープ台のところで手がぶつかり、苦笑い。
その数分後、同じことが繰り返された。
「今日は、随分とよくぶつかるね」
ヘラリと笑って六平君を見れば、彼の左手が私の右手をギュッと握り締める。
「えっ?」
「手がぶつかっていたのは、ワザとだよ」
――まさか、嫌がらせ?
ビックリする私を見て、彼が人懐っこい笑みを浮かべる。
「俺のこと、意識してほしいから」
「えっ!?」
さらに驚く私。
「な、なんで?」
「そんなの、四谷が好きだからに決まってるだろ。いい加減、気付けよ」
六平君は握っていた私の手を口元まで引き寄せ、大きな手から覗いている私の指先にチュッとキスをした。
その瞬間。
「こらー、六平!勤務中にイチャつくなー!」
一課課長の怒鳴り声が飛んでくる。
だけど、その顔はニヤニヤと笑っていた。完全に面白がられている。他の人達も、課長と同じ表情だ。
厳しく注意されるよりも、かえって居たたまれない。
私は掴まれている手を取り戻そうと、グイグイと引っ張る。
なのに、六平君はちっとも放してくれない。
「お願い、放して。ほら、課長に言われたでしょ!」
「でも、四谷からの返事、まだもらってないし。ねぇ、付き合ってくれる?俺のこと嫌い?」
不安そうに私を見つめてくる彼は、今にも『クーン』と悲し気に鳴きそうな表情。おまけに、ふさふさの耳と尻尾がヘショリとしている幻覚まで見えてくる。
そんな彼の様子に、私のハートはドキュン、と打ち抜かれた。
「えっと、その……」
「四谷、早く返事を聞かせて。そうしないと、いつまで経ってもこのままだよ」
私は耳に響く自分の心臓の音を聞きながら、なんとか口を開く。
「……六平君の髪、触らせてくれるなら。それと……、六平君のことは、嫌いじゃ、ないよ……」
すると、途端に彼の顔がパァッと明るくなった。
「好きなだけ触って。髪だけじゃなく、全身触っていいよ」
「ぜ、全身!?」
ギョッとなる私に、彼はフフッと小さく笑う。
「俺も四谷の全身を触らせてもらうしね。……いや、舐めさせてもらおうかな?」
そう言って目を細める六平君は、ゴールデンレトリバーではなく、獰猛なドーベルマンに見えて仕方がなかった。




