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(53)日常にこそ、ドラマが隠れている【コピー用紙】

同じ会社、同じ部署。年の差は二歳(女性が上)。見た目が良く、仕事ができる後輩男性社員と。彼の指導係を務めた先輩女性。


 


 穏やかな日差しが心地よい、春の昼下がり。

 とある会社の庶務課では、昼食を終えた女子社員たちがおしゃべりを楽しんでいた。

 彼女たちは皆、二十七才。

 そうなると、大抵の話題は結婚に関するものだ。

 女性が社会に出てバリバリと仕事をこなす現代。かつてのように、女性は二十代で結婚するといった風潮はかなり薄れている。

 食後にお菓子を摘まみつつ、あれやこれやと口を開く彼女たちの話題の中心は、メイクやファッションに関するものが多かった。

 とはいえ、まったく結婚を意識していないわけではない。

 本人が気にしなくとも、彼女たちの母親が「そろそろ、どうなの?」と、時に遠回しに。「早く結婚して、孫を見せてよ」と、時に直球で訴えてくるのだ。

 嫌でも意識せざるを得ない。

 だが、彼女たちだって、一生独身を通すつもりはないのだ。

 しかるべきタイミングで、しかるべき相手と結婚したい。愛する旦那様と可愛い子供に囲まれて、幸せな時間を過ごしたい。

 口には出さないだけで、心の奥では誰もが思っていた。


 思ってはいたが、なにしろ、結婚というものは一人でするものではないのだ。旦那様になってくれる相手がいない事には、いくら彼女たちが切望したところで無理である。


 やがて、彼女たちの一人が「昨日も、母親から結婚をせっつかれてさ」と、苦笑まじりに零した。

 それに対して、他の二人も苦笑を浮かべる。

「結婚できるなら、したいよねぇ。でもさぁ、結婚の前に、私達はまず、恋人を見つけなくちゃ」

「分かっているんだけど、これが難しいのよねぇ」

 彼女たちは顔を見合わせてため息を吐いた。

 この三人は、現在、恋人募集中である。偶然にも揃って大学卒業時に彼氏と別れ、それ以来、独り身だった。

 入社してに三年の内は仕事に追われて恋愛どころではなかったけれど、ようやく、職場での立ち位置も落ちついてきたところだった。

 幸いにも、この職場では育児休暇制度を取り入れている。彼女の母親たちはそれを知っているからこそ、結婚をしつこく迫るというのもあるのだろう。

 三人が同じタイミングで、もう一度深く息を吐いた。

 そこで、ハッと我に返った女性が一人。

「ああっ、ダメよ!こんなくらい顔をしていたら、恋なんて出来ないわ!もっと明るくて楽しい話をするべきだよ!」

 そう言って、無理やり重たい空気を振り払ったのは、庶務課に所属する富田とみた響子きょうこだ。

 そんな彼女に同僚二人は面食らった後、「確かにそうね」と賛同を示す。

「明るく楽しい話……。うーん、そうねぇ……。あっ、二人はどういう風に告白されたい?」

 まるで中学生のノリだが、先ほどまでの鬱々とした空気を醸し出す話よりはよほど前向きだろう。

 響子に問われ、二人は理想とする告白のシチュエーションを語り出した。

 海が見えるホテルだとか、綺麗な夜景が見渡せるバーだとか、高級車でお出迎えだとか、両手で抱えきれないほどのバラの花束だとか、彼女たちは嬉々とした表情で列挙する。

 一通りのシチュエーションを出し切ったところで、「今度は、響子の理想を聞かせてよ」と話を振られた。

「そうだなぁ。私だったら、何気ない日常の中で、サラッと告白してほしいかも。職場ですれ違いざまに、とか」

 それを聞いた二人は微妙な表情となる。

「えー。そんなの、つまらないわよ」

「そうよ、あくまでも理想なんだから、もっとロマンチックなものを言いなさいって」

 賛同を得られなかった響子は、二人に苦笑を向けた。

「プロポーズだったら、凝った演出も嬉しいけどさ。告白の段階で手の込んだことをされると、気後れしちゃう感じがしてね。まぁ、さり気ない中にも、ちょっとしたサプライズは欲しいかな」

 すると、今度は二人が苦笑い。

「ずいぶんと無茶な要求をするわね」

「さり気なくサプライズって、どんなものよ」

「うーん、そうねぇ」

 そこで、背後から声がかかる。

「失礼します。富田先輩、課長からの伝言です。急ぎの用があるので、第一会議室に来てほしいそうです」

「あ、そうなの。分かったわ」

 響子が返事をすると、そこに立っていた二つ下の後輩である樋沼ひぬま智明ともあきは、ニコッと笑ってから去って行った。

 彼が自分の席に戻ったところで、響子はコソコソと話し出す。

「……今の内容、樋沼君に聞かれていたかな?」

 二人も同じように、小声で話してきた。

「別に悪いことを話していたわけじゃないけど、なんだか気まずいわよね」

「モテモテの樋沼君からすれば、独り身の三人が集まって寂しい話をしているなって見えたかもよ」

 スラリと背が高く、優しい笑顔がトレードマークの彼は、年上女性にも年下女性にも人気がある。見た目は抜群な上に仕事ができるものだから、彼の恋人の座を狙う女性社員はかなり多いのだ。

 響子は彼の指導係を務めたこともあって、彼の人となりはよく分かっていた。

 優しくて穏やかで、そして、努力家。


――確かに、近年まれに見る優良物件ね。


 午後の仕事に向けて資料を揃えている後輩の様子を眺める響子は、そんなことを心の中で呟いたのだった。




 課長の用事を済ませた響子は、明日の会議で使うデータを印刷していた。

 そこで、いきなりコピー機が止まる。

 液晶パネルを見れば、紙が切れたとの表示が出ていた。

「もう、前に使ったのは誰よ。残り少なくなっていたら、補充しておきなさいっての」

 唇を尖らせながら背後にあるコピー用紙置き場の棚を見れば、紙切れとなっているA4の用紙が見当たらない。

 さらに響子の唇が尖った。

 不機嫌全開で、備品庫へと向かう響子。

 廊下を歩いていると、樋沼が向こうからやってきた。

「富田先輩、どうしたんですか?」

 響子の表情に気付いた彼が首を傾げる。

「コピー用紙が切れたのよ。おかけに、在庫もないの」

 プリプリと怒っている響子に、樋沼は形の良い眉をシュンと下げた。

「すみません。僕が補充を忘れていました」

 ペコリと頭を下げる後輩に、響子は少し驚く。気配りも抜群で注意力にも定評がある彼にしては、珍しいミスだ。

「樋沼君らしくないわね。もしかして、疲れてる?みんなから頼りにされているんだろうけど、無理しちゃ駄目よ」

 怒りを引っ込め、後輩の肩をポンポンと優しく叩いて慰める響子。

 表情をやわらげた彼女の様子に、ホッと安堵の息を漏らす樋沼。

「先輩は優しいですね」

「そんなことはないわよ。ま、次は忘れずに補充しておきなさいね」

「あの、僕が用紙を取りに行きますよ」 

 そう申し出る樋沼に、響子はまた彼の肩をポンと叩く。

「私が行くわ。ちょうど、飲み物が欲しかったところだしね」

 備品庫入り口脇にある自販機には、響子がお気に入りのレモンティーがあるのだ。

「じゃあね」

 ヒラリと手を振る響子の背中をしばらく見送っていた樋沼は、足早に庶務課へと向かった。




 レモンティーを飲んで気持ちを落ち着かせた響子は、コピー用紙を台車に乗せて戻ってきた。

 早速補充しようと、コピー機の用紙トレイを引き出す。

 そこで響子は固まった。

 さっきは紙切れを起こして止まったはずのコピー機なのに、A4の用紙トレイには真っ白い紙が入っている。

 ただし、一枚だけ。

 それに対して疑問が浮かぶが、なにより、その紙に書かれている言葉が瞬時に理解できなかった。

 いきなり現れた一枚用紙には、こう書かれている。


『富田響子先輩が好きです。

 付き合ってください。

 樋沼智明       』


――なに、これ……。


 そのままの体勢で動けずにいる響子に歩み寄る人物がいた。樋沼だった。

「驚いてくれました?」

 ニコニコと穏やかな笑顔の後輩に、響子はさらに混乱する。

「あ、あの、どういう、こと?」

 つかえながら尋ねる彼女に反し、彼はさらに笑みを深めた。

「さり気ないサプライズを意識したんですけど、いかがですか?」

「え?いかがって……」

 まったく理解できなくておうむ返しをする響子の手を、樋沼は優しく握り締める。

「さっき、理想とする告白について話していたじゃないですか。さり気ない中にも、ちょっとしたサプライズがあると嬉しいんですよね?」

 そう言って、樋沼は響子の手を強く握った。

「先輩、大好きです。プロポーズの時は練りに練った演出をしますから、楽しみに待っていてくださいね」

「は?ちょっと、なに、言ってるの?」

 我に返った響子は自分の手を取り戻そうとするが、それよりも素早く、いっそう強い力で樋沼が握り締める。

「結婚を前提に、付き合ってくださいって言ってるんです」

 優しい笑顔で。だけど、その目は真剣そのもの。彼が嘘や冗談で告白をしてきたのではないと物語っている。


 樋沼からすればさり気ない告白だったかも知れないが、響子からすれば、心臓を止めるほどの破壊力を持った告白だった。


 



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