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(48)捕まえておかないと【下じき】

お隣さん同士。年の差は二歳。女性が年上。身長差は十二、三センチ。色々な意味で将来有望な男子高校生と(ちょっと策士風味)。面倒見のいい、マイペース型の女子短大生。



「はぁ、寒い~。早く、こたつに入りたい~」

 一月最後の金曜の夜。

 一緒に買い物に出掛けた友達と夕食を済ませ、私は駅からの家までの道を寒さに震えながら歩いている。

 すると、後ろから「リリねぇ!」という掛け声と、走ってくる足音が聞えてきた。

 マフラーを引き上げながら振り返ると、よく見慣れた男の子が満開の笑顔で駆け寄ってくる。

 彼は隣に住む天野あまの伊月いつき君。短大一年生である私の二歳下で、現在、高校二年生。三人兄弟の末っ子。

 年は下だけど、身長は私よりも高い。私だって特別チビではないものの、伸び盛りの男の子にはかなわない。この調子だと、もうすぐ百八十センチに届きそうだ。

 肩から大きなバッグを下げた彼が学生服の上にコートを着ている所を見ると、予備校の帰りなのだろう。

「寒がりのリリ姉がこんな時間に歩いているなんて、すごく珍しいね」

 あっという間に追いついた伊月君が、白い息を吐く。

「友達とおしゃべりしていたら、遅くなっちゃたんだよね。ご飯を食べ始めた時はまだ六時だったのに、気が付いたら八時過ぎてた」

「しゃべりすぎでしょ」

「うん。おかげで、この寒い中、帰る羽目になったよ」

「それは災難だったね。俺としては、リリ姉に会えてラッキーだけど」

 ニコッという音が聞えそうなほど、見事な笑顔である。

 今はまだ少しばかり幼さが抜けていないけれど、高校を卒業する頃には、とびきりイイ男になるだろう。伊月君は将来が楽しみなイケメン候補生なのだ。

「もう、可愛いこと言ってくれるなぁ」

 コートのポケットから右手を出して、グリグリと高い位置にある彼の頭を撫でてやる。

「えー、俺は可愛いより、かっこいいって言ってもらいたいなぁ」

 不貞腐れてみせるので、額をパチンとひっぱたいてやった。

「生意気言ってんじゃないわよ。そのセリフは、まだ早い」

「なにそれ~」

 アハハと笑う彼の額をもう一度ひっぱたき、その手にハァと息を吐きかける。

 すると、スッと伸びてきた手が、私の手を握り込んだ。

「そんなことをするより、こうした方があったかいでしょ?」

 身長差があることと、男女の違いということで、伊月君の左手に私の右手がすっぽり包まれる。

 その温もりに、どこかホッとする。

「ホント、生意気なことを言うようになったわね。でも、あったかいから許す」

 私の言葉に彼はまたアハハと笑うと、私の手を引いて歩き出した。




 互いの家が見えてきた時、伊月君があることを提案してくる。私に家庭教師をしてほしいと言ってきたのだ。

「でも、伊月君は十分成績もいいし、私が教えることなんてないよ」

 彼はこの辺りでも有名な進学校に通っている。そこで上位の成績を修めていることを、伊月君のお母さんから聞いていた。

「んー。なんていうか、一人で勉強していると見落としていることが出てくるんだよね」

「予備校に行ってるんだから、講師に教えてもらった方がよっぽど有意義だよ」

 私もそれなりに勉強に励んでいるけれど、彼ほど頭の出来は良くないと思う。

 ところが、彼は首を横に振った。

「予備校のない土、日に復習したいんだ。だから、リリ姉に頼みたいんだけど、ダメ?」

 子供の時は可愛いだけだったのに、そこに年に見合ったかっこよさが加わった伊月くんに首を傾げられたら断りにくい。

 だが、彼のことを思えば、ちゃんとした家庭教師を雇うべきだ。

「きっと、私じゃ役に立たないから」

 マフラーの中でモゴモゴと答えると、繋がれている手をギュッと握られる。

「そんな事ない。リリ姉がいてくれるだけで、俺は頑張れるよ。だから、お願い」

 正面に回ってきた伊月君に真っ直ぐ見つめられ、私は「ちょっと考えさせて」としか言えなかった。


 家に帰り、家庭教師のことを母親に話す。

「引き受ければいいじゃない」

 と、あっさり言われた。

「だけどさぁ、週末には私にも予定が……」

 そう返したところで、母がバッサリ切り捨てる。

「彼氏もいないあなたが、週末の予定なんてあるのかしらねぇ」

「う、うるさいな!彼氏がいなくたって、私にだって色々あるんだから!ねぇ、お母さんからこの話、断っといてくれない?」

「いやよ」

「なんで?」

「なんでも。とにかく、一回やってみなさいよ。せっかく凛李子りりこを頼りにしてくれているんだし。どうしても無理だったら、その時に断わればいいでしょ」

「うん……」

 こうして、私は伊月君の家庭教師を引き受けることになってしまった。


 翌日。

 朝ご飯の後に伊月君に連絡を入れ、昨日の話を了承した旨を伝える。

『ありがとう!それなら、今からウチに来てよ!』

 電話越しでも分かるほど、ウキウキとした声が聞えてきた。

「でも、準備があるから、お昼過ぎに行くね」

『えー。準備なんて、別にいいのに』

 とたんに不貞腐れた声になった伊月君に、苦笑が零れる。

「そうはいかないよ。引き受けた以上は、ちゃんとしたいし」

『もう、リリ姉は真面目なんだから。そういう所がいいんだけどね。じゃ、お昼御飯を食べたら来てね!絶対来てね!』

 やけにテンションの高い声に、またしても苦笑してしまう。

「分かった、分かった。後で行くから」

 通話を終えると、私は自分の机に向かう。

「さて。可愛い幼馴染みのために、問題集でも作りますかねぇ」


 早めにお昼ご飯を済ませ、私は天野家に向かう。

 チャイムを押すと、伊月君のお母さんは出てきた。見た感じ、今から出掛けるようだ。

「凛李子ちゃん、伊月が我が儘を言ってごめんなさいね。容赦なく、ビシビシやってくれて構わないから」

「そんな。私で役に立つかどうか、分かりませんし」

 首を横に振れば、バシン、と肩を叩かれる。

「大丈夫よ。凛李子ちゃんなら、なんの問題ないわ」

「は、はぁ」

 伊月君のお母さんは謎の太鼓判を押すと、楽しそうに出て行ってしまった。


 私が靴を脱いだところで、伊月君が階段を下りてきた。

「リリ姉、いらっしゃい。さっそく、俺の部屋に来てよ」

 私の手を掴むと、早足に階段を上ってゆく。やる気があるのはいいことだが、段差に躓きそうだ。

 どうにか転ばずに、彼の部屋に到着。

「あのさ。これ、作ってきたんだ。伊月君の学力を知るために、まずはこの問題を解いてくれるかな」

「うん」

 問題集を手に取った伊月君が、グッと顔を寄せてくる。

「これ、全問正解したらご褒美くれない?」

「え?」

 瞬きをして見上げれば、伊月君はちょっと首を傾げてみせた。

「そういう楽しみがあった方が、頑張れるんじゃないかな」

「あ、まぁ。それはそうかもね。でも、私、今は何も持ってないから」

 隣に行くだけなので、財布すらも持たずに来てしまった。

 困り顔になると、彼はフフッと小さく笑う。

「それは大丈夫。リリ姉がすぐにできることをお願いするだけだから。お金もかからないし」

「だったら、いいけど」

 不思議そうな顔をする私に、「じゃあ、さっそく問題を解いてみるよ」と言って、伊月君が自分の机で問題を解き始めたのだが。


 流石は進学校に通うだけのことはある。割と難しめに作ってきたけれど、あっという間に全問正解。

 彼の横に立ってその様子を眺めていた私は、正直驚いた。

「この引っかけ問題に、よく気が付いたねぇ」

 採点結果に感心していると、私の手の中から問題集を引き抜く伊月君。

「リリ姉、約束だよ。ご褒美をちょうだい」

 椅子に座ったまま私を見上げ、そんな催促をしてくる。 

「なにが欲しいの?」

 尋ねてみれば、予想をはるかに上回る返答が。

「リリ姉、俺とキスして」

「……はい?」

 瞬きを忘れて彼の顔を凝視していると、「俺とキスしてって言ったの。今度は聞こえた?」と言い直される。

 いや、さっきも聞こえていたんだけど、言葉の意味を正確に理解できなかった。

「な、なんで?」

 焦る私に、伊月君は形の良い目を細める。

「なんでって、したいから。リリ姉は彼氏いないんでしょ?だったら、いいよね?」

 確かに彼氏はいないけれど、でも、それが伊月くんとキスをする理由にはならない。

「あ、あの、他の物じゃダメかな。そうだ、私、マッサージがうまいんだよ!」

 引き攣った笑顔の私に、伊月君は「だめ、キスがいい」と言って引かない。

「それは……」

 泣きそうになりながら視線を伏せると、彼はノートに挟んでいた透明な下敷きを手に取った。

「じゃあさ、この下敷き越しにキスをするっていうのならいいでしょ?」

「あ、うん。まぁ、それなら……」

 渋々と下敷きを受け取り、自分の唇に押し当てて目を閉じる。

 薄いながらも硬質な下敷きならば、感触も温もりも分からないだろう。思ったより、心に余裕が出来た。

「リリ姉、キスするよ」

 椅子から立ち上がった伊月君が、囁くように声をかけてきた。 

 ゆっくりこちらに近付いて来る様子を気配で感じる。

 

――こんなことをして、何が楽しいのかな?


 心の中で呟いた瞬間、伊月君が下敷きをサッと奪い取った。さらに、直接唇を重ねてくる。

「ん、んっ!?」

 驚いて彼から離れようとしたけれど、いつの間に伊月君の腕が背中に回っていて、しっかりと抱きしめられている。

 もがいても、彼の胸を叩いても、ぜんぜん放してくれない。

 それからたっぷり一分ほど経ってから、伊月君の顔が静かに離れていった。




 あまりの衝撃で、足に力が入らない。

 その場にへたり込みそうになれば、さらにきつく抱き締められた。

「う、う、う、嘘つき!」

 悔しさたっぷりに叫ぶと、私の髪に頬ずりしてくる。

「ごめん。目を閉じたリリ姉があんまり可愛くて我慢できなかった」

「ひどい!私をからかうなんて!」

 一段と大きな声を出せば、真剣な声が降ってきた。

「からかってなんていないよ!俺は、リリ姉が好きなんだ!」

「えっ?」

「ずっと、ずっと、リリ姉だけが好きだった。だから、リリ姉のお母さんに頭を下げて、家庭教師をしてもらえるように頼んだんだ」

「なに、それ……」

 呆気に取られて見上げると、真っ直ぐな瞳に心臓を射抜かれる。

「だって、リリ姉は短大を卒業したら社会人になって、学生の俺と世界が離れちゃうじゃないか。だから、その前に捕まえたくて」

 突然すぎるキスと告白に、私の涙腺がとうとう崩壊した。

 ボロボロと涙を零す私のことを、伊月君くんが痛いくらいギュッと抱きしめてくる。

「リリ姉、好き。大好き。だから、俺と付き合って」




 その頃。

 私の家では、母親と伊月君のお母さんがリビングで談笑していた。

「まさか、伊月君が凛李子を好きだとはねぇ」

「え~。そんなの、昔っから分かり切っていたわよ。あの子ったら、何かにつけて『リリ姉、リリ姉』だったし」

「それは伊月君がお兄さんたちの中で育ったから、姉という存在が欲しかっただけだと思っていたのよ。やけに懐いている気はしていたけど」

「懐いているなんて、生易しいものじゃなかったわ。独占欲全開で、凛李子ちゃんに近付く男の人を威嚇しまくっていたのよ。凛李子ちゃんはおっとりしていたから、そういう伊月には全然気が付いていなかったみたいね」

「まぁ、いいわ。かっこいい息子が出来て、私としては大喜びよ」

「私も、凛李子ちゃんのような可愛い娘が出来て嬉しいわ」


 本人のあずかり知らぬところで、事態は既にまとまっていたのだった。




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