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(47)決定事項【ボールペン(黒)】


同じ会社、同じ部署。年の差は五歳。上司と部下。虎視眈々と距離を詰める強面美形男性と。仕事で認められることに必死で、そんな男性の想いなど気付いていない女性。


「うわっ。なに、これ。想像以上に良いわ!」


 とある清涼飲料会社の広報部第一広報課に所属している私は、しみじみと感動に浸っていた。……一本のボールペンを握り締めて。

 傍から見れば怪しい光景だが、一人で残業しているので「お前、大丈夫か?」心配されることはない。

 私が残って仕事をしているのは、半年後にリニューアルされる緑茶用PRポスターのイメージ原案を作るためである。

 明後日には上司に提出し、週明けにはデザイン課と一緒に制作に当たる予定となっているのだが、どうにも納得いく案が浮かばない。

 デスクに齧りついてウンウン唸っていても、かえって煮詰るだけ。

「さて、どうするかなぁ」

 大きくため息を吐いた時、あることを思い出す。

 仲の良い先輩が『悠乃ゆのちゃん。これ、すごく書きやすくておすすめよ』といって、少々お高いボールペンをくれたのだ。

 普段の私は筆記具にさして関心もなく、ボールペンも会社の備品を使っていた。

 経費削減のあおりを受け、『安くてなんぼ。使えればいいだろう』という意向で揃えられているため、備品に質は求められていない。私自身も、書ければ何でもいいと考えている。

「せっかく先輩がくれたんだし、気分転換に使ってみるかな」

 そして、試し書きをするべく、適当な紙にボールペンを走らせてみたのだが。


 私の口から零れたのが、先ほどのセリフである。


 少しの引っ掛かりもなく、白い紙の上に黒のラインがくっきりと描かれる。

 たかがボールペンと侮っていた。これは、感動ものだ。

 自然とテンションが上がり、私はあれこれと文字を書き始める。

 はじめは自分の名前。

 次はボールペンをくれた先輩の名前。

 それから、友人たちの名前。

 知り合いの名前を一通り書いたところで、おもむろにある人の苗字に続けて自分の名前を綴ってみる。

 その「ある人」とは、密かに片想いをしている上司のこと。

 二十六の私より五歳上の彼は、この第一広報課の課長。

 百八十センチを優に超す長身と切れ長の目元、おまけにやたらと低く響く声の持ち主なので、配属された当初は正直、怖かった。

 ちょっとでも気の抜いた仕事をすれば容赦なく書類を突き返されるので、あっという間に怖さは倍増した。

 それでも、部下の頑張りをきちんと分かってくれる人だから。普段は無表情なのに、褒める時には切れ長の目元が優しく弧を描き、きちんと評価してくれる人だから。

 畏怖の念が尊敬に変わり、力本りきもと課長の下で働き始めて二年が過ぎた頃には、恋心へと変わっていた。

 だけど、自分の想いを告げるつもりはない。

 私はまだまだ未熟者だから、仕事で結果を出さないうちに告白しても、「恋愛にうつつを抜かす暇があったら、アイディアを出せ!」と、一喝されかねない。


――この仕事が評価されたら、その時は……。


 そんなことを考えながら「力本 悠乃」と書き綴り、悪くない字面にこっそり悦に入っている。

 その時。

「なんだ、それは?」

 いきなり背後から、しかもかなりの至近距離で声を掛けられた。

 夢中で名前を書いていたため、すぐ後ろに人が立っていたことにはまったく気が付かなかった間抜けな私。

 聞き間違えるはずのない声なのだが、「どうか、違う人でありますように!」と願いを込めて、ゆっくり顔を横に向ける。

 しかし願いは届くことなく、私の肩越しに手元を覗きこんでいるのは、てっきり帰ったと思っていた力本課長だった。

「答えろ。なんだ、それは?」

 課長がひたりと私を見据え、例の低音ボイスで問い掛けてくる。

 ゴクリと息を呑み、必死に唇を動かした。

「いえ、その……。上司と部下の、相性占いといいますか……。私がこの先も、力石課長の下で、うまくやっていけるかどうかを占ってみようかと……」

 ものすごい苦しい言い訳だ。冷や汗が背中を流れる。

 僅か二十センチほどしか互いの顔が離れていないという状況で、私の心臓が色々な意味で爆発寸前。

 

――ど、ど、どうしよう……。仕事もしないで、遊んでいると思われた!?


 この距離で絶対零度の睨みを浴び、地獄の底から響く叱責を浴びれば、私の人生は終わる。それはもう、あらゆる意味で。

 ところが、黙り込んでいた課長が目元を和らげ、ほのかに口角を上げたのだ。


――よかったぁ。怒鳴られたり、変に思われたりしなくて。


 ホッと息を吐いた瞬間、爆発寸前の心臓が動きを止めた。

「どうせだったら、夫婦としての相性を占ったらどうだ?」


――課長、今、何を言ったの?


 唖然となっている私に、課長はさらに笑みを深めてくる。

「俺の苗字になれよ」

 美形の怒り顔も破壊力抜群だが、笑顔はその数十倍の威力を発揮していた。

 おかげで頭の中がとっ散らかってしまい、「なんで?なんで?」と、壊れたレコードのように、同じセリフを繰り返すばかりである。

「なにを、そんなに慌てているんだ?」

 課長は軽く握った拳で、私の額をコツンと押しやった。

 軽い衝撃を受け、少しだけ我に返る。

「慌てるのも当然ですよ!だって、課長がそんなことを言うなんて、考えたこともありませんし!」

 すると、呆れたようにため息を吐かれた。

「お前が気付いていなかっただけだろうが。俺は、ちゃんとアピールしていたぞ」

「はい?」

「この俺が、そう簡単に女性の頭を撫でるか?相手が、お前だからだったんだぞ」

 確かに、仕事がうまくいって褒められた時は、さり気なく頭を撫でられていた。

 だけどそれは、私のことを子ども扱いしているだけだと思っていた。課長に認めてもらえるように、少しでも早く仕事ができる大人の女性にならなくてはと奮起していたのだが……。


――それって、私の勘違いだったってこと!?


 ドカンと顔を赤らめたところで、課長がまた私の額をコツンと押しやる。

「分かったら、俺の苗字になれ」

 その言葉は涙が出るほど嬉しいが、ちょっと待ってほしい。

「で、でも、それは、いくらなんでも早すぎます!お付き合いを丸っとすっ飛ばして、いきなり『俺の苗字になれ』なんて……。順番といいますか、段取りといいますか……」

 モゴモゴと口を動かしていると、「わかった」という一言が返ってきた。

「え?」

 そのことに、キョトンとしてしまう。

 普段であれば、私が一言漏らせばその五倍は返ってくるというのに。すんなり了承した上司が、今は逆に怖い。

「あ、あの、力本課長?」

 やれやれといった感じで、軽く肩を竦める上司。

「お前が言うとおりに手順を踏んでやる」

「ほ、本当ですか?」

 まだ信じられなくて思わず訊き返してしまうと、満面の笑みを向けられる。

「別にかまわないさ。最終的にお前が俺の嫁になることは、決定事項だしな」

「……え?」

 椅子に座ったまま固まっている私を、課長が正面から強く抱きしめてくる。

「異論は認めない。たっぷり愛してやるから、素直に頷け」

 わざとらしく低い声で、おまけに耳に注ぎ込むように囁かれて、抵抗できるはずもなかった。 



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