(45)こんなくっつき方、アリでしょうか!?【強力両面テープ】
同じ会社、同じ部署。年の差は五歳。身長差はそこそこ。元バレーボール部で、優しくて爽やかな笑顔が特徴の男性社員と。女性にしては背が高くて、少しおっちょこちょいな女性社員。
「あれ?」
作業が一段落して、ふと、パソコンから顔を上げた時、視界の端に違和感を捉えた。
グリッと左に顔を向ければ、入り口扉上部の壁紙が少しばかり剥がれていることに気が付く。
なかなかに年代もののビルに入っているこの職場は、こんな風にちょっとしたほころびが時折目に着くのだ。
「課長。あそこの壁紙、直した方がいいと思います」
席を立ち、つい先ほど私が淹れた緑茶を美味しそうに啜っている上司に声をかけた。
私が指さした方に目をやると、ほんわか幸せそうな顔をしていた課長が苦笑を零す。
「だが、踏み台を使っても、僕の背じゃ届かないなぁ」
笑顔の優しい課長は、男性にしてはかなり小柄かもしれない。
しかし、この小柄で丸顔の上司に日々癒されまくっているので、私としては、むしろそれでいいとさえ思っている。
自分の父親を可愛いと思った事は一度もないが、この上司ならアリだ。
「大丈夫ですよ。そこは、私の出番ですから」
ニコッと笑う私は、身長百七十四センチである。踏み台を使い、腕を伸ばせば、天井近くまで余裕で手が届く。
「島谷くん、ありがとう。頼むよ。ああ、これを使うといい」
癒し系上司から強力な両面テープを受け取り、私は高さ三十センチほどの踏み台を手に入口へと向かった。
置いた踏み台に乗り、ビッとテープを引き出す。
その時、いきなり扉が開いた。
外回りに出ていた社員が戻ってきたのだ。
突然のことに驚いてバランスを崩し、後ろに大きく仰け反る。なんとか踏ん張るが、足場の狭い踏み台の上なので、そのままグラリと体が傾いだ。
「きゃっ」
「危ない!」
短い悲鳴を上げてよろめいた私を、入ってきた社員が抱き留めてくれた。長い腕でスッポリと私を抱き込んでいるのは、五歳上の三上蓮先輩だった。
女性にしては長身の私を難なく支えている彼は、なんと百八十八センチ。しかも、高校、大学とバレーボール部に所属していたということで、腕力も胸筋も程よく引き締まっている。
「ノックをしないで悪かった」
先輩は心配げな声でこちらを窺うと、抱き締めた状態で台の上からゆっくりと私を降ろした。
「怪我は?足首を捻ったりしてないか?」
「わ、私は大丈夫です。でも……」
言葉尻を濁す私の視線の先には、先輩の髪に貼りついている両面テープがあった。後ろにゆるく流した黒髪に、これでもかと言わんばかりにベッタリとくっついている。
「すみません!今、取りますから!」
先輩の腕の中から慌てて抜け出し、慎重にテープを剥がす。
しかし、粘着度が高いせいで、うまく剥がせない。剥がせた部分も、相当ベタついている。
「本当にすみません。ああ、どうしよう……」
オロオロする私の頭を、優しい笑顔を浮かべた先輩がポンと撫でてきた。
「島谷がそんなに気にすることないさ。驚かせたこっちが悪いんだし」
もう一度私の頭をポンと撫でた先輩が、私の肩越しに課長を見遣る。
「外出してもよろしいでしょうか?」
幸いなことに、このビルの一階には理容室が入っていた。
「ああ、いいぞ。その髪をなんとかしてもらってこい」
ニコッと笑って了承する上司。
素敵な笑顔だが、今の私は、それでも癒されないほど落ち込んでいる。
――もしかして、嫌われちゃうかも……。
入社以来、三上先輩に片想いを続けて、早二年。気さくで優しい先輩ではあるが、今回のことで呆れられたかもしれない。
扉の外に注意を促す張り紙でもしておけばよかったと思うが、完全に後の祭りだ。
――はぁ、私って、気が利かないなぁ。
がっくり落ち込んでいると、またしても先輩が頭を撫でてくる。
「気にすんなって言っただろ。じゃ、行ってくる」
所々に両面テープの切れ端を髪に付けた先輩が、爽やかに手を振って出ていった。
理容室へと向かった先輩は、定時を三十分ほど過ぎて戻ってきた。
上司も同僚も既に退出していたが、さすがに私は帰る訳にはいかない。やきもきしながら先輩を待っていた。
扉が開くと、一目散に駆け寄る。
「お帰りなさい!」
三上先輩の黒髪はかなり短くなっていた。その様子に、ズン、と胃が痛くなる。
「本当にすみませんでした。あの、これ、受け取ってください!」
私はお札の入った茶封筒を差し出す。
だけど、先輩は私の手をやんわりと押し返した。
「いや、島谷が金を出す必要はないだろ。もともと、ノックもしないで入ってきた俺が悪いんだし」
「ですが、そういうわけにはいきません。こちらとしても、やはり心苦しいですし。お金を出したところで、先輩の髪が戻ってくるものでもないですけど……」
しょんぼりと肩を落とす私に、先輩がクスッと笑う。
「なぁ。この髪形、変かな?」
私はガバッと顔を上げた。
「いいえ!すごくかっこいいです!前の髪型も先輩の優しい人柄が伝わってくるようで素敵でしたが、今の髪型は爽やかで凛々しいと言いますか。とにかく、似合っています!」
入ってきた先輩に一瞬見惚れてしまったほど、本当によく似合っていた。
思わず封筒を握り締めて力説すれば、先輩は短くなった髪をサラリと梳き上げる。
「そっか。島谷にそう言ってもらえたんなら、かえって髪を切ってよかったよ。だから、お前はもう、気にすんな。金も要らない」
「そうは言いましても……」
頑としてお金を受け取ろうとしない先輩に、私はどうしたらいいだろうか。このまま引き下がるには、あまりに申し訳ない。
「せめて、なにかお詫びをさせてください」
私の言葉に、先輩の片眉がヒョイと上がった。
「なにかって?」
「私に出来ることなら、なんでもします!」
些細な雑用でも、仕事に関係ない使い走りでも、なんでも来い、だ。
意気込む私に、三上先輩はゆるやかに目を細める。そして、一歩前に出た。
「本当に?何でも?」
「はい!」
「その言葉に、嘘はないか?」
「もちろんです!」
きっぱり言ってのけた瞬間、先輩がグッと前屈みになる。壁際に私を追い込み、そんな私の顔の横に肘を折った両腕をバン、と押し付けた。
「じゃあ、俺の髪が元の長さに戻るまでそばにいてくれよ」
肘から手首までを壁に押し付けた先輩が、いっそう目を細めてくる。
巷で流行りの壁ドンをさらに進化させたバージョンによって、私は完全に囲まれている状態だ。これでパニックに陥らない方がどうかしている。
――な、なに、これーーーーー!
オドオドと忙しなく視線を彷徨わせていると、さらに身を屈めた先輩の額が私の額にコツンとぶつかった。
「それで、元の長さになったら、俺と結婚して」
「えっ!?」
パニックのあまりに、私は幻聴を聞いたのだろうか。
唖然とした表情で先輩を見上げると、形の良い唇がニンマリと上がる。
「出来ることなら、なんでもするんだろう?なぁ、春江」
……幻聴ではなかったようだ。




