(44)小さな告白がもたらした衝撃は、宇宙爆発規模で大きかった件について【穴あけパンチ】
同じ会社、同じ部署。同期で二十四才。ケンカ友だちのような関係の二人。最近、やたら突っかかるようになってきた男性社員(ちょっと策士)と。そんな男性社員に思いを寄せている女性社員。
金曜日の定時を三十分も過ぎれば、わざわざ社内に残っている者は数えるほどだ。
常に二十名ほどの社員で賑わっている企画部第一課には、課長から残業を申し渡された私たち二人しかいない。
横並びのデスクに座ってひたすら書類を整理しているのは、私、駒沢奈美恵と、その同期である穂積良成君。
彼が穴あけパンチで書類に穴を開け、手渡された書類を私がファイルに閉じるという作業を行っている最中である。
「早くファイルしろよ。どんどん溜まってきてるぞ」
「そっちがきちんと揃えて穴を開けないから、微妙にズレていてやりにくいの」
「そこまで丁寧にしなくても大丈夫だろ。ほら、ほら、受け取れ」
「ああ、もう。顔に書類を押し付けないでよ!」
こんな感じの言い合いが、残業を開始してから延々と続いていた。
その光景は今に限ったことではなく、私たちの間では日常茶飯事。彼とは気が合わないのか、むしろ合うのか、とにかく、お互い言いたい放題の仲である。
企画部に配属された当初から、まるでケンカ友だちのような関係となった私たち。
それは周りの社員たちにも浸透しているほどで、顔を突き合わせて意見をぶつけていると、『ああ、またやってるよ』という生温かい目で見守られている。
二年経った今も、その関係は大して変わることなかった。
いや、よりいっそう遠慮がなくなったかもしれない。穂積君と仲が良い同期は、ダントツで私だろう。二位以下を大きく突き離して、ぶっちぎりの独走状態だ。
その状況は喜ばしいものかもしれないが、彼との日々のやり取りを思えば、胸の奥がツキツキと痛みを訴えている。
私だって、穂積君にいちいち突っかかりたいわけではない。もっと大人しくしていたいと、ここ最近は特に強く考えるようになった。
それは、彼のことが好きだから。
誰だって、騒がしくて捻くれた女なんて恋人にしたくないだろう。
少しでも、女性であることを意識してほしい。ほんの少しでも、穂積君に好かれたい。
彼が私のことをケンカ友だちから昇格してくれたら、張り裂けそうなほど膨らんでいる想いを告白したいのに。
ところが、そんな私の気持ちなど知る由もない穂積君は、口数を抑えた途端に、『勢いがない駒沢なんて、駒沢じゃない。今更、俺の前でネコを被るなよ』なんてニヤニヤしながら意地悪く言ってくるのだ。
だからつい、「失礼ね!ネコなんて被ってない!」と、言い返してしまう。
そして、いつまで経ってもケンカ友だちの関係から抜け出せない。
二人して手も口も忙しなく動かしているうちに高く積まれていた書類の山はなくなり、ようやく終わりが見えた。
「はい、次の書類をちょうだい」
これまでは私が言わなくても横から差し出してきたくせに、なぜか最後になって書類が出てこない。
チラリと横目で見遣れば、彼はボールペンで書類に何やら書き込んでいた。
――誤字でもあった?
首を傾げていると、「よし」と一言呟いた穂積君が書類を差し出してきた。
「これで最後だ。俺、飲み物を買ってくる。駒沢は?」
「私は紅茶がいいな。もちろん、奢りでしょ?」
席を立った彼にそう声をかけると、
「なんだよ、もちろんって」
苦笑いを浮かべた穂積君にグシャリと髪を掻き混ぜられた。
「なにすんの!」
目尻を吊り上げて睨み付ければ、
「おお、怖い、怖い」
と、相変わらず苦笑を浮かべている彼が、足早に扉へと向かっていった。
「まったく、もう。なんなのよ」
不貞腐れたように言いつつも、内心では嬉しかったりする。
穂積君からしたら他愛のない仕草だっただろうが、好きな人に髪を触ってもらって嬉しくないはずはない。
そういうことを素直に出せないところが、この恋が前途多難であることを物語っている。
「はぁ、先は長いなぁ」
ため息を零しつつ、私は受け取った書類をデスクの上でトントンと揃える。
そして書類をファイルしようとするが、途中で突っかかってしまった。十枚ほど重ねられている書類のうち、穴が開いていない物があったようだ。
「もう、これじゃファイルできないじゃない。ちゃんとやってよね」
ブツブツとぼやきながら、私は中途半端に刺さっていた書類の束を引き抜こうとした。
その私の目に、思いもしなかったものが飛び込んでくる。
「……な、なに、これっ」
覗いた二つの穴の中に文字が見える。それぞれに書かれている文字は『好』と『き』だった。
直径五ミリほどの小さな穴から見えた告白は、とてつもなく大きな衝撃となって私の心臓を打ち抜く。
「ええっ!?」
あまりのことに、私はガタンと大きな音を立てて椅子から立ちあがって叫ぶ。
「ちょ、ちょっと、待って!待ってよ!好きって、好きって!?。穂積君が、私を!?」
いや。もしかしたら、疲れ目が見せた幻覚かもしれない。
「落ち着け。落ち着け、私……」
大きな深呼吸を数回繰り返した後に改めて穴を覗いてみるが、やはりそこにあるのは「好き」という二文字。
「ウソでしょ……」
ヘナヘナとその場にへたり込み、書類を手にしていない左手で口元を覆う。
鏡を見なくても、目元も頬も耳も真っ赤だろう。頭の天辺からは、湯気が出ているかもしれない。
そんな状態で、私はひたすら「ウソ……」と繰り返した。
「ったく、可愛いなぁ。あんな告白で真っ赤になるなんて」
飲み物を買いに行ったはずの穂積君が扉の陰からこちらの様子を伺っていることには、まったく気が付いていなかったのだった。
◆◇◆オマケ:その後の二人◆◇◆
飲み物を買いに行っていた穂積君が戻ってきたけれど、衝撃的な告白にすっかり腰が抜けてしまっている私は、情けないことに床にへたり込んだまま。
「ただいま~」
明るい声で弾むように声をかけられるが、恥ずかしくて声も出せない。彼の顔を見ることも出来ず、真っ赤になったまま俯いていた。
穂積君は自分のデスクに二つの缶を置くと、私のすぐ前にしゃがみ込む。
「予想通り、駒沢は不意打ちに弱かったな」
顔を見なくてもニンマリしているのが分かるほど、彼の声は楽しそうだった。その声には少しも意地悪な気配はなく、本当に嬉しそうにしていることが伝わってくる。
ずっと好きだった彼に告白されて、天にも昇りそうなほど幸せだ。
だけど、それ以上に戸惑いが大きいので、いまいち天に昇り切れていない。
「……なんで?」
心にあったわだかまりがこみ上げ、零れそうになった。それを堪えようと、とっさに口を噤む。
「ん?どうした?」
ふいに優しい声で促され、私はジッと床を見詰めながら話を続けることにした。
「なんで、私?あんなに、ケンカ腰で言い合っていたのに。だから、私は、そういう意味では好かれていないって……」
穂積君への想いを自覚したのが、大体一年くらい前。その頃から、以前にもまして彼との言い合いが激しくなったと思う。穂積君がこれまでになく、しつこく突っかかってくることが増えたからだ。
その疑問をポツリ、ポツリと彼に零す。
すると、穂積君はクスッと笑った。
「だってさ、駒沢ってメチャクチャ照れ屋でなかなか本音を口にしないから、ああやって言い合いになれば、勢いでポロッと言っちゃうんじゃないかなって」
彼の大きな手が、私の頭をポンポンと叩いてくる。顔を上げろと言っているような仕草だが、赤みが引かない顔を彼に見せたくない。
「い、言っちゃうって、なにを、よ?」
決まり悪い表情で問い掛ければ、またしても衝撃的な言葉が返ってきた。
「お前が俺のことを好きだってこと」
「なっ!?」
驚きのあまり、思わず顔を上げてしまった。
目を丸くして固まっている私に、穂積君は声を出して笑う。
「駒沢って、案外抜けてるよなぁ。『俺のことが大好き』っていう目で見られたら、気付かないわけないだろ」
「は?え?」
――私、そんな顔をしていたの!?
無意識のうちに自分の気持ちがダダ漏れになっていたとは、なんと居たたまれないのだろうか。少しだけ収まったはずの顔の赤みが、一気にぶり返す。
そんな私の頭をまたしてもポンポンと叩き、「まぁ、俺の方がお前のことを好きだけどな」と、穂積君がサラッと告げてくる。
「なに言ってんの!絶対に、私の方が絶対に穂積君を好きだもん!……あ」
勢いまかせで口にしてしまったセリフに、全身が固まった。
「そういうところが、すっげえ可愛いんだよなぁ。ホント、たまんない」
ニヤリと口角を上げた穂積君は膝立ちでにじり寄ってくると、唖然とした表情で動きを止めている私を正面から抱きしめてくる。
長い腕でギュッと抱き寄せられ、逞しい胸にすっぽりと収まってしまった。
色々な意味で羞恥の極致にいる私がアウアウと呻いていると、彼の右手が私の顎先にかかり、ソッと上向きにさせられる。
「そうやって、いつでも言いたい放題してろよ。どんな言葉でも、受け止めてやるからさ」
これまでの意地悪そうな笑みから、蕩けそうなほど甘くて優しい微笑みに変えた彼が、静かに顔を寄せてくる。
そして……。
「奈美恵、好きだよ」
いまだ呆けている私の唇に、チュッとキスを落としたのだった。