(43)まる。しかく。【消しゴム】
高校一年生同士。同じクラス。身長差ありまくり。体格差もありまくり。
柔道部に所属する無口なイケメン坊主の男子と。マスコット的存在の愛嬌ある小柄な女子。
後半に男子視点がちょっとだけあります。
「佐藤先生は風邪のため、今日はお休みです。このプリントを時間内に終わらせてください。相談し合ってもいいですが、無駄なおしゃべりはしないように」
この時間帯に授業を受け持っていない副担任が数学の担当教員の欠勤を告げ、プリントを最前列の生徒に渡した。
各自が一枚ずつ取り、それを後ろの人へと手渡す。私も同じように自分用のプリントを取って、体をクルリと後ろへ。
「はい」
「ん」
差し出したプリントを短い一言共に受け取ったのは、西尾光喜君。
高校一年生なのに身長は百八十センチ近くて、ようやく百五十センチに届いた私からすると、ちょっとうらやましい。いや、いくらなんでも、女の子の私がそこまで大きくなりたいわけじゃないけどさ。
それと中学校では柔道部で主将を務めていたという彼は、肩幅も広くて、すごくガッチリしていた。
部活の規則で、髪型は坊主なんだけど。でも、きりっとした眉とか、切れ長の目とか、すごく形がいいから、坊主頭でもかっこいいと思う。
実際、西尾君は学年を問わず、たくさんの女子から熱い視線を注がれていた。
この高校に入学してからの二ヶ月のうちに、十人くらいの女の子から告白されたらしい。それは情報通の友達が教えてくれた。
だけど、西尾君はその誰とも付き合っていないのだとか。可愛いと評判の同級生や、美人と名高い先輩から告白されても、O.Kしなかったんだって。
それは、なんとなく分かる気がする。たぶんだけど、今は柔道に打ち込みたいんじゃないかな。
ウチの学校はスポーツがかなり盛んで、どの部活も大会では好成績を収めていた。
それは、もちろん柔道部も含まれている。去年の県大会では、優勝したくらいだ。
そんな強い柔道部に入ったのだから、彼としてはもっともっと柔道に打ち込みたいって思うはず。西尾君はすごく真面目で真っ直ぐな人だから。
さっきの一言からも分かるように、彼はものすごく口数が少ない。西尾君と前後の席になって一ヶ月経つのに、会話が弾んだ記憶がなかった。
それでも、彼は優しい人だってことを私は知っている。
入学してから半月くらい経った日のこと。
私は担任に頼まれて、クラスみんなから集めたプリントを職員室に届けた。その帰り、階段で足を滑らせたのだ。
この日は朝からシトシト雨が降っていて、そして四月にしてはかなり蒸し暑かった。そのせいで、床が滑りやすくなっていた。
階段から落ちるまいと踏ん張ったのがかえって悪かったらしく、左の足首を捻ってしまったのである。
ひどく痛めた訳ではないけれど、すぐには歩けそうにない。仕方がないので、痛みが治まるまでその場にうずくまっていた。
そこに、西尾君がやってきた。この階段を下りた先に柔道場があるので、これから部活なのだろう。
「芦川?」
オズオズと顔を上げると、すごく高い位置にある顔が不思議そうに私を見ていた。
私は即座に顔が赤くなってしまう。
それは彼のことが好きだとか、そういうことではなくて、足を捻って動けなくなっている自分の姿を人に見られてしまったという羞恥からだった。
「あ、あの、なんでもないから、気にしないでっ。ちょっと、ここに座りたい気分なんだ」
ヘラッと笑って、パタパタと手を振る。
そんな私をジッと見つめていた西尾君は、私の正面にしゃがみ込んだ。
「具合が悪いのか?それとも、怪我か?」
同じクラスの男子たちは変声期を終えていない人もいたけれど、西尾君はそんな彼らとは違う少し低くてハスキーな声で問い掛けてくる。
まっすぐに見つめてくる瞳が照れくさくて、私は「本当に、本当に、なんでもないからっ」と繰り返す。
なのに、西尾君はいっこうに立ち去ろうとしない。切れ長の目を注意深く光らせ、私の様子を伺っていた。
その視線がやたらと気まずくて、意を決して立ち上がる。
「じゃ、私、帰るね。バイバイ」
足を痛めていることを悟られないように笑顔で誤魔化すと、私は彼に背を向けて一歩踏み出す。
そんな私の左手を、西尾君は大きな手でギュッと掴んできた。
「足、怪我をしてるんだろ?」
思わず、ピクンと肩が跳ねる。それでも、「違うよ!どこも痛くないし!」と言って、またしても笑って誤魔化す私。
ところが彼は眉間にキュッと縦ジワを刻み、「姿勢を見れば、左足を庇っているのが分かる」と、ボソリと呟いた。
スポーツをしている人は、そんなことまで見抜いてしまうのか。間抜けにも、そのことにちょっと感動してしまう。
「ははっ、バレちゃったか。でも、大したことないよ。心配しないで」
苦笑いを浮かべれば、西尾君の縦ジワがますます深く刻まれた。
「捻挫を甘く見るな」
いっそう低い声で呟くと、事もあろうに彼は私を抱き上げた。まさかのお姫様抱っこである。
突然のことに驚いて、私は彼にギュッとしがみついてしまった。
「な、な、な、なに?」
慌てふためく私に、低い声が降ってくる。
「保健室に行こう」
放課後になってだいぶ経つから、ほとんどの生徒は部活に向かっているか、帰宅していることだろう。
だから、すれ違う人は少ないか、または、まったくいないかもしれない。とはいえ、この状況は恥ずかし過ぎる。
「わ、私、ゆっくりなら歩けるよ!だから、降ろして!」
顔から火を噴きそうになりながらお願いするけれど、西尾君は足早に歩きだしてしまった。
「保健室までは階段が多いし、距離もある。それに、処置は少しでも早い方がいい」
背が高くて体格がいい彼は、私を抱えていても、危なげなくドンドン足を進める。
「で、でも、重いでしょ!?わざわざ抱っこしなくても、肩を貸してくれたら平気だから!」
体を捻って降りようとすれば、私を支えている彼の腕にギュウッと力が篭った。
「重くない。それに、俺と芦川の身長差を考えたら、肩を貸すのは無理だ」
――ええ、そうですね。かなり身長差があるから、それは得策ではないですよね。
「で、でもね、こういうのって、ちょっと、どうかと思うよ?」
話しかけても、彼は腕を解くこともないし、足を止めることもない。
「なにが?怪我人を運んでいるだけだろ」
「う、うう、そうなんだけど……」
結局、なにを言っても彼は私を下ろすことなく、とうとう、保健室までやって来てしまった。
さすがに抱きかかえたまま中に入ることはなく、扉の前で慎重に私を下ろしてくれた。
そんな西尾君に、ペコリとお辞儀をする。
「ありがとうね。もう、部活に行って大丈夫だよ」
いくら人助けをしていたとはいえ、一年生の身で大幅な遅刻は良くないだろう。
ここを立ち去るように告げるけれど、西尾君は動かない。
「ここまで来たら、ちゃんと先生に診てもらうから。逃げたりしないし」
歯の治療や注射を嫌がる小さな子供ではないのだ。私だって、痛みが長引くのは歓迎しない。
安心させるように笑って見せると、西尾君は「ん」と一言だけ発して、ポンと私の頭を軽く叩いてきた。
そして、ようやく柔道場へと向かったのだった。
同じクラスになって、まだたった一週間なのに。それでも彼は私を見捨てないで、ちゃんと助けてくれた。
パッと見ただけでは怖い感じがするけれど、西尾君はとてもとても優しい人だった。
自習用プリントの問題を解き始めて、十分くらい過ぎた頃だろうか。
ふいに、視界の端へなにかが転がり込んだ。
机の右前脚の辺りに、丸くて白い物体がある。
――いつものアレか。
私は小さく笑うと、床にある消しゴムを拾って後ろに振り向く。
「はい、西尾君」
私が差し出したのは、彼が使っている消しゴム。全ての角が取れて、すっかり丸くなっている。
それを大きな手の平に乗せてあげると、「サンキュ」というお礼が返ってきた。
そんな彼の口元が何か言いたそうに、ムニュムニュと僅かに動く。
だけど、どんなに待っていても西尾君は何も言いださないので、私は前を向いて問題を解きだす。
すると、五分くらい経ってから、また丸い消しゴムが視界に転がり込んだ。
さっきと同じように、後ろの彼に手渡し。
それはいつものことで、席替えをして西尾君の前に座るようになってから毎日繰り返されていたことだった。西尾君は力が強いから、新しい消しゴムもあっという間に角が取れてしまうらしい。
拾って渡すくらいは、どうってことでもない。
それに、大人びて見える彼のおっちょこちょいな一面は、なんだか微笑ましい。
だから特に気にも留めることはなく、私はせっせと消しゴムを拾って、彼に渡すという動作を繰り返した。
翌日も佐藤先生はお休みなので、昨日のように自習用のプリントが配られた。
そして、やっぱり同じように、消しゴムが私の足元に転がってくる。
クスッと笑って、白くて丸い物体を摘み上げた。
「はい」
差し出すと、どこか照れくさそうにしている西尾君。
「いつも悪いな」
「別に、悪くないよ。ああ、そうだ。これ、あげるね」
私はカバンの中から小さな紙袋を取り出して、西尾君の机に置いた。
「なんだ?」
不思議そうな顔の彼に、「消しゴムだよ」と教える。
「え?」
切れ長の目をちょっぴり大きくして、彼が私を見た。
「消しゴムの角が取れて、転がりやすくなってるんでしょ?だから、新しい消しゴムをあげる。いっぱい入ってるから、丸くなりかけたら取り換えればいいんじゃないかな。四角い消しゴムなら、簡単に転がらないもん」
ニコッと笑いかけても、彼は複雑な表情をしたままで、袋に手を伸ばそうとしない。
「遠慮しなくていいよ。お姉ちゃんが文房具の卸問屋に勤めていて、消しゴムとか鉛筆とか、いっぱい貰えるんだ。使いきれないから、西尾君がもらってくれると嬉しいんだけど」
彼の気持ちを軽くしてあげようと言ったのだが、西尾君の眉間には縦ジワがくっきり刻まれた。
――あれ?
お金はいらないと言ったのに、どうして不機嫌になるのだろうか。
首を傾げたところで、チャイムが鳴った。
午前中の授業はこれで終わりなので、いよいよ、待ちに待ったお昼ご飯だ。今日は一時間目に体育があったので、いつもに増してお腹がペコペコ。
机の横にかけてあるバッグからお弁当を取り出そうとしたところで、その手をガッと掴まれる。
「えっ?」
ものすごく驚いて顔を上げると、相変わらず縦ジワくっきりの西尾君が掴んでいる私の手を引っ張り上げた。
つられて立ちあがると、彼は無言で歩き出す。
「え?え?」
唖然とする私を、友達が意味ありげにニヤニヤしているのはなぜだろうか。
そして、西尾君はいきなりどうしたというのだろうか。
訳が分からないまま廊下を進み、私たちは誰もいない階段の踊り場にやってきた。そこは、私が彼に助けてもらった場所だった。
「あ、あの、西尾君?」
ようやく立ち止まった彼の名前を呼ぶと、消しゴムが入っている袋を突き返される。
「ええと、もしかして、この消しゴムって迷惑だった?」
良かれと思ってしたことだったが、彼にしてみれば余計なお世話だったのだろうか。確かに、『小さな親切。大きなお世話』という言葉もある。
「気に障ったんなら、ごめんね」
彼が不機嫌になったポイントは分からないが、消しゴムを渡したことで機嫌を損ねたことは確実なので、とりあえず謝っておく。
すると、彼の眉間にあった縦ジワが少しだけ薄くなった。
「そうじゃなくて……」
ソッと視線を逸らし、西尾君がボソリと呟く。
「そう?迷惑じゃなかったんだら、別にいいんだ。あ、そっか。お気に入りのメーカーがあるってことかな?だから、この消しゴムはいらないってこと?」
それならば仕方がない。消しゴムによって消え方や柔らかさがそれぞれ違うから、彼にとって使いやすい消しゴムというものがあるのだろう。
なるほど、なるほど、と、一人で納得していると、薄くなったはずの縦ジワがまた深く刻まれた。
「そういうことでもなくて……」
歯切れ悪く言葉を濁らせる西尾君の腕を、ポンポンと叩いた。
「ま、いいよ。じゃ、私、行ってもいいかな?」
このままだと、お腹の虫が盛大に鳴り出しそうだ。思春期の女子として、男子にお腹の音を聞かれるのは居たたまれない。
背の高い彼を下から覗き込むと、西尾君は逸らしていた視線を戻し、真っ直ぐに私を見つめてきた。
形の良い目は、なぜかやたらと真剣で。でも、それはそれでかっこいい。
不躾にもマジマジとその目を見ていたら、彼がゆっくりと口を開く。
「消しゴムを転がしていたのは、わざとなんだよ」
「え?わざとって?」
キョトンとすれば、視線の先の彼の顔がうっすらと赤くなってゆく。
「……消しゴム拾ってもらって、話をするきっかけを探してた」
「なんで?」
どうして、西尾君はそんなことを言うのだろう。同じクラスだし、知らない人じゃないのだから、どんどん話しかけてくれて構わないのに。
首を傾げると、彼はさらに顔を赤くする。
「芦川の前だと、すげぇ緊張してうまく話せないから。消しゴム拾ってもらうことで、話すきっかけにしようとしていて。でも、やっぱりうまく話せなくて……」
「そうなの?でも、足を捻った私を助けてくれた時、けっこうしゃべっていたと思うけど」
私の言葉に、彼の顔が一段と赤くなった。
「あの時はすげぇ必死で、緊張とか吹っ飛んでたから」
「そうなんだ。でも、なんで私に緊張するの?もしかして、そんなに怖い!?」
中学で柔道部主将だった彼に怖がられるなんて、女子として失格ではないだろうか。ちょっと、いや、かなりショックだ。
頭の上に大きく「ガーン」という文字を掲げ、力なく肩を落とす私。
そんな私を、西尾君がギュウッと抱きしめてきた。
「違う!怖いどころか、メチャクチャ可愛い!」
「はい!?」
ビックリして彼から離れようとしたら、それを咎めるように強く抱き込まれる。
「芦川って、他の女子と違って、俺のことを怖がらないし。それに、媚びたように笑うこともないし。自然に笑いかけてくれるから、それが嬉しくて。一目惚れっていうか、いや、好きだなって自覚してからも、どんどん好きになっていって……」
西尾君が私の頭に頬を押し付け、熱っぽく囁いてきた。
それを聞いている私の顔も、尋常じゃない熱を孕む。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待って!」
「いやだ。もう、待たない」
ジタバタともがく私を、彼がギュウギュウと隙間なく抱きしめた。
その瞬間。
クルルルル~。
私のお腹が大きな音で鳴り響いた。
――は、は、恥ずかしい!
「だから、放してって言ったのに!」
なおいっそう暴れるけれど、西尾君の腕は緩むことはない。
それどころか。
「芦川は、腹の音まで可愛いな」
例の、低くてハスキーな声で優しく囁いてきたのだった。
◆◇SIDE:光喜◇◆
桜の花がすっかり散って、葉っぱばかりとなった木に雨が降り続く日のことだった。
部活に向かおうとしていたところで、床にうずくまっている小さな人影を見つけた。
それは、絶対に見間違えるはずのない人のものだった。
「芦川?」
呼びかけると、彼女がフニャッと笑った。そして、なんでもないと繰り返す。
こんなところにうずくまっていて、なんでもないはずがない。
案の定、彼女は足を痛めていた。
そんな芦川のことを放っておけず、俺は迷うことなく彼女を抱き上げた。
頭一つ半ほど身長差がある彼女は、とにかく小さくて、俺の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「な、な、なに?」
目を大きくして慌てふためく彼女は、驚いた拍子に俺にしがみついてきた。
その温もりは手放しがたく、なにより腕の中の彼女がとにかく愛おしくて、俺はますます腕に力を篭めて抱きしめる。
下ろしてくれと真っ赤な顔で頼んでくる彼女を無視して、さっさと歩きだした。
それでも、往生際の悪い芦川は、なんとか俺の腕から抜け出そうとしてくる。
「で、でもね、こういうのって、ちょっと、どうかと思うよ?」
モゴモゴと恥ずかしそうに言ってくるが、取り合うつもりは毛頭ない。
「なにが?怪我人を運んでいるだけだろ」
「う、うう、そうなんだけど……」
そう言って、芦川は俯いてしまう。
笑顔が可愛くて、愛嬌があって、誰とでもあっという間に仲良くなってしまう彼女のことを狙っている男子は、俺が知るだけでもかなり多いと思う。
だから牽制の意味も込めて、彼女を降ろすつもりはない。
恥かしそうに顔を伏せている芦川には見えていないだろうが、遠巻きに俺たちの様子を見ている姿がいくつもあるのだ。
そんな彼らを一瞥し、ニヤリと口角を上げる。
――芦川は誰にも渡さない。
ところが、いざ、自分の気持ちを伝えようとすると、言いようのない緊張感に包まれてしまい。
俺が彼女に告白できるまで、予想以上に時間がかかってしまうことになるのだった。




