(36)仲良きことは、いいことです【マウスパッド】
舞台は某県にある食品会社の営業部。年の差は五つで、女性が年上。身長差あり。どこか気弱な部分があるけれど、穏やかで気配りのできる新人男性と。明るく竹を割ったようなサバサバした性格で、上司にも物怖じしない女性社員。
ここは某食品会社のC県支社である。
そこに新しく配属された社員が、かなり緊張した面持ちで上司の後について入ってきた。
「みんな、ちょっといいか」
始業前の時間帯は、それぞれが仕事の準備をしている。その手を止め、今しがた入ってきた課長のもとに集まった。
「営業部に配属された森本君だ」
名前を呼ばれ、真新しいスーツに身を包んだ男性が一歩前に出た。
スラリと背は高いけれど、全体的に線が細い。顔立ちは柔和と言えばそうなのだが、どちらかというと気弱な印象が強い。
その男性は自分の前にずらりと並ぶ先輩たちにオドオドと目を向けた後、ガバッと深く頭を下げた。
「も、森本重政です!若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします!」
気が弱い彼が、必死になって声を出していることがありありと分かる挨拶だった。
数人の男性が『こういう人間に営業が務まるのか?』という目で見ている。
まぁ、経験を重ねていけば人間は変わるものだ。そのうち、なんとかなるだろうと彼らは心の中で零していた。
無事に挨拶を終えた新人は、課長と共にある女性社員のところにやってくる。
「篠崎。森本の教育係を頼む」
「え?私ですか?」
上司に対しても物怖じしない口調のこの女性は、篠崎麻里亜。
この営業部に入って五年。男性社員が多い営業部の中でも、肩を並べてバリバリと仕事をこなすパワフルな女性だ。
「お前はその辺の男よりも男らしいからな。森本を鍛えてやれ」
課長が苦笑を浮かべて告げるセリフに、麻里亜は大げさに眉尻を下げてしょんぼりして見せた。
「え~、ひどい~!私だって、花も恥じらう乙女な一面を持っているんですよ~」
ところが、こんな彼女に容赦なく言い返す課長。
「だが、その一面をこれまでに一度も見たことがないぞ。それに乙女なら、いくら上司のおごりでもワインを二本も空けないだろ。しかも、顔色を少しも変えずに」
その言葉に、彼女はケロリと表情を変える。
「アハハ、その節はご馳走様でした~」
二人のやりとりを、森本は目を丸くして見ていた。気の弱い彼には、上司と軽口を交わすなど考えられない。
唖然としていると、課長にポンと肩を叩かれる。
「篠崎はこんな調子だが、仕事は間違いなく出来る人間だ。こいつにミッチリ叩きこんでもらえ」
「は、はい!」
首が取れそうなほど、ガクガクと首を振る森本。
それを見て、麻里亜がプッと吹き出す。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。じゃ、改めまして。私、篠崎麻里亜。よろしくね」
気さくに差し出してきた麻里亜の手を、森本は両手でガシッと握りしめる。
「よろしくお願いします!」
「うん、うん。君みたいな子、いいなぁ。一緒に頑張ろうね」
麻里亜は頭一つ高い森本を見上げ、ニコリと笑って見せた。
人懐っこい笑顔に、森本は心の奥が温かくなった。
「はい、頑張ります!」
ぎこちないながらも笑顔を浮かべ、力強く宣言する。
ここに、C県支社名物の逆転コンビが登場したのであった。
麻里亜について、日々、仕事に励む森本。
しかし元来の性格もあってか、なかなか落ち着いて行動できない。そして、気の弱い言動も相変わらず。
「先輩、カタログのサンプルが出来あがりました!それと、頼まれていた書類も!」
胸に紙の束を抱えるようにして、森本が小走りでやってくる。
が、足もとに注意がいっていなかった彼は、ふいに躓き、その拍子に手にしていた物を床にばらまいてしまった。
この光景は彼が配属以来度々繰り返されてきたことで、他の社員たちは慌てることもない。『気を付けろよ』と声をかけ、それぞれが自分の仕事に戻る。
恥ずかしさにうっすらと顔を赤く染め、森本が書類を拾い始めた。
同じように、麻里亜もしゃがみ込んで拾い始める。
「大丈夫?足、捻ってない?」
優しく声をかけられ、ペコペコと頭を下げる森本。
「だ、大丈夫です!すみません、また失敗してしまいました」
「このくらい、失敗の内に入んないわよ」
ニコッと笑う麻里亜の様子に、森本はホッと息を吐く。
「先輩の笑顔に救われます。まさにマリア様ですね」
サラリとそんなことを言われ、豪胆な彼女でもさすがに照れたようだ。
「ははっ、そんな嬉しいことを言ってくれるのは森本君だけだよ。他の人は、マリアなんて名前負けだなって言ってくるのよ。失礼よねぇ」
うっすらと頬を赤く染める彼女が、それを誤魔化すように早口で告げてくる。
同僚のセリフは麻里亜に対して失礼なものだが、彼女自身は気にしている様子もなく、カラリと笑って見せる。
そんな麻里亜を、森本は眩しそうに見つめた。
「先輩は強いですね」
「あ、分かる?腕力は結構あるよ。今度、腕相撲してみようか?」
無邪気に笑って見せる彼女に、森本は静かに首を横に振る。
「いえ、そういうことではなく。心が強いっていうか。僕もそうなりたいって思うんですけど、なかなか……。こんな性格なので、先輩には迷惑をかけてばかりですよね」
苦く笑う森本を見て、その額に軽く握った拳を押し当てる麻里亜。
「迷惑なんて、少しも思ってないよ。私がガサツだから、あなたみたいに繊細で気の利く人がそばにいてくれて、かえって助かってるわ」
すると、今度は大きく首を横に振る森本。
「そんな!先輩はガサツじゃないです!スパッと物事を進める決断力や、トラブルが起きても動じないところを、僕は本当に尊敬してるんです!」
二人してしゃがみ込んでいるので、いつものように視線の高さに違いがない。
同じ高さで真っ直ぐに見つめられ、麻里亜はまたしてもほんのりと顔を赤く染める。
「そうやって誉めてくれた人は初めてだわ。私たち、いいコンビになりそうね」
そんな二人が互いを補い合って名コンビとなり、やがて恋人同士になるには、それほど時間がかからなかった。
森本が入社して半年が経った。
しかし、彼の性格は相変わらず。
なのに、麻里亜はまったく気にしていなかった。それどころか、癒されるからそのままでいろと、彼に言う程である。
九月の半ばを迎えた日のこと。
書類作りに追われていた麻里亜は、マウスパッドに違和感を覚えた。
彼女が使用しているのは、薄いスポンジのようなパッド。その表面がどことなくよれているような気がする。
マウスをどかしてパッドの表面を撫でていると、課長が彼女に声をかけてきた。
「がさつな使い方してるからだろ?」
「そこは、『仕事に夢中になるあまりに、力が入り過ぎたんじゃないか』って言ってくださいよ」
ヘラリと笑って見せる麻里亜に、課長はヒョイと肩を竦めた。
「はいはい。確かに、お前は頑張ってるよ」
「ところで、マウスパッドの予備って持ってます?」
「いや」
「そうですか。じゃ、昼休みに買ってこようっと」
二人の様子を少し離れた席から見ていた森本は、デスクの一番下の引き出しを開けて、なにかを取り出した。
そして昼休み。
「課長、ちょっと外出してきますね」
そう告げる麻里亜に、森本がそっと近づいてきた。
「あの、これ……」
差し出してきたのは、麻里亜が使っているマウスパッドと同じもの。
「ん?」
不思議そうな顔で、麻里亜は森本の顔とマウスパッドを交互に眺める。
森本は小さく笑った。
「そろそろ交換したほうがいいと思って、用意しておいたんです」
「重政君は気が利くなぁ、ありがとうね」
ニコリと笑う麻里亜に、森本も嬉しくなって笑みを浮かべる。
はにかんだ彼の笑顔はとても可愛らしく、彼女のお気に入りだ。
「じゃ、さっそく使わせてもらうね」
今まで使っていた物を処分して、プレゼントされたマウスパッドをセットする。
そこで、麻里亜はなぜか、パッドの裏面が気になった。
なんとなくめくってみると……。
『いつでも一生懸命な麻里亜さんが大好きです。でも、頑張りすぎないでくださいね』
と、穏やかな性格がよく分かる綺麗な字で書かれていた。
思わぬメッセージに、麻里亜は耳まで真っ赤になる。
書き込んだ当の本人である森本も、真っ赤になっていた。
――私の彼氏は、ホント可愛いなぁ。
――僕の彼女は、やっぱり可愛いです。
お互い、心の中でそんなことを呟いている。
逆転カップルは今日も仲良しだ。




