(34)なにが、どうして、こうなった?【スティックのり】
同じ会社、同じ部署。同期入社の二人。与えられた仕事を黙々とこなす、頑張り屋の女性と。
その女性を密かに狙っていたものの、一向に想いが報われないため、最終的に強硬手段に出た笑顔が爽やかな男性。
私はとある中小企業の総務部広報課お客様第一係に所属している。
なんだかご大層な感じがするが、手っ取り早く言うと、社内の雑用を何でもこなす便利屋さんみたいなものだ。
お隣の第二係は、お客様に向けての電話案内が主な仕事。まぁ、クレーム処理係っていうことかな。
私は特別口下手というわけではないけれど、どうも電話は苦手だった。それに、電話口で憤るお客様を優しく宥めるスキルもない。
なので、黙々と雑用をこなす方が性に合っていた。
この会社は季節ごとの料理を扱う通販会社。秋も半ばを過ぎ、これからは正月用おせちのご案内で大忙しだ。
ここ最近の仕事は、常連様、一見様問わず、我が社を利用してくださったお客様全てに、おせち料理のパンフレットを送ることである。
見るからに美味しそうな写真が載っているパンフレットと申込案内を封筒に入れ、ひたすら糊付けする作業が続いている。
その数は半端ではないけれど、一昔前は宛先も手書きにしていたんだって。
それに比べたらパンフレットを折り、封筒に入れて口を糊付けするくらいはさほど大変じゃない。
あて先はパソコンに組み込まれているデータから印刷できるので、本当に大助かりだ。
とはいえ、この作業を進めるにあたり、一つ困ったことが発生する。
それは手荒れだ。
スティックのりを使っているのだが、注意していても、いつの間にか指先に糊がついてしまっていた。
ベタベタした手で作業を続けたら封筒が汚れてしまうので、一日に何度も手を洗うことになる。
結果、私の指先や手の甲、酷い時は手の平もかっさかさ。まだ二十代半ばだというのに、シワが目立ってきたような……。
午前中の作業が終わり、私はさっそく手を洗いに行く。そして念入りに糊を落とすと、ハンドクリームをしっかり擦り込んだ。
事あるごとにこうしてクリームを塗っているのだが、手荒れはなかなか改善しなかった。
お昼休み。
自分のデスクの席に座り、作ってきたお弁当で空腹を満たす。
その時、箸を持つ自分の手を見て、分かっていてもため息が零れた。
すると背後から『どうした?』と声をかけられる。
振り向くと、私と同期の男性社員で木戸君が立っていた。
彼は第二係で、その爽やかな口調でクレーム処理係として大活躍している。
私が入社した時、総務部で採用されたのは彼と私の二人だけ。貴重な同期ということもあってか、顔を合わせて話すことが多い。
「今年も手荒れの季節が来たなぁって」
去年も散々な目に遭ったから、早いうちからハンドケアをしている。それでも、思ったほど効果はない。
片手を彼に伸ばして、所々皮がむけている指先を見せた。
「私が使っているハンドクリームじゃ、あんまり効果がないみたいで。帰りに、ドラッグストアに寄って、別のクリームを買おうかな」
苦笑を浮かべると、彼は上着のポケットからなにかを取り出す。
「じゃ、これをやるよ」
そう言って差し出してきたのは、小ぶりのチューブに入ったハンドクリーム。
そのハンドクリームは軽く洗ったくらいでは落ちることなく、手荒れに困る人たちの間で大人気だとのこと。ドラッグストアで薬剤師さんに勧められたことがある。
だが、そのハンドクリームに手が伸びることはなかった。
なにしろ、値段が高い。容量が少ないくせに、値段は高い。私が持っているクリームに比べると、五倍ほど高い。
おかげで簡単には買えない代物だったのだ。
「い、いいよ!こんな良いもの、もらえないって!」
私が慌てて断ると、
「この前、栄養ドリンクくれただろ。そのお返しってことで」
木戸君は評判の爽やかボイスを惜しげもなく披露してくれる。
あ、実はね、彼は声だけじゃなくって、笑顔も爽やかなんだよ。そんな彼は、社内でも大人気なんだって。
同期がモテモテで、私もなんだか鼻が高い。
いや、それは今、関係ないか。
私は差し出されるハンドクリームをソッと押し返した。
「でも、あのドリンクはそんなに高くなかったし」
「いいから、いいから。頑張ってる風間に、俺からのご褒美だよ」
そう言って、ニッコリと笑う。
その爽やかスマイルならば、大抵の女性は彼に落ちるだろう。なのに現在、木戸君には恋人がいないのだとか。
もったいない。なんという宝の持ち腐れだろうか。
私が木戸君だったら、社内一の美人さんである秘書課の先輩女性に、すぐさま声を掛けるのに。
いかん。また、関係ないことを考えていた。
「ご褒美って、それは変だよ。私は仕事しているだけだし」
そう、私は自分の担当をこなしているだけ。同期の彼からご褒美をもらうなんておかしい。
なのに。
「じゃ、その唐揚げと交換ってことで」
彼は私のお弁当箱から唐揚げをヒョイっと摘まんで、大きな口でパクリ。
「はい?」
呆気に取られている私にグイッとハンドクリームを押し付けると、モグモグと口を動かしながら去っていってしまう。
そして私の手の中には、高級ハンドクリームが大人しく収まっていた。
ハンドクリームをもらってから三日後。今日は金曜日である。
仕事が終わったら、一週間の頑張りを労って、ちょっといいお店でご飯を食べよう。二歳上の姉がこの近くの会社で働いているので、あとで連絡を入れてみるか。
終業後の楽しみを思い浮かべ、軽くハミングしながら例の糊付け作業。
そこに木戸君がやってきた。
「風間、お疲れ。あのハンドクリームの効き目はどうだ?」
私は作業を止めて、ニコッと笑った。
「すごくいいよ!あれだけ困っていた手荒れが、かなり治ったの!」
日頃からせっせとクリームを擦り込み、寝る前にもしっかり擦り込んでいたら、たった三日しか経っていないというのに、驚くほど効果があった。さすが、高いだけのことはある。
私はデスクに置いてあるウェットティッシュで指先を拭うと、彼に手を差し出した。
「ほら。見て、見て!」
「どれ」
そう言って、前屈みになった木戸君は私の左手を自分の右手で握る。
「え?」
突然のことに呆気に取られていると、骨太で大きな手がスッポリと私の手を覆ってしまった。
彼は感触を確かめるように、キュッキュッと数回私の手を握り締める。そして、なぜか指同士を絡めてきた。
――あれ?これって恋人繋ぎ?
頭がついて行かなくて、重なった手をぼんやりと眺める私。
そんな私に構うことなく、なおも彼は手を解こうとはしない。空いている左手で、私の手の甲を撫でてきた。
「本当だ。しっとりスベスベだね」
――この人は、一体なにをしているのでしょうか。
なかなか正気に戻れない私に、木戸君が例の爽やかスマイルを炸裂させた。
「じゃあさ、この手に似合う指輪を一緒に買いに行こう」
「は?」
パチクリと瞬きを繰り返す私に、彼は笑みを深める。
「そのあとに食事だな。店はもう予約してあるから」
「へ?」
「最後は、俺の部屋でゆっくりしようか。明日は休みだから、終電を気にしなくていいし」
「ん?」
指輪。
食事。
木戸君の部屋。
終電を気にする事はない。
その言葉を頭の中でグルグルと繰り返していた私は、ようやく我に返った。
「ま、ま、ま、待って!意味が分からないんだけど!」
顔を赤や青に忙しなく染める私は、掴まれている手を慌てて引き抜こうと力を入れる。
ところが。
ニッと口角を上げた木戸君は、掴んでいる手にギュッと力を入れて、さらに指をしっかりと重ねる。
そしてその手を持ち上げ、私の指先にキスをした。
「ひぃぃぃぃ!」
色気のない声を上げる私に、彼は目を細めて色気たっぷりに笑いかける。
「もう、待たない」
かくして、私は姉と食事することなく、木戸君にお持ち帰りされてしまったのであった。




