(3)あなたと私の赤い糸【ハサミ】
会社員同士。六歳差。上司と部下。
クールビューティーの人事部主任(男性)と、総務部から引き抜かれた女性社員。
もともとは比較的大らかな総務部にいた私、安藤由実子は、去年の春に行われた異動で人事部にやってきた。
経理部に並んで細かい作業の多い人事部。その仕事に慣れるまで、心身ともにグロッキーな日々を送ったものだ。
いやホント、冗談抜きで大変だった。どんなに寝ても疲れは抜けないし、体重も一気に三キロ減ったし。
だが、一年経った今では、そんな苦労も笑い話である。
これまでに、俗に言う『寿退社』の書類を多数扱った。
同期入社の女性社員たちの大半は社内や社外に彼氏を見つけ、次々に結婚を決め、そして退職していった。時には自分よりも後から入った女性社員の書類も扱ったことがある。
なのに、私は相変わらずの独り身。二十八にもなって、仕事三昧の寂しい日々を送っていた。
「はぁ……」
タメ息をつきながら、ミスコピーの裏紙をメモ用紙にするためにハサミでジョキジョキと適当な大きさに切ってゆく。
仕事にはやりがいも感じているし、大変な分だけお給料が上がったのも嬉しい。
ところが恋人がいない人生というのは、何とも味気ないものだ。
「はぁ……」
再びため息を吐いた私は、ふと、左の小指を見る。
「もしかして、私の赤い糸は切れちゃっているのかな?」
運命の神様が何かの間違いで、チョキンと糸を切ってしまったとか。だから、私には恋人が出来ないのだろうか。
馬鹿げた話だと思うが、これまでを振り返るとそうとしか思えない。
こう見えて、密かに憧れていた先輩がいた。一緒にいるだけで楽しくて、何気ない話でも面白くて。向こうも私の事は憎からず思ってくれていたようで、食事に誘われたことが何度もあった。
しかし、ある日を境によそよそしくなってしまったのだ。
それだけではない。
友達から合コンにも誘われなくなった。仕事で忙しい私の唯一と言っていい出会いの場だったのに。
「はぁ……」
またまたため息。
「やっぱり、赤い糸が切れてるんだよ」
「どうしたんだ、暗い顔して」
人事部第一課の主任が私に声を掛けてきた。
ピシッと隙なくスーツを着こなし、ノンフレームの眼鏡をかけた主任は、一見すると神経質そうな男性だ。整った顔立ちが、余計に人を寄せ付けないオーラを倍増させている。
だが意外な事に話してみると結構気さくなところがあり、異動してきたばかりの私は彼に大層お世話になったものである。
六歳年上の上司に恐縮しつつも、かなりなついている私。彼にヘラッと笑ってみせた。
「あ、いえ、自分にはなかなか恋人が出来ないなぁって。きっと、赤い糸が切れているんですよね」
苦く笑いながら、シャキンシャキンと手にしたハサミを動かして見せる。
すると、主任がレンズの奥の切れ長の瞳を細めた。
「そんなことはないさ」
そのタイミング、その表情、その口調。さすが、出来る上司は外さない。
だが、さりげないフォローも、今の私には何の慰めにもならなかった。
「そうですか?その割には、ちっとも出逢いがないんですけど。やっぱり、赤い糸が切れているんですよ」
横に立つ主任を見上げながら、シャキシャキとハサミを動かす。
主任はそんな私に一層目を細めた。
「お前に男が寄り付かないように、俺が裏で動いていたからな」
「……は?」
主任の言葉が理解できず、あんぐりと口を開ける私。
――この人、今、何て言った?
呆然としていると、主任はクスクスと楽しそうに笑いだす。
「お前に言い寄る男どもはすべて排除して、合コンにも誘わないようにと秘密裏に通達を出していたんだよ」
「……へ?」
「仕事でいっぱいいっぱいになっているお前が落ち着く頃を見計らって、俺から告白しようとしてたんだ。お前を手元に置きたくて強引に引き抜いたのに、他の男に攫われてたまるか」
「………………ええっ⁈」
驚く私に、主任がにっこりと笑いかける。
「一年待った。もういいだろ?」
そう言って、主任は私の左小指に自分の小指を絡めてきたのだった。