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(13)引き寄せて、引き寄せられて【磁石】

 同じ会社の同僚。

 明るくて人気者の男性社員と、人見知りを隠すあまりに言葉がきつくなってしまう女性社員。


 上司に頼まれたお使いから帰ってくると、同じ部署で働く中島なかじま信弘のぶひろ君が心なしか肩を落として座っていた。

 爽やかな笑顔を振りまき、いつだって周りを明るくしてくれる彼にしては珍しいことだ。

 このままそっとしておこうかと思ったが、私の席は彼の席とあまり離れていないので、近付かないわけにはいかない。


――とりあえず、やたらに騒ぎ立てないでおこう。男の人は下手に慰めるとプライドが傷つけられることもあるって聞いたことがあるし。


 そう思って気配を殺して自分の席に静かに近づいたのだが、中島君は無意識といった感じで大きくため息を吐いた。

 それを通りすがりに聞いてしまえば、知らんぷりで放っておくのはあまりに薄情だろう。私は少し迷った末に声を掛けることにした。

「疲れているみたいね。何かあった?」

 出来る限りさりげなさを装えば、彼は弱々しく微笑んだ。

「久々にデカいミスしちゃってさ。それでヘコんでいたところ」

 いつも明るい彼のそんな表情に、私は言葉に詰まってしまう。

 だけど何も言わないわけにはいかず、勢い余って出た言葉は。

「なに、暗い顔してんのよ!グダグダ悩んだってしょうがないでしょ!」

 弱っている中島君にかけるには強すぎるものだった。

「はは、坂本さかもとの一喝は効くなぁ」

 苦笑いを浮かべる彼に、私は慌てて口を開こうとする。

 ところが、私が次の言葉を紡ぐよりも早くに、

「坂本さん、その言い方はないわよ」

「ホント、ホント。中島さんがかわいそう」

「もう少し優しくしてあげればいいのに」

「冷たい人ですねぇ、坂本さんって」

 先輩、同期、後輩の女性社員たちがあっという間に中島君を取り囲み、一斉に彼を擁護というか、私を責め始めた。

 人気者で現在恋人がいない彼には、自分と付き合ってもらおうとする女性社員が多く、こうして隙あらば擦り寄ってくる存在が後を絶たない。

 そんな彼女たちのことは別に怖くはないが、束になってかかってこられると面倒だ。

 尚もこちらへと言い募る彼女たちを前に、私は続けたかったセリフをぐっと呑み込む。

 そして困ったような顔を向けてくる中島君をチラリと見遣ってから、足早にその場から立ち去った。


 誰もいない廊下の突き当りまで来ると、私は苦々しくため息を吐いた。

 本当は『中島君がすごく努力しているのは知ってるよ。だから大丈夫。ミスなんて、すぐに挽回できるから』と続けたかったのだ。

 あそこで区切ったままでは、中島君を取り囲んだ彼女たちが言ったように、なんとも酷い言い草だ。

 かといって、改めて言いに戻るのも気まずい。今更続きを告げたところで、取って付けたような印象しかないだろう。

「またやっちゃった……」

 壁にコツンと額を押し付けて、長く深いため息を吐いた。


 基本的に、私は人見知りだ。

 勤務中はそんな事を言っていられないので、必死になってコミュニケーションをとる。必死になるあまり、つい勢いで言葉が飛び出すこともある。

 そんな私の内情を周りの社員たちは知らないから、印象通りのサバサバした人間だと思われていた。

 だが、そういった人物像は勝手に作り上げられたもの。本当の私は、想いを寄せている中島君にいつまで経っても気持ちを伝えられないという、情けない小心者なのだ。

 こんな性格だから、ただでさえ不利なのに。さっきのように言い逃げしてしまえば、私の印象は悪化する一方だろう。

 いや、もう取り返しがつかないくらいに悪化しているに違いない。多分、彼にとって私は嫌いな人間に分類されたはず。

 実は、さきほどのような物言いは初めてではないのだ。

 それでも、つい強く言い過ぎる私に、これまでの彼は優しく笑って『気にしてないよ』と許してくれていた。

 しかし、さすがに今回は駄目かもしれない。

「この性格、何とかならないかなぁ」

 どうしようもないことをポツリと零した。そしてどうにもならないと分かっているので、ただ苦く笑うしかできない。

 中島君に嫌われるのはつらい。あの爽やかな笑顔が、私の顔を見たとたんに曇ってゆく所は見たくない。

 かといって言い繕うには、本当に今更で。


 私はこの日を境に彼と距離を取るようになってしまった。




 数日が経ち、私はこれといって中島君と直接顔を合わせる機会がなかった。別の部署の手伝いに忙しかったり、外に出るお使いが多かったからだ。

 バタバタと慌ただしかったものの、それはそれでありがたかった。

 ところが今度は、彼と離れている時間が増えるほどに、胸の奥がシクシクと痛むので困っている。

 さっさと彼の事を忘れてしまいたいのに、この恋をなかったことにしたいのに、私の中にいる彼は少しも薄れてくれないのだ。

 どっぷり沈んだ気分で、今日もなんとか仕事を終えた。

 次々に帰る社員たちに交じり、私も出入り口へと向かう。

 その時、上司に呼び止められ、部内の掲示板にある印刷物を剥がしておいてほしいと頼まれた。

 私は逆戻りして、掲示板へと歩み寄る。そして足元に荷物を置くと、磁石で留められている印刷物を取り外していった。

 誰もいなくなった部内には、紙が擦れる音がひっそりと響く。

「これで最後だ」

 すべて剥がし終えた私の手の平の中に、いくつもの磁石が転がっている。そのうち二つが自然と引き寄せられるように、ピタリと重なった。

 その様子を見て、私は小さく笑う。

「私のイニシャルはSで、中島君がN。なのに、この磁石のようにくっつくことはないんだなぁ」

 私たちは特別反発するような間柄ではないけれど、こんな私に彼が惹かれるはずはない。中島君には優しい言葉をかけてくれる可愛い女性がお似合いだ。

 手の平を揺らし、コロコロと転がる磁石を眺めては苦笑い。

 すると、横から伸びてきた手がガシッと私の手首を掴んだ。

「磁石を見て、何、笑ってんだよ」

「え?な、中島君?」

 いきなり現れた彼にビックリ。目をぱちくりしていると、クスリと笑われる。

「そんなに驚くなよ」

 そう言われても、驚かずにはいられない。だって、私は彼を傷つけた酷い女。だからこそ、彼に合わせる顔がなかったのだ。

 それなのに、彼の方から近づいてきたこの状況はどういうことだろうか。

「あ、あの……、手、は、はな、放してもらえる?」

 いきなりの事に人見知りであることを取り繕う余裕がなく、基本的に対人スキルが低い私は、表情を強張らせてつっかえつっかえ告げるのが精いっぱい。悲鳴を上げなかっただけでも褒めてほしいくらいだ。

 すると、そんな私を見て、

「ダメ」

 と、中島君が言う。ニッコリ笑顔で。

 放してもらえない理由も、彼が笑顔である理由もちんぷんかんぷん。

「な、な、な、なんで?」

 みっともなくどもりながら尋ねれば、またニッコリと微笑まれた。

「だって、最近の坂本って、明らかに俺の事を避けてるだろ?この手を放したら、あっという間に逃げられそうなんだよな」

 ここまで言った彼は、不意に苦しそうな表情を取った。

「なぁ、何で避けるんだ?もしかして、俺、坂本に酷いことしたか?」

「ち、違う」

 慌てて首を横に振る。

 酷いことをしたのは私。優しい言葉で励ませないどころか、あのまま言い逃げてしまった私が悪いのだ。

 私は彼の顔を見ることが出来なくて、自分の手の平をじっと見つめているしかなかった。

 黙り込んでしまった私を放っておくこともせず、中島君は右手で私の左手首を掴んだままでいる。

 なんとも居たたまれない状況なのだが、大きな手にしっかりと掴まれているので逃げることが出来なかった。

 やがて中島君は私の手の上の磁石を左手で取り上げ、すぐ後ろにある掲示板にくっつける。そして、おもむろにその手を掲示板に着いた。

 結果、私は中島君に壁ドンされている状態に。しかも、彼の左腕は肘の部分で曲げられているため、私たちの距離はかなり近い。

 そんな中、

「坂本、顔上げろって」

 彼がとんでもないことを言ってきた。

 

――む、む、む、無理ーーーーー!

 

 ひたすら俯いていると、中島君がグッと前に倒れてきた。つまり、私と彼はますます密着することになってしまった。


――ひぃぃっ!なんでこんなことになってんの⁉


 泣きそうになってきた。いや、もう、既に涙が滲んでいる。パニックになっている私は、まったく取り繕うことが出来ない。

 頭の中で「どうして?なんで?」という言葉だけがグルグルと巡り、この事態を打開する解決策が何一つ浮かばない。

 チラリと視線だけを僅かに上げれば、目の前には中島君のネクタイがあった。その結び目が溢れはじめた涙で滲む。


――ああ、もう、どうしたらいいの……。


 大粒の涙がポロリと頬を伝った。


 その時。


 チュッ。

 可愛らしい音が耳に届き、同時に額にはやわらかい何かが押し当てられた感触が。


――ま、まさかっ。


 さすがに顔を上げると、ニンマリ笑う中島君と目が合う。

「やっと、こっちを見たな」

「い、い、い、い、今、今のは⁉」

 これまで以上に混乱する私。そんな私に、彼がさらに口角を上げた。

「あれ?分からなかった?じゃ、もう一回」

 そう言って、中島君がゆっくりと顔を近づけてくる。

「や、やめて!」

 やっとのことで、掴まれていない方の手で彼の口元を押さえた。ところが、中島君は私の手の平をペロッと舐めたのだ。

「ひゃぁっ!」

 慌てて手を引っ込める。

 意味が分からない。どうして中島君はこんな事をするのだろうか。

 混乱が極って、ついに涙がボロボロと零れてしまった。

「ああ、もう」

 クスリと笑った中島君は、掲示板についていた手も移動させ、両腕で私を抱き締めてくる。

「泣き止めって。このままだと、泣かせた俺が悪者みたいじゃんか」

 クスクス笑う彼は、少しも反省している様子がない。

「全部、坂本が悪いんだぞ。理由も説明せずに、こっちを避けるから。俺だって、こんな強硬手段を取りたくなかったのにさ」

 私を責めるような口調なのに、その声はすごく優しい。そして、私を抱き締めている腕も優しかった。

 その優しさにどうしたらいいのか分からなくなって、私はただ、正直に話すしかなかった。

「だ、だって、だって……。私、嫌われたと思って……。だ、だから、中島君に合わせる顔がなくて……」

「どうしてそう思うんだ?」

 泣いている私を宥めるように穏やかに先を促す彼へ、私はしゃくりあげながら一生懸命話し続ける。

「わ、私、中島君に、酷いことを、い、言ったから」

「ん?この前のこと?」

 コクリ頷けば、またクスリと笑われる。

「あんなの、全然気にしてねぇよ。それに坂本の事だから、あの後に『大丈夫だ』みたいなことを続けるつもりだったんだろ」

「ど、どうしてそれを?」

 彼がそれに気づいていたことに驚いて、真っ赤に泣きぬれた瞳で彼を見上げる。すると、中島君はまっすぐに私を見つめた。

「坂本を観察していれば、お前が何を言うかなんてすぐ分かる」

「な、なんで、わた、私を、か、観察するの?」

「そんなの、決まってんだろ」

 中島君はユルリと目を細め、

「お前が好きだからだよ」

 といって、今度は私の唇にキスを落とした。


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