(10)今夜、お前をベッドから出さないけど。いいよな?【画鋲】
会社員同士。歳の差は一歳。同じ会社の先輩と後輩ですが、部署は違います。
俺様風味の有能な男性社員と、周りの人の視線を気にしてしまう小柄な女性社員。
このお話は、二人がすでに付き合っている設定です。
サブタイトルがピンクな雰囲気ですが(苦笑)、そういった描写はありません。
ここは都内某所にある総合商社。巨大な社内には社員が溢れかえり、そこかしこに活気が満ちている。
だが、人が多いということは、それだけ人間関係のトラブルも多いのだ。
数年前、一人の男性を巡って、二人の女性社員が騒動を起こした。
また、それほど時を置かずして、今度は一人の女性を巡って男性三人が取っ組み合いのケンカをした。
その騒ぎでは怪我人が出た上に、業務にも支障が出たのだ。
そうなってしまえば、会社としても社員同士の恋愛を「どうぞ、どうぞ」と寛容する訳にもいかず。恋愛事態は禁止していないが、目立つ言動には上層部が渋い顔をすることとなり。
結果。
今となっては、恋人同士が大っぴらに社内を歩けない状況であった。
◆◇◆
広報部に所属している私、間宮野乃花は、掲示板の管理を任されている。
今は預かった会社からのお知らせや各部署からの掲示物を手に、社内数か所にある掲示板を巡っている最中だ。
さっきまで両手で抱えるほどあった掲示物も、残すはこの五枚のみ。これさえ貼り終えれば帰れるので、私は自分の荷物を持ちながら移動していた。
バッグを足元に置き、掲示物を画鋲で留めてゆく。
そこで、少しばかり困った事態が起きた。
この掲示板は他の物と違って縦長であるために、上下に亘って掲示する必要がある。しかし私は背が低いので、上の空きスペースに掲示物を貼るためには少々手が届かないのだ。
キョロキョロと周囲を見回すが、踏み台になりそうなものはなかった。
「うまく刺さるかなぁ」
私は思いっきり背伸びをして、掲示物を貼り始める。
ところがつま先立ちのために指先に力が入らず、案の定、画鋲が半分ほど刺さった位置で留まっている。
「ああ。これじゃ、後で剥がれちゃうかも」
掲示物が剝がれるだけで済めばいいが、万が一床に落ちた画鋲の上に誰かが転んだら……。
そう考えると、このままでいいはずはない。
掲示物を見つめてどうしようかと考えこんでいると、背後に誰かが立った。
そしてその人物が悠然と手を伸ばし、半端に刺さっていた画鋲を最後まで押し込んでくれる。
「え?」
パッと振り返ると、スーツをビシッと着こなした長身の男性が立っていた。
彼は企画部に所属する一年先輩の社員で、実は私の恋人。この会社の事情により、その関係は誰にも言えないでいた。
でも、それはそれでいいと思っている。
ちょっとだけ寂しいけれど、彼はかっこよくて仕事ができる人だから、密かに想いを寄せている女性社員が多いのだ。
そんな状況で「私が恋人です」なんてことが知られたら、きっと、「彼に相応しいのは私よ!」と息巻く女性社員たちに取り囲まれた後に彼を攫われてしまいそうだ。
私は決して気が弱い方ではないが、受付嬢や秘書課のお姉さまたちほど強くはない。
だから、このままコッソリ誰にも知られず関係を続けていけばいいと思っている。
そんな事情があり、社内では出来る限り彼とは顔を合わせないようにしていたのだけど。
思いがけない遭遇に、私は一瞬顔が引き攣った。慌てて周囲を見回すが、幸運なことに人影はない。
ホッと安堵の息を吐いて、胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。届かなくて困っていたんです」
私の言葉にニッコリ笑った彼は空いた手で私の両手首を掴み、背後にある掲示板に押し付ける。
「今日の仕事はこれで終わりか?」
高い位置から不敵な笑みと共に見下ろされ、私は少し焦りだす。
「そうですけど……。あの、何をしているのでしょうか?こんなところを誰かに見られたら」
もう一度言うが、この会社は社内恋愛に関してあまり寛容的ではない。社内での過剰な接触は、上層部への受けがよくないのだ。
それに、私自身の都合ではあるが、彼との付き合いを下手に知られたくない。
「柏木先輩、放してください」
手首を取り戻そうともがいてみるものの、大きな手にガッチリ掴まれている上に掲示板に押し付けられているので、小柄な私ではどうにも出来なかった。
「なぁ、柏木って誰?」
困っている私とは対照的に、彼は平然とした顔でおかしなことを尋ねてくる。
「何を言ってるんですか?私の目の前にいるあなたの事ですよ、柏木先輩」
「ん?俺は優斗だよ」
それは二人きりの時にしか口にしない彼の名前。私たちの関係を知られないために、会社では絶対に呼ばないようにしている彼の名前だった。
いったい何がしたいのだろうか。
こんな迂闊な行動、いつもの彼らしくない。今は周囲に誰もいなくても、ふいに人がやって来るかもしれないのに。
「お、お願いします。放してください」
ジタバタともがく私を、彼は楽しそうに眺めている。
そしてニンマリと口角を上げると、
「嫌だ」
と、一言放った。
「な、なんでですか⁉」
「このところ週末のたびにお互い予定が入って、ゆっくり顔を合わせることも無かっただろ。社内だと、お前はやたら俺のことを避けるし。もういい加減、我慢の限界」
掠れ気味のセクシーな声で囁いた彼は、私の手首をいっそう強い力で押し付けてくる。
「だからって、私を掲示板に貼り付けないでくださいよ!」
少し怒った様に告げれば、切れ長の瞳がゆっくりと弧を描いた。
「じゃ、俺のベッドへ貼り付けることにする。ほら、帰るぞ」
そう言うが早いか、彼は右手で自分のバッグと私のバッグを纏めて持ち、左手で私の手を掴んで歩き出したのだった。




