修学旅行
俺に妹がいる話はしたな。実は、その妹の下にもう一人いるんだ。俺を長男に三人兄妹ってことだ。そして、俺と一番下の妹は、十歳も離れている。
俺は十八で家を出ているから、下の妹との生活は八年足らずってとこだが、真面目すぎる上の妹とは違い、下のは基本的にアホだ。だから俺と気が合う。
そして下の妹も「見える」と言う。
***
ところで、俺が「転校の達人」だと皆さんも理解してくれただろうか。
今度の転校は中学三年の夏休みだ。高校受験は……まあ置いといて、俺にとっての一番の衝撃は「修学旅行」だった。
前の学校では六月に京都に行ったのだが、何と転校先は九月に修学旅行だったのだ。しかも行先は、京都。なんの冗談だ。
転校していきなり修学旅行。これがどれほど難易度の高いミッションか、皆さんにはお分かりか? 正直なところ、まったく行く気がしない。
だが、俺の両親は「友だちを作るチャンス」と言い、俺を「修学旅行」という名の孤立無援の戦地に送り出した。あいつら、中学生ってのがどれほどナイーヴな生き物なのかを微塵も理解していない。
しかし、研ぎ澄まされた俺の「対人スキル」は、もはやカンスト、レベルMAXだった。
転校初日にクラスの最上位メンバーを瞬時に把握、彼らの嗜好、行動パターンを分析。数日間で、すんなりと最上位メンバーの末席に加わる。これでなんとか修学旅行は楽しく過ごせそうだ。
こうして俺は、二回も修学旅行に行くと言う、世にも珍しい体験をすることになったんだ。
***
最上位メンバーの中で一番仲良くなったのは、成績優秀でイケメンでサッカー部の主将という、少女漫画の彼氏ポジションみたいな奴だった。しかも、俺みたいな転校生にも気を使ってくれるような性格の良い男だ。そんな彼を、ここでは「ハセベ」と呼ぼう。
「転校生。前の学校でも京都に行ったんだろう?」
ハセベが俺に付けた渾名は転校生だ。卒業まであと半年。きっと卒業まで「転校生」って呼ばれんだろうな。
「どんな所に泊まった?」
前の学校での宿泊先は、しょぼいホテルだった。
「俺たちの泊まるのは、古い旅館なんだって。それでさぁ……」
ハセベはサッカー部の先輩から伝え聞いたという、その古い旅館に伝わる怪談を俺に教えてくれた。
天井に大きな染みのある部屋は「出る」らしい、と。
***
俺は天井を見上げて溜息を吐いた。嫌な予感はしていたんだよね。
天井の染みは、御丁寧なことに人の形をしていた。
「当たり引いたね。転校生」
ハセベは何だか嬉しそうだ。
「なあ、みんなー! この部屋、オバケ出るかも知んないぞー!」
同室の最上位メンバーは口々に「こえー!」とか「マジ見てえ!」とか叫び声を上げて燥ぎ回っていた。
「転校生、どう? オバケ怖い?」
あぁ、怖いに決まってんだろ。
その夜、皆で寝ないでオバケ見てやろう、と決まってしまった。本気で嫌だったが、この流れに逆らうのは得策では無い。俺の「対人スキル」がそう言っている。
枕投げ、はしなかったが、ポーカーやら大貧民やらで盛り上がり、そしてお決まりの猥談。一足先に大人の階段を登っていた俺は、そん時ばかりはハセベを差し置いてヒーローになった。
そして、猥談が落ち着いてしまうと誰もが無口になった。朝からハイテンションで飛ばしてきたから無理も無い。ゴーゴーと鼾を掻いている奴もいた。
「転校生、起きてる?」
暗がりの中、ハセベの声がした。
「出ないな、オバケ」
出ない方が良いよ。そんなの。
俺とハセベはアイドルやらサッカーやらゲームやら、取りとめの無い話をした。どちらかが黙ると、どちらかが喋る。出会って数週間しか経っていないが、ハセベとは馬が合うようだ。
「そろそろ寝ようか」
どちらともなく言いだした時だ。
ペタッ……
湿った足裏が畳を踏む音が聞こえた。
ペタッ……ペタッ……
ああ、ヤバい。来やがった。
俺は俯せになって布団を被り、寝よう、寝ようと目を瞑った。でも、「寝なきゃ」と思えば思うほど寝られなくなる。
どれほど時間がたっただろう? 間の抜けた鼾が聞こえて、少し気持ちが楽になる。
もう、大丈夫だろう。そう思い、布団をそうっ、とだけ持ち上げた。すると――――
目の前に剥き出しの脛が見えた。
その脛は、切断されたかのように膝から上が無かった。
翌朝、同室のメンバーたちに「オバケ出たか?」と聞かれたが、俺は見なかったと答えた。皆のテンションを下げるのは得策では無い。
「俺……見たよ」
いまいち元気の無いハセベが言った。
「人影みたいなのが……転校生の前に立ってたんだ」
皆が一斉に俺の顔を見た。
*****
それから十年後の話だ。久々に実家に帰ると妹が荷解きをしていた。
「兄、おひさー。生八つ橋食べる?」
妹は修学旅行から帰ってきたばかりだと言う。
「ねえ、兄。私、凄いの見ちゃったよ。天井に大きな染みのある部屋でさぁ……」
俺は、妹に修学旅行の話をしたことは、無い。