言葉の力は絶大だ!! しかし、それが両刃の剣と化してしまう事もある。(推察)
この苦しみから逃れる為には一体何をすれば良いのか!!
それは、きっと自分自身が一番良く知っている。
面白い文章の題材を見付けた。簡単な言葉だが、これはなかなか奥が深い。 【病は気から】 この言葉、安易に使用してはいけないような気がする……。
鬱持ちの方なら分かるかもしれないが、気持ち『俺は(僕は・私は)こんなに頑張っているのに……!!』とか『何故分かってくれないんだ!!』というような気持ち等から病を発病する。 【病は気から】 確かに、その通りかもしれない。 しかし、気持ちで発病した病を気持ちで治そうとしてもかなりムリがある。心の中では、その病に苦しんでいるのは、他ならぬ自分自身なのだから。 【死ぬ気になったら何でも出来る】 という言葉同様に、死ぬ気になってしまったまたは、無気力で動きたいけれども動けない人間に 【病は気から】 という言葉を投げ掛けたらどうなるであろうか?
私はきっと、その者は『自分の頭は狂っているんだ!!』と自分自身を責め立てた挙げ句、結局自殺や無気力というような状態に陥るのではないかと推察する。
鬱病だけでない。過食症や拒食症等といった病も気持ち(心)が発病の起因となる病だと思われる。このような方々に「病は気からだから、気持ちを強く持って」「人間死ぬ気になったら何でも出来るだろう」等とアドバイスしようモノならそれは火に油を注ぐようなもので、病を回復させるどころか、悪化させてしまう反面を併せ持つように思えるのである。
これらの病は自己修復能力と周りの共感により回復の兆しをみせる病であると思われる。他人からとやかく言われて治癒する病でも無ければ、病院で処方された薬を一・二週間飲み続ければ治るという病でも無い。もっと長い期間の中で投薬もし、周りからの温かい視線が薬の代替ともなり、自分自身の中で、その回復を徐々に、本当に少しずつ徐々に、徐々に、回復させていく病であると私は考える。
学説的にどのように解釈されているのかを全く調べもせず、ただ書き散らしている私の思うところの病の解釈を文章中に挙げさせて頂いた。
ここまでで、何が分かったかと言われても何も分からないかもしれないが、先程の二つの言葉 【死ぬ気になったら何でも出来る】 【病は気から】 この二つの言葉は両刃の剣で、もしかすると、その者を奮い立たせ病を回復傾向に持ち込む事も可能かもしれないが、逆に『頭のおかしくなってしまった自分なんて……』と自己嫌悪・自暴自棄に陥り、病を悪化させてしまうかもしれない反面を併せ持つ事だけ認識して頂きたいと私は感じるのである。
病回復の兆しの核となるのは自分自身の心だと思います。
しかし、他人から言われる言葉により、その回復速度は変速し、時には逆走する事もあると考えられます。