Prelude Ⅲ
「ルリア様。帰ります」しばらく一人で泣き続けた後、それでもユリはインシーの古木の前にいた。
本当ならこのまま逃げ出したかった。でもそんな訳にはいかない。
『早かったわね。泊まってもよかったのよ?』
「いえ、帰ります」泊まってしまえばもっと母の側にいたくなってしまう。帰りたくなくなってしまう。
そんなユリの気持ちを察してか、ルリアは笑って提案してきた。
『ここで一泊して行く? すぐに城へ帰るのは嫌でしょう? あいつからは六日間貰っているわけだし』
思わぬ申し出に、ユリは驚愕した。だが嬉しかった。
正直このまま城に帰るのはとっても嫌だった。また、暗く殺風景な空間に閉じ込められるのかと思うと、気が滅入る。
だから、こんな鮮やかな緑の森を見たのは久しぶりで、心も休まった。
『実を言うとね、私も森は好きなの。あの城は……暗くて……苦しいわ。あいつを見てるのも苦しい』
「え?」ユリはまた驚いた。ルリアがそんな風に思っているとは考えた事もなかった。自分と同じように、カリストを見ると苦しいのか……。
『……不思議ね。私も、あいつも……あなたといると嬉しいのよ』
「え!」ユリはもっと驚いた。カリストに嫌われているとは思っていないが、好かれているとも思ってなかったし、ルリアには絶対に嫌われていると思っていたからだ。
『でもね、それ以上に苦しいの……』
「…………」苦しい? なぜ? 閉じ込められ、苦しい思いをしているのは自分のはずなのに……。
『忘れた事なんてないわ。今まで一度だって忘れたことはない。でも、あなたといると、思い出すの。どうしてか……深く、深く思い出すの。そして苦しくなる』
ユリは何も言えなかった。ルリアの言っている意味が全然分からない。だが、自分のせいで二人が苦しい思いをしているようだった。
そして何より、リーヴァがこんな風に、人間みたいに苦しんでいる事に驚いた。
神様で、すごい力を持っている。それなのになぜ、ルリアは今にも泣き出しそうに、崩れ落ちそうに、弱々しいのか……。
『今日、なぜあいつが急に休みを言い渡したか分かった?』泣き出しそうなルリアは消え、いつものルリアに急に戻った。
「……はい……。なんとなく……」その変化にまた驚きながらも、ユリは返事する。
『あなたを連れてきて丁度一年。その間に全世界を見たわ』やっぱり、とユリは思った。
城に連れて来られてすぐ、仕事内容を知らされた。黒い魔石を探す事。
どうやって探すかと言うと、姿見を見ながら探した。
どう言う仕組みでそうなるのか分からないが、カリストが魔力を込めると、姿見に色々な町の様子が映し出された。
カリストの思惑通り、ユリは姿見を見るだけで魔石を探知する事が出来た。
カリストが町や人を姿見に映し、それをユリが見ながらルリアと同じような光を放つ魔石を探す。そんな日々を一年間過ごしてきた。
『あいつの知りうる世界の隅々を、この一年間ですべて映したのよ』
「……はい……」
『でも……見つからなかった……』
「……はい……」
『一年掛かっているから、確かに人も物も動くかも知れないわ。でも……』
毎日毎日色々な所を見た。少しずつ少しずつ場所を変え、見続けた。だが、目当ての魔石は見つからなかった。
夜寝ている間、少し休憩している間……目当ての魔石が別の所へ移動し、見つけられなかった可能性もある。
だが、そもそもその魔石を人間が所持しているのか? 所持しているならなぜ神殿に収めないのか? 所持したまま別の所へ移動したりするものか? 答えのない疑問ばかりが増えた。
世界各地の神殿内にはルリアの魔力が張り巡らされ、少しでも神殿内に入れば、すぐにルリアに分かるようになっているらしい。なので、知らないうちに浄化されたと言う事はないとルリアは言い切っている。
『……手放してから、一度もその存在を感じた事がないの……』
「…………」探している魔石が何か、ユリにはもう分かっていた。ルリアがそこまで心痛める理由が分かっていた。だから、分かっているからこそ、何も言えなかった。
『リキは、いつもそう。私を困らせる。いつもいつも困らせて……』泣いている。ユリはそう思った。でも実際にルリアの瞳からは涙は出ていない。
『あいつの事も……。困らせて、困らせて……』
「ルリア様!」ユリはつい、叫んでいた。何かを言おうと思ったわけではない。ただ、このまま語らせていたらいけない……そう思った。
『……この場所がいけないのかしら……。つまらない事を言ったわね。悪かったわ』いつものルリアに戻っていた。
『馬鹿ね。あいつも、私も少し期待しすぎていたの。あなたの能力に』
言わんとしている事がユリはなんとなく分かった。
ユリが探し出してからは一年だ。だがカリストとルリア、二人で世界中を探し続けていた期間は、ユリの想像できる年月ではない事を、ユリは気付いていた。
自分が産まれるよりずっと前、母が産まれるよりずっと前、きっともっともっと昔から、二人は黒い魔石を探し続けていたのだ。
だがユリと出会い、ユリの能力を知って、見つかるかも知れないと言う期待が膨らんだ。期待が膨らみ、それが大きければ大きいほど、反動も大きい。
一年かけて世界中を姿見で見て回り、見つからなかった。その事に二人はとてもショックを受けていたのだ。
『すぐ見つかるかも知れない……そう思って、あなたの立場を甘く考えていたわ。でも……城の戻れば、あなたにとって長い時をまた三人で、またあの城で過ごす事になる』
「……はい。覚悟……しています」ユリも分かっていた。だからその覚悟も本気だった。
もしかしたら存在しないものを探しているのかも知れない。ないものを見つけることは出来ない。だから、一生……死ぬまで探し続けないといけないかも知れない。そう分かっていた。
だが、逃げる事は出来ない。ならば自分の持てる限りの……全力で見つけ出す。それだけだ。
『……はっきりさせておきたかったの。あなたの立場を。私とあいつはリーヴァ一族。あなたはただの人間。この先ずっと同じ城で生活し続けても、馴れ合うつもりはないわ』
「…………」急激な厳しい言葉にまた驚いた。正直仲良くなれるのかも知れないと思っていただけに、ユリもショックを受けた。
『あいつは……もう分かってると思うけど、冥界の王なんて言う立場のくせに甘いの。あなたの事も気に入ってて、甘いのよ』
最初冥界の王と聞いてすぐに恐怖が浮かんだ。リーヴァ一族と言えば恐れ多く、ただの一般人のユリが話せるような相手ではない。その中でもカリスト・ヴィーは異質で、最も恐ろしい神と言われている。
だが、最初の勘通り、一緒に過ごしているうちにそんなに怖くない相手と思うようになっていた。その気持ちを見透かされたような言葉だった。
『あいつに……想いを寄せないで』
「……そんな事……」思ってないと言えば嘘になる。
相手はリーヴァ。冥界の王。好きになどなるはずがない。だが……たまに見せる瞳の奥を覗くと、苦しく切なくなる。
『あいつには花嫁がいるのよ』初めて聞いた話だ。冥界の王に花嫁がいるなど……。
だが、ルリアが言う以上本当の事だろう。そしてその相手はきっと……二人が探し続けている……。
『リキの代わりなんかいないわ。私にとっても、あいつにとっても……。だから、馴れ合わないで……。馴れ合わないわ』
懇願……のように聞こえる。そして戒めか。誰に対しての戒め?
ユリにとって――人にとって――リーヴァとは絶対の存在だ。その相手に対して馴れ合う心などユリは持っていない。と言うか持ってはいけないものだ。
多少打ち解けてはいても、神と人は違う。
だから、ルリアにこんな風に言われなくても、ユリの方から決して近づくことはなかっただろう。
距離を置いて、自分からは恐れ多く近づかない。優しくされれば嬉しいが、それ以上のことも望んだりはしない。そうなっていたはずだ。
だが、ルリアに懇願され、リーヴァの二人が自身を戒めている事を知って、ユリは気付いてしまった。
『本当に馬鹿ね。私もあいつも……あなたも……』ルリアが哀しそうにユリを見ている。苦しそうに、それでも愛しそうに。
涙が出ていた。いつの間にかユリの瞳から涙が零れ落ちていた。
気付かなければよかった。二人の気持ちに。
探し続けている相手と似た私が現れ、色々な事を苦しんでいる二人の気持ちに、気がつかなければよかった。
そして、自分のカリストに対するこの気持ちに、気がつかなければよかった。
また三人の時間が始まる。暗く広い城で、哀しくって苦しくって嬉しくて楽しくて切ない城で、三人は魔石を探し続ける……。
冥界の前奏曲―Prelude―終了です。
次はサイドストーリー