Prelude Ⅰ
「休みをやろうか」カリスト・ヴィーが急にそんな事を言い出した。
脅迫され、ほぼ無理矢理魔石探しを始めてからもう一年が過ぎていた。その間ずっとカリストの城と言う建物に閉じ込められ、ひたすら姿見を見るか食事をするか寝るか……と言う生活だった。
冥界の王とは言え、リーヴァに頼みごとを――命令を――され、断る事が出来るわけもなく、ユリは日々を過ごしていた。
「はい」ユリは素直に頷いた。
カリストが急にこんな事を言い出した訳がなんとなく分かっていたからだ。それにこのチャンスを逃せば次いつ町へ降りられるか分かったものじゃない。
「ルリを貸してやる。好きな所へ行け。……六日間やる」カリストはそう言って袋をユリに渡す。
「え?……」その袋を受け取りながら、ユリは素直に感謝できなかった。
送って、迎えに来てもらう方がいいと思い、その袋を返そうとカリストを見たが、彼の姿はその場にもうなかった。
「…………」
『本人達の意思はまったく無視ね』ユリが無言でいると、女性の声が響き、目の前に二十半ばの漆黒の髪をなびかせた女性が現れる。
「……ルリア様……」
リーヴァ一族が一人。例外のルリア・ヴィーだ。動植物の女神と言われている彼女がどうして冥界の王と一緒にいるのか分からない。
そして何より彼女はカリストとは違い肉体を持たず、黒い魔石の姿をしている。
ユリが一度盗んだ黒い魔石。それはルリアだった。
このカリストの城にいる時だけ、本来の女性の姿を現すが、普段は声だけで魔石の中に閉じこもっている。
正直ユリはルリアが苦手だった。
冥界の王と聞いて、カリストの事もかなり見方が変わったが、それ以上にルリアに対しては最初から恐怖心が強い。
それはたぶんルリアの方がユリを嫌っているからだと思われるが。
「…………」カリストから借りたルリアが入っている袋をどうする事も出来ずにユリが固まっていると、珍しくルリアが笑った。
『行きたい所をいいなさい。付き合ってあげるから。あいつに今更文句は言えないわ』冥界の王に対してあいつなどと言えるのはきっとこの人しかいないだろう……とユリは思っている。
「すいません。実は、ずっとどうしても行きたい所があったのです」ユリは意を決してお願いする。
ユリは孤児だ。両親はまったく知らない。十五歳になるまで孤児院で育った。
人のものを盗んで荒稼ぎをしていたのは、自分が食べるためもあったが、殆どを自分が育った孤児院へ送金していた。
盗みの金だとは当然言っていない。良い所のお宅で働いているから金銭的に余裕があるのだと説明していた。
だが、この一年送金もせず、連絡もしていない。孤児院の母が心配しているはずだ。
ずっと一度帰って説明をしたい、と思っていた。
『
そう……いいわよ。どこ?』妙に優しく、親切なルリアにまた違う恐怖を感じながら、ユリは素直に連れて行ってもらうことにした。
「インシーの町です」
『……インシー……』ユリの言った地名を聞いて、一瞬の内にルリアの表情が変わる。
元々無表情の彼女の、もっと暗い表情を見て、言ってはいけない言葉だったとすぐにユリは思った。だが、すでに口出してしまったし、孤児院があるのはインシーだ。
『プロシード大陸の……インシー?』
「……はい……」
『…………』何かを考えているのか、ルリアは黙ってしまった。
ユリから尋ねる事も出来ず、沈黙が流れる。何か因縁のある土地の様だ。ルリアの表情から決していい事があった所ではなさそうだ。
『……いい機会ね。どうせ話すつもりだったし……はっきりさせるわ』ルリアは独白すると、固まっているユリの方を見る。
『飛ぶわよ』そう言われ、すぐに転移とわかった。
「は、はい!」ユリは返事をして身構える。
すぐに激しい衝撃を受け、目の前には森が開けていた。
多少回数を重ねたとは言え、やはりまだ転移は慣れない。息切れする呼吸を精一杯整え、じっくりと周りを見渡す。
インシーの森だった。
プロシード大陸は縦に長い大陸で、その中心を山脈が大陸を二つにわけるように横断している。そしてその山脈が国境となり、北をノウランク王国。南をサウロンド王国が統治している。
インシーが位置するのは、その南側大陸の丁度中心地点だ。町と湖をすべて囲うように森が開いている。
転移した場所はその森の中、湖近くの大木の前だった。
「インシーの古木……」ユリは懐かしむように木に触れる。
木と言ってもその大きさは半端なものではない。正面から見る限り、それはとても木とは思えなかった。目の前に木の壁がある。上を見上げても葉は見えない。壁が上まで続いている。
遠くから見て初めてその壁は一つの木だとわかる。そのぐらい大きい。
だがユリはすぐにわかった。町からずっと見ていた木だ。御神木と呼ばれ、この町を、森をずっとずっと支えてきた木。
町に住む人間は、町から木を眺め毎日毎日挨拶する。朝はおはよう、昼はこんにちは、夜はおやすみ。
何か素敵な出来事があれば報告し、哀しい事があっても報告する。そんな町の人に愛されている木だ。
ユリも十五歳で孤児院を出るまでは、毎日挨拶をし、色々な報告もしてきた。そして、孤児院の母に内緒で町を出たとき、最後に挨拶したのがこのインシーの古木だ。
「出るとき最後に話して……。帰って来た時最初に話が出来るなんて」懐かしさに涙が出そうだ。
木を優しくさすっていると、すぐ隣に人影が写る。
『……まだ生きてたの。しぶといわね』ルリアだった。女性の姿のままだ。
ユリが驚きルリアを見ていると、彼女はユリの方を見て笑った。
『この姿でも城を出れるのよ。ただ、他の人に見られると色々と面倒臭いから』なるほど納得である。ルリアは明らかに生身とは言えない体だ。
肉体が持つ質量がルリアにはまったく感じられない。地面に脚は付いているものの、浮いているかのようで、姿は見えてそこにいるはずなのに線はかすれ、色も薄い。
例えるなら、水辺に映った影のような姿だ。
『私はこのままここにいるから、あなたは用事を済ませてきなさい』ルリアはそう言うと、インシーの古木に沿って歩き出した。
古木の周りを一周するつもりだろうか……ユリはその慣れた様子を不思議に思いながら、その場を後にした。
『はっきりさせるには最適の場所かも知れないわね……』ルリアのその独り言は、ユリの耳には入らなかった