Fantasy Ⅲ
「…………」
「…………」二人は見つめあったまま何も言えなかった。
カリストに上手に話すと言った以上、どうにか言葉を紡いで会話をしたかったが、実際にその女性を見たらユリの心臓は激しく意思表示しだした。
「アリア、体調悪いのにすまない。この人はユリさんと言って温泉に入りに来たのだが何も持って来ていないらしい。少し相談に乗ってあげてくれないか?」リストはアリアと読んだ女性を嬉しそうに見つめながらそう話しかけた。
「え、あ、ああ。分かりました。私がお相手しますわ。リストさんはどうぞお気になさらないで」アリアはそう言ってリストに微笑む。
その笑顔を見てリストはまた真っ赤になると、ユリに後でまた来ると一言声かけて逃げるようにその場を後にした。
ユリは慌ててリストにお礼をいい、またアリアを見つめた。
本当に瓜二つ。ユリはなんとなく似ている程度だが、彼女は違う。本当にそっくりだ。声まで同じ。
話し方を変えれば絶対にルリアだと騙される自信があった。
ユリがとりあえず何かを話そうと口を開いた途端、向こうが先に被せて来た。
「……ここでは何ですので、家にどうぞ」そう言って自分はさっさと家へ消える。
出鼻を挫かれユリはつまったが、すぐにアリアへと続いた。
「……何か飲みます? ……なんて、私があなたを持て成すなんて可笑しいですね」アリアは台所に立ちながらクスッと笑う。
「……あの……」ユリはそんな女性に何も言えない。
この光景を今二人は見ているのだろうか。会話を聞いているのだろうか。その時二人はどんな顔をしているのだろう。
ユリは目の前の女性を見つめながら城にいる二人の事を考えていた。
「……まさかあなたがいらっしゃるとは思いませんでした。しかも今日の今日で……」椅子に腰掛けたユリの前に飲み物を出しながらアリアはそう言った。
やはりアリアは気づいている。あの時こちらを見ていたのは間違いないようだ。
「可笑しいですね。この日をずっと楽しみに、ずっと待ちわびていたのに…………」そう言って女性は俯いた。
「あの! あの……やっぱりリキア様なんですか?」ユリは意を決して話しかけた。すると女性はその言葉にビックリしたのか漆黒の瞳を見開いている。
「あなた……気づいていないの?」
「え?」今度はユリの方がその言葉に驚いた。
気づいてないとは何をだろう。会話の流れ的に自分は変な事を聞いた覚えはなかったが、女性にとってはかなり意外だったのか、本当に驚いている。
「そう……そうなのね。驚いたわ……」アリアはそう独り言ると、ユリに向かって微笑む。
「そう……許せないわね。こんな想いをしているのに……」そう言った顔は笑っているのに、瞳の奥がユリを睨みつけていた。
「あ、あの……一体……。ごめんなさい、私本当に分からなくて……」
「また視ているのでしょう? あなたが迎えに来て」アリアはユリの言葉を無視して虚空を見上げ、強い瞳で睨み付けた。
「リキア様!」その行動にユリはつい叫ぶ。
「私は違うわ! 私は違う……」ユリの叫び声に負けずアリアは叫び返す。その声は思っていた以上に大きく、はっきとした拒否の言葉だった。
「あの人が迎えに来たら私の分かる事を話すわ。だけど、私……あなたとは一緒にいたくない」そう言って今度は悲しそうにユリを見つめると、ユリが答えるより素早く奥の部屋へと逃げていってしまった。
「……どう言う、事?……」ユリはその場で頭を押さえる。
心臓が激しく脈打っていた。握り締められているかのように苦しい。どうして自分はこんなに動揺しているのだろう。
ある程度覚悟してここに来たはず。相手がどんな態度で来ても動揺しないで自分の仕事――相手に説明すると言う事――をするつもりだった。
それなのに姿を見てからまったくと言って良いほど冷静さが足りない。相手の言うこと、態度に揺さぶられて自分の言葉は何一つ伝えられていなかった。
リキア様じゃない。そしてもちろんルリア様でもない。それなのにあの容姿。そしてこの自分の気持ち……。よく分からなかった。
相手の自分に対して言っている言葉も全然分からなかった。ただ自分は何か彼女の癇に障ることをしているらしい。
一方的なそんな責める態度に憤りを感じなくはないが、それ以上に自分の感情を支配しているのはなぜか悲しみ。
初めて会って全然ちゃんと話してもない相手に対して感じるのは可笑しい複雑な気持ち。悔しいような苦しさ。嬉しいような切なさ。悲しいような想い……。こんな感情を自分は知らない。今まで感じたことなど無い。
でも自分のそんな不可解な感情はとりあえず蓋をして先に進まないといけない。でないとここに自分が来た意味が無い。一番自分が冷静でいられるからと思って立候補したのに、これでは本当に意味がなくなってしまう。
ユリは思い切り深呼吸すると、二人へ話しかけた。
「カリスト・ヴィー様。ルリア・ヴィー様。見ていますよね? どうしたらいいですか?」
『…………』ユリのそのセリフとほぼ同時にルリアが現れた。城の外だが人の姿をとっている。
『隣の部屋にいるのよね……それなのに、やっぱり何も感じないわ……』ルリアはそう言って首を振る。
「……リキア様じゃないって……言ってました」とりあえず報告する。視ていて知っているとは思うが、他にかける言葉が見つからなかった。
『…………』無言のルリアに耐え切れず、ユリは肝心の相手の事を聞いた。
「……カリスト様は……」ユリの心は名前を言うだけでも荒れ狂った。苦しい。何て言えば良いのか分からない感情。決して恋をしている、それだけじゃぁ済まされない想いだ。
『……反応がない。正直、私もよくここに来れたと思う』ルリアがそういった途端、奥の部屋のドアが開いた。
そこにはもちろんアリアが立っている。
「ルリ……来てくれたのね」そしてそう言って女性は涙を流した。
『……リ、キ? 違うわよね……』ルリアは震える声で聞いてからすぐに自分で否定する。
「違う。私は違う。でも違っても無い。……私は……」アリアも否定しながら先を進めようとしたが、ユリを視線の端に認めるとその続きの言葉を飲み込んだ。
そして辛そうに微笑む。ルリアにそっくりでありながら、ルリアとは違う表情。
「ちゃんと話します。ちゃんと……。でも……あの人に会いたい」アリアはそう言って虚空を見つめた。
その視線の先にはきっと、カリストがいるのだろう。見つけた時と同じように彼女には姿見の向こうが見えているのだろうか。
ユリはアリアから視線を逸らした。見ていられなかった。本人はリキアとは違うとしっかり言っているが、きっとリキアなのだ。
だからこそカリストに会いたがるのだろう。カリストに……愛しい相手に。
『…………』ルリアが何か言おうと口を開いた途端、第三者の声が割り込んできた。
「アリア、ユリさん、どうなった? 一緒に温泉に行こう」リストはそう言って軽くノックした後、止める間もなく入って来た。そしてそのまま固まる。
「あ、あの……リストさん……」ユリは何か言おうと名前を呼んだが、続きが出てこない。リストはルリアを見つめたまま止まっている。
「ア、アリア! どうしたんだ? その姿……」そう言ってからすぐに間違えに気づいた。
「ア、アリアが二人?」リストはそう言いながらアリアとルリアを交互に見比べる。
「……リ、リストさん……これは……」ユリは慌てて言い訳しようと思ったが、いい案が浮かんでこない。
ルリアの姿を見られて出てくる言い訳など無かった。明らかに人とは違う、アリアそっくりな存在。足こそ浮いてはいないが、魔の者としか思えない。
「……お前、やっぱり怪しいやつだったんだな!」そう言ったリストの目がギラギラと輝いていた。
「アリアを、アリアをどうするつもりなんだ!」ユリを睨みながらリストは叫んだ。その顔は親の敵でも見るように憎しみで歪んでいる。
先程までユリに向けていた優しそうな笑顔はどこにもなかった。
「リストさん……」ユリはそんなリストを見て唇を強く噛み締める。そうだ、もしアリアがリキアならば、ここから連れ去ってしまうのだ。
どう言い訳した所で、連れ去って存在を消し去って……。リストの想いは成就する事はない。
「リストさん。大丈夫です。この人達は私の知り合いなのです」アリアはそんな睨みあう二人の間に入ると、リストへ微笑んでみせる。
「ごめんなさい。温泉へは行けません」そしてそう断りを入れるとそっと外へ誘導する。
「ア、アリア! 俺は……君を……」
「リストさん! ごめんなさい。また……また、今度お話しましょう。ごめんなさい……」アリアはリストが何か言いかけたのを自分の言葉で塞ぐと、そのまま外ヘと追いやってしまった。
外でリストが何か叫んだが、アリアは聞こえないフリをしてドアに鍵を閉める。
「うっかりしていましたね……。このまま、知らないまま終わらせたかったのに……」そう言ったアリアの漆黒の瞳は揺れている。
艶やか瞳がより潤み、そこから一筋の涙が零れた。
「っ!」ユリは心が締め付けられた。アリアの心が流れて来たみたいに、リストに対する想いが溢れて来た。
愛しい相手。優しくて優しくて、自分を大切にしてくれる存在。ちょっとおっちょこちょいで、人が良すぎるぐらい良すぎて。すぐ誰の事も信じてしまう。
素直で、正直で真っ直ぐで。こんな私にも惜しみない愛情を捧げてくれる相手。
こんな、存在が意味のない私の事を、真っ直ぐに見てくれる、唯一の人。その想いに答えたくて、答えたくてたまらないのに、答えることは出来ない。
なぜなら私は、意味の無い存在。……私は……
「やめて!」その叫び声と同時にユリは頬に衝撃を受ける。その衝撃で現実に戻され、左頬がジンジンと痛みを帯びてくる。
呆然と打たれた頬を押さえながら、打った相手を見つめた。
「だから、だからあなたと一緒にいるのはいやだったの! 共有しないで! やめて! それは私だけの想いよ! リキアじゃない。ただの人として、ただのアリアとして26年間生きて来た私の想いよ! あなたなんかに感じて欲しくない!」アリアは泣きながらそう叫ぶと家を飛び出していった。
ユリは打たせた頬を押さえながら微動たに出来なかった。先程まで感じていたリストへの想いに心引き千切られそうだった。
苦しくてたまらない。愛しいのに答えられない。それなのにその手を離せない。中途半端な態度を取って相手を傷つけている事はわかってるけど、彼から与えれれる心地よい想いを失くしたくない。
自分は意味のない存在なのに。彼の幸せを想うならすぐにでも離れなくちゃいけないのに、自分勝手な感情で手離したくない。
なんて浅ましい。なんて汚らしい。なんて利己的で自分勝手な感情。彼の事が好きで……好きで止められない。
ユリはそのまま泣き崩れる。自分の感情じゃ無い事は分かってる。それなのに引き摺られる。こんな想い知らない。
自分の想いじゃないのに、本当は自分がリストを愛しくて愛しくて堪らないかのように錯覚する。
『ユリ、どうしたの……しっかりして、何があったの?』しゃがんで悲鳴を上げるように泣き崩れているユリにそっと触れると、ルリアは背中を摩る。
「なんで、な、なんで……わ、私……関係ない、のに……」しゃくりあげながらどうにか言葉にすると、ルリアを見つめる。
その漆黒の瞳を覗き込むとまた感情が溢れて来る。大好き、大好き。大好きなルリア。ごめんね、ごめんね。私知らなくて。ルリアが苦しんでるなんて知らなくて。気づかなくて、苦しめて。
ごめんね、ごめんね。それなのにまた私は傷つけた。私はこんなに傍にいるのに……。
「う、ううー」泣きながらユリはルリアに抱きついた。誰の感情か分からない。
アリアの? リキアの? ……それても自分の?
分からなかった。自分の感情がぐちゃぐちゃで、誰かの感情がぐちゃぐちゃで。とにかくよく分からなかったけど、泣くしかなかった。
ユリはよく分からないままルリアに抱きつき泣き続けた。声が枯れるほど、羞恥心なんてどこかに置き忘れて、とにかく叫びながら泣き続きた。