完璧なアルゴリズムで人生を設計してきた男が、定年と離婚という最悪のエラーを経て、エラーだらけの卵焼きを前に初めて笑った日。
システムエンジニアとしてキャリアを築き上げてきた小五郎は、適切なインプットがあれば、ロジックに基づいた正確なアウトプットが返ってくる。
それを自身の哲学としていた。
そして、理屈の通らない感情や例外処理は、すべて「バグ」として排除してきた。
冷徹な優秀さをして、小五郎は若くして頭角を現し、社内で重要なプロジェクトをいくつも成功させてきた。
部下に対しては一切の妥協を許さず、感情論で泣きつく者には容赦なく「論理的破綻」を突きつけた。
周囲は小五郎を畏怖し、同時にその能力を評価した。
小五郎はいつしか、社内という狭い部分社会で「お山の大将」として君臨していた。
自分が構築したアルゴリズムは完璧で、周囲の人間はそれを実行するためのただのパーツに過ぎない。
その傲慢さは、家庭でも遺憾なく発揮されていた。
妻の紗枝が日々の他愛のない愚痴をこぼせば、「その問題の解決策はこうだ。なぜ実行しない?」と結論だけを突きつけ、寄り添うことなどしなかった。
順調に生きてきたはずの小五郎の完璧な世界に、最初の致命的な「例外」が発生したのは、六十歳となる定年の春だった。
役員室に呼び出された小五郎は、人事担当役員から突きつけられた書類に目を疑った。
提示されたのは、子会社のデータ入力という名ばかりのポジションだった。給与は三分の一以下。事実上の「必要ない人間」としての宣告だった。
しかも、その人事担当役員は小五郎が新人の時から育て、仕事のノウハウを一から十まで教えこんだ人物だった。
さらに屈辱なのは、言い渡された子会社は、小五郎と同期の人物が代表取締役を任されている会社だった。
「僕のスキルとノウハウがあれば、まだ本社のシステム刷新プロジェクトを牽引できる。僕が抜ければ、あのシステムの運用はできない」
それを聞いた人事担当役員は、哀れみの目で小五郎を見て、こう言った。
「今の若い世代のシステムは、小五郎さんの時代のロジックでは動いていないんですよ。それに小五郎さんのやり方についていける部下は、もうこの会社には誰もいません」
お山の大将が座っていた椅子は、いつの間にか砂でできていた。崩れ落ちるのは一瞬だった。
自分の優秀さは不変の方程式だと思っていたが、会社というシステム、部分社会にとってはすでに「減価償却の終わった古いハードウェア」に過ぎなかったのだ。
定年退職の日、送別会を断り家に帰った小五郎は、リビングのテーブルの上に、一枚の紙と、鍵が置かれていた。
「あなたという冷たい機械のそばで息をするのは疲れました。これからは、自分の人生を生きます」
定年後の孤独は、想像以上に冷たかった。 誰からも連絡のないスマートフォン。テレビから流れる雑音だけが、広いリビングを満たしている。
小五郎は、ノートにこれまでの人生のタイムラインを書き出しその因果関係を必死に解析しようとした。
自分は間違ったことはしていない。常に優秀であり続け、ロジック通りに動き、成果を出してきた。
それなのに、なぜ最後のアウトプットが「完全な孤独」という最悪のエラーになるのだ。
晩年となり、過去の人生構築を考え続けてきた小五郎は、根本的な「設計ミス」に気づくこととなる。
「条件分岐を間違えていたんだ」
【成果を出せば、人はついてくる】
【正しい意見を言えば、問題は解決する】
これが小五郎が信じてきたアルゴリズムだった。
しかし、定数的に解釈が可能ではない人間関係という名のシステムを動かす真のアルゴリズムは、全く異なる関数で満ちていた。
【優秀だから人が集まるのではない。弱さを認め、他者を受け入れるから人が集まるのだ】
【人を愛するとは、相手の非合理性やエラーさえも、そのまま抱きしめるということだ】
自分の正しさを証明するために、周囲の人間を傷つけ、遠ざける処理を自らループさせていた。 「孤独」へと繋がっていた人生のアルゴリズム。それを構築したのは、環境でも他者でもない、自分自身の傲慢なロジックそのものだった。
原因を究明できたことで、小五郎の胸のつかえは不思議と取れていた。
小五郎は何年も触っていなかったキッチンに向かった。妻がよく作ってくれた、甘めの卵焼きを作ってみようと思った。
出来上がった卵焼きは、なんともエラーだらけのもので、食べられる限界ギリギリのものだった。
小五郎は小さく微笑んだ。
「これでいい」
小五郎の人生のデバッグは、ここから始まる。




