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鳥籠の空と、怠惰な愛

週に10話ほどの更新予定

神の国の空は、いつだってひどく嘘くさい青色をしていた。

完璧すぎるのだ。雲の形も、風の温度も、太陽の光の角度すらも。まるで誰かがキャンバスに描いた理想郷の絵画の中に閉じ込められているかのような、息の詰まる美しさ。

十七歳になる吸血鬼の少女、カノンは、白亜の宮殿の冷たい窓辺でその作り物の空を見上げていた。彼女の真紅の瞳には、何の感情も浮かんでいない。ただ一つ、物心ついた頃からずっと背中に張り付いている『違和感』だけが、胸の奥で黒い靄のように渦巻いていた。

空のずっと向こう側、この世界の頂点とも呼べる遥か高みから、時折、肌を刺すような冷たくて重い視線を感じることがあるのだ。

それは圧倒的な絶対者の威圧。自分という存在そのものを根源から恐れ、疎み、隙あらば指先で捻り潰そうとするかのような、理不尽で巨大な悪意の気配。

「……また、だ」

カノンは細い腕をきつく抱きしめる。母は、自分を産んだ命と引き換えにこの世を去ったと聞かされている。自分が特異な『吸血鬼』であるという事実以外、己のルーツは何も知らない。だが、あの空からの視線を感じるたびに、カノンの本能が警鐘を鳴らすのだ。

――本当に、母はただの出産で死んだのか? この世界は、何か決定的な嘘を吐いているのではないか、と。


その夜、月に一度の呪わしい時間が訪れた。

喉の奥が焼け焦げるように熱い。全身の血液が沸騰し、甘美なる『命の熱』を求めて悲鳴を上げている。抗いようのない吸血衝動だ。

カノンは銀色のトレイに置かれた、神の国に生息する獣の血が入ったグラスを震える手で取った。美しいクリスタルグラスに注がれているが、その中身は泥水と鉄錆を混ぜ合わせたようなひどく劣悪な味がする。

「……不味い」

吐き気を無理やり飲み込みながら、カノンはそれを一息に喉へ流し込んだ。誇り高き彼女にとって、ただ飢えを満たすためだけに人間の首筋に牙を立て、家畜のように血を啜るなど、絶対に許されない行為だった。愛なき吸血は、己の魂を汚すだけの単なる暴力だ。カノンが自らの牙を許し、自らの魔力を含む血を与えるのは、自らが心の底から愛し、永遠を誓い合った者だけだと、そう固く決めている。

しかし、その誓いを守るたびに、カノンの孤独はより一層深まっていくのだった。


衝動の熱が少しだけ引いた頃、背後から気怠げな足音が聞こえた。

「……またそんな泥水飲んでんのか。物好きだねぇ、お前は」

大きなあくびと共に現れたのは、カノンの育ての親である『怠惰の夢神』だった。だぼだぼの寝巻き姿で、紫色の長い髪は寝癖でボサボサ。彼女はカノンの青白い顔を見るなり、心底面倒くさそうに頭を掻いた。

「あんたの血は、私には強すぎる。獣の血で十分だよ」

強がるカノンに対して、怠惰の神はふんと鼻を鳴らし、そのまま乱れたベッドへと倒れ込んだ。「あー、だる。あたしは寝る。最低でも半日は起こすなよ……」

すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。カノンはそっと彼女のそばに近づき、その寝顔を見下ろした。

幼い頃、吸血衝動の激痛に泣き叫ぶ夜、彼女は決してカノンに血を与えようとはしなかった。与えれば、赤子のカノンは神の力に耐えきれず死んでしまうからだ。その代わり、彼女は夜が明けるまで、一睡もせずに不器用な手つきでカノンの小さな背中をさすり続けてくれた。その無骨で優しい温もりを、カノンは今でも鮮明に覚えている。

だからこそ、カノンは気づいていた。

眠り続ける怠惰の神の頬が、日を追うごとに痩せこけ、血の気を失っていることに。神であるはずの彼女の魔力が、少しずつ、しかし確実にすり減っていることに。

カノンは窓の外、嘘くさい空の境界に視線を向ける。この神の国を覆う、分厚く不可視の結界。それが、あの恐ろしい悪意の視線から『カノンという存在』を隠すためだけのものだと気づいたのは、つい最近のことだ。

怠惰の神は、ただ寝ているのではない。息をするように己の命を削り、夢の中で永遠に結界を維持し続けているのだ。

「……これ以上、あなたを殺させはしない」

カノンは決意と共に、愛用の巨大な真紅の大鎌を手に取った。圧倒的な魔力が刃に宿り、周囲の空気がビリビリと震える。自分がここにいては、この不器用で優しい神が死んでしまう。ならば、自ら反逆者の汚名を被り、この鳥籠から飛び立つしかない。

背を向けたカノンの背中に、ベッドの中からくぐもった声が聞こえた。

「……勝手にしろ。あたしは寝る」

引き留めることすらしない、そっけない言葉。だが、その声が微かに、ほんの少しだけ震えていたのをカノンは聞き逃さなかった。

「今まで、ありがとう」

カノンが大鎌を一閃すると、完璧な空にガラスのような亀裂が走り、世界が甲高い音を立てて割れた。

彼女は一歩を踏み出し、神の国から人間界へと身を投じる。


――堕ちていく。生ぬるい風と、血と泥の匂いが混ざった下界へ。

カノンが降り立ったのは、虚飾の神が支配するという薄汚れた街の路地裏だった。神の国の清浄な空気とはまるで違う、むせ返るような人間の欲望と絶望の匂い。

そこは、凄惨な戦場だった。

「ハァッ……ハァッ……!」

路地裏の奥で、片翼を黒く染めた少女が、血まみれの剣を杖代わりに立ち上がろうとしていた。白銀の髪は泥にまみれ、その瞳には限界を超えた疲労と、それでも決して折れない高潔な光が宿っている。彼女を取り囲んでいるのは、不気味な笑みを浮かべる虚飾の信者たちだ。

空から舞い降りたカノンを見て、信者たちも、その片翼の少女も息を呑んだ。

常人離れした美しさと、真紅の瞳を持つカノン。その圧倒的な存在感に、場が凍りつく。

次の瞬間、片翼の少女――セラフィは、自らの傷も顧みず、鋭い殺気を放ちながらカノンへと切っ先を向けた。

「……悪魔め。私を絶望させるために、あの偽りの神が遣わした新たな幻覚か!?」

血を吐くような悲痛な叫び。しかし、その声を聞いたカノンの胸の奥で、今まで眠っていた『何か』が激しく脈打った。

彼女から漂う、甘く、切なく、そしてどこまでも高潔な血の匂い。獣の泥水とは違う、極上の魂の香り。

初めて出会ったはずのその少女に、カノンの吸血鬼としての本能が、かつてないほどの激しい渇望と独占欲を抱いて惹きつけられていくのだった――。

以前書いていた神の国から堕ちた箱入り吸血鬼、絶対服従の百合ハーレムを築いて神々を蹂躙するのリメイクです

どうしても書き直したくなったので書いていきます

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