帝国編 50.儀式Ⅰ
地面が揺れた。
音より先に来た。石畳の振動が足の裏を突き上げて、一拍おいて爆発音が来た。鋭く、割れるような音だった。
北側だった。
走りながら空気を嗅いだ。焦げた魔力の臭いがした。炎属性じゃない。人工的な、外から流し込まれた跡の臭いだった。
——これは事故じゃない。囮だ。
衛兵が北へ走った。市民が叫んだ。「宮廷が!」「逃げろ!」。全員が北を向いた。
レイアは南を向いて走った。
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「待て、どこ行く」
ガンスが追いついてきた。走りながら叫んでいた。
「フィンの宿だ」
「爆発は北だぞ」
「だから南にいくの。爆発は囮だよ」
「——分かった、俺も行く」
ガンスが並んだ。ルイの声が後ろから来た。「サラ、宮廷側を押さえてくれ」「分かった」。サラが逆方向へ走った。
三人で路地を曲がった。爆発の混乱が人の流れを動かしていた。北へ向かう人波を逆に抜けた。ガンスが体で道を開けた。
「マリーは」
「フィンの宿の方に先に動いた」とガンスが言った。「俺より早かった」
「マリーも同じ判断をしたか」
「そういうことだな」
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フィンの宿の前にマリーがいた。
扉を背にして、路地の東の方向を見ていた。三人が来たのに気づいて振り返った。
「間に合わなかった」
声が平坦だった。でも目が動いていた。
「黒いローブが二人。フィン君を連れてあっちの路地に入った。三十秒くらい前」
「顔は」
「見えなかった。でも背格好が」——少し止まった。「フィン君だった」
「宿の中は確認したか」
「したわ。部屋の窓が開いてた。そこから出されたんだと思う」
ルイが頷いた。それだけだった。
「追えるか」とガンスがレイアを見た。
レイアは東の路地に目を向けた。暗かった。でも気配があった。生きているものが通った後の体温の跡。消えていない。
「追える。近い」
「俺も行く」
「マリーはここにいてくれ」とルイが言った。「離れるな。サラがこのあたりにいる。何かあれば叫べ」
「分かりました」——マリーが少し息を吐いた。「絶対連れ戻してください」
「連れ戻す」とルイが言った。
「レイア」とマリーが言った。
レイアが少し振り返った。
「マリーが気づいた。それだけで十分だ」
マリーが何か言いかけて、止まった。代わりに頷いた。
三人で走った。
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二つ目の角で足跡を見つけた。石畳に積もった砂に、大人二人と子供一人の跡。東へ向かっていた。
「東だ」
「見えた」
三つ目の角を曲がった瞬間、前方に人影が二つあった。黒いローブだった。一人が走り、もう一人が——小さい誰かの腕を引いていた。
レイアは考えるより先に動いていた。華焔を抜かなかった。音が出る。気づかれる。足で詰めた。ガンスが左に割り込んだ。前の一人にぶつかる音がした。倒れた。
もう一人が振り返った。腕を離さなかった。
——フィンが見えた。
叫んでいなかった。足を踏ん張って、引きずられるのに抵抗していた。
「フィン、しゃがんで」
フィンがしゃがんだ。
相手の腕の角度が変わった瞬間に、レイアが踏み込んだ。手首を外した。フィンの腕が解放された。ルイが後ろから来てフィンを引き寄せた。
「離すな」
「離さない」
フィンの声は震えていなかった。
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黒いローブの二人は逃げた。
追えた。でもフィンがいた。
「追うか」とガンスが聞いた。
「フィン殿下を先に安全な場所へ」とルイが言った。「向こうはまだ動いてる。宮廷の地下が動いてる可能性がある。全員戻る」
「方向は記憶した」とレイアは言った。「東の角を右。逃げ足が速かった。事前に経路を決めていた」
「つまり計画通りか」
「そうだ」
フィンが少し離れた場所から聞いていた。
「文書は」とフィンが言った。「持ってるよ。ここに」——服の内側を示した。「取られてない」
「よかった」とルイが言った。
「調子はどうだ」とガンスがフィンを見た。
「大丈夫だ」
「顔色が悪い」
「最後まで抵抗してた。情けないことはしてない」
「傷の一つもない」とガンスが言った。「まあ上々だろ」
フィンが何も返さなかった。ガンスがその肩に手を置いた。それだけだった。
「行くぞ」
全員で宿の方向へ戻り始めた。
マリーと合流した。マリーがフィンを見て、少し息を吐いた。何も言わなかった。フィンも何も言わなかった。それだけで十分だった。
ルイが「宮廷の地下が動いてる。向こうの本命はまだ終わっていない」と言った。全員が頷いた。
今夜はまだ続いていた。




