帝国編 49.決起
日が落ちた。
月夜の船が宿を出たのは、儀式が始まる一時間前だった。帝都の大通りはまだ人が残っていた。宮廷の方角へ向かう人の流れと、外壁沿いに立つ衛兵の増援が交差していた。
フィンは宿に残った。
宿の扉を出る前、フィンがルイの袖を引いた。
「ルイさん」
「うん」
「絶対戻ってきてください」
ルイが少し困り顔になった。それから「戻る」と言った。断言する時ほど短い。それで十分だった。
「待ってろよ」とガンスが言った。フィンが頷いた。
「すぐ終わりますからね」とマリーが言った。フィンがマリーを見た。また頷いた。
宿の扉が閉まった。灯りが細くなって、消えた。レイアは一度だけ後ろを向いた。もう扉は見えなかった。
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外壁へ向かう道で、ガンスがマリーに言った。「今夜だけは余計なことするなよ」「余計なこととは何ですか」「分かるだろ」「分かりません」「……おまえな」。サラが「二人とも黙って」と言い、二人が黙った。
宮廷外壁の前でルイが全員を向いた。
「配置を確認する。ガンスとマリーが北側。サラが東の角。俺が南門寄り。レイアが西だ」
「俺は北か」とガンスが言った。
「プランナが北から動く可能性がある。頼む」
「まあ、分かった」
「ルイ」とガンスがもう一度言った。ルイが「何」と返した。「全員で戻ってこいよ」。ルイが少し間を置いて「分かった」と言った。
「何かを感じたら単独で動くな。俺に知らせろ。いいな、レイア」
「うん」
「レイアさんに何かあったら困るので、本当にお願いします」とマリーが言った。
「困らせない」とレイアは言った。マリーが「信じてますよ」と言った。
「サラ」とルイが言った。「何」と返ってきた。「東の角は見通しが悪い。いつもより細かく確認してくれ」「分かってる。言われなくてもやる」とサラが言った。ルイが「そうだな」と言って頷いた。
全員が散った。
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外壁の西側に立つと、街の音が遠くなった。
宮廷の内側から光が漏れていた。外壁の手前に集まった市民が、誰も喋らずに上を見ていた。きれいだと思っている顔だった。今夜の内側に何があるか知らない顔だった。
散り際、ルイが短くレイアに言った。「使徒の気配がしたら」「知らせて。あいつだけは…必ず私が殺さなくちゃ」
レイアが少しルイを見た。「本当に」と言った。ルイが頷いた。
宮廷の方から音楽が聞こえ始めた。空気が変わった。周囲の市民が一斉に静かになった。誰かが「始まった」と小声で言い、隣の誰かが頷いた。知らない人間同士が同じ方向を向いていた。
外壁の上部が金色に輝いていた。壁のすぐそこに、封印が眠っている。きれいだった。きれいで、同時に——今夜が分岐点だという感覚があった。
フィンが前夜祭の夜に言っていた。「明日の夜、何かが起きると思う」。アルノが今夜眠れないと言っていた、とも。その言葉が今夜だった。外壁の向こうで儀式が進んでいる。封印が緩む瞬間が近づいている。プランナが動く。使徒がいる。
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気配を感じたのは、音楽が高くなってからだった。
——冷たい。
西側だった。北寄りに、一瞬だけあって、消えた。三回目。来た。
レイアは動かなかった。位置と時刻を頭に刻んだ。
その瞬間、外壁の内側で何かが爆発した。
地面が揺れた。北側から煙が上がった。遠くでガンスが「なんだ!」と叫んだ。マリーが「北から!」と続いた。ルイの声が「全員確認しろ」と走ってきた。
——始まった。
三回目の気配の位置が頭の中にあった。北寄り、外壁の外側。でも今は爆発が優先だった。フィンが宿にいる。
「絶対戻ってきてください」——フィンの声が一瞬耳の中で鳴った。
ガンスとマリーはもう動いている。サラも動いている。ルイも動いている。
レイアは走った。




