表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獄炎の姫君〜失意の底で何を思ふ〜  作者: 蕎麦粉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/67

帝国編 43.汚泥

護衛の途中だった。


フィンが露店の前で立ち止まって、陛器の小皿を手に取っていた。ガンスが二歩後ろに立ち、マリーが少し離れた位置から人の流れを読んでいた。レイアはフィンの斜め前、人波の途切れる方向に目を向けていた。


市場は儀式の準備で普段より賁わっていた。色布を売る露店が増え、宮廷の紋章を入れた記念品が軍先に並んでいた。人が多い。視界が詰まる。それでもレイアは常に三方向を意識していた。フィンの背後、左側、そして人の流れが急に変わる場所。


その時だった。


——冷たい。


瞬きよりも短い間だった。でも確かにあった。あの感触。昨日、路地で感じたものより少しだけ濃かった。今度は西側——人波の向こう、市場の出口に近い方向。


レイアは顔を向けなかった。視線だけで追った。


何もなかった。人が流れていた。屋台の煙が漂っていた。誰も立ち止まっていなかった。でも——消えた後の空気が、わずかに違う。温度ではない。魔力でもない。もっと薄い何かが、そこにあって、もうない。


「どうした」


ガンスが近づいてきた。声を落としていた。


「何でもない。フィンを」


「分かった」


それだけで動いた。ガンスがフィンの隣に寄り、さりげなく露店から離す方向に誘導した。フィンは陛器を戻して、素直についていった。何かを察したのかもしれない。何も聞かなかった。


---


宿に戻ったのは夕方だった。


フィンを部屋に送り届けて、レイアは廊下に残った。しばらく窓の外を見た。市場の方向には何もなかった。当たり前だ。もう消えている。


二度目だった。昨日と今日。同じ感触だったが、少しずつ近くなっている気がした。帝都の中を動いている。儀式に向けて、何かを確認している。そういう動き方に見えた。


ルイに言うと決めていた。今夜話す。


部屋の前を通り過ぎて、ルイの部屋の扉をたたいた。


「少し話せる?」


扉が開いて、ルイが出てきた。廊下の様子を一瞬読んでから、颎でそっと外を示した。二人で宿の外に出た。通りは静かだった。


「使徒の気配がした。昨日と今日、二回」


ルイが少し止まった。


「場所は」


「昨日は北側。今日は市場の西の出口付近。どちらも一瞬で消えた。でも同じ感触だった。汚泥みたいな形の、汚い残滓」


「おれには分からなかった」


「分かった時にはもう消えてる。感じられるのは私だけだと思う」


しばらく二人とも黙った。通りの向こうで誰かが笑う声がして、それも遠ざかっていった。


「みんなには」


「まだ言わない。怖がらせたくない」


「お前が一人で抱えるな」


「一人じゃない。お前がいる」


ルイが何か言いかけて、止まった。レイアの方を見た。困り顔だった。でも何も言わなかった。それでいい、ということかもしれなかった。


「儀式まであと六日だ。それまでの間に、もう一度来ると思う。その時に、できれば方角と時刻を記録したい。動きのパターンが分かれば——何かが見えるかもしれない」


「おれも一緒に動く。確認に行く時は一人で行くな」


「分かった」


それだけだった。余計なことは言わなかった。帰り道、二人並んで歩いた。ルイが「今日のフィンは」と言いかけて止まった。「何でもない」と続けた。何を聞こうとしたのかは分からなかったが、聞かなくていいと思ったのだろう、とレイアは思った。


宿の灯りが見えてきた頃、ルイが短く言った。「もし三回目があったら、すぐ知らせてくれ。時刻と場所、どこから感じたかも」「うん」。それで終わりだった。


---


夜、部屋に戻って窓の外を見た。


帝都の灯りが遠くに並んでいた。市場はもう閉まっている。人の声もない。それでも——どこかにいる。気配は消えても、この街にいる事実は消えない。


一人が、今夜もここにいる。フィンの文書にも書かれていた。プランナに力を貸している、と。この街にいて、儀式の夜に何かをしようとしている。レイアが追っている相手の、一人。


名前も顔も分からない。気配しか知らない。それでも——確実に近づいている。儀式が近づくたびに、感触が濃くなっている。


レイアは炎を少し出した。掌の上に、小さく。揺れた。安定していない。それでも——迷宮に入る前とは少し違う。揺れ方が変わった気がする。力で抑えようとしていた時と、今とでは。


消した。


儀式まで、あと六日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ