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獄炎の姫君〜失意の底で何を思ふ〜  作者: 蕎麦粉


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帝国編 38.宮廷顧問

「今日、ヴェラに会いに行く」とルイが言った。「レイアも一緒に来てほしい」


「なぜ」


「ヴェラが……君のことを見たいと言っていた。龍人族に会ったことがないらしい」


珍しい理由だった。ルイが気まずそうにしていたので、レイアはそれ以上聞かなかった。


宮廷の外縁まで歩いた。帝都の中でも石造りの建物が増えてくる区画で、通りが広く、人が少なかった。儀式が近いせいか、衛兵の数が増えていた。正門の手前に官舎がある。旅人が入れる場所ではなかったが、ルイが衛兵の一人に名を告げると、表情が変わった。


「……失礼しました。どうぞ」


レイアがルイを横目で見た。ルイが「宮廷の伝手だよ」とだけ言って、中へ進んだ。


廊下は静かだった。石の床に足音が響いた。窓の外に手入れされた中庭が見えた。儀式の準備なのか、金糸で縫われた幕が張り渡されていた。


「この奥に顧問の執務室があるんだ」


「ヴェラ…さんはここに住んでるの」


「ほぼね。家はあるらしいけど、帰らないって言ってた」


「仕事が好きなんだ」


「フィン殿下のそばにいたいんだと思う」


それだけだった。廊下の角を曲がると、扉の前に女性が立っていた。


髪を後ろに束ねており、服装は質素だが、生地がいい。手に書類を持ったまま、ルイの顔を見て、口元を動かした。


「やっぱり来たのね」


「呼んだのはヴェラさんでしょう」


「呼んだのは正しかった、ということよ」


それからレイアを見た。しばらく視線が止まった。


「龍人族……ルイ、面白い人間を連れてくるのね」


「そういう趣味はないんですけど…」


「あなたに趣味があったの。初めて聞いたわ」


「自己紹介しておく方がいいわね」とヴェラが続けた。書類を片手に持ったまま、淡々と言った。

「宮廷魔術師団団長兼宮廷顧問。水属性魔法〈絶対停止世界〉の使い手よ」


レイアが一瞬、止まった。


——魔法。


龍神の声が掠めた。魔術はそこにあるものを形に変える技だ。だが魔法は違う。世界そのものを捻じ曲げる——無から有を生み、有を無へ返す。龍神ですら「軽々には扱えん」と言ったものだ。


「……本当に?」


「信じなくてもいいわ。必要なら証明する機会は来るかもしれないから」


ヴェラが先に立って扉を開けた。執務室は広くなかったが、書類の山が秩序正しく並んでいた。窓の外に中庭が見えた。


「立ってていい?座れる椅子が二脚しかないから」


「どちらでも」とルイが言った。


ヴェラが書類を机の端に置いて、ルイを向いた。


「プランナのことを話す前に一つだけ聞かせて。あなたは月夜の船のパーティーを信頼している?」


「している」


「信頼の根拠は」


「一緒に動いてきたから」


「それだけ?」


「それで十分だと思ってる」


ヴェラが少し黙った。それからレイアを見た。


「あなたはどう?」


「何が」とレイアが返した。


「月夜の船の仲間を、信頼してる?」


少し間があった。


「……まだ全部じゃない」


「正直ね」


「その答えが欲しかったんじゃないの?」


ヴェラが初めて笑った。声は出なかったが、目元が動いた。「好きよ、そういう人間」と言ってから、椅子に腰を下ろした。


「本題に入りましょう」


---


プランナが宮廷内部の誰かと繋がっている——それはヴェラが数ヶ月かけて集めた情報だった。


「カルムかエドン。どちらかがプランナと接触しているのは確定ね。あるいは、両方かもしれない」


「証拠は」


「状況証拠だけ。でも確信はあるわ。儀式の警備配置の変更申請が、通常より二週間早く提出された。申請者の名前が一致しない。それが複数回続いている」


「儀式を利用して何かをしようとしている、ということ?」とルイが言った。


「動き方から見ると、儀式の夜に何かをするつもりよ。儀式は皇帝が表に出る数少ない機会。警備が集中する。混乱が起きやすい。まぁ無難なとこでいうと暗殺かしら」


「何をするつもりなの」とレイアが聞いた。


ヴェラが少し黙った。


「……それがまだ分からない。宮廷の中でも知らない人間の方が多い。私が知っているのは、フィンが狙われている理由と繋がっているということだけ」


「フィンが何かを持っている」


「アルノ陛下からの預かりものがあるはず。内容は——陛下が直接フィンに渡したものだから、私には分からない。でも、プランナがそれを回収しようとしているのは確かよ」


窓の外で風が動いた。金糸の幕が揺れた。


「ただ、フィンを守ってほしい」


ヴェラの声が少し低くなった。


「あの子だけが——まだ汚れていない。カルムもエドンも、もう宮廷の濁りの中に入ってしまった。フィンはまだ外にいる。それを守りたい」


「守る」とレイアが言った。「それは仕事として請けているから」


「仕事だけじゃない気がするけどね」とヴェラが返した。「あなたの目がそう言ってる」


レイアは何も言わなかった。ヴェラが「それでいい」と続けた。「言葉にしなくていいことはある」


---


帰り道、石畳の通りを並んで歩いた。衛兵の数がまた一人増えていた。儀式が近づいている。


しばらく二人とも黙って歩いた。宮廷外縁の区画を抜けると、人の声が戻ってきた。屋台の煙と、馬の蹄の音。


「儀式を利用して何かをする、という話」


レイアが言った。ルイが横を向いた。


「プランナが使徒と繋がっているかもしれない」


ルイが少し立ち止まった。


「……根拠は」


「感覚。でも外れたことはあまりない」


「それで十分だよ」とルイが短く言った。「言うか、みんなに」


「言う」


「いつ」


「早い方がいい。でもフィンが先だ。フィンが何を持っているか確認してから」


ルイが頷いた。二人で歩き続けた。


帝都の空が夕方に差し掛かっていた。儀式まで、あと十日もない。

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