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獄炎の姫君〜失意の底で何を思ふ〜  作者: 蕎麦粉


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帝国編 34.乱雲

秋が深くなっていた。


帝都の市場は派手ではない。どちらかというと、静かに大きい。石造りの建物の間に露店が並び、人の声より荷物を積み上げる音の方が目立つような場所だった。


レイアはサラと二人で、その市場を歩いていた。依頼の話し合いの帰りだった。


「なんか、雰囲気違う気しない?」


サラが先に口を開いた。


「うん」


「具体的に何が、とは言えないんだけど」


「分かる」


何かが変わっていた。三日前と今日とで——具体的には言えないが、人の歩き方が違う気がした。急いでいるわけではないが、足先に余裕がない。目線が伏し目がちな人が増えた。商人が客を呼ぶ声も、どこか控えめになっている。


「儀式が近いのよ、たぶん」とサラが言った。「継承の儀式。帝都全体がそわそわしてる」


「もうすぐなの?」


「日程は発表されてないけど——この空気は近いわ、絶対」


宮廷の方向から、秋の風が来た。落ち葉が石畳を転がった。


---


宿に戻ると、ガンスが椅子を後ろ脚二本で傾けて座っていた。


「おかえり。何か分かったか?」


「依頼はとりあえずない」とサラが答えた。「時期が悪いって支部の人に言われたわ」


「帝都全体がそわそわしてるって感じだったな、こっちも」とガンスが言った。「今日、俺も少し街を歩いてきたんだが——宮廷の方向に、人が少ない。普段はもっと行き来があるはずなのにな」


「封鎖?」


「そこまでじゃねえけど、自然に人が避けてる感じだ。子供でも体で分かってんじゃねえの、何かが起きそうだって」


レイアは窓の外を見た。帝都の屋根が重なっている。その向こうに、宮廷の尖塔が見えた。


——三日前、ルイと話した夜から、何かが近づいている感じが続いている。


正確には、ずっとあった。ただ、ここ数日で少し速くなった気がする。


---


昼を過ぎた頃、マリーが「お茶にしましょ」と言って湯を沸かし始めた。


ルイはテーブルの端で何かを書いていた。何度か書き直している。レイアが「何を書いてるの」と聞いたら、「整理」と短く返ってきた。


「魔王の話の?」


「それも含めて」


「……教えてくれる?」


「まだ待ってくれ」


言い方がきつくはなかった。ただ「まだ」というのが、本当に「まだ」なのだと分かった。ルイが感情を隠している時と、本当に言葉が見つかっていない時とで——今日は後者だった。レイアはそれ以上聞かなかった。


マリーがお茶を置いてくれた。「レイアちゃんも何か考えてる顔してますね」と言われた。


「そうかな」


「そうですよ、眉間にちょっとしわが寄ってます」


「……そんなに?」


「じゃ、そんなにじゃないです。でも少しは」


マリーが笑った。つられて、レイアも少し笑った。温かい飲み物が手の中に収まった。


外ではまた、秋風が鳴っていた。


---


ドージが帰ってきたのは、夕方が近い頃だった。


外に出ていた理由は聞いていなかったが、毎朝採取袋を持って出るのでだいたい分かる。帝都周辺の植生を調べているのだという話は、以前に一度だけ聞いていた。


「お帰り」とマリーが言った。


「うん」とドージが答えた。それだけだった。


レイアは本を読んでいたが、ドージが部屋に入ってきた瞬間——ふと、手が止まった。


理由は分からない。ただ、採取袋が軽い。帰ってきた時、いつもより何かが少ない。袋の膨らみが、いつもの半分くらいだった。


ドージは椅子を引いて座り、懐から小さなものを取り出して確認し、またしまった。何かの種か葉か——レイアには見えなかったし、見ようとも思わなかった。いつも通りの動作だった。


ただ。


——袋が、軽い。


そう思っただけで、すぐ本に視線を戻した。


---


夕食は静かだった。


いつもより口数が少ない夜だった。ガンスが「なんか今日は皆黙ってるな」と言ったが、誰も特に返さなかった。外が暗くなるのが早くなっていた。帝都の秋は早い。


食後、レイアが外に出た。


宿の前の道に立つと、帝都の灯りが広がっていた。宮廷の方向だけ、少し光が強い。明かりの数が増えているのか、それとも気のせいか——判断できなかった。


街がざわついている。声ではなく、空気が。


——何かが動いている。


使徒と関係があるのか。プランナが何かを準備しているのか。ルイが「整理できていない」と言った魔王の話は、今ここと繋がっているのか。


答えは何もなかった。


帝都の夜は遅くまで灯りが消えない。その光の重なりをしばらく見て、レイアは宿に戻った。


扉を閉めると、外の音が遠くなった。

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