帝国編 33.断片
失踪したのは、Dランクの冒険者だった。
名前はクレン。二十代の男で、単独で動くことが多かったという。最後に目撃されたのは宮廷の外壁近く——それ以降、宿にも支部にも戻っていない。もう四日が経っていた。
支部の窓口担当が「持ち物は路地に落ちていたものだけで、本人は……」と言いかけて口をつぐんだ。続きを促すつもりはなかった。顔を見れば、言葉にする気がないのは分かる。帝都では最近、こういう話が増えていた。誰もが途中で止まる。
テーブルの上に、クレンの持ち物が並んでいた。財布。短刀の鞘。それから、小さく折りたたまれた紙が一枚。
「触っていいか」
ルイが担当者に聞いた。担当者が頷いた。
紙を開いた。レイアも横から覗き込んだ。
細かい文字が並んでいる。暗号のようでもあり、走り書きのようでもある。途中で切れていた。
「読めるの?」
「少し。商人の暗号に近い書き方だ。一部は」
「全部は?」
「解読できるのは半分くらいか」ルイが紙を傾けて、また角度を変えた。「帝位継承の話が半分。それから……」
少し間があった。
「魔王復活の準備、という一節がある」
その言葉を聞いた瞬間、ルイの指先が止まった。
レイアはそれを見ていた。
ルイが止まった。普段は感情が顔に出る人間だ。笑う時はちゃんと笑うし、困る時は困った顔をする。それが今は、どの表情にも当てはまらない。
嫌な感じがした。ルイが何かを知っている。そしてそれは、知りたくなかった類の何かだ。
「……魔王」
小さく、ルイが呟いた。独り言だった。声に気づいていないような呟き方だった。
「知ってるの?」
ルイがゆっくりと顔を上げた。レイアを見た。一瞬だけ何かを測るような顔をして——それから静かに答えた。
「……伝承では。ただの伝承だと思っていたが」
「どんな伝承」
「大昔に封じられた存在だ。今の時代には関係ないと思っていた」
「今は関係あるかもしれない、ってこと?」
ルイが紙に視線を戻した。答えなかった。
担当者が「何かお分かりになりましたか」と恐る恐る声をかけてきた。
「もう少し時間をもらえるか」とルイが言った。「写しを取らせてくれ」
「あ、は、はい。どうぞ」
ルイが懐から紙を出して、文字を写し始めた。丁寧な字だった。手が少しだけ、速かった。
支部を出たのは昼を過ぎた頃だった。
外の空気は秋めいていた。石畳に落ち葉が散っている。市場の方から人の声が聞こえるが、中心部に比べると人の流れが少ない。宮廷周辺に人と空気が引っ張られている感じがする。
「ルイ」
「何だ」
「さっきの話、伝承ってどこで聞いたの」
ルイが少しだけ歩調を緩めた。
「家で。子供の頃に聞いた」
「家って、どこ」
「……帝都だ。生まれはここだ」
「知らなかった」
「聞かなかっただろ」
それはそうだ。レイアは前を向いたまま歩いた。並んで歩いていると、ルイが時々空を見上げた。何かを考えている時の癖だ、とここ数ヶ月で分かっていた。
「ルイ」
「何だ」
「その伝承、詳しく教えてくれない?」
ルイが少し間を置いた。
「今夜、時間があれば。まだ整理できていない」
「整理?」
「自分の中でな」
短い答えだったが、そこには何かが詰まっていた。知っていることを隠しているのではなく、本当に整理できていないのだと分かった。
宿に戻って、夕食を食べた。
ガンスが「なんか今日の飯うまいな」と言って、マリーが「昨日と同じメニューですよ」と笑った。サラが「空腹は最高の調味料よ」とそっけなく言って、ガンスが「哲学的なこと言うじゃねえか」と返した。
レイアは端の席で、スープを飲みながら聞いていた。
こういう夜が続いていた。それが変わりつつある気がした。何かが近づいている。ガンスもマリーも笑っているが——サラが時々、窓の外に視線を向ける。ルイが昼間より口数が少ない。
賑やかな中に、薄い緊張が滲んでいる。
夕食が終わって、人が散り始めた頃。レイアが立ち上がりかけたら、ルイが「少し待ってくれ」と言った。
二人が残った食堂は静かだった。
ルイが写しを取った紙をテーブルに置いた。
「魔王というのは、封印された存在だ。数百年前——龍人族が消えた頃と、だいたい時期が重なる」
レイアの手が止まった。
「一致するの?」
「一致するかどうかは分からない。ただ文献上は、近い時期だ。俺が子供の頃に聞いた話は、魔王を封じた側の話だった。封じるために多くの種族が犠牲になった、と」
「……龍人族も」
「言及はなかった。ただ」
ルイが紙を指でなぞった。
「プランナが帝都で何かを準備しているとしたら。継承の混乱に乗じて何かをするとしたら——それが魔王と関係しているとしたら、規模が全然違う話になる」
しばらく、黙っていた。
「怖い?」とレイアが聞いた。
ルイが少し驚いた顔をした。それから苦笑した。
「怖いな。正直に言えば」
「そう」
「お前は?」
レイアはスープの器を見た。
ルイが紙をたたんだ。「今夜のところはここまでだ。頭が整理できたら、もう少し話せる」と言った。
立ち上がって、階段の方に向かいかけて——振り返った。
「レイア」
「何」
「一人で動くな、当分。頼む」
命令ではなかった。「頼む」という言葉が、少し不格好に出た。ルイが自分でも気づいたのか、少し視線を外した。
レイアは答えなかった。
答えなかったが、頷いた。
部屋に戻って、しばらく天井を見ていた。
魔王。龍人族が消えた頃と時期が重なる——ルイがそう言った。繋がっているかどうかは分からない。ただ頭の中で、ドージの「次の依頼は少し待って」という言葉と、ルイの「魔王」への反応が並んだ。
二つが繋がるとしたら。繋がらないとしたら。
——分からない。
分からないのに、何かが動き始めている気がした。ゴルンで使徒に会う前の夜に感じたものと、少し似ていた。
あの時は何も分からないまま朝が来て、里が燃えた。
今度は、分からないままにしたくない。でも——何をすればいい。
答えは出なかった。
窓の外で風が鳴った。帝都の夜は遅くまで灯りが消えない。その光を見ながら、レイアはしばらく動かなかった。




