帝国編 32.疑惑
ドージからの文は、三日後に来た。
前の二回と同じ書き方だった。「次の調査依頼のご相談をしたく。都合がよければ今週中に」——丁寧で、短くて、ドージらしい文だ。ただ今回は最後に一行だけ場所が添えられていた。帝都の北区、古い施設の地下。希少な鉱石があるという情報を得た、と。
レイアは文を読んだまま、しばらく動かなかった。
住所を確認した。
——宮廷の外壁に近い。
二日前に歩いた場所だ。魔力の残滓があの壁に染み込んでいた。その反対側だ。偶然かもしれない。偶然ではないかもしれない。どちらとも言えなかった。
文をたたんで、受けることにした。
翌朝、約束の時間より少し早く北区の路地に着いた。
待っていたら、ドージが来た。遠くから見ても分かる、水色の長い髪。眼鏡。荷物を抱えている。いつもより少し重そうだ。
「おはようございます」
「うん。荷物多い」
「あ……今日は道具を多めに持ってきたので。地下の状況が分からないので念のため」
「重そう」
「大丈夫です」
大丈夫そうには見えなかった。レイアは無言で荷物の半分に手を伸ばした。ドージが「あ、いいですよ、重いですし」と言いかけて、すでに持っていかれていた。
「……ありがとうございます」
「依頼中だから」
「それでも」
ドージが少し笑った気がした。眼鏡の奥で、目が少し緩んだ。
歩き出した。
北区は帝都の中でも古い区画だ。石畳の幅が狭くて、建物が密集している。日が入りにくい路地が多く、昼間でも薄暗い場所がある。商人や貴族が多い中心部とは違って、職人や職人崩れが多い。看板のない工房が並んでいる。
ドージが歩きながら、壁際に生えている苔を見て「この苔、北区特有の品種ですね」と言った。
「苔も研究するの」
「錬金術の素材になりえるので一応。でも今日は対象外です」
「じゃあなんで言ったの」
「……ついつい目に入ってしまって」
レイアは前を向いたまま、少しだけ口の端を動かした。
こういうところはいつもと変わらない。目に入ったものを解説せずにいられない。それがいつものドージだ。
しかし、路地を曲がったところで、ドージが立ち止まった。
さりげなく後ろを振り返った。
人影はない。それを確認してから、何事もなかったように歩き出した。
レイアは何も言わなかった。
また少し進んだところで、今度は建物の角を曲がる前に、ドージが一瞬だけ周囲に目を走らせた。さりげなく、という体裁を取っていたが、慣れていない動作だった。体全体がわずかに固い。
——何かを気にしている。
それが何かは、まだ分からなかった。
施設は古い倉庫だった。外から見れば廃屋に近い。板が腐って、壁に蔦が這っている。しかし扉の錠だけが妙に新しかった。
「鍵、持ってるんだ」
「所有者から許可を得ています。地下の調査が目的なので」
「所有者は誰」
「組合の関係者です」
ドージが錠を開けた。扉が重い音を立てて開いた。中は暗い。奥に地下への階段がある。石造りで、かなり古い。
灯りを点けて下りた。天井が低くなる。足音が変わる。空気が湿って、冷たくなる。地下特有の閉じた匂いがした。
鉱石はあった。
壁の一角に、薄紫色の光を帯びた石が露出していた。ドージが駆け寄るように近づいた。
「あった。間違いないです、これです」
荷物を下ろして、道具を取り出した。いつもの手つきだ。丁寧で、確かで、専門家の手だ。採取している時のドージは本当に嬉しそうで、少し無防備になる。
レイアは周囲に気配を巡らせた。
——ある。
鉱石の光とは別の、淀んだ何かが地下に染み込んでいた。昨日外壁沿いで感じたものと質が近い。積み重なり方が似ている。誰かが繰り返しここを通っているか、使っている。
「ねえ、ドージ」
「はい」
「ここ、鉱石以外に何か知ってた?」
ドージの手が止まった。
止まった、という表現では足りないくらい、はっきりと止まった。一秒か、二秒か。それからゆっくりと採取を再開した。
「……いいえ。鉱石の情報だけです」
答えは来た。
嘘、とは言い切れない。しかしその間が長すぎた。採取の手を止める必要はなかったのに、止まった。そして再開してから答えた。順序がおかしい。
レイアは壁の残滓を見たまま、何も言わなかった。
採取が終わって地上に出た。外の光が眩しかった。
ドージが採取した鉱石を丁寧に袋に収めながら、「助かりました。今回も」と言った。声はいつも通りだ。
「次の依頼は?」
「……次の依頼は、少し待ってください」
「なんで」
「少し忙しくなりそうで。研究の方が」
ドージが視線を手元の袋に落としたまま言った。レイアと話すとき、ドージはたいてい目を合わせる。目が合わない時は考えている時か、答えにくいことを聞かれた時だ——レイアはこの三ヶ月でそれを知っていた。
今はどちらでもない気がした。
「……分かった」
「すみません。また落ち着いたら声をかけます」
「うん」
別れた。
ドージが路地の角を曲がって見えなくなってから、レイアはしばらくその場に立っていた。
帰り道は遠回りをした。
宮廷の外壁が見える通りを、少し歩いた。壁に手をつくわけでもなく、ただ歩いた。淀んだ魔力の匂いがした。ここに何かがある。ドージの依頼地とここが繋がっているかどうか——繋がっていてほしくなかった。
——まだ、決めつけるには早い。
宿への道を歩きながら、あの間のことが頭の端に残っていた。
ドージの手が止まった瞬間が。
消えなかった。




