帝国編 29.龍人族のお話
翌日、約束通りドージの研究室を訪ねた。
扉を叩くと、すぐに開いた。昨日より目が覚めている。珍しい。
「来ましたか」
「来た」
部屋に入った。相変わらず薬品と書類の匂いがする。しかし今日は奥の棚の様子が違った。文献が積み直されている。昨日までは錬金術関係の書が前に出ていたが、今日は別の束が手前に来ていた。
レイアは視線を止めた。
背表紙に古い文字が刻まれている。読める。艶桜の里で習った、古い龍人の書き文字だ。
「……その文献」
「龍人族に関するものです」とドージが言った。「昨日の話の続きを、と思って」
ドージが湯を沸かした。
こういうことをする人間だと思っていなかった。作業を止めて、湯を沸かして、椅子を二脚向かい合わせに置く。研究の話をするときの手順があるらしい。
「龍人族の研究を始めたのは、錬金術の素材を調べていたことがきっかけです」
ドージが椅子に座って話し始めた。
「龍骨を素材とした薬品の研究をしているんですが、調べていくうちに龍人族そのものに興味を持ちました。現存する記録がほとんどない。数百年前に突然、姿を消している」
「突然?」
「記録の上では。前触れが書かれた文献が一つもない。ある年まで存在の記録があって、翌年から消えている」
レイアは湯の入った器を両手で持った。
——前触れがなかったわけじゃない。
ただ、口には出さなかった。
「外からの侵略があったという説があります」とドージが続けた。「しかし侵略の記録も断片的で、誰が、なぜ、という部分が全て抜け落ちている。意図的に消されたのか、それとも記録する者が残らなかったのか」
「……どちらだと思う」
「どちらでもあると思っています」
ドージが文献を一冊手に取った。
「記録が消された形跡が一部にあります。書き直された痕跡。ただ、それとは別に——記録できる状況になかった、という形跡もある」
レイアは答えなかった。
答えなかったが、聞いていた。
「艶桜という名前を聞いたことがある?」
声に出てから、自分でも少し驚いた。
ドージが顔を上げた。
「文献に出てきます。龍人の隠れ里と言われていた場所ですね。正確な位置は諸説あって、特定できていませんが」
「そう」
「何か?」
「……別に」
ドージはしばらくレイアを見てから、「そうですか」と言って視線を文献に戻した。
それ以上は聞かなかった。
レイアは器の中の湯を見た。湯気が細く立っている。
——聞かないんだ。
聞いてくることを、少し警戒していた。名前を出した途端に「知っているのか」「どこで聞いたのか」と詰めてくると思っていた。しかしドージは戻った。手元の文献に戻って、ページを繰り始めた。
「龍人族は炎を扱えたという記録があります。他の種族と根本的に異なる形で。魔術とも違う、もっと身体に近い火の扱い方——という記述が複数の文献に共通して出てきます」
「……それで」
「それだけです。どういう仕組みで扱えたのかは、記録されていない」
「記録した人間に分からなかったから?」
「おそらく」
ドージが少し考えてから言った。
「見たことがある人間でも、言語化できなかったのかもしれません。あるいは——見せてもらえなかったか」
レイアは指先を、少しだけ動かした。
一時間ほど話した。
ドージの話し方は丁寧で、決めつけない。「〜という説があります」「〜かもしれません」という言い方をする。知らないことを知らないと言う。それが話しやすかった。
帰り際、ドージが「あなたは龍人族に詳しいですね」と言った。
「文献の読み方も、知識も。普通の冒険者が持っている種類の知識じゃない」
レイアは少し間を置いた。
「……縁があった、だけ」
「そうですか」
ドージが頷いた。
「では、またその縁があった話を聞かせてもらえれば、研究の助けになるかもしれません。もちろん——話せる範囲で」
「……考える」
「それで十分です」
扉が閉まった。
石畳の道を歩きながら、レイアはさっきの言葉を繰り返していた。
縁があった、だけ。
精一杯の言葉だった。それ以上でも、それ以下でもない。あそこで生まれた、あそこで育った、あそこで全部燃えた——その全部をまとめて、縁があった、と言った。
ドージは「そうですか」と言った。
それだけだった。
——話せる範囲で、か。
石畳を踏む音が、少しずつ遠くなっていく。話せる範囲がどこまでかは、まだ分からない。ただ、また来てもいいと思った。それだけは、確かだった。




