帝国編 27.坑道の底で
5日後、ドージから文が来た。
短い文だった。「次の依頼の準備が整いました。都合がよければ今週中に」とだけ書いてあった。
翌日、研究室を訪ねた。
扉を叩くと、少し間があってから開いた。
「来ましたか」
ドージが言った。眼鏡の奥の目が、少し眠そうだった。
「……また夜通し作業してた?」
「少し」
「寝た方がいいよ」
「依頼が来たら起きます」
ドージが部屋に入るよう促した。相変わらず薬品と書類の匂いがする。前回より棚の瓶が増えている。川沿いで採取した素材を使った研究が進んでいるのかもしれない。
「今回の依頼はこちらです」
地図を広げた。帝都の南西、山沿いに廃坑がある。かつて金属を掘っていた坑道で、今は使われていない。その坑道の奥に、特定の鉱石が採れると文献にあるらしい。
「この鉱石は磁性を持っていて、錬金術の触媒として使えるものなんです。ただ」
「ただ?」
「廃坑なので、中に魔物が巣を作っている可能性がある、と」
「可能性が、というのは」
「行ったことがないので」
「……前の川のときも同じことを言ってた」
「すみません」
ドージが少し眉を下げた。謝り慣れていない顔だった。
「もう一つ、今回は調査も兼ねたいんです。坑道内の魔物の種類と数と分布を記録したい。錬金術の素材になるものが他にもあるかもしれないので」
「つまり、奥まで入る」
「できれば」
レイアはドージを見た。地図を真剣な顔で見ていた。行く気は本物だ。
「分かった。ただし——危なくなったらすぐ戻る。戻れって言ったら言い訳しないで戻って」
「はい」
「すぐに」
「……はい」
廃坑は山の中腹にあった。
入口は石で組まれた枠だけが残っていて、扉はとっくに朽ちていた。中から冷たい空気が出てきた。湿っている。暗い。
レイアが灯りを点けた。
「入るよ」
「はい」
坑道の床は土だった。天井が低い。レイアが先に立って進んだ。ドージがすぐ後ろについてくる。足音が二つ、坑道に響いた。
壁に古い掘り跡が残っている。支柱の木材が朽ちかけている。空気がひんやりして、湿っている。
「この壁の鉱脈は金属系ですね。でも目当てのものとは違う」
ドージが壁を見ながら言った。歩きながら小さなノートに何かを書いている。坑道の形を記録しているらしい。
「見ながら歩けるの」
「慣れています」
「転ぶよ」
「大丈夫です」
三秒後、ドージの足が何かに引っかかった。つんのめって、壁に手をついた。
「……」
「言った通り」
「すみません」
レイアは少し口の端を動かした。
坑道が二股に分かれた。左と右。レイアは気配を探った。
右の方に何かいる。左はしばらく何もない感じがする。
「右から行く。左は後で」
「分かりました」
右の坑道を進むにつれ、気配が濃くなった。
最初の魔物は、坑道の曲がり角の先にいた。
灯りを向けると、蜥蜴に似た体型の魔物が壁に張り付いていた。体長が六十センチほど。目が光っている。皮膚が灰色で、坑道の壁と色が近い。
「コケトカゲですね」
ドージが小声で言った。
「知ってるの」
「文献で。音と光に反応するタイプです。急に動くと——」
コケトカゲが動いた。
まっすぐこちらに来る。
レイアは半歩前に出て刀を抜いた。一合。コケトカゲが床に倒れた。
「……速い」
「文献の話は後で聞く」
「はい」
ドージがノートに何かを書いた。図を描いている。コケトカゲが出た場所と、坑道の形を記録しているらしい。
「これ役に立つの」
「次に来るとき、どこに何がいるか分かれば効率よく動けます」
「次も来る気でいるんだ」
「素材によっては」
レイアは前を向いたまま歩いた。
——また来るつもりなんだ。
奥に進むにつれ、コケトカゲが増えた。
三体まとめて出てきた。
「三体の場合は——」
「後で」
「はい」
三体を片付けた。ドージがノートに書いた。
また出た。今度は二体。片付けた。またノート。
「ドージって戦闘中も書いてるの」
「記録は新鮮なうちに取らないと精度が落ちます」
「当たらないように気をつけて」
「分かっています」
「本当に?」
「……気をつけます」
坑道がさらに奥へ続いていた。天井が低くなった。空気が変わった。湿気が増して、壁に水が滲んでいる。
「この先に採掘場の跡があるはずです。文献の地図では——」
ドージが地図を出した。歩きながら見ている。
「今度こそ転ぶよ」
「大丈夫です」
転ばなかった。
採掘場の跡は、坑道が広くなった先にあった。
天井が高くなって、壁に大きな掘り跡が残っている。灯りを上げると、壁が微かに光った。
鉱石だ。
「あれです」
ドージが壁に近づいた。石壁に埋まっている鉱石を指で確認した。ノートに書いた。
「間違いない。磁性もある。採取しましょう」
道具を取り出した。丁寧に作業し始めた。手つきが確かだ。このあたりは専門家だと分かる。
レイアは周囲を確認した。
開けた場所だ。魔物が来やすい。
気配を探った。
——いる。左の暗がりに、二体。さっきのコケトカゲより大きい。
「ドージ、作業続けて。私が対応する」
「え、でも——」
「続けて」
暗がりから出てきた。大型のコケトカゲだった。体長が二メートルほどある。さっきまでのものとは動き方が違う。重い。しかし速い。
一体が右から来た。
躱して横に払った。深く入った。倒れた。
もう一体が左から来た。
——ドージの方だ。
距離が詰まっていた。
レイアが動いた。ドージと大型コケトカゲの間に入った。刃が来た。体を捻って躱した。横から斬り込んだ。終わった。
「——っ」
ドージが息を飲んだ。
レイアは刀を納めて振り返った。
「怪我は」
「……ないです」
ドージの顔が少し青かった。眼鏡が少しずれていた。
「ありがとうございます」
「依頼中だから」
「それでも」
ドージがまっすぐレイアを見た。眼鏡の奥の目が、少し揺れていた。
「本当に……ありがとうございます」
レイアは少し間を置いた。
「続けて」
「……はい」
ドージが作業に戻った。手が少し震えていたが、止めなかった。
採取が終わったのは、入ってから二時間後だった。
坑道を出ると、外の光が眩しかった。山の空気が、坑道の湿った空気と全然違う。
「十分な量が取れました」
ドージが採取した鉱石を確認した。満足そうな顔だった。
「よかった」
「坑道内の調査も記録できました。次に来るときの参考になります」
「次も来るとしたら、また声をかけて」
ドージがレイアを見た。
「……来てくれますか、また」
「来るよ」
「なぜですか」
「なぜって」
——なぜだろう。
「報酬が出るから」
「……そうですね」
ドージが鞄を閉めた。
帰り道を歩き始めた。しばらくして、ドージが「龍人族が消えた理由について、少し調べが進みました」と言った。
レイアの足が、わずかに止まった。
「続きは研究室で話せます。よければ明日にでも」
「……行く」
「では明日」
山道を下りながら、レイアは前を向いたまま歩いた。
来るよ、と答えた。
理由を「報酬が出るから」と言ったが——それが全部ではない気がした。
何が残りの理由なのか、まだ言葉にならなかった。ただ、あの「ありがとうございます」が頭の中に残っていた。
依頼中だから、と言った。
しかし間に入ったのは、依頼の前に体が動いていた。
——そういうことなんだろうか。
山を下りる風が、少し冷たかった。




