帝国編 19.龍は新天地へ
バーナードが帰るのは翌朝だった。
宿の前に馬車が一台止まっていた。帝都から北へ向かう街道沿いの便で、バーナードが手配したものだ。御者が荷台に荷物を積んでいる。
全員で見送りに出た。
バーナードは荷物を一つだけ持って、馬車の前に立った。ルイに短く何かを言った。ルイが頷いた。それから月夜の船の三人に目を向けた。
「頼む」
「お任せを」
ガンスが胸を叩いた。
バーナードはそれを聞いて、レイアに向き直った。
「また何かあれば連絡しろ」
感情のない声だった。命令とも助言とも取れる言い方だった。
「はい」
「無茶はするな」
「……はい」
バーナードは一度だけ頷いて、馬車に乗った。扉が閉まった。御者が手綱を取り、馬車がゆっくりと動き出した。
石畳の音が遠ざかる。
角を曲がって、見えなくなった。
誰も何も言わなかった。
ガンスが「さて」と言って両手を叩いた。
「俺たちの帝都が始まるな」
サラが「あんたの帝都じゃない」と言った。
マリーが「でも気持ちは分かるわ」と言った。
それでその場が解けた。
午前中に、組合の帝都支部へ登録に行った。
帝都の支部は本部とは別の建物にある。本部が行政と情報の中枢なら、支部は冒険者たちが実際に依頼を受ける窓口だ。本部より小さいが、それでもゴルンの支部より遥かに大きい。
受付に等級証を出した。
職員がそれを見て、レイアを見た。それからまた等級証を見た。
「……こちらのランクで、お間違いないですか」
「はい」
「失礼ですが、以前はどちらの支部に」
「ゴルン支部です」
「ゴルンの……」
職員が何か言いかけて、止まった。奥の上席らしき人間に声をかけ、短いやり取りをした。それから戻ってきて、手続きを続けた。
特に何も言わなかった。しかし視線が残った。
ガンスが横で「そういうもんだ、気にすんな」と言った。
「気にしていない」
「そうか。ならいい」
登録が終わった。
宿は月夜の船がいつも使う場所があった。
帝都の東区にある、小さな宿だ。主人が顔見知りらしく、ガンスが入口で大声で挨拶すると「また来たのか」という顔をしながらも部屋の鍵を出してきた。
月夜の船の四人分はそこで取れた。
レイアの分は別だった。
「うちにも一部屋空いてるけど」
主人が言った。
「別でいい」
「そうかい」
主人は特に気にした様子もなく、近くの宿を三軒教えてくれた。最初に行ったところが空いていた。
小さな部屋だった。窓が一つ、寝台が一つ、机が一つ。薄暗い。しかし静かだ。
それで十分だった。
荷物を置いて、窓を開けた。
外は帝都の路地だった。向かいの建物の壁が見える。空が狭い。ゴルンの寮の窓から見えた空より、ずっと狭い。
少し考えてから、窓を閉めた。
夜、月夜の船の宿でみんなが集まった。
ガンスが酒を持ち込んでいた。マリーが宿の厨房を借りて何か作っていた。サラが帝都の依頼を書き写したものを広げていた。ルイは椅子に座って、書類を見ていた。
レイアが入ると、ガンスが「おう来た来た」と言った。
席が一つ空けてあった。
ルイの隣だった。
座った。マリーが食事を運んできた。温かかった。
「帝都の依頼、ゴルンと全然違うな」
サラが紙を見ながら言った。
「護衛が多い。それから情報収集系が多い。ゴルンは討伐ばっかりだったけど」
「帝都は人間が多いからな」
ルイが言った。
「人間が多いところでは、人間絡みの依頼が増える。それだけのことだ」
「なんか嫌な感じ」
「慣れる」
「慣れたくないかも」
サラがそう言いながらも、依頼の紙を丁寧に分類している。慣れたくないとは言いつつ、ちゃんと調べている。
マリーが「サラは口と行動が逆なのよね」と言った。
サラが「そんなことない」と言った。
ガンスが笑った。
レイアは食事を食べながら、その輪の端で聞いていた。
輪の中には入らない。しかし、外にもいない。
ルイがさりげなく、帝都の地理の話をし始めた。危ない区画、使える市場、組合支部の特徴。誰に向けるでもなく話すが、レイアに届くように話している、とレイアには分かった。
監視のためなのか、それとも単に気にかけているのか——そこまでは分からなかった。
どちらでもいい、という気もした。
深夜になって、一人で宿へ戻った。
部屋に入って、灯りを一つだけ点けた。
窓を開けた。
遠くに、宮廷の明かりが見えた。
帝都の夜景は、ゴルンとは違う。光の量が違う。人の密度が違う。どこまでも街が続いている感じがする。
プランナ。
その名前を、頭の中で一度転がした。
東大陸を拠点とする犯罪組織。密謀の場には必ずいる。足取りを掴ませない。
ゴルンで動いていた者も、おそらくその一員だ——とグランドマスターは言った。
使徒との繋がりは、まだ分からない。しかし繋がっていないとも思えない。薬で人の意志を奪う。ワイバーンを操る。どちらも、意志を支配することへの執着がある。
使徒もそうだった。
窓の外の宮廷の明かりを見た。
グランドマスターは「帝都でも動きがある」と言った。その中身は教えてくれなかった。
いずれ、見えてくる。
窓を閉めた。灯りを消した。
暗い部屋で、寝台に横になった。
帝都の夜は、静かではなかった。遠くから音が届いてくる。それでも、目は閉じた。




