帝国編 18.龍と邂逅
翌朝、バーナードが部屋の扉を叩いたのは夜明けすぐだった。
「時間だ」
レイアは既に起きていた。着替えて、刀を腰に差して、扉を開けた。廊下にバーナードとルイがいた。ルイは眠そうな顔をしていたが、目は覚めている。
三人で宿を出た。
朝の帝都は静かだった。昨日の喧騒が嘘のように、人が少ない。石畳に朝靄が漂い、遠くで鶏の声がした。
組合本部までの道を、誰も喋らずに歩いた。
本部の中は、朝でも人がいた。
夜通し動いている組織なのだと分かった。受付には職員がいて、書類が動いていて、奥から話し声が聞こえる。
バーナードが職員に一言告げると、すぐに案内された。
廊下を進む。奥へ行くほど静かになった。絨毯が敷かれ、壁の造りが変わる。使われている石が違う。古い建物の、古い区画に入っていく感じがした。
案内の職員が、一つの扉の前で止まった。
「お待ちしておりました。どうぞ」
扉が開いた。
部屋は広くはなかった。
窓が一つ、朝の光が斜めに入っている。天井が高く、壁に棚が並んでいる。棚には書類と本が積まれていた。整然としているが、使い込まれた感じがある。実務の場だ。飾りがない。しかし、一つだけ場違いなほどに異彩を放つ剣がさしてあった。全く豪奢ではない、が見るものを震えさせるだけの何か力が働いていた。
机の向こうに、人が座っていた。
一人の老人だった。
白髪で、顔には歴史を感じさせるような深い皺があった。しかし背筋が伸びていて、目が鷹のように鋭い。長く何かを続けてきた者の、静かな重さがあった。
「バーナード。あの若造も偉くなったもんだ。」
言葉とは裏腹に声は低く、穏やかだった。
「グランドマスター。お久しぶりです」
バーナードが頭を下げた。ルイも続けた。レイアは少し遅れて頭を下げた。
「座れ」
三人が席についた。グランドマスターはしばらく三人を順に見てから、バーナードに目を向けた。
「報告を聞こう」
バーナードが話し始めた。
薬の流通、デニーの件、商会長の動き、宣戦布告、ワイバーン——順を追って、淡々と話した。感情を挟まない話し方だった。グランドマスターは途中で口を挟まなかった。ただ聞いていた。
時折、視線がレイアへ来た。
値踏みではない。確かめるような目だ。何かを知っていて、それを確認しているような——しかし何を知っているのかは分からない。
バーナードの報告が終わった。
しばらく沈黙があった。
グランドマスターが口を開いた。
「プランナについては、こちらでも動いている。断片的な情報はある。しかし——」
短く止まった。
「まだ、核心には届いていない」
「プランナ、とは何ですか」
レイアが聞いた。バーナードとルイが少し視線を向けた。グランドマスターは特に表情を変えず、レイアを見た。
「まぁおぬしには話してもいいだろう。きゃつ等は東大陸を拠点とする犯罪組織だ。——組合が長年追っているが、足取りを一切掴ませない。密謀のある場所には必ずいると言われておる」
「名前だけは知られているが、実態が見えない、ということですか」
「そうだ。五年前、マーダル王国で王位争奪戦があった。その裏にもプランナがいたとされている。しかし証拠はない。いつもそうだ」
グランドマスターは短く息をついた。
「全員が黒いローブで活動する。顔も名前も出さない。ゴルンで動いていた者も、おそらくその一員だ」
レイアは少しの間、黙っていた。
腐った魔力の残滓。薬の流通。ワイバーン。そして今、この名前。全部が一本の糸で繋がっている気がした。しかしその糸の端を、まだ掴めていない。
「帝都で何か動きがありましたか」
バーナードが続けた。
「ある。しかし今は話せる段階ではない」
バーナードは頷いた。それ以上聞かなかった。
グランドマスターの視線が、レイアに移った。
「それはそうと―――お前が使ったのか?」
「何を、ですか」
「ワイバーンを落としたものを」
レイアはグランドマスターを見た。
老いた目が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「はい」
短く答えた。
グランドマスターはしばらく、レイアを見ていた。部屋の中が静かだった。朝の光が、机の上の書類を照らしていた。
「そうか。なるほどなるほど。いやはや久いのぅ」
それだけだった。後半の独り言のようにつぶやかれたのは誰の耳にも入らなかった。
それ以上、何も聞かなかった。どうやったのか、何を使ったのか——何も。
レイアは次の問いを待ったが、来なかった。
方針の話になった。
「プランナの調査は続ける。帝都でも動きがある以上、ここで情報を集める必要がある」
グランドマスターがバーナードに言った。
「バーナード、お前はゴルンへ戻れ。支部が長く空くのはまずい」
「はい」
「護衛の者たちは帝都に残す。お前の判断でいい」
バーナードが頷いた。
グランドマスターの視線がレイアへ来た。
「お前は帝都で自由に動いていい。ただし——」
一拍置いた。
「無茶はするな」
レイアは答えた。
「はい」
グランドマスターはそれを聞いて、また一度だけ頷いた。それで話は終わりという感じだった。
三人が立ち上がった。扉へ向かった。
「レイア」
名前を呼ばれた。
振り返った。グランドマスターが机の向こうから、こちらを見ていた。
「何か困ったことがあれば、ここへ来い」
それだけだった。
レイアは少しの間、グランドマスターを見た。
「……分かりました」
扉を閉めた。
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廊下を歩きながら、ルイが小声で言った。
「あのグランドマスター、お前のこと知ってたと思うか」
レイアは少し黙ってから答えた。
「……分からない」
「俺もそう思う」
二人とも、それ以上は言わなかった。
バーナードは前を歩いていた。振り返らなかった。しかし歩く速度が、ほんの少しだけ緩んでいた気がした。




