帝国編 16.龍は馬車に揺られ
馬車は街道を進んでいた。
石畳が途切れてからしばらく経つ。車輪の音が変わった。土を踏む、くぐもった音になっている。窓の外を流れる景色も変わった。ゴルンの周辺に広がっていた畑が消え、背の高い木立が続いている。
馬車の中は四人だった。
バーナードは御者台のすぐ後ろの席に陣取り、膝の上に書類を広げていた。揺れる馬車の中でも、目はちゃんと文字を追っている。ルイは外の警戒に当たっていて、今は馬の脇を歩いている。
残りはガンス、マリー、サラ、レイアの四人だ。
ガンスは対面の席に座っているが、体が大きすぎて窮屈そうだった。それでも別に気にしていない様子で、腕を組んで目を閉じている。しばらくしたら、いびきをかき始めた。
マリーは隣でそれを聞きながら、小さな布に刺繍をしていた。馬車の揺れにも動じない手つきだった。
サラはレイアの斜め向かいに座っていた。最初からそこにいて、ずっと窓の外を見ている。一度だけレイアの方を見たが、目が合うと無言で外に視線を戻した。
レイアも窓の外を見ていた。
木立が続く。空が狭い。たまに鳥の声がする。それだけだ。
しばらくして、ガンスが目を覚ました。
大きく伸びをして、周りを見渡して、レイアに目を止めた。
「お前、寝ないのか」
「眠くない」
「そうか。俺はすぐ寝れるんだよな、どこでも」
誰も頼んでいない情報を提供して、ガンスはまた伸びをした。
「なあ、お前どこの出身だ?」
「里だよ」
「里って、山の方か?」
「そう」
「へー。山育ちって感じしないな。どっちかというと」
「どっちかというと、何なの」
「いや、なんか……静かな感じ? 山育ちってもっと豪快なイメージあるんだよな」
マリーが刺繍から目を上げずに言った。
「ガンスが豪快すぎるだけよ」
「そうか?」
「そうよ」
ガンスは首を傾けて、それから「まあいいか」と言って窓の外を見た。
「帝都は初めてか」
「うん」
「でかいぞ。ゴルンの五倍はある。いや、もっとか」
「そうなんだ」
「最初は圧倒されるからな。俺も最初行ったときは口開いて突っ立ってたわ」
マリーがくすりと笑った。
「それは見たかったわ」
「見せてやりたかったよ。ルイなんか蒼白になってたからな」
「俺の話はするな」
廊下の外から声がした。どこかで聞いていたらしい。ガンスが声を上げて笑った。馬車が少し揺れた気がした。
レイアはそのやり取りを聞きながら、窓の外を見ていた。
夕方に差し掛かった頃、街道沿いの小さな集落で馬車を止めた。
宿というより、旅人を泊める農家といった風情の建物だった。部屋は三つしかなく、バーナードが一人、ルイとガンスが一部屋、マリーとサラとレイアが一部屋になった。
夕食は全員で食べた。
大きなテーブルに六人が座った。料理は質素だったが、温かかった。ガンスが酒を一本頼み、ルイに「お前も飲めよ」と言い、ルイが「仕事中だ」と断り、ガンスが「堅いな」と言う——そのやり取りが二回繰り返された。
マリーが「ガンスさん、いい加減にしてあげて」と言ってようやく収まった。
サラは黙って食べていた。
レイアも黙って食べていた。
二人の沈黙は種類が違った。サラの沈黙は、何かを測っている感じがする。レイアの沈黙は、ただそういう人間だという感じだ。
食事が終わって、バーナードが先に部屋へ戻った。ガンスとルイが酒を続けた。マリーがお茶を飲みながらそれを眺めた。
レイアは席を立った。
「外に出てる」
「暗いわよ」
マリーが言った。咎めている感じではなく、ただ確認するような声だった。
「すぐ戻る」
外に出ると、夜の空気が冷たかった。
街道の脇に立って、暗い木立の方を見た。風がある。葉の音がする。それだけだ。
ゴルンの空気と、少し違う。
腐った魔力の感触はない。きれいな夜だ。それを確かめて、レイアは建物の壁に背を預けた。
頭の中が静かになった。馬車の中では常に誰かがいた。それが嫌なわけではないが、一人になると違う。
デニーたちのことを少し思った。ノーラが手を振った顔を思った。バートンが頷いた顔を思った。
「……何してんの、あんた」
声がした。
振り向くと、サラが建物の入口に立っていた。腕を組んでこちらを見ている。
「涼んでる」
「ふーん」
サラはそのまま入口のところに立っていた。中へ戻るでも、外へ来るでもなく、ただそこにいた。
沈黙が続いた。
「……あんた、何者なの」
唐突に言った。
レイアは少し考えた。
「冒険者だ」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあ、何が聞きたいの」
サラは少し口を閉じた。
「あのワイバーンを、一発で飛ばした。C級が五人がかりで傷一つつけられなかったやつを」
「見てたんだ」
「見てた。遠くから」
レイアは何も言わなかった。
サラも何も言わなかった。
「……答えられない」
レイアが言った。
「そう」
「そう」
サラはしばらくレイアを見てから、踵を返した。建物の中へ戻っていく。
入口で一度だけ振り向いた。
「早く戻りなさいよ。マリーさんが心配する」
それだけ言って、消えた。
レイアは空を見た。
雲の切れ間に星がある。ゴルンで見た星と、同じ星だ。
しばらく見てから、建物の中へ戻った。
翌朝、馬車が動き出した。
外の景色がまた変わり始めた。木立が深くなっていく。人の気配が薄くなっていく。
街道を進むにつれ、どこか遠くへ来た気がした。
ゴルンは遠くなった。
帝都は、まだ見えない。
レイアは窓の外を見ながら、それをただ感じていた。




