帝国編 閑話 仲直り
デニーが復帰したのは、レイアたちが出発して四日後だった。
治癒師のお墨付きをもらい、バートンが「無理するな」と言うのを「大丈夫大丈夫」と流して、三人でいつも通りの依頼を受けた。
ただ、いつも通りではなかった。
「右、魔物三体」
バートンが静かに言う。デニーは頷いて前に出る。剣を抜く。動きは悪くない。体はちゃんと動いている。
ただ、声がない。
普段のデニーなら「任せろ!」とか「こっちはやっとくわ!」とか言う。口が動くより先に体が動いて、気づいたら終わっている。そういうやつだった。
今は、黙って前に出る。丁寧に、確実に、一体ずつ倒す。
それは悪いことではない。しかし、違う。
ノーラは後衛から矢を放ちながら、その背中を見ていた。
依頼を終えて、三人で組合に戻った。
受付に報告を済ませて、いつもなら酒場へ行くか、飯を食いに行くか——そういう話になる。しかしデニーが「今日は先に戻る」と言って、さっさと寮の方へ歩いていった。
ノーラはその背中を見て、バートンを見た。
バートンは何も言わなかった。
「……あんた、何とも思わないの」
「思う」
「じゃあ何か言えば」
「お前が言った方がいい」
ノーラは舌打ちしそうになるのをこらえて、デニーの背中を追いかけた。
寮の廊下でデニーに追いついた。
「ちょっと待って」
デニーが振り返った。顔に警戒が出た——ほんの少しだけ。普段のデニーには絶対にない表情だった。
「なに?」
「なにって……何でさっさと帰るの」
「疲れたから」
「嘘つかないでよ。あんた疲れたくらいで先に帰るやつじゃないでしょ」
デニーは少し黙った。
「……まあ、な」
「何でそんな」
「そんな、って?」
「大人しくしてんの」
また間があった。デニーは壁に手をついて、視線を逸らした。
「……怖いから、かな」
「怖い?」
「お前らに。迷惑かけたし、お前のこと殴ったし。なんか、変に気使わせてもあれだし……どう接したらいいか、分からん」
ノーラは、少しの間何も言えなかった。
それから、じわじわと腹が立ってきた。
「……何それ」
「え」
「何それ。怖いって何。気使わせてるって何」
「いや、だから——」
「あんたがそうやって変に縮こまってる方が、よっぽど気使うわ」
デニーが口を閉じた。
「ずっと思ってたけど、依頼中も黙ってるし、終わったらさっさと帰るし、あんたじゃないみたいで——」
声が少し上ずった。ノーラは自分で気づいて、余計に腹が立った。
「ねえ、怒っていい?」
「え、いや、もう怒ってるじゃ——」
「ちゃんと怒っていい?」
「……どうぞ」
「あんたが殴ったことに怒ってんじゃないから!薬のこと、自分でどうにもできなかったのは分かってるから!そこに怒ってないから!」
「じゃ、なんで——」
「今のあんたに怒ってんの!」
廊下に声が響いた。向こうから誰かの足音がして、角を曲がって来た人間がノーラたちを見て足を止め、察したように踵を返した。
ノーラは構わなかった。
「ずっと申し訳なさそうにして、ちょっとしたことで顔色窺って、でも何も言わないで。そっちの方がずっと嫌。私はあんたに普通にしてほしいの。怒鳴って、笑って、うるさくして、余計なこと言って——いつも通りにしてほしいの」
「でも、俺は——」
「謝りたいなら謝ればいい。でもそれが済んだら、いつも通りにしてよ。あんたがへらへらしてなきゃ、パーティーじゃないから」
デニーは黙っていた。
壁に手をついたまま、床を見ていた。
「……お前に謝りたい」
「知ってる」
「殴ったこと」
「知ってる」
「本当に申し訳なかった」
「……うん」
ノーラは一度深呼吸した。
「受け取った。終わり」
「終わり?」
「終わり。次は立って」
デニーは顔を上げた。ノーラと目が合った。
ノーラはまだ少し怒った顔をしていた。しかし目は、怒っていなかった。
「……ありがとう」
「あと一個だけ」
「え」
「一発殴らせなさい」
「は?」
「一発だけ。殴らせなさい」
デニーが肩を差し出した。ノーラが拳を作って、一発、肩を殴った。手加減はなかった。デニーがよろけた。
「いって……」
「これで終わり」
ノーラは拳を開いて、息を吐いた。少し、すっきりした顔だった。
デニーが、少しだけ笑った。
ちゃんとした笑い方ではなかった。まだ引きつっている部分があった。それでも——いつものデニーの笑い方に、少し近かった。
「バートン、待たせてるな」
「どうせ壁際に立って腕組んで待ってる」
「あいつはそういうやつだ」
「そういうやつ」
二人で廊下を歩き始めた。
肩が並んだ。それだけで、何かがもとに戻り始めた気がした。全部じゃない。まだぎこちない部分がある。しかし、少し動いた。
一階の曲がり角を曲がると、バートンがちょうど壁際に腕を組んで立っていた。
二人を見て、短く頷いた。
「飯、行くか」
デニーが答えた。
「行く」
声がいつもより少しだけ大きかった。バートンはそれに気づいた様子だったが、何も言わなかった。それが正解だった。
三人で、いつもの店へ向かった。
バートンは、廊下のやり取りを途中から聞いていた。
追いかけてきたノーラの背中を見送って、しばらくしてから階段を上がった。聞こえない距離ではなかったが、近づかなかった。
ノーラが一発殴ったとき、バートンは壁の陰で少しだけ目を細めた。
あれはノーラなりの区切りだ。謝罪を受け取って、でもそれだけじゃ終われなくて——怒りをちゃんと体で返した。受け取ったことにして流すんじゃなく、ちゃんとデニーに渡した。
ノーラはそういうやつだ。
言葉より先に感情が動く。不器用で、まわりくどくて、でも根のところは真っ直ぐだ。
デニーも、分かっていたはずだ。あの「分かった」という返し方が、そのまま答えだった。
バートンは壁から離れて、一階へ降りた。
いつもの位置で待った。
二人が降りてきたとき、デニーの声が少しだけ大きかった。それだけで十分だった。
何も言わずに、「飯、行くか」と言った。それが今、バートンにできる一番いいことだと思ったから。




